「ナイフ」

イチ

第1話 衝撃の事実

 格闘技が学年で流行っているいま、飛騨誠司が連中から一目置かれる存在になっているのは、彼が喧嘩で誰かを半殺しにしたとか、中学の頃がとんでもない悪さをする不良だったとか、そういう野蛮な武勇伝が彼にあるためではない。寧ろその逆と言っていい。

 彼はその持ち前の強さを誇示しないのである。だから彼は連中から一目置かれている。誇示しないからこそ、連中は彼に無限の畏れを抱いている。連中は彼を尊敬している。彼は周りからそう捉えられうるものを持った崇高な高校二年生。

 その飛騨誠司のカバンの中に、刃渡り十五センチにも及ぶような本物のナイフが入っていたわけである。

 衝撃的な事実が川越裕也に知れたのはおよそ半年前、高校一年の一月、高校生活にも慣れてきて調子に乗る輩がポツポツと出現してきた頃。スマホを校内に持ち込むことが厳しく禁止されている中で「授業なう」なんて写真付きで馬鹿丸出しの誰かのツイートが学校にバレて、抜き打ちで荷物検査が行われた際のことである。

「お前ら何も持たずに廊下出ろ」

 ある火曜日の七時間目に、総合のはずが急に始まった抜き打ち検査。一月の廊下に一階の一年生が一組から七組まで全員締め出されて、教室にある生徒の机の中、カバンの中身を、躊躇なく教師が次々にチェックしていく。

「は? ふざけんな」

「まじ意味わからん」

 といった声がするのも当然のことだが、H高校は厳しい校訓と元祖鬼教師の存在がこの時代において逆に売りの男子校である。「入学してきたからには文句言うなよ?」と非があるのは寧ろそっちだと言わんばかりに優勢を保っており、教師は何の怯みも見せずに「黙れ」の一言で片づけた。無論、そう反抗しようと足掻いた連中はもれなく入念にチェックを受け、あっけなく検挙されるのだが。

 キレ気味の教師がバッグの中にスマホを見つけては、それをそいつの机の上にダンッ、と叩きつけていく。その度に教師の怒りは加速していく。凍える廊下に立たされている生徒たちは、その様子を黙って見ているしかない。

 叩きつけられた衝撃で壊れても誰も文句を言えないような静かな空気の中、スマホを持ってきていた生徒は「どうかバレませんように」と願い、その日たまたまちょっとした弾みで持ってきていた生徒は「なんで今日に限って……」と絶望していた。凍える一月の廊下に立たされている生徒は、教室の中で行われているその静かな抜き打ち荷物検査を、黙ってじーっと見ているしかなかった。

 一階にいる一年生全員が時が止まったように世界の終わりを見ている状態の中、一年一組の生徒の空気に、何らかの亀裂が入ったらしい。

急なことだ。とても。全校集会中に誰かが立ち眩みを起こして運ばれていくような、急なこと。亀裂の隙間から漏れだしたざわめきだけが、事実が行き届く前に浸透していく。

 は?

 川越はそのとき一年一組の生徒として、その状況をリアルタイムで見ていた。

教師がダンッ、とスマホを叩きつけて、怒りを加速させながら次のバッグの中をチェックしに入るという繰り返し。川越のカバンはまだチェックを受けていない状態だったが、他ならぬ彼もその日たまたま、ふとした弾みでスマホを持ち込んでいた一人であって、もう「終わった」と絶望していた。

 音楽でも聴きながら歩く夕方の帰り道に何となく憧れてみた今朝の自分、を呪う川越。あの時なぜ自分は弁当と一緒にスマホをカバンの中に入れたのだろうかと、寧ろ疑問にすら思い始める。妖怪の仕業だ、なんて変なことを考えてみる。

 川越はもはや、処刑台を前に執行時刻を待つ囚人も同然。一周回って寧ろ開き直り始める。「持ってきたよ。持ってきたけど。何か?」。予想以上にいるこの同胞たちの存在が、その心持ちに追い風を吹かす。まだ半分ほどしかチェックされていないが、川越を含めてもうすでに八名ほどが検挙されている模様。こうなればもういっそのこと実は全員が隠して持って来てました、なんて事態になってしまって、教師も怒るに怒れない状況になればいい。その中にはもちろんいま川越の横にいる飛騨誠司だって含まれている。……いや、それはありえないか。

 変な妄想の行方が不確かになってきた矢先のことである。一年一組の担任はまさにその飛騨のカバンを開けて、そして中身をまさぐることなく割とすぐに閉めた。うっかりパンドラの箱でも開けてしまって、何かが起こる前にサッと閉めたかのように。見なかったことにした、みたいな感じだった。実際に何も起こらなかった。教師は静かに、次のカバンのチェックに入った。

 凍える廊下で黙ってそれを見ていた一組の生徒全員が、一瞬だけ寒さを忘れて、

「なんだ、いまの」

と思った。


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