3-4
その後パメラ達に動きが無く、事態は進展することなく数日の時が過ぎた。
アナがいつものように結界の見回りをしていると、ふと、道端でこそこそと噂話をしている婦人方の声が偶然耳に入った。
「……気の毒よねぇ、あんなに取り乱して」
「まあなんとなくは知っていたけど、まさか一人で飛び出していっちゃうなんてねぇ……」
含みのある言葉が引っ掛かり、アナは尋常ならざる表情を浮かべ、つい振り向いてしまった。婦人方はそれに気づいて驚いていた。。
「聖女さま、どうかなされたのですか?」
「あのっ、その噂は、一体誰の話ですか?」
「ああ、聖女さまはご存じないんですか。今朝の話なんですが、ダリウスが恋人のパメラを置いて、村を出て行ってしまったらしいんですよ。セルディスさんが二人の仲を認めていないって噂で聞いたことがありましたけど、まさか恋人を置いていくなんてねぇ……」
「え!」
突然のことに、アナは全身に衝撃を受けた。自分が気づかない内に、事態が急速に悪化していたと知り、静かに狼狽えた。
「それに、昨日の夜、ダリウスの家から、物凄い喧嘩の声が聞こえたらしいんですよ。そしたら次の朝に出ていったもんだから、パメラは、それはもう取り乱しちゃって……」
「でも、セルディスさんは、それはもう喜んでいましたけどね。さっき会った時なんか、前から縁談の話があった隣町の男性と会わせる段取りをしないとって張り切ってたけど、パメラがあんな状態じゃあ、ちょっとねぇ」
婦人たちの表情には哀れみが滲んでいて、アナの胸に焦燥感が満ちていった。
(どうしよう、このままじゃ!)
夢に視た最悪な光景が頭を過り、アナは気づいたら、婦人方に礼を言うことも忘れて、パメラの家まで走っていた。
(夢に視た時は夜中だったから、まだ大丈夫なはずだけど、とにかく彼女が心配だわ。様子を見に行かないと!)
息を切らしながら、アナは走った。
パメラの家は、湖に続く道のすぐ傍にあるのを、アナは知っていた。
玄関前に辿り着いた頃には息が切れて、苦しくて仕方なかったが、そんな事お構いなしに、扉をノックした。
「はい」
出てきたのは、父親のセルディスだった。いつも不機嫌そうな表情をしていたが、この日ばかりは機嫌がよさそうだった。
「ああ、聖女さまでしたか。何か御用でしょうか?」
「っ、少し良からぬ噂を聞いたので、パメラの様子を見に来たんです。彼女はどうしていますか?」
「ああ、もう噂になっているんですか。全く、近所の連中は耳が早いな。パメラは自室にこもっていますよ」
「どんな様子ですか?」
「どんなもなにも、部屋から出てこないのでね。ふんっ、あんな男に入れあげるからだ。俺は前から不幸になると言っていたのに」
吐き捨てるように言うと、セルディスはアナに向き直って、神に祈るように手を組んだ。
「聖女さま、ありがとうございます。パメラとあの男が別れるように、いつも祈っていたのですが、ついに成就されました。あの子がこれ以上不幸にならずにすみました」
「え……」
娘にとっての不幸を、父親のセルディスに感謝されて、一体どう返したらいいかわからず、アナは呆然と立ち尽くしていた。
すると、背後から床が軋む音がして、アナは弾かれるように振り向いた。
「パメラ」
背後に立っていたのは、パメラだった。目の周りを泣き腫らし、顔色も悪く、酷く憔悴している様子だった。
「聖女さま……神ですら、私たちを認めて下さらなかったのですか?」
「パメラ、それは……」
「私達が何をしたと言うのですか! 私は、聖女さまに言われた通り、きちんと話し合いました! でも、彼は自分と一緒に行くことを拒んだんです! 何故、私達を引き裂くのですか! どうして、私は幸せになってはいけないのですか!」
「お、落ち着いて、パメラ!」
