2-6

 次の日、アナは昨日のショックを引きずりながら、村の中心部で結界の見回りを行っていた。

(どうしよう、今後モルガンさんに会ったら、また怖いと思ってしまうのかしら。そんなの、聖女としてあってはならないことなのに……)

 ぼんやりと考えていると、中年の村人が一人、血相抱えてアナの元へやってきた。

「聖女さまー! 丁度いい所におった! すみませんが、ちょっと対処してもらいたいことがありまして!」

「どうしたのですか、そんなに慌てて。対処して欲しいことは?」

 中年の村人は、アナの前で立ち止まると、息を切らしながら言った。

「それがですねぇ、ダドリーさん家の裏手にある結界のすぐ傍に、魔獣がうろついているらしいんですよ。勿論、結界は超えてこねぇってわかっちゃいるんですが、そこの娘が怖がっていましてね。聖女さまに対処してもらえねぇかと思ったんですが……」

「なるほど、娘さんが怖がっているのであれば、対処しにいきましょう」

「本当ですか! いやぁありがてぇ!」

 村人は喜ぶと、アナをダドリー家に連れて行った。

 ここの家は、家屋の裏手のすぐ傍に結界が張られており、そこには、ダドリー夫妻と娘のルーナと、野次馬らしき近所の村人たちが複数居た。

「あ、聖女さま。ご足労をおかけして申し訳ありません!」

 妻の方が、アナを見るなりぺこぺこと頭を下げた。旦那も同じように頭を下げ、アナはそれを制した。

「いいえ、村人の不安を取り除くのも、私の仕事ですから。ルーナ、今から私が、あの怖いのを追い払うからね。安心して」

 両親の背後に隠れていたルーナに声を掛けると、こくりと頷いてくれた。アナは笑みを浮かべると、結界の外側を向いた瞬間、笑顔を消した。

 結界の向こうは森になっており、木々の隙間から、生き物のような何かが、こちらを覗き込んでいた。

「うへぇ、気味が悪ぃ……」

 野次馬の一人が、魔獣を見るなり、気分が悪そうに吐き捨てた。

 それは無理もなく、その魔獣は、鹿と狼の死骸をパッチワークでくっつけたような姿をしていて、辺りには微かに腐敗集が漂い、なんともいえぬ不気味さがあった。

 魔獣は一口に言っても様々な生態を持っているが、一番多いのは、このように生き物の死骸に取りつくパターンだ。

 低級の魔獣は自身で身体を構築することが出来ないので、死骸を利用して肉体を持つが、他の獣に死骸が食い荒らされていた場合、他の生き物の死骸で補うこともあり、こうしてこのようなおぞましい姿になってしまうのだ。

「では、今から浄化を行います。皆さんは念のため、離れていてください」

 そう言うと、アナの雰囲気が変わったのが分かったのか、ざわざわとしていた空気が、一気に張り詰めた。

 すると、どこから噂を聞きつけたのか、モルガンが静寂を破るようにやってきた。

「なぁ、ここで聖女さまが魔獣を浄化するって聞いたけど!」

「おい、静かにしろ! 今集中してらっしゃるだろ!」

「でも、いくら結界の内側とはいえ、そんな危険な事……!」

「いいから、黙ってろ!」

「もがが!」

 近くにいた村人に口を塞がれ、モルガンはようやく声を抑える。

「……」

 だが、アナは集中しており、モルガンの声など、端から耳に入ってなかった。

「……なんか、アナ様の周りに、風がまとわりついてねぇか?」

 一人の村人が、囁くように言う。確かに今日は風一つ吹かない穏やかな日だったが、何故かアナの黒紫色のローブが、ゆらゆらと揺蕩っていた。

 アナは両手を前に出すと、交差するように重ねる。その瞬間風がまた強くなり、更に、緑がかった白い光を帯び始めた。

『……風よ、舞い上がれ。風よ、天高く舞い上がれ。神と始祖の名において、今、浄化の断罪を与えん!』

 そう唱えると、光を帯びた風は勢いよく魔獣の元へ向かっていき、身体を巻き込んでいった。

『────‼』

 すると、魔獣は成すすべなく激しい風に揉まれ、甲高い悲鳴をあげた。物凄い風に、近くに居た村人は全員目を瞑っていたが、次に目を開けた時には魔獣など跡形も無くなっており、アナは息を細く吐くと、表情を楽にした。

「……ふぅ。皆さん、安心してください。魔獣は浄化されましたよ」

 いつもの様子に戻ったアナは振り向くと、その場にいた村人が全員、尊敬のまなざしを向けていて、首を傾げた。

「あの、皆さん何か……?」

「聖女さま、あんた本当に凄い人なんだなぁ!」

「見たか今の、物凄い風が起きたかと思ったら、魔獣が消えちまった!」

「いやぁ、あんたの事、正直ちょっと舐めとったが、ちゃんと聖女さまなんだってわかって、ほっとしたよ!」

「は、はい……ありがとうございます……?」

 厳しい修行をしてきたアナからすれば、この退魔の術は初歩中の初歩なのだが、こんなに褒められると思わず、戸惑いながらも照れた笑みを浮かべた。

「いやはや、前任の聖女さまに引けを取らねぇよ。あんたがいりゃあ、今年の冬は安泰に暮らせるかもな!」

「い、いえそんな、大げさです。……あっ」

 大げさに褒められて照れていると、ふと少し遠くにモルガンの姿が見えて、ぎくりとした。

(ど、どうしたのかしら。まさか、また昨日みたいに……?)

 昨日の大胆な告白が頭に過り、アナが狼狽えたが、ふと、モルガンの表情が、昨日と大分違うことに気づいた。

(あら、なんだか困ったような表情をしているけれど……?)

 昨日の熱を帯びた眼差しとは真逆で、不思議に思い見つめていると、モルガンはふと気まずそうに顔を逸らし、どこかへ走り去ってしまった。

「……?」

 アナはいよいよ訳が分からず、困惑した表情で首を傾げた。


 * * *


「俺……聖女さまは諦めるよ」

「なんだよ急に……どういう心境の変化だ?」

「いや、なんていうかさぁ……今日、聖女さまが魔獣を浄化している所を見ちゃってさ。その時、あの方は俺が守るどころか、逆に俺が守られてるんだなぁって思ったら、俺と聖女さまって、全然吊りあってないんだなって分かってさ……」

「……お前、ようやく気付いたのか」

「……うるせぇっ、いいから今日は一杯付き合えっ!」

「はいはい……」

  

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