第11話 悪魔の確信

 三十分も遊べばすぐにお腹も空いてきて、いよいよバーベキューの時間になる。ここで袋から食材を取り出すとき、ようやく危険人物三隈の買ってきたロケット花火がバレて、俺はもう、苦笑するしかなかった。

 飛騨は、

「没収」

 とセリフを棒読みしたように言ってそれを自分のリュックの中に仕舞う。ノリに乗ることも飛騨ならできたはずだが、そこは部長として、看過するわけにはいかなかったのだろう。

 三隈がどんな気持ちでそれを見ているのか気になって、俺は三隈の表情を見てみたが、

 あ、バレちった、

 みたいに、なんならちょっとニヤニヤとしていたので、やはり三隈が三隈たる、中学の自由研究に爆弾引っ提げて夏休み明けに現れたる、危険人物な部分を再認識させられたものだった。それはそれで、後輩として可愛いものだとは思うが。

「てか花火禁止だぞこの海。第一お前、どうやって火ぃ点けんだよ。コンロ用のガスバーナーでか?」

 飛騨が突っ込むと、

「これっす」

 と、三隈は当然と言わんばかりに自分のリュックのサイドポケットから一つ、マッチ箱を取り出した。

「チャッカマンでも、ライターでもいいんすけどね。自分は、マッチが好きなんです。この、頭薬が赤リンに擦れる時の発火音が、原始的かつ科学的で」

 マッチの魅力を、まるで古典の美しさでも語るかのように話す危険人物三隈。

 でもそうじゃなくて!

「お前ここにも持ってきたんか」

 マッチ箱を見ながら皆が黙然としている中で、そう言ったのは長田だった。

「こいつ中学の頃からずっとマッチ箱持ち歩いてるんですよ。まだ学校とか、人前でバレたことないからいいけど、見つかったらさすがに、注意されるどころの話じゃないですよね。本当にサイコ野郎ですよ」

 サイドポケットに入れてるってのがまた、と細かいところにツッコミを入れる長田。長田はその細かい目や社交性といい、一年の中でもリーダー質だ。

 俺はこのとき強烈に、いま横で、今度は、三隈ではなくてこの飛騨誠司が、いったいどんな表情をしているのか、気になった。

 ちょっと気まずそうな表情でもしているのだろうか。

——俺も人のことは言えないんだよな。だってナイフ持ってるから。

 いや、それとも、

——俺一応学校にバレたけど、何にもなかったぜ。

 なんて、軽いノリで後輩に悪知恵でも囁く感じだろうか。もっとも、飛騨に限ってそんな先輩のクズみたいな発言など、しないのだろうが。

 でも、実際のところはどうなのか、分からない。何の濁りも持たない人間だと思っていたこの飛騨誠司のカバンの中に、あのとき、一年生の冬の日、大きな大きな本物のナイフが、本当に入っていたのだから。現実であまり見るようなものじゃない、峰の一部がギザギザとした質感の、本物のナイフだった。振り下ろした刀身の重みだけで頭蓋骨にそれなりの切れ込みを入れてしまいそうな、そんな、狂気に満ちた本物のナイフだった。

「だな、もっと言ってやれ。バレたらお終いだぞ三隈、仕舞っとけ」


 バレたらお終い。

 バレたらお終い。


 ……。


 俺はなんだか、いま飛騨が言ったセリフの中に、飛騨の無自覚の狂気が息を潜めていると思った。

 バレたらお終い。

 つまりそれは、バレなければいい、という思考の裏返しではないか。いつもマッチ箱を携帯していたのだとしても、バレなければそれでいいと。バレればそれでお終いであると。それは他ならぬ自分もそうであると。

 バレなければいい……。

 バレたらお終い……。

 俺は、ゆっくりと顔と視線を動かして、飛騨の横顔を見る。

「はい。そうですね。すいません」

 三隈が、マッチ箱をしっかりとリュックの中に仕舞う。

 飛騨はその様子を見たまま。

 俺は、そんな飛騨の横顔を見たまま。

「そう。ちゃんと中に仕舞っとけ」

 俺はなぜかこのとき、確信をした。いや、そもそももっともっと、ずーっと前から、俺は確信しようとしていたのかもしれない。

 でも、非常に微妙な境界線において、俺はずっと確信しきれないでいたのだ。

 たぶん、確信したくなかったのだ。あの半年ほど前の、凍える一月の廊下の、水面下での出来事が。もし確信したら、俺の中に潜む悪魔みたいな存在が目覚めてしまうと思ったから。

 でもいま、俺はその非常に微妙な境界線をいま、はっきりと目で確認したのだ。確認してしまったのだ。

 飛騨はやはり、ナイフを持ち歩いている。

 そして自分がナイフを持ち歩いているということが、誰にもバレていないと思っている。

 少なくとも、あの時カバンの中身を見てしまった担任以外には、誰にも。いま飛騨の横顔を見たまま頭の中であのナイフを想像するという残忍なことをしているこの俺になど、当然。

この場にいる誰一人として、自分の持っている狂気を知る者などいないのだと、飛騨はそう、思い込んでいる。

「ん?」

 飛騨が俺の視線に気づいて、俺の目を見てくる。

「いや」

 と俺は返す。

——ヤバいよな、マッチ持ち歩いてるなんて。

 そう俺が言って、それに何かを返答しようとする飛騨の表情の妙な機微を見てみたい。

 俺は一瞬だけ、そんなことを考えた。でも友達として、ライバルとして、そして何より尊敬する人間として、そんな悪意に満ち溢れる打診をしてみる勇気は、なかった。

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