鬼気迫るような表情で、パメラはアナに掴みかかろうとする。セルディスは娘を羽交い絞めして止めながら叫んだ。
「パメラ、いい加減現実を見ろ! あの男は、お前が迎えに来てくれるかと聞いた時、約束できないから自分のことは忘れて欲しいと言ったんだろう! 結局その程度の男だったんだ!」
「違う、違う! あの人は、ダリウスはそんな人じゃない!」
「いい加減目を覚ますんだ! あいつは出ていく時も置き手紙を残してお前の顔すら見ていなかっただろう! ダリウスはお前の将来を背負うことから逃げた、ただの甲斐性無しだ!」
厳しい言葉を投げかけられて、パメラの赤くなった瞳から、涙がぼたぼたと落ちた。
二人の叫び声を聞いて、アナはなにか伝えなければと思うが、口はただ開くだけで、声が喉を通ることは無かった。
「……もう、帰ってください」
俯きながら涙声で言われ、アナは、パメラの哀れな姿を見ている事しか出来ず、深くお辞儀をしたのち、家を出ていった。
* * *
「なるほどねぇ」
「こうなれば、事前に止めることは不可能になりましたね」
「ええ……」
自宅に帰ってから、ウェインとニィナに事の次第を伝えた。三人の表情は苦々しくなり、特に、アナはずっと沈んだ表情をしていた。
「アナ様、あまり気に病んじゃ駄目ですよ。あれはあなたの問題ではなく、彼らの問題なんですから」
気遣うようにニィナが言うが、アナの顔色が良くなることはなかった。
「そうかもしれないけれど、私が口を出した以上、関係ないなんて言えないわ。だから、せめて彼女が最悪な選択をしないよう、私が見張るしかないわ」
ウェインが眉を寄せた。
「見張るのは賛成ですが、それはアナ様がする仕事ではありません。俺たちが彼女を見張っているので、アナ様はきちんとおやすみください」
アナがウェインを睨みつけた。
「私の使命は、リーンドル村の人々を守り、導くことよ。あなた達に任せて、私だけのうのうと他のことをするなんて、そんなの自分が許さないわ」
「それとこれとは別です。あなたはこの他に、やらなければならないことが山ほどあるはずです。その為朝早くから仕事をこなさなければいけないのに、夜遅くの見張りが出来る訳がない」
「それでも、私はやらなければならないのよ! それに、彼女が自ら命を投げ捨てるなら、今日しかありえないわ。上手くは言えないけれど、私にはわかるのよ」
「ですが……」
二人の押し問答に、呆れてニィナが口を挟んだ。
「ウェインもさぁ、いい加減アナ様の性格を理解しなよ。こうなったら、てこでも動かないって分かってるでしょ」
「……」
ウェインが黙っていると、アナは一歩前に出て、切実に訴えた。
「あの子は神に見放されたと思っているの。だから、聖女である私がパメラを救わないと、あの子は死んでからも神を信じられず、魂が彷徨ってしまうわ!」
目を真っすぐ見て、ウェインに訴えると、細い溜息を吐いた。
「わかりました。ですが、条件があります。今日の夜中にパメラが現れなければ、そのあとは俺たちが交代で見張ります。それでいいですね」
「ええ、いいわ。でも明日以降に彼女が現れたら、どんな時でも私を起こしに来て。それで条件を飲みます」
「いいでしょう」
ようやく条件がまとまると、事の次第が決まるのを見守っていたニィナが、口を開いた。
「それじゃあ、今日は三人で見張るのでいいんですね。どこに潜伏します?」
「パメラの家の近くには、湖へ続く道があって、その周りは森が覆っているの。そこの茂みになら、多分隠れられるわ」
その時、アナは悲しみに暮れたパメラの事を思い出した。
夢の中の未来で視た、パメラの全てに絶望した表情が今になって頭にこびりついて離れず、アナは絶対に止めなければと唇を噛んだ。
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