2-4

「おーい、聖女さま方ー!」

 すると、遠くからポディアムの声が聞こえて、三人が振り返る。

 ポディアムは、小さな椀状の皿が三つ乗ったトレイを持ってきていて、その後ろには、ピーターが隠れるようにして着いてきていた。

「ここにいらしたんですね。これ、さっき言っていたアイスクリームです。食後のデザートにどうぞ」

「あ、すみません、気を遣っていただいて……! ちょっと待ってくださいね、今お代を……」

「いやいやいや、なんのなんの! こんなんで聖女さまからお金を頂いたら、却って罰が当たりますよ!」

「何を仰るのですか、あなたが時間と労力を割いて作ったものなのですから、きちんとお代を支払わなければいけません」

 アナは頑なに金を支払おうとしていたが、ポディアムも譲らない様子で、少し照れくさそうに言った。

「いやでもねぇ、聖女さまが朝早くから、俺らん所の牧場の周りの結界を毎日のように見回ってくれているのを、