3-3
「実は……今悩んでいるのは、幼馴染のダリウスとのことなんです。皆には隠しているのですが、私と彼は恋仲なのです」
勢いで打ち明けたあと、パメラは恥ずかしそうに顔を赤らめた。アナは驚いたふりをしたが、あんなに熱烈な眼差しで見つめ合っていたら、気づいている人も多そうだと思ってしまった。
「私と彼は将来を誓い合っているのですが、父が、ダリウスの稼ぎが少ないのと、叶わない夢を追って私を不幸にするといって、結婚を許してくれないどころか、会うことすら禁止されているんです……」
「叶わない夢、ですか?」
稼ぎを理由に結婚を認めないのはよくあることだが、叶わない夢とは一体何なのかと不思議に思い、問いかけた。
パメラは、まるで自分のことのように、誇らしげに話した。
「ダリウスは、教師になるのが夢なんです。千年前の、瘴気が世界を覆っていた時代よりはましですが、それでも各地で瘴気が噴き出し、それによって人々の往来が制限されていて、それによって教育の格差が広がっていることを、彼はいつも気にしていました」
「まあ……そうだったの。でも、確か、様々な事情で満足に教育が受けられない地域に、聖導院が教師を派遣しているはずだけれど、それではやはり足りないのかしら?」
「いいえ、派遣するといっても、頻度は月に一度くらいで、特にこの村は、冬になると雪に閉ざされて数ヶ月は来てもらえません。それに、親の仕事を手伝わないといけない子供が、その日を逃してしまったら、次に来るのは一月後です。これでは教育制度が出来ているとは言えない、とダリウスが言っていました」
そう言い切ったのち、パメラはさっと顔を白くした。
「あっ、いえ! 決して聖導院の取り組みを批判したいわけでは無くて! ダ、ダリウスもそういう意味で言ったのではないと思います!」
「大丈夫よ、分かっているわ。気にせず続けてちょうだい」
苦笑いを浮かべると、パメラは暫く慌てていたが、やがて落ち着きを取り戻した。
「彼は、リーンドル村にきちんとした教育を届けたいから、まず自分が学校に通う為に、今頑張ってお金を貯めているんです。私も出来れば付いていきたいのですが、学校がある街に行く為の旅費や授業料、その間の生活費も馬鹿になりませんから、きっと貧乏暮らしになると思いますし、私も働きに出ないといけないと思います。その事を言ったら、父はそんな甲斐性無しに娘はやれないって激怒して……」
「……そうだったの」
アナは平静を装っていたが、内心大きなショックを受けていた。聖導院の総本山である聖都セロイエルムで育ち、幼少期から聖導院が開校した少学校に通い、聖女学校に編入したあとも、聖導院から与えられた教育を、当たり前のように受けていた。
預けられた子供が、セロイエルムではもう文字が読めるくらいの年の子でも、アナに本を読んでとせがむのは、教育が不十分で文字が読めないからだ。
ちゃんとした学校が無いせいで、子供どころか、大人さえ文字が読めずにいる者も少なくない。
そのことを、特に気にしたことが無い自分が、とても恥ずかしく思えた。
(パメラたちの言う通り、このままでは良くないわ。報告書にこの現状を書いて、聖導院に検討してもらわないと……)
ぼんやりと考えていると、パメラの表情が暗くなった。
「……彼、私を置いて、一人でこの村を出ようとしている気がするんです」
「どうしてそう思うの?」
「別に、彼からそう言われたわけじゃありません。でも彼、最近一人で居る時に、思い悩んでいるような顔をするんです。もしそうなったら、私はどうしたらいいのか……」
「でも、あなたたちは将来を誓い合っているのでしょう? なら、たとえ一人で村を出たとしても、教師になればあなたを迎えに来てくれるんじゃないかしら」
パメラは、寂しそうに笑った。
「……聖女さまは純真でいらっしゃるから、信じられるのかもしれませんが、私は、彼がちゃんと迎えに来てくれるか、不安で堪らないんです。ダリウスは誰に対してもいい人ですから、他の女性が放っておくはずありません。今は私のことを好いているとしても、都会には私よりも綺麗で、甲斐性のある女は沢山いるでしょう。もし他の女性に目移りして、私を迎えに来てくれなかったら……そんな事を考えるだけで、夜も眠れないんです。私は、彼が居ないと生きていけないのに……」
