第23話 憤怒の帰結

 鷹岡と飛騨との話はこっちで稽古が終わっても続いていた。筋トレも済ませて、俺と一年生四人が部室で着替えているところに、やっと飛騨は戻ってきた。

「お疲れ。長かったな」

 言うと、飛騨は「ああ」と少し笑う。しかしどことなくキレ気味だ。ドカッ、と俺の横のボロボロの椅子に座る。

「何の話だった?」

 俺がそう訊く中で一年生は黙々と汗を拭いたり着替えたりしているが、耳はずっとこちらへ傾けられているようで、無駄話をしない。

「今度M高と定期戦あるだろ? まだ先だけどさ、野球の。でも今年は野球だけじゃなくて弓道とかバスケとか卓球とか色んな部活も参加するらしくてさ」

 定期戦が三十回目を迎えることもあって、毎年恒例のM高との野球定期戦が拡大して、今年はスポーツフェスティバルなんて大層な名前で全面的に交流試合が行われる、ということは何となく耳にしていた。無論、試合などしたことのない俺たち空手部がそこに出場するなんて話はないが。もしかしたら、そういう話だろうか。

「そこでさ」

 飛騨が口を噤む。水面下でイラついている。なんの話をされたのかは分からないが、それは俺達にとってもあまり気分のよくない話なのだろうことは察しが付く。

「余興として何か演舞しろ、と」

 は? と全員が心の中でイラつく声を聞きながらも、飛騨は説明責任をもって話を続ける。

「部活動ってのが何のためにあるか知ってるか? 学校の評判を上げるためだとよ。試合にも大会にも出ない、何の実績もない俺ら空手部は部活動としての価値がなさすぎる。アイツとしてもそんな不明瞭な部活の顧問を堂々と引き受けるなんてことはしたくない、だとよ」

 一年生はもう密かに聞き耳を立てるなんてことはやめて、飛騨の目を見て話を聞くことにしている。顧問を引き受ける? 書面上のことだろ。何言ってんだアイツ。様々な愚痴が皆の底で蠢いている。

「そこでその、スポーツフェスティバルの開会式でさ、俺ら空手部で演舞しろって。他にも吹奏楽部とかダンス部とかでやるのがあって、その中の一つとしてなんだけど。『正式な場でまともな部活動らしいことをすれば誰も文句は言わないし、第一お前らそんなに凄い型ができるのにそれを披露しないなんて、そんなもったいない話はない』って」

 きっと体育祭の対抗リレーでダントツの一位なんて取ってしまったから、余計な注目を浴びてしまったのだろう。その旨を俺が話してみると、飛騨は、

「確かに、そうかもな」

 と返した。

 よく知らない、学校の隅っこで一体何をやっているのか分からない部活が、野球部も陸上部をも差し置いてあの日、対抗リレーでダントツでの一位だったのだ。注意を引くのは当然のことだ。

「まだ決まってはないらしいけどさ。……。どうするよ」

 そこまで話して、飛騨は話を止めた。皆水色のカッターシャツに着替えている中で飛騨だけがまだびしょ濡れの白い道着姿だった。飛騨は、腰に結んだ黒帯を緩めていく。飛騨なりに、鷹岡との話の中で食い下がってはみたのだろう。だから長引いたわけである。

 珍しく、一年生の基山が口を開いた。

「何か、偉そうな話ですね」

 飛騨の「どうするよ」という問いかけへの答えではないが、こういう時に一年生の中で口を開く者が出てきたということが、俺は少し嬉しくも感じた。身長も急激に伸び、基山は随分と成長したように思う。あの心配要素だった基山が。威勢のいいその反応に、飛騨はフッと表情を緩める。

「どうせただの思い付きだろうけどな。興味本位に見てみたらびっくり、俺らの型が凄いからってことでそういう提案をしてきたんだろう。鷹岡はその……スポフェスの何かの責任者らしくてな。……なんか、断るのも微妙な気はするけど。鷹岡なりに俺らの実力を買ってのことでもあるし。でもそれが部としての方針に合っているのか、どうか。空手の型は、誰かに見せるためにあるわけではないって、代々からの教えだからな。といってそれで断れば『なぜ出し惜しみする?』なんて不可解に思われて俺たちの不明瞭さはもっと増す。いや、本質的には鷹岡の機嫌を大きく損なう。そうすれば部としての存続が、もしかすればだが、ちょっと危うくなるのかもしれない。この学校の教師たち大体イカれてるし、鷹岡なんてその筆頭だし。……にしても俺たちのやってる空手は、ただの部活動という認識からすればちょっとばかり異常なんだろうな」

 スポーツフェスティバル、なんて横文字の行事に俺たちのやっている空手が組み込まれてしまうことに、確かに違和感を覚える。誰かに見せるために空手の動作をしてきたことは一度も無い。ましてや空手の「か」の字も分からない素人たちに向けてそれを見せるなんて。

「やりましょうよ」

 言ったのは三隈だった。危険人物三隈。意外な男の口から意外な方向性の言葉が出てきて、俺はちょっと驚く。

「おお、三隈」

 飛騨も驚きを隠しきれないでいる。相変わらずカバンの中にマッチ箱を入れているらしい三隈の口から、そういう情熱的な言葉が出てくるのは意外なことである。長田、藤沢、基山の三人も、三隈の顔を見て次の言葉を待っている。

「たまたま誰かに見られているって思えばいいんじゃないですか? それだったら普段の稽古と変わりありません。さっき鷹岡先生に気付かないままいつも通りに型をやっていたのと同じですよ。スポフェスの開会式でたまたま型をやっていたら、たまたまそれを両校全生徒が見ているだけの話です。評価も拍手も何も、別に気にしなくていいじゃないですか。僕たちはただ普段通りの型をするだけですよ」

 評価も拍手も気にしなくていい。俺たちはただ普段通りの稽古をするだけ。別に、人に見せるための型をするわけではない。

……確かに。

「そうだな。三隈、いいこと言った!」

 飛騨はうんうんと頷きながら言う。俺も頷いている。三隈がこの空手部に代々受け継がれてきた気風をしっかり受け継いだうえでその発言が出たのだと、皆には分かった。と同時に、先輩から引き継いだバトンをしっかりと後輩たちに渡すことが出来ているという感慨が、いま俺の中であった。

 これまで、この後輩たちに指導してきて良かったと思った。

 飛騨は、同じく頷いている俺を見てから、他の一年生に、

「いいか? それで」

 と訊く。無論、反対する者など誰もいなかった。もしかすると、これは部の存続に関わることなのだ。

「よし、すぐ決まったけど、いいなこれで。ちょうど三週間後の金曜日。それに向けての稽古をするつもりはない。ただいつも通りに型をする稽古を開会式会場でしていれば、たまたま多くの人がそれを見ているだけだ」

 少しニヤニヤしながら飛騨がそうまとめる。自分で言っていて、その計画の一種狂気的な部分に徐々に気が付いてきたのだろう。たまたま開会式会場で型の稽古をしていれば、たまたま多くの人間に見られているというだけ。ちょっと考えれば変な言い分なのだが、否定しきれない芯がある。さすが、危険人物三隈の思いつくだけのことはある。

 今日が金曜日であることを思い出しながら、俺は頷く。

「しれっと噛ましてやろうぜ!」

 一年生たちが、はいっ!と返事をする。

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