5-7

 楽しい時間は刹那の如く過ぎていき、天高い所にあった日は落ち、満月が夜空に浮かんでいた。

 営火台には火がつけられ、オレンジ色の柔らかな光が辺りを照らし、地面に濃い影を落としていた。

 夜を迎えてからは、村人たちも昼間よりは落ち着き始め、流れる音楽も、軽快で明るいものから、しっとりとした落ち着きのあるものに変わっていた。

 その音楽に合わせて、営火台の周りには若いカップルや夫婦が数組、手を取り合って踊っていた。といっても、踊りというよりは、音楽に合わせて揺れているだけだったが、カップルたちはお互いのことしか見えていないようで、そんなこと少しも気にしていなかった。

 従者二人と共にテーブル席に居たアナは、見つめ合い、幸せそうに踊っているカップルたちの仲睦まじげな光景を、穏やかな表情で眺めていた。

 優しい炎の灯りと、落ち着いた音楽を静かに味わっていると、次第にその曲の演奏が終わり、まばらな拍手が広場内に響いた。

 音楽隊は、そろそろレパートリーが切れてきた様子で、次の曲をどうするかを耳打ちし始める。

 すると、一人がアナの方を見るなり、にやりと笑みを浮かべて他の音楽隊に耳打ちした。

「?」

 それを不思議そうに見ていると、音楽隊が全員笑顔になり、一人が代表して、アナの元へやってきた。

「聖女さま、よろしければ一曲いかがですか!」

「わ、私ですか⁉」

 突然の指名を受けて、アナが狼狽えていたが、周りの席に居た村人たちは、いいアイデアとばかりに、拍手や口笛で囃し立てた。

「聖女さまはセロイエルム出身でしょう? リーンドル村の人間はここを離れたことが無い者も多いんで、ここでは聞けない音楽を聞かせてくださいよ!」

「ですが、歌はちゃんと習ったことが無いので……!」

「そんなのいいんですよ、ここにいる音楽隊の連中だって、素人みたいなもんですから。そんなに気を張らずに!」

「わ、わかりました……」

 皆の期待の眼差しに、緊張が胸に走るが、アナはぐっと胸を押さえると、覚悟を決めて席から立ち上がった。

 村人はアナを更に囃し立て、従者たちは、ステージに向かう彼女を、静かに見送った。

 ステージに立ち、アナは咳払いを一つする。初めての集会で、村人の前で話した時よりも緊張していて、早まる鼓動を落ち着かせるように、細く息を吐くと、前を向いた。

「皆さん、今日はとても楽しいお祭りをありがとうございました。お礼と言える程の腕前ではありませんが、セロイエルムに古くから伝わる歌で返させてください。この歌は、浄化晶石を探す旅に出たアーヴェルナ様が、故郷の友を想う歌で、セロイエルムでは一番人気がある曲です」

 そういうと、村人は拍手喝采で迎えた。アナは目を瞑って気持ちを整えると、やがてゆっくりと目を開けた。

 すると、アナの纏う雰囲気が一気に変わり、好奇心で見ていた村人たちが、気圧されたように様子が一変した。

 大きく息を吸うと、今まで流れていた曲とはまるで違う、儚く消えてしまいそうでいて、神聖な気配すら感じられる調べが、アナの口から零れた。

 言葉はリーンドル村のものと響きが同じだったが、抑揚や言葉の端々の訛りが違い、セロイエルムで使われている言葉だと分かった。

 一瞬心を奪われたようにアナの歌声を聞いていた音楽隊たちは、ハッと我に返ると、お互い顔を合わせ、即興で歌に合うように、探り探り演奏を始めた。

 曲調はどこか切なく、郷愁を誘うような歌で、アナが説明した通り、開祖であるアーヴェルナが、故郷の友を想う気持ちを存分に感じられた。

 だが、アナの歌の調べには、所々に色っぽさが含まれていて、どちらかといえば、友を想うというよりは、恋人を想っているようにも聞こえる、不思議な歌であった。

 独特な歌声と、それを支える音楽隊の繊細な旋律に、聞いていた村人は目を奪われていて、皆呆けたような顔をしていた。

「ねぇ、アナ様ってこんなに歌が上手なのね」

 感心した様子で聞いていたニィナが、向かいの席に座るウェインに耳打ちする。

「……」

 聞こえてはいたが、ウェインは頷きもせず、アナの姿をじっと目に焼き付けた。

 アナは最後の旋律を歌い上げ、切なげに天に手を伸ばすと、音楽の終わりと共に腕を下ろし、村人にお辞儀をした。

 歌が終わっても、暫く余韻が抜けないのか、村人は溜息を吐きながら、割れんばかりの拍手をした。

「いや、凄かったなぁ……」

「今一瞬、聖女さまが、アーヴェルナ様に重なったような……」

 村人たちが口々に言っているのを他所に、アナは恥ずかしそうにそそくさとテーブル席へと戻っていった。

「はあぁ……緊張した……」

「アナ様、素敵な歌声でしたよ!」

「ありがとう……人前で歌うなんてしたことないから、すっごく緊張したわ」

 ニィナに褒められて、アナはほっとしたように笑いながら、椅子に腰かけた。

 何度も深呼吸していると、緊張の糸が切れたせいか、それとも久々の夜更かしをしているからか、強い眠気がアナを襲った。

 その後、村長が広場に出てきて、閉会の挨拶をしていたような気がしたが、アナはそれを聞く前に、抗うことの出来ない眠気に引き摺られて、重い瞼を閉じる。

(……駄目、まだ今日の報告書を書いていないのに)

 寝ぼけた頭でそんなことを考えながら、アナは眠りについてしまった。

 

 村長の挨拶が終わり、村人たちのまばらな拍手のあと、夏至祭は終了した。

「ありゃ、アナ様寝ちゃった」

「無理もない。いつもこの時間には眠っている方だからな」

「まあしょうがないね。じゃあ、ウェインよろしく~」

「……俺が運ぶより、お前の方が、体裁がいいだろう」

「駄目だよ、私お酒飲んじゃったから、うっかり落としたら大変だもん」

「……」

 深い溜息を吐くと、ウェインはアナを軽々と横抱きにして、立ち上がった。

「おっ、お姫様抱っことは。やるじゃん男前~」

「黙らないとお前の舌を引っこ抜くぞ」

 最初からからかう気だったと分かっていたウェインは、ニィナの軽口に厳しく返すと、村人からの刺さるような視線を感じながら、広場を後にした。


 次の日、アナが二日分の報告書を書く羽目になったのは、また別のお話。

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