6-2
後日。時間が経っても苛立ちが収まることは無く、黙々と朝食を取っていると、妻のソフィアが心配そうな顔でドゥルジに声を掛けた。
「あなた、最近元気が無さそうだけど、どうしたの?」
「ん? ……いや、夏至祭の準備やら後処理やらで、ちょっと精神的に疲れてしまってな。問題ないさ、じき落ち着くから」
「そう……最近遅くまで飲んでくるし、ちょっと心配だわ。お仕事の前に、気分転換で散歩にでも行って来たら? まだ日差しがある内に、太陽をうんと浴びておかないと」
そういって、ソフィアは少し皺が増えたドゥルジの頬を撫でた。ドゥルジは笑みを浮かべると、同じように歳月を重ねた妻の手に自身の手を重ねた。
「そうだな。そうするよ」
朝食を終えると、ドゥルジは妻の言う通り、近所を散歩することにした。
リーンドル村の夏は短く、ひと月ほど経てば、あっという間に去っていき、秋の気配を連れて来てしまう。
最近朝晩は涼しくなりはじめたが、それでも空を見れば、煌々と輝く太陽が見えて、ドゥルジは手で日光を遮りながら、空を眺めた。
朝の空気をめいいっぱい吸うと、胸にわだかまるもやもやもすっきりしたような気がして、深く息を吐いた。
(朝の散歩も悪くないもんだな。嫌な気持ちも少しは落ち着く)
妻の提案を聞いてみるものだと、気分の良くなったドゥルジは思いながら、近所の家の庭を眺めつつ、道を進んでいた。
だが、そこで最悪な出会いを遂げてしまった。
(ん、あれは……‼)
ほど近い所に人影が見えて、ドゥルジは自身から抜け落ちたはずの苛立ちが、むしろ倍になって身体に戻って来た。
(白金の髪に、黒紫のローブ……間違いない、あれは聖女さまだ)
近所に張られた結界の傍を歩いているのは、紛れもなくリーンドル村の聖女、アナであった。
彼女は朝から結界を見回っていると聞いたことはあったが、まさか本当に出くわすとは思わず、ドゥルジはあからさまに嫌な顔をした。
すると、アナはその視線に気づいたのか、不思議そうな顔をして振り向いた。
まさか振り向くとは思わず、ドゥルジはぎょっとしたが、アナがこちらに気づいて笑顔で近づいてくるので、逃げる訳にもいかず、咄嗟にへらへらとした笑みを張り付けた。
「ドゥルジ村長、おはようございます。朝にお会いするのは珍しいですね」
「これはこれは聖女さま、おはようございます。そ、そうですねぇ。いや少し、気分転換に散歩でもしてみようかと思いましてですね。聖女さまは日課の見回りですか、いやはやご苦労をおかけします!」
その場しのぎであからさまな持ち上げをしたが、アナは微笑を浮かべた。
「もう慣れましたから、ちっとも苦ではありませんよ。それに、朝の空気はどの季節でも清々しいですから、毎日の楽しみになりました」
「それはそれは、さすが聖女さま! 我が村もあなたのような方を迎えられて幸福にございますよ!」
ドゥルジは口ではそう言ったが、胸中ではやさぐれた気持ちを吐き捨てていた。
(けっ、いい子ちゃんぶりやがって!)
指紋が揉み消えてしまいそうなほど胡麻をするドゥルジに、アナは苦笑を浮かべると、首を振った。
「ありがとうございます。ですが、私はそんな大層な人間ではありませんから。私はただ、この村の皆さんの為に、聖女として出来ることをしたいだけなんです。この前の夏至祭で、リーンドル村が持つ力を感じ、余計にそう思いました」
「はぁ……なるほど、素晴らしい。聖女さまは人々に尽くすことを厭わない、清らかな御心をお持ちなのですねぇ」
へらへらと笑みを浮かべたが、アナの余裕のある笑みが、ドゥルジには癇に障って仕方がなかった。
(……気に入らねぇ。その清らかな御心には、俺の妬みや劣等感は感じられねぇってか。俺の事なんて眼中にもねぇから、こうやって苛立たせていることに気づきもしねぇんだろ)
段々と、アナに対する感情が、薄暗くどす黒いものに満たされていくのを感じる。
ドゥルジは首の後ろを衝動的に掻くと、考えるよりも先に、いつの間にか、口から言葉が零れ落ちていた。
「……いやはや、最近はもう、村人たちもすっかり新しい聖女さまに馴染んで、ほっとしている所です。それどころか、聖女さまの存在が大きすぎて、私の立場が無いくらいですよ!」
はは、と乾いた笑いを零してから、ドゥルジは自分の発言に驚いた。
(今、俺はなんと……?)
