第29話 本物のナイフ
「どうした? 裕也」
背中越し、少し遠くに聞こえた。場が緩かった。普段の稽古中にこんな勝手な行動は許されない。でも連中が来たことで空気が乱れていた。俺がスタスタスタと部室へ行くのが、稽古中における大したイレギュラーではないように思われた。
裕也、か。
本物のお前は、本当に俺のことを、そう呼んでいるのだろうか。
そう思いながら俺はもう、躊躇なく飛騨のカバンを開けた。
最大の王手だ。
ずっと求めていたあの本物のナイフ。刃渡り十五センチを超える、峰の一部がギザギザとした、本物のナイフ。ピラミッドの奥深くに隠されている秘宝のような。それが飛騨のカバンの中に。
それは、本当にあった。あまりにもリアルに、本物のナイフはそこにあった。
思えば、このカバンの中にあの時見たナイフが本当にあるのかと、少しではあるが、疑っていた。ちょっとした賭けだった。馴れ馴れしい、面白い、明るいこの飛騨が、果たして今も本物のナイフを持ち歩いているのか、考えれば考えるほどに、それは否定されて然るべきことだった。
でも本当に、ここにはあった。飛騨の中には、こんなナイフを持ち歩く狂気が潜んでいた。飛騨の中には、そんな「ナイフ」を持った飛騨が、本当に潜んでいた。
俺は急に、これは生命に関わる問題なのではないかと考え始めた。
ナイフは本物。触れれば当然切れて血が滲む。いや、それどころじゃない。俺はナイフというものを甘く捉えすぎていたのかもしれない。刺されたら。
「どうした急に。裕也」
後ろから飛騨の声が聞こえた。その一瞬間に、俺の心臓はドックンドックンととてつもない鼓動を始めた。座った状態で背を向けているのだから、まだ俺が何をしているのかは分かっていないだろう。
俺はとっさの判断で、
「あ、ミスった」
と言って、飛騨のカバンを開けたそのまま、自分のカバンの方へサッと手を伸ばした。そして、中から水筒を取り出した。
「ちょっと、クラッと来てさ」
俺はそう言って、水筒を傾ける。飛騨は無言で近寄ってきて、そのまま自分のカバンへとしゃがみ込んだ。
瞬間、飛騨がそのナイフを取り出して俺のこの無防備な喉を掻っ切る、という想像をした。しかし飛騨は「そうか。確かにちょっと顔白いぞ。大丈夫か?」と言って、ジーとカバンの口を閉めるだけだった。
俺はいま、殺されかけた。
そう思った。いま俺が殺されなかったのは、飛騨の演技によるものだった。本物の飛騨が現れれば、俺はたぶん、殺されていた。いや、殺される可能性は確実に持っていた。飛騨はその殺気を、演技で隠しただけだ。
飛騨はとんでもない「ナイフ」を持っている。とんでもない「ナイフ」を隠して生きている。いまみたいに。
飛騨が先に部室を出て行く背中を後ろから見る。飛騨はずっと演技をしていたのだ。いや、今もずっと、しているのだ。俺と仲の良い演技を。
本当は、どう思っている?
俺は唐突に、それを知りたいと思った。いや、ずっと知りたいと思っている。俺は変だ。ずっと。飛騨のとんでもない「ナイフ」が晒されてしまうのを、ずっと望んでいる。
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