聖女と嫉妬
6-1
夏至祭が終わって暫く経ち、早くも微かな秋の気配が漂い始めたリーンドル村は、とある人物の話題で持ち切りになっていた。
「この前、聖女さまが遠くに居た俺を見つけて、わざわざ挨拶してくれたんだ!」
「うちの子供、旦那には懐かないのに、聖女さまにはもうべったりで……」
「聖女さまが……」
「聖女さまが……」
アナは元々人気があったが、夏至祭で伝統衣装を身に纏い、優雅に歌を歌う姿を見せたことで、村の中での人気がさらに上がっていった。
村人たちは以前よりもアナを持て囃すようになり、村人の殆どが、彼女に対して好意的な目を向けていた。
だが、そこにも例外は居た。
* * *
リーンドル村唯一の酒場『リベルレッタ』は、今日も仕事の疲れを癒しに、酒を求める客たちで賑わっていた。
この村はほぼ全員が身内のようなもので、顔や氏名は愚か、住んでいる場所や孫の名前まで知っているほどで、今更遠慮する間柄ではない。
それ故、偶に喧嘩が起きたりもしたが、それもご愛嬌として、周りは余興として楽しんでいた。
だが、この日の酒場には、抑えきれない興味と遠慮が満ちていて、酒場の端のテーブル席に、皆が好奇の視線を向けていた。
「なあ、最近、毎日居ないか?」
「しかも、毎回酔っぱらっては取り巻き連中に運んでもらっているだろ。一体何があったってんだ?」
「夫婦仲でも悪くなったのかねぇ?」
「いや、この前二人で夏至祭を回っていたが、仲睦まじげだったぞ?」
「じゃあ……どうしちゃったんだろうな、ドゥルジ村長……」
ドゥルジが樽ジョッキいっぱいに注がれた酒を勢いよく飲み干すと、真っ赤な顔をした取り巻き連中は、心配そうな顔をした。
「ドゥルジ村長、いくらなんでも、ちょっと飲み過ぎじゃないですかい? まぁた深酒したのかって、奥さんにどやされますよ?」
「ふんっ、別に構わん。こんなもん、飲まなきゃやっていられんわ……」
やさぐれた口調で呟くと、ドゥルジはカウンターで談笑している若者の二人組に、ちらっと眼を向けた。
「……あいつら、今聖女さまの事を話したか?」
すると、取り巻き連中は肝を冷やしたように顔色を変えて、首を横に振った。
「い、いいえっ! そんなこと一言も喋ってないですよ?」
「本当か? 今、そう聞こえたぞ」
「そんなわけ無いじゃないですか! 皆、酒場に来てまで聖女さまの話なんざしませんよ。それより、酒が切れちまってるじゃないですか。マスター、村長に同じ酒を!」
話を逸らすように、取り巻きが椅子に座ったまま振り向いて、酒を注文すると、老年のマスターは小さく頷いた。
「……ならいい。ったく、皆聖女のことばかり話しやがって。この村の事を長年守ってきたのは、この俺だっていうのに……」
ぶつぶつと呟き始めると、取り巻き連中は一斉に顔を見合わせて、
(また始まったよ……)
という顔をした。
ドゥルジは、若い頃から先代の村長の補佐役を務めていて、病により先代が亡くなった時、遺言によって次期村長に選ばれた。
その時ドゥルジは三十になって間もなく、若輩者が村長に任命されて、主に年寄り連中からの反発が少なくなかった。
だが、亡くなった村長が生きていた頃から、聖女としてこの村に居た先代のレイアが、ドゥルジを立ててくれたのもあり、本人の頑張りも相まって、少しずつ認められるようになった。
(そうだ、先代の聖女、レイアさまはいつだって俺を立ててくれていた。自分はあくまで浄化晶石を守る存在だとして、わざわざ表立つような事はしなかったんだ。自分の意見はきちんと言う人だったが、最終的には俺に主導権を委ねてくれていた。なのに、新しくきた聖女さまは、俺を立てるどころか、立場を奪おうとしていやがる!)
その時、夏至祭の事を思い出して、ドゥルジは胸がむかむかしてきた。
(夏至祭の最後、俺が挨拶をして閉会する段取りだったのに、村の連中は直前の聖女さまの歌の余韻に浸って、誰も俺の話なんか聞いちゃいなかった。それどころか、肝心の聖女さまは寝こけて、俺の話を聞く気すらなかったんだぞ。くそっ、ふざけやがって!)
思い出す度に苛立ちが収まらなくなり、樽ジョッキをテーブルに打ち付けた。
(初めてこの村に来た時は、特にでしゃばったりしなかったのに。エドワーズが行方不明になった時から、段々と調子づいてきやがった。村人の信頼を得るのに必死なんだろうが、村長である俺を立てないとは、どういうことなんだ!)
頭の中で不満を浮かべていると、先ほど追加の酒を頼んだ取り巻きが、そそくさとドゥルジの前に酒を差し出した。
「まあまあ、村長。いったん飲んで落ち着きましょうよ!」
「ひっく、落ち着いて居られるか! あの方が来るずぅっと前から、俺はこの村に尽くしてきたっていうのに……」
そういうと、樽ジョッキに並々注がれた、ドゥルジ専用のワインを口に運んだ。すると、取り巻き連中はドゥルジの様子を伺いながら、ぼそぼそと喋った。
「……でも、聖女さまは別に悪い人ではないですよね?」
「まあ……なぁ?」
「なっ、お前らまであの方に付くのか⁉」
耳に飛び込んできた反対意見に、ドゥルジは耳を疑った。今までは愚痴を零せば同調してくれていたというのに、何故だと目を見開く。
「だって……この前聞いた歌、凄く良かったんですよ。分かっていたけど、あのお方は聖女さまなんだなって再認識するくらい、神聖な存在に見えたというか……」
「村の伝統衣装も良く似合っていたし、それに……可愛かったよなぁ?」
一人が言うと、ドゥルジ以外の全員が同調するように頷いた。
「ねぇ、村長もそう思いませんでしたか?」
「な、何を言う! 俺は妻一筋だし、第一聖女さまは俺の娘くらいの年なんだぞ。そんな邪な事を考える訳ないだろう!」
反論するが、取り巻きたちの耳には入っていないようで、皆ぼんやりと上の空で、夏至祭のアナのことを思い出しているようだった。
(全く、以前は俺と一緒になって生意気だと言っていたのに、なんだこの体たらくは!)
周りにいる連中ですら、アナの味方になってしまい、ドゥルジは不服そうに顔を歪めた。
皆が考えているのは聖女のことばかりで、自分の存在など無いに等しくなってしまったことに、強烈な無力感と劣等感を抱いた。
(ああ、腹が立つ。どうにか一矢報いてやりたいが、聖導院という後ろ盾がある以上、聖女さまに危害を加えようものなら、リーンドル村に与えられた浄化晶石を剥奪されてしまうかもしれない……くそっ)
不満が蓄積していくのに、何にもぶつけることが出来ず、ドゥルジは首の後ろを掻きむしると、むかむかするような強いストレスを、ワインで無理やり流し込んだ。
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