クライオジェニアンの手紙

凪司工房

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 わざわざホテルの小ホールを会見の為に準備したのに、既に報道陣だけで部屋の密度が高かった。倉部健人くらべけんとは「会見はリモートでなら」と研究所の所長に伝えたつもりだったが、どうやら彼の英語を解する能力に欠けていたらしい。見たこともない大きなマイクが台の上に並び、左右の席にはそれぞれ通訳の女性と臨時助手を務めるジョセフが控えている。彼は濃い金色の髪を掻き上げながら倉部を見て、薄く笑みを浮かべた。

 今日の倉部の仕事は全世界が注目する論文の内容を、出来る限りセンセーショナルに発表することだけだった。


「えー」


 カナダに留学して以降、外国暮らしが長い。それでも日本語は抜けず、寧ろ倉部がいくら忘れたいと思っても生活のあちこちに染み込んでしまっていた。ただ今日はどれだけ日本語で話そうと全て通訳が入る。


「本日は我々の奇跡的な発見の報告にこれほど多くの人が集まって下さり、誠にありがとうございます。本来ならばこの壇上に現物を用意するところですが、非常に貴重なもので、仮に傷が付こうものなら人類の、いや、この世界にとっての極めて大きな損失となります故、画像にてご容赦いただきたいと思います」


 誰も声を上げず、黙って倉部と、その隣の同時通訳者の言葉に耳を傾けていた。


「まずはこちらをご覧下さい」


 倉部がそう言うと、ジョセフがパソコンを操作して後側のモニタに半透明の、やや青みがかった直方体を映し出す。隣にはサイズ比較の為に倉部が読んでいた文庫本を置いてある。米国のものではなく、日本のそれだ。本のタイトルは『人間関係に悩まない』だった。


「このガラス質の物体は直径が約十センチ、形状はほぼ直方体で、広い面にごく僅かですが傷のような文様を観測することが出来ます。我々はこれを『クライオジェニアンの手紙』と名付けました。この文様がおそらくは何らかの言葉、あるいは文章だと考えられるからです」


 一斉にカメラのシャッターが切られる。光の花が何度も咲き、その度に倉部たちを強烈に照らした。


「クライオジェニアンとはみなさまご存知の通り、新原生代の二番目のことです。一番目はエディアカランで、こちらはオーストラリアを始めとする一部地域で所謂いわゆるクラゲのような柔生物の化石が多数見つかっており、それらはエディアカラ生物群と呼ばれています。残念ながら今回の発見は生物ではありませんが、仮にこの謎のガラス質の物体に文字が刻まれていたとすれば、それは今までに人類が考えてきた生物年表を大きく書き換えることを強いるかも知れません」


 その発言の英語が口にされると、会場の後ろの方で奇声が上がった。記者ではなく、どうやら一般人らしい。倉部は気にせず続ける。


「また、こういう考えもあることを我々は承知しています。それは人類以外の知的生命体によるもの。端的に言えば宇宙生物ということになるでしょうか」


 今度は記者たちからも歓声が上がる。おそらく今の発言が一番待ち望まれていたのだろう。


「ですから、我々はこれを俗に云われているように『クライオジェニアンの遺物』と呼ぶのではなく『クライオジェニアンの手紙』と名付けたのです。ガラス質の物質が炭素を主成分とする未知の鉱物であることは既に判明していますが、まだまだ不明な点も多く、今後、各研究チームが所持しているクライオジェニアンの手紙の欠片の解析が進むことで、数年の間にその全容が解明されることを我々は期待します」


 倉部が頭を軽く下げると割れるような拍手が起こった。今日の仕事は無事に達成出来ただろう。

 隣を見るとジョセフも薄い顎髭あごひげを撫で、ご満悦といった様子だ。


「それではここまでで何か質問のある方、いらっしゃいますでしょうか」


 司会者の女性が聞き取りやすい英語で進行を進める。だが彼女の言葉が全て終わるまでに一番後ろの大柄な男性が勢い良く手を挙げた。


「博士は、宇宙人が存在すると思われますか!」


 ロシアなまりの強い英語だったが、倉部でも充分に聞き取ることができる容易な文章だったので軽く頷きを見せると、倉部はその男性に向かってこう答えた。


「存在しない、と断言する科学者はほとんどいないと思っています。何故なら宇宙はロマンと無限の可能性に満ちているからです」


 それは倉部の学生時代の恩師カーネル・ワトキンソン教授の言葉だった。


「では他の方、質問はございますか」


 質疑応答はその後一時間にわたって行われ、倉部は一つ一つ丁寧に答えながらも自分がここに立つ充実感に体が支配されていた。

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