死を匂わせるような、妙に投げやりな言葉に、アナはどきりとした。
「置いていかないで欲しいと願っていても、彼の夢の邪魔にはなりたくないんです。だから、ずっと気持ちがどっちつかずで……」
本気でダリウスのことを想っているようで、パメラは膝の上に置いていた両手を、きつく握りしめた。
(そこまで、パメラはダリウスのことを想っているのね)
悩みの芯を捉えることは出来たが、問題は、アナがどうやってこの問題に対処するかだ。
(でも、私は、恋なんてしたこと無いし……なんと言ったら思いとどまってくれるのかしら)
小学校は男女共学だったので異性の友達は居たには居たが、まだ恋など知らぬ年頃だったし、そういう事が分かるようになる前に、女の園である聖女学校に編入したので、恋というものは、物語の中にだけ存在する、美しい夢のようにしか思っていなかった。
すると、パメラが急に前のめりになって、アナに迫った。
「聖女さま、私はこの気持ちを抱えたまま生きていくなどできません! どうか、お言葉を!」
「お、お言葉………ですか」
明らかに動揺を隠しきれなかったが、アナは咳払いをしてなんとか誤魔化す。
(言葉……言葉か……なんと言ったら、彼女の心は安らぐのかしら……)
答えるまでの数秒間、色々考えてみたが、アナはふと思いついたことを、ええいままよと口に出した。
「えっと……まずは彼ととことん話し合って、その上で、今まで築き上げてきた愛をしっかりと確かめ合えば、きっと不安など拭い去られるのではないでしょうか?」
その言葉は、以前読んだ恋愛小説の登場人物が言っていたセリフの丸写しであった。言いながら、自分の意見を出せないほど浅い人生経験に少し恥ずかしくなったが、なんとか気持ちが伝わればと、パメラの方を見た。
「な……なるほど……」
その表情は、納得しているようなしていないような、かなり曖昧な表情を浮かべていて、アナは顔から火が出そうだった。
(そ、そうよね! こんな綺麗ごと言われても困るわよね! なんだか作者の方にも申し訳なくなってきたわ!)
使いどころは間違っていないと思っていたが、そんなことで不安が払拭出来ているのなら、もうとっくに出来ているはずだと今更気づき、恥ずかしくて堪らなかった。
(うぅ……やっぱり慣れないことはするものではないわ)
アナは心の中で呟いた。
* * *
「恋かぁ……」
「恋が何ですか?」
「ひゃあっ!」
公務が終わり、自宅リビングの暖炉の炎をぼんやりと見つめていたアナは、パメラに言われたことを考えながら呟くと、思わぬ所から相槌が返ってきて、堪らず悲鳴を上げた。
「ウ、ウェイン……! びっくりした、脅かさないで!」
「申し訳ありません、そんなにぼんやりしているとは思っていなかったので。……もしかして、この間のことですか?」
「もしかしてって……?」
最初はぴんと来なかったが、ウェインが言いづらそうにしているので、ようやく気付いた。
「──あっ、違うわ、モルガンは全然関係ないの。というか、私の話じゃないのよ……」
項垂れると、アナはパメラに聞いたことをウェインに話した。
「事の程はわかりました。俺も、年頃の娘の気持ちは、分からないので、なんとも言えませんが」
「そりゃあそうでしょうけど、ウェインだって恋のひとつやふたつ、したことあるでしょう? だから、あなたならもっと気の利いたことが言えたのかしら」
「はぁ……」
「恋ってどんなものかしら……こういうものって、いつか分かる日が来るものなの?」
あまりにも純粋過ぎる眼差しに、ウェインは目を逸らしながら答えた。
「……これはあくまで持論ですが、恋とはその場で気づくものでは無く、暫く経ってからそうだったのか、と自覚するものだと思っています」
「まあっ、そうなの? じゃあ、ウェインもそういうことがあったのねっ?」
「……」
突然、アナの瞳がきらきらと輝きだして、ウェインはついに、黙ってしまった。
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