第3話 暴挙の対応

 飛騨は学級委員を務めている。というのも、それは担任からのお願いだった。

「はい、じゃあまず学級委員」

 と言って、手を挙げる者は一人もいない。新学年、二年生になり、委員や係を決める最初のHRだった。

「学級委員、おらんかやりたい人」

 誰も手を挙げないのでひとまず保留として、保健委員、生活委員、体育委員……と順調に決まっていった。そして最後にまた「学級委員ー」と担任がぶっきらぼうな口調で問いかけるので、生徒たちはうまく目を反らすしかない。もう既に役職が決まっている奴らは虎の威でも借りたように「やれよ誰か」と、高慢なものだ。教師も、厳しい男子校特有のサバサバとした態度である。

「おらんか。じゃあ飛騨。お前やれ」

 皆がサッと黒板を見る。間違いなく、その時点では飛騨は体育委員だった。さっき五人名乗り出て、飛騨ともう一人、中崎の二人が、じゃんけんでその座を勝ち取ったばかりだった。二人の名前が体育委員の欄にしっかりと書かれているのを、皆確認したのだ。

 あまり抑揚のない口調でさらりと大きなお願いをした担任。体育委員になったばかりの飛騨に、いますぐそれを辞めて学級委員になれと言っている。暴挙だ。

「ああ、いいっすよ」

 教室の後ろから何の混じり気もない言葉がポーンと前に飛んで行く。皮肉とか諧謔とかの一切ない、ただひたすらに「ああ、いいっすよ」が。バニラじゃなくてチョコでもいいか? なんて妥協案に「うん」と答えるような軽快さで。俺は飛騨の滑らかな口から発せられる混じり気のないそんな言葉が、とても好きだった。

 何となく、飛騨っていいやつだよな、という話にいつもなるのだ。勉強ができる奴は男子校じゃあ先生に媚売ってるあざとい存在として敬遠されがちなものだが、そんな印象もなく飛騨は頭がいい。宿題が終わってない奴には頼まれたら普通にプリントを見せるし、俺も明日提出になっている宿題の存在に日曜の夜気づいて、真っ先に頼りにするのはやはり飛騨だ。宿題プリントの写真を撮って送ってもらって、「ありがとう!」と返すと、「誤字脱字勘弁」なんて返ってくる。賢くて、ノリが分かっていて、良い奴。

 ああ、自然と周りに人が寄ってくる人間ってのは、こういう人格を持った奴のことを言うんだな。

 俺は飛騨を見ていて、いつもそう思う。……思っていた。いや、今でもやっぱり、そう思う……。

 でもやっぱり、信じられないのだ。紛れもなくその飛騨が、カバンの中に本物のナイフを潜ませているなんてことが。飛騨はずっと、ナイフを隠しているのだ。俺にそうやって日曜の夜に宿題プリントを撮って送ってくれる時にも、ノリよく「誤字脱字勘弁」なんて返信してくるときにも、「ああ、いいっすよ」と混じり気のない言葉をポーンと言うときにもずっと、実は本物のナイフを常に隠し持っているのだ。飛騨は。

 俺の中で、それが喉を通って消化されることはない。何度水を飲んでも、咳をしても、しつこい痰のように、ずっと喉にへばりついたまま。

飛騨のカバンの中に本物のナイフがあったのが何らかの間違いであってくれと誰かに頼みながら、あれから既に、半年以上も経つ。あれは一年生の冬のことで、もういまは、二年生の夏だ。

 ふとした時に飛騨が、

「俺ナイフ持ってるのバレちゃっててさ、実はあの時によ、ほら、スマホ抜き打ち検査のとき。たまたま持って来てたんだけど。マジで焦ったー」

とか、

「見て裕也。ラバーナイフ。カッコいいだろ? 本物みたいだろ?」

 とか、言ってくることを期待していた。でもそういう事は一切なかった。飛騨は何も変わらず、それまでの飛騨誠司という男のままだった。あのときの全てを知っている俺には、そんな飛騨誠司という男が、あまりにも捻じ曲げられた存在であると、捉えざるを得なかった。崇高な性格を持った「飛騨誠司」という演技をしている、凶器を隠し持った危険人物なのだ、と。

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