自分が何を口走ったか一瞬分からなくなり、ドゥルジは混乱した。
こんな事を言うつもりは全く無く、いつの間にか勝手に口が動いたような、不可解な感覚に囚われた。
(で、でもこれくらいは言っても、いいんじゃないか?)
少し嫌味は強かったかもしれないが、日頃からの鬱憤を晴らすには、これくらいの事を言わないと気が済まなかったので、多少は胸がすかっとした。
(ど、どうだ。こんな事を言われて、あんたはどういう反応する?)
どきどきしながらアナの顔を見ると、彼女はきょとんとした顔をしたあと、ドゥルジを慈しむような笑みを見せた。
「……ドゥルジ村長、そんな事を仰らないでください。自分の働きなど、長年村長としてこの村を守って来たあなたに比べれば、些末なことです。ドゥルジ村長が村を良い方向に導いてくださったからこそ、私のような余所者の小娘の言葉を、真摯に聞いてくださるようになったんです。だから、そんな謙遜なさらないでください。私は本当に感謝しているんですよ」
そういって、アナはドゥルジの瞳を見つめた。
その微笑は聖女さながらで美しく、つい圧倒されてしまったが、それと同時に、アナの言葉は、遥か高見から言葉を投げかけられたように聞こえ、自分と違う世界に住んでいるのなど錯覚させられて、酷く惨めな気持ちになった。
(……なんで、そんな風に余裕で居られるんだ)
ただの嫌味を言えば、いくら聖女でも嫌な顔をするか、言葉を詰まらせるとばかり思っていたのに、返って来たのは感謝の言葉だった。
呆然としていると、アナは更に言葉を重ねた。
「素晴らしい仕事をしているのですから、そんな風に卑下することはありません。この村の長として、自信をもって胸を張ってください!」
励ましの言葉まで貰ってしまい、ドゥルジは立つ瀬がなく、顔を逸らしてしまった。
一番欲しかった言葉を、一番求めていなかった相手に貰い、劣等感が胸の中で膨れ上がっていく。
(なんでだ。この女を見ると、何故こんなにも苛つくんだ!)
その怒りは全身を掻きむしりたくなるような不快感を伴っていて、ドゥルジはついに苛立ちを隠せなくなり、笑みを張り付けた表情が歪んだ。
「ドゥルジ村長?」
その姿が、アナの瞳には気分が悪そうに映ったのか、心配そうにドゥルジの顔を覗き込む。すると、アナの背後に、誰かが駆け寄っている姿が見えた。
「アナ様! ここに居たんですね」
「あれ、ニィナ。どうしてここに?」
「どうしてって、いつまでも聖堂に帰って来ないから、また話の長い誰かに捕まって、身動きが取れないでいるのかなと思って、迎えに来たんですよ」
そう言って、アナの従者であるニィナは息を吐くと、ドゥルジを一瞥した。
「こんにちは、ドゥルジ村長」
「あ、ああ。こんにちは、ニィナ……」
不意に笑顔で声を掛けられて、ドゥルジはびくりと肩を揺らすと、挨拶を返した。
「そうだったの、手間を掛けさせてごめんなさいね。でも、今回は私が付き合わせた方なのよ」
アナはそういってドゥルジの方を向くと、小さく頭を下げた。
「長々と立ち話に突き合わせてしまって申し訳ありません。では、私たちはこれで失礼します」
「は、はい。では……」
ドゥルジも頭を下げて、聖堂へと帰っていく二人を、上の空で見送った。
ドゥルジと別れて少しした頃、ニィナは警戒したような顔でちらりと背後を振り返った。
「……アナ様、もしかして、村長に何か言われたり、されたりしましたか?」
「え? 何よ突然。そんな事されていないけど?」
「まあ、そうならいいんですけど。なんか、村長から敵意のようなものを感じたので、何かあったのかと思いまして」
呆れたようにアナは帰した。
「何言っているのよ、ドゥルジ村長はとてもいい人よ。誰かに敵意を向けるような方じゃないわ」
「……なら、いいんですけどねぇ」
それでもニィナは気にしているようで、遠くの道端で突っ立ったままのドゥルジを、疑いの目で見た。
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