第25話 稽古の邪魔
変な興味をそそらせる。
たぶんこれを恐れていたのだ。歴代の先輩たちは。いや、実際に恐れていたかどうかは知らないが、たぶんそうならないために、部の黎明期に誰かが掟としてそう決めたのだろう。型は見せるものではない、と。歴代の先輩たちは、それを忠実に守ってきた。
俺たちはそれを破った。だから変な興味をそそられた連中が、よく稽古中に乗り込んでくるようになった。格闘技がまだ流行っているせいもあったのだろう。いや、でもやっぱり一番はそうやって、部活対抗リレーからあの演武と続いて、無駄に注目を浴びすぎてしまったせいだ。
「おすッ」
なんて、調子に乗った声とともに武道場に入って来る連中が、後を絶たない。俺たちが死に物狂いで動作している稽古中にだ。稽古中に乗り込んでくるという、ありえないことを連中はしているのだ。
「……」
そのたびに飛騨は連中のところへ行って、何かと話を付けては帰らせる。概ね、廊下で飛騨に肩パンをしてくるような、格闘技かぶれの連中が、部活を抜け出したりして活動着のまま遊び感覚でやってくるのだ。
どうやら連中は、まともな顧問が存在しないこの空手部、この武道場が、憩いの場か何かだと勘違いしたらしい。だから稽古中と言えども堂々とここにやってくるし、
「参加させろ~」
なんてありえない言動を口にするわけだ。他の部活じゃそうやって乗り込んで適当にキャッチボールでもスマッシュでもさせてくれるのかもしれないが、稽古というのは、そんなノリでやるものじゃない。
しかし飛騨は、それに対してブチ切れることもなく、
「帰れ帰れ」
なんて、軽いノリで追っ払いに行く。
練習中にやってきた友達、みたいにして連中を迎えているのだ。俺と一年生からすればそいつらはただ稽古を邪魔しに来るだけの邪魔者でしかないし、飛騨自身も心の中ではそう思っているに違いないのに。
飛騨はキレない。
表情に笑みを浮かべてただ、「帰れ帰れ」と言いに行くだけ。連中もそこまで重症ではないようで、飛騨誠司にそう言われたとあらば状況を理解して割とすぐに帰る。
しかしいつからかそういうノリを面白がってか、何度も何度もそうやってやって来ては、もう、飛騨に帰らされることを待ち望むようになってしまった。
「えー。やらせろよー」
ととぼけたことを言う連中に、
「ムリだって。ムリ」
と飛騨は返す。そんな茶番がここ最近、うざったらしいほどに続いている。
「はぁ」
稽古後、ボロボロの椅子に座ってため息を吐く飛騨に、一年生がギョッとする。飛騨がため息を吐くなんていうことが、後輩にとってはありえなかったからだ。飛騨は、俺の前でならともかく、後輩の前では視線を下に向けるなんてことすらもしない、そういう先輩だ。
後輩が「どうしたんすか」なんて話しかけられるわけもなく、俺が汗を拭きながら、
「どうした」
と代わりに訊く。秋も深まる中で確かに気温も下がってきているが、稽古後のタオルはまだ、汗でビチョビチョになる。
「いや、この頃ここにやってくる奴らだよ。本人たちはそういう自覚もないと思うし、まあ、ここには顧問がいないからそれも仕方のないことだとは思うんだけどさ。やっぱり稽古中にああやって来られるのは、迷惑な話だよな」
皆がそう思っている。ウンウンと一年生が無言で頷く。皆がそう思っているけど、
——それが続いているのはお前のせいだ。
と、俺は思ってみる。お前がしっかり追い払わないからだ、と。……見苦しいぞ、と。
「あれからだよな。スポフェスで型やった時から。やっぱり見せるもんじゃなかったかな……」
「そうっすね……」
三隈がショゲた返しをする。あのとき、皆を納得させたのは三隈だ。それなりに責任を感じているのだろう。
いや、お前には何の責任も無いんだ、とでも言うように、飛騨は黙って首を横に振る。
「代々、人前で見せるようなものじゃないって教えだったんだよ。型とか、空手の動作とかってのは。正直、なんで? って思ってたけどまさかこういうことになるなんてな。そこまで考えないで最終的に決を下したのはこの俺さ。皆……すまない」
すまない。
飛騨誠司が、謝っている。
場が凍り付く。先輩が後輩に謝っている。師匠が弟子に謝っている。ふと、そんな重大な事件か? と思ってみる。いや、やはり重大な事件か、と思い至る。稽古を軽視した邪魔者がやって来るというのは。連中に自覚が無いにしろ、それはあまりにも酷い、侮辱行為。先輩が後輩に謝るほどのもの、師匠が弟子に謝るほどのもの。
俺の口が開いた。
「でもあれはあれで仕方のないことだったろ。部の存続に関わる問題かもしれなかったし。いまこうして部活が続けられてるんだから、あの判断は、俺は正解だったと思うよ。大事なのはこれからじゃないか。飛騨」
久しぶりに長ったらしいことを喋ったな、と俺はいま自分で思った。刹那、一つ俺の中にある箍がいまこの瞬間に、外れてしまった気がした。急なことだった。
「裕也……」
そうだな、と飛騨が言う。飛騨と目が合う。俺は、何言ってんだコイツ、と思った。俺との友情の確認でもしたのだろうか、いま。そういう演技をいまここでしてみたくなったのだろうか、いま。本物のお前は、一体何を考えている。本物のお前は、そういう奴じゃないだろう。
……そうだ。
「ちゃんと追い払わないとな。二度も三度もやって来てる馬鹿がいることだし。完全に調子に乗ってるよアイツら。もっとちゃんと追い払ったほうがいいんじゃないか? ほら、もっとこう、脅すようにさ。そしたらもう来ようなんて思わないだろう」
信じられないほど口が動くな、と俺は自分に感想を持った。よく喋る、ということはよく口が動く、ということなのだ。俺の中にあるものがそうやってドバドバと、外に吐き出されていく感じ。
「脅す、か……」
言葉を食べるようだった。飛騨はいま「脅す」を食べた。「脅す」を食べて胃の中で消化した飛騨が、早く何かを覚醒させてくれやしないかと、俺はそんなことを考えた。
「ああ」
飛騨のカバンを見ながら切り札を出しそうになる。しかし俺はそれを、少しだけ噤む。
「そこまでしない限り、アイツらがここに来てしまうのを止めることはできないだろ、多分。『来ないで』なんて趣旨を論理的に説明したところで、そもそも分かろうとしない奴には一生分からないんだよ。飛騨に会いに来てるって節もあるだろうしな。それならもっと強行策に出たほうがいい。急に怒鳴りつけて、脅して、そうやってやってくるということの危険性を知らしめてやった方が、よほど効果が出るだろう」
場に違和感があると思った。俺がそうやって長々しく喋っているということが、ちょっと珍しいのか。確かに俺は普段から無口な方だ。一年生が上目遣いに俺の顔を覗く。空気が歪んで見える。いつもと違う。いつも見ている景色と違う。
「そりゃ確かに、そうかもしれないけど」
飛騨は何かを主張しきれないでそう言う。やっぱり俺が変なことを言っている構図になっている。
この期に及んで。
いつまで「ナイフ」を隠しているんだ。飛騨。いつまで「ナイフ」を隠しているという演技をしているつもりなんだ、さっきから。いや、ずっと。何度も言うが、そんな演技をしていても、俺には痛々しく見えるだけだ。
出しちゃえよ早く。
出そうになる口を、噤む。変だ。俺は。もう、ずっと。
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