2-5

「ええと……モルガンさん?」

 扉の前に居た、モルガンという名の若い男は、アナに名前を呼ばれた瞬間、動揺したように身じろぎした。

 この時、アナは気づいて居なかったが、この男は、雑貨屋でアナに熱っぽい視線を送っていた男たちの一人だった。

「お、俺の名前、憶えていたんですか……?」

「ええ、もちろん。村の方は皆覚えていますよ。いつもはご家族と日曜の集会に来られますが、平日で来るのは珍しいですね。しかも一人で……どうかなされたのですか?」

 若者が日曜の集会以外で聖堂に来るのは珍しく、アナは内心喜びながら応対したが、モルガンは何を話すでもなく、ずっともじもじとしていて、首を傾げた。

「あの……? あっ、何か悩みがあるのなら、執務室の方で聞きましょうか。ここですと、誰か来る可能性があるので」

「あッ、いや、そうじゃなくて……俺、その……!」

 すると、モルガンは意を決したように早足で歩きだし、アナの手を取ると、強く握りしめながら、興奮した様子で言った。

「せ、聖女さま! 俺、聖女様のこと、好きになっちゃったんです!」

「え……えぇっ⁉」

 一瞬何を言われているか分からず呆然としたが、その意味を処理できた瞬間、いつの間にかモルガンに手を握られていて、アナは二重に混乱した。

「俺、聖女さまみたいに綺麗な人、初めて見て、それでもう、一目惚れしちゃって……!」

「ちょ、ちょっと待ってください。聖女としてお悩みはお聞きしますが、そのような要望には……!」

「でも、聖導院は聖女の婚姻を制限していませんよね⁉ 昔、村の男と結婚した聖女さまもいるって聞いたんで、何も問題ありませんよ!」

(そ、そうなの……⁉ というか、そもそも私の気持ちは⁉)

 アナは胸中で突っ込んだが、モルガンは一度突っ走ったら、前以外見えない性質のようで、また更に捲し立てた。

「俺、頑張って働くし、聖女さまを守れるように、誰よりも強い男になりますから、ですから、俺の嫁になってください……!」

「嫁っ⁉」

 お付き合いどころか、それをすっ飛ばして嫁になれと言われ、アナは目を剥いた。

 色々言いたいことはあったが、そもそもアナは異性に手を握られたことも、告白されたことも無く、動揺のあまり思考がごちゃごちゃになってしまい、固まってしまった。

 すると、男はそれを都合よく解釈したのか、固まって何も言えないでいるアナが、恥じらっていると勘違いしたようで、男は握っていた手を離すと、抱き締めようと、肩に腕を回そうとした。

「聖女さま……!」

「お前、何している」

「へっ?」

 瞬間、地を這うような声が聞こえて来たかと思うと、気づいた時には、モルガンは宙に浮いていた。

「く……首が……‼」

「ウェイン……!」

 いつの間にか戻って来ていたウェインが、モルガンの胸倉を掴んで、宙まで吊り上げていた。モルガンは首が絞まっているのか、じたばたともがくように足を動かしていた。

「アナ様、ご無事ですか!」

「ニィナまで……!」

 気づけばすぐ横にニィナが心配げな表情でこちらを見ていて、アナは瞬きした。

「お前、雑貨屋の前で、アナ様を見ていた男だな。このお方に何をするつもりだ?」

「ち……ちが……おれはぁっ……!」

 ギリギリと胸倉を掴む手に力が入る音が聞こえ、アナは突然の事で呆然としていたが、ハッと我に返ると、ウェインを鋭く叱った。

「ウェイン、やめなさい! 彼は村人よ!」

「村人と言えど、アナ様に危害を加える者は全て敵です」

「そんな危害だなんて……! か、彼はただ……」

 その先は出来れば言いたくなかったが、このままではモルガンが窒息死してしまうと、アナはぎゅっと目を瞑りながら、勢いで言った。

「彼は……わ、私の事を好いていると、言ったのです!」

「は?」

「え?」

 従者二人は思わぬ切り口に驚いたのか、ニィナは驚いた顔でアナを覗き込み、ウェインは唖然として、モルガンの胸倉から手を離した。

「げぇっほ、げほげほ、がは……!」

「大丈夫ですか……!」

 床に転げ落ちたモルガンの傍に、アナは駆け寄り心配そうな表情で覗き込む。モルガンは息苦しそうだったが、その表情は満更でも無さそうだった。

「……ええっと、つまり、告白中だったってこと?」

「っ、そうだよ! 俺と聖女さまの神聖な時間を邪魔しやがって!」

 アナに支えられて威勢が良くなったのか、モルガンはウェインを指さした。その瞬間、従者二人の視線が、一斉にアナへと向いた。

「ち、違うわよ! 私はこの方と私的に話したのは初めてだし、いきなり言い寄られても、大切な村人以上に想ったことなんて無いから受け入れられないし、そもそも私は聖女の仕事で手一杯だから、この方とお付き合いするなんて、絶対有り得ないわ!」

「あっ……」

 両想いなのだと思われたくないあまり、過剰なまでに必死に否定すると、モルガンは先ほど胸倉を掴まれた時よりも辛そうな声を上げた。

「うっわ、きつー……」

 ニィナが同情したような眼差しを向け、ウェインもさすがに哀れんだような表情を浮かべると、モルガンはすっと立ち上がって、その瞳を涙で濡らしながら、

「ちくしょおおおおお!」

 と叫び、聖堂を飛び出していった。

「そ、そんな酷い事言ってしまったかしら……?」

「ええ、まあ。大分……」

 アナとしては最大限の配慮を払ったつもりだったが、モルガンには伝わらなかったらしく、少し残念そうに俯いた。

 一気に聖堂が静かになると、気を取り直すように咳払いをしたウェインが、若干気まずそうに言った。

「……んんっ、アナ様。あなたは外から来た方であり、いくら聖女といえど、若い女性ですから、男性の気を惹くこともあります。それをあなたがどう捉えるかは自由ですし、勿論、こちらとしてもプライベートには最大限配慮しますが、危険を感じた場合は、我々を呼んでください」

「そうですよ、アナ様はお綺麗なんですから、興味の無い相手に愛想ふりまいたら、却って酷ですよ!」

「え、ええ……」

 一応返事をしたが、一連の騒動が落ち着いて、現実味が身体に戻って来たアナは、先ほどの出来事が、ずしりと胸に重く圧し掛かった。

(さっきのは、さすがにちょっと、怖かった……かもしれないわ)

 若者に熱烈に迫られたことよりも、大切な村人を怖いと思ってしまった自分に、アナはショックを受けてしまった。

  

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