第2話 恐怖の予感
「は? ずる」という意味で思った者もいれば「まあ、そうだよな」という意味で思った者もいた。飛騨誠司は名前の通り誠実で、そして真面目で、面白い奴で、教師からの信頼も厚かった。川越とも、そのほかの連中とも、分け隔てなく皆と仲が良かった。校則を破ることに幸福を見出すような安っぽい男ではなかった。そんな飛騨に対して、荷物チェックなんてする必要も、確かになかったのかもしれない。結構本気でそう思えるほどに、飛騨誠司は信頼、尊敬に足る男だ。特に仲の良い川越はそう思っていた。
しかし「なんだ、いまの」と思った一組の生徒の中で、この川越裕也ただ一人だけは、確かに「それ」を見た。見てしまった。見てしまった「それ」に対して、川越だけは「なんだ、いまの」と思った。
飛騨のカバンの中身を見た後の担任の顔は、明らかにそれまで蓄積してきた怒りの行き場を見失っていた。川越だけには、それが正しい文脈の上でそうなっているのだと思えた。
そりゃ誰だって、感情を一旦リセットされるのも仕方のないことだ。とんでもないイレギュラーに急に直面したときの人間の思考は脆い。
飛騨のカバンには、静かに息を潜ませた、本物のナイフが確かにあったのだから。
「飛騨ずりぃー」
そこにある飛騨誠司という男の真実を見逃した誰かが飛騨に文句を言って、男子校特有の「そーだそーだ」みたいなざわめきが密かに立ち始める。
「うるせぇっ!」
変に血走った目で教室の中の担任から早くも怒鳴られて、そのざわめきの予兆は首根っこから抹消された。確かにそういう教師の一声でザワついた場が急に静まることはよくあるものだが、今回はそんなに重症でもなかったように思う。担任のその「うるせぇっ!」は、例えば生徒会の覇権ではもう収拾のつかなくなった騒がしい全校集会で、ある一人の教師が横からいきなり最大限の怒号を上げるような、そういう鋭利な質感だった。「そんなに怒ることか?」と寧ろ一年一組の生徒はキョトンとしていた。飛騨に関するその話題は早くも過ぎ去るが、「それ」を見てしまったこの川越裕也の思考はずっとその位置から動くことが出来なかった。
なぜ? 飛騨誠司が、なぜそんな凶器をカバンの中に入れている?
それまで飛騨に抱いていた信頼、尊敬、威厳、そういうものたちが全て飛騨のものじゃなくなっていく。そう川越は感じた。飛騨はカバンに本物のナイフを隠しているような男だった。実は。それが本物の飛騨だった。勉強ができて、運動ができて、面白くて、友達想いの飛騨なはずなのに。皆が見ているその飛騨は、本当はカバンの中に大きなナイフを入れている。皆が見ている飛騨は、本当の飛騨ではないのだ。
横にいる飛騨がいまいったいどんな表情をしているのか。それは本物の飛騨なのだろうか。だとすればその飛騨は、どれほど狂気的な表情なのだろうか。
仲の良い友達として大切な何かを、確実に失ってしまうのだろうという恐怖の予感で、川越は横にいるその顔を見ることが出来なかった。
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