第9話 飛騨の覇気

 大層な荷物を持った筋肉質の高校生たちが、電車に揺られて向かう先は海に近い駅。ちょうど大手スーパーもその近くにあるのは好都合だった。駅に着くなり、長田と三隈の二人が率先して買い出しに向かった。残りの一年生三人、二年生二人の、計五人で全ての荷物を運んで行く。

「いいねぇ。こういうの。青春、て感じだ」

 コンロにタープ、キャンプ椅子、簡易テーブル、クーラーボックス、などなど。それらを担いで生暖かい海岸線を歩いて行く高校生たちの貧乏な旅。真っ青な空ではとんびが旋回し、海のさざめきがざわざわと耳に心地いい。

「粋だな、俺ら」

 リュックを背負ったまま、飛騨は器用に、サイドポケットにある携帯ラジオの電源を入れた。すると、周波数の乱れもなく澄んだ音声がいきなり聞こえてきたものだから、ああきっと日ごろから使っているラジオなんだな、と俺は気づく。飛騨は、日ごろからラジオを聴いているような、渋いやつだ。

 愉快なテンポのレゲエ音楽が流れてくる。俺はそこで、ガラクタやゴミクズなんかで作られた楽器を自由に演奏している路上ミュージシャンを想像する。トマト缶を菜箸で叩いたり、空の段ボールをパーカッションのようにしたりして、自由な音楽をつくるのだ。飛騨はそのレゲエ音楽に対して顎や首で楽しそうにリズムをとりながら、ただまっすぐ歩いているだけの俺と二人で先頭を歩く。

 昨日稽古で倒れかけた基山と中本には早くそれを忘れてほしいものだが、と俺は思っていた。

 いや、もちろん忘れてはいけないが、いったん気持ち新たに、ここではまず、楽しんでほしい。昨日の土砂降りの雨の中の稽古、飛騨のあの物凄い剣幕はさすがに俺でも物怖じするところがある。しかしそれは飛騨が先輩で、後輩には教える立場であるという責任感の表れだと、俺は見るようにしている。

 重要なのは、武道を教えるということの責任感だ。

 下手に無理な稽古をさせて本当に倒れられては指導する側としての裁量もあったものではない。かと言って、甘い稽古に落としてしまうのも、それは根本的に武道的ではないのだ。

 昨日の土砂降りの雨の中での稽古中、飛騨から静かに怒られた基山と中本の二人は、武道場の端っこに体操座りをさせられて、真っ白な顔面で、ずっと切羽詰まった目をしていた。心臓を丸ごと鷲掴みにされたかのような恐怖が、その二人には漂っていた。蛇に睨まれた蛙のようだった。中枢をやられた虫のようだった。

 というのも、動きのぎこちない様子を見かねて飛騨から下がるように指示を受けた二人が、「いやっ、できますっ」と息を上げながら食い下がったときに、飛騨がグワンとその眼力で睨みつけて静かにこう言ったのだ。

「もう一度言うぞ。下がれ。死にたいか」と。

物凄い剣幕だった。いつも一緒にいる俺でさえ、見ていてゾッとした。一年生の二人がそれに抗えるはずもなく、弱々しく、座らされた。それから、血の通わない真っ白な顔で、二人はずっと怯えていた。

 相手を黙らせるその強烈な覇気が、ただ、飛騨という男の崇高な気力、エネルギーからくるものなのか、それともそれは、いつも懐に隠しているあまりにもドス黒い狂気からくるものなのか。


 一体俺は何を疑っているのか。


……その背中のリュック。いまもその背中のリュックの中には、いつも学校指定のカバンに隠しているナイフを、わざわざ移して、入れてあるのだろうか。いつもそうやってこの男は、学校外でも本物のナイフを持ち歩いているのだろうか。証拠に、飛騨は最初、俺と会ったときからこれまで、一度もそのリュックを手放していない。

……よくない妄想だ。

 そう俺は我に返った。

 思考が変な方向に動き始めている。いまの頭の中の流れを一旦堰き止める。余分だったものを摘まみ取って、ゴミ箱に捨てる。

「今年初めてですかね。海は」

 顔面蒼白の昨日とは打って変わってケロっとしている中本が、飛騨の横で言う。

「泳げんの?」

 飛騨はフランクな奴。眉をクイっと上げて、中本に訊く。「そこそこっすかね。実は幼稚園のころ行ってました。スイミング教室」

「にしては、体力ねぇなぁ!」

 飛騨が爆笑する。はははは、と中本もそれに合わせるようにして、俺の横では二人が盛り上がっている。中本は、相手の懐に入るのがうまい。その後ろにいる基山が、それで変な疎外感を喰らっていないかと踏んで、俺は基山と藤澤の二人の方をチラっと見遣る。基山は、中本と昨日、倒れかけたやつだ。ちなみに中本と基山で言えば、基山の方が身体は出来ていない。ということは、一年生の中でもっとも脆弱なのがこの基山ということになるが。

 少し、安心した。

 何やら楽しそうに話をしていたのだ。耳を傾けてみれば、昨日あったテレビ番組の話をしているらしい。

 よかった。

 そう俺は胸を撫で下ろす気分だが、俺たちの後ろを歩いていることもあってか、やはりちょっと、声の量を落とし気味だった。繊細といえば繊細な後輩たち。

 先輩と後輩の関係であり、師匠と弟子の関係でもある俺ら。後輩が俺たちに接するときは、師匠に対する尊敬と憧れと畏怖とが正常に作用してしまって、完全にはそう、先輩・後輩という、簡単な上下関係にはなり切れないのがもどかしい。もっと話しかけて来てくれてもいいのに、なんて思ってみるのだが、自分も後輩だったころにそうやって先輩に気を遣っていた節があるのは過去の事実であって、いまの後輩たちが俺や飛騨に対して抱いている気持ちがよく分かってしまうものだから、歯がゆい気分。

 一瞬だけ歩くペースを落とす。

「俺も見たよ、それ」

 基山と藤沢が俺を向いて、

 本当ですか! 

 あれ面白かったですよね。

 と嬉しそうに反応してくれる。

 そこには、崇高な気品が漂っている。ぎこちなくても武人らしくて、俺は、それがいいと思う。

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