第20話 我慢の体裁

「はい。もう一回」

 二年生二人、一年生四人の計六名。今日も学校の隅っこで、この校舎を破壊してやろうかといわんばかりの気合声を轟かせながら、稽古は続く。

 たった六人で稽古中にやることといえば、ひたすらに基本動作の繰り返し、手足に防具を付けての打ち合い、そして皆揃っての型、ぐらいである。

何流だとか、実践形式だとか、フルコンタクト云々、そういう細かいことはここではどうでもいい。正直言って、そういう事は俺もよく知らない。

 空手は空手だ。

 それでいい。

 他の学校や道場がどうなのかは知らないが、そんな形式的なことに囚われている時点でもうそれは、本来の空手ではないんじゃないかなんて、飛騨とよく話したりする。何流かなんて定かではない、ただここで、歴代の先輩たちによって受け継がれてきた基本動作、型をひたすらに繰り返していく。得点も判定も何もない、防具を付けた上での殴り合いを、自制しながらやっていく。それだけでいいと、俺は思う。

 型をやっていると、調子が悪い日には、一回通しただけで心臓が破裂しそうなくらいにバクバクと音を上げることもある。眼球に血流がグワグワと行き来して、視界が暗転したり明転したりを繰り返す中で、今度は耳の近くにまで心臓の鼓動音が届き始める。こうなればもういずれ身体が動作に付いて行けなくなって、フラついて倒れてしまうのは自明の理である。そして今日は、調子が悪い日だ。

「はい。もう一回」

 何の苦しげもなくそう号令をかける飛騨。

 俺はいますぐにでも膝に手をついて、ハァハァと気道の酸素の通りを良くしたいと思っているのに。まるで持久走のゴールラインを切った後みたく、激しく肩を上下させるようにして。しかし俺は地に足を着いたままほんの僅か、数ミリほど肩を上下させて、暴れる呼吸を半ば強引に、平常通りの静かな呼吸にすり替えるのだ。後輩の前で息を上げてたまるかという先輩としてのプライドが、たぶん気絶するまで俺をそうさせる。

「よし、お茶飲んで」

 一分もない小休憩。まともに息も整わないまま水筒に入ったお茶を飲む。飲むというか、口に含む程度。口の中を冷やす、くらいの感覚。タオルで汗を拭くのだが、それからたった一分もすれば顔面には玉粒の汗が滲みだして、それが繋がってビチョビチョになる。稽古後のタオルに乾いた部分などあるわけない。

 ちなみに飛騨はこの小休憩の間も、たいていの場合、お茶を飲まない。

 一年の割と最初の頃からそうだった。

 小休憩が挟まれる時に、皆が藁にも縋る思いで水筒のお茶を飲んでいる中、飛騨はタオルで顔の汗をサッと拭き取るだけで、一口もお茶を飲まないのだ。

「飲めよ。飛騨。やせ我慢は良くない」

 そんな飛騨を見た先輩の誰かがそう声をかける時には、

「そうっすね」

 とあっけなく水筒に手を伸ばしたが。

 もう先輩もいなくなったいま、飛騨がお茶を飲まないことについて、逆に注意する人間はいなくなった。

 己を強くするのはあくまでも己。

 俺はそう教わった言葉を思い出しながらも、追い込み過ぎたら本当に倒れちゃうよ、と心の中で言ってみる。倒れたら元も子もないし、そもそもそんなやせ我慢したところで、俺には勝てねえよ。と。

 そう、言ってきた。三年の経験差が、そんな簡単には覆りなどしないだろうと。そんなやせ我慢をただの自己満足と捉えて。寧ろ飛騨の体調を気遣ってやれるだけの余裕ある体裁を俺は取り繕っておいて。

 でも、いまや飛騨は空手部の部長。確かに俺が部長になってもよかった、いや、そのはずだった。でも世間体として、教師陣からの信頼も厚い飛騨が部長になったほうが良いとして、俺は飛騨にあの日、「お前がやった方がいいよ。部長」と言ったのだ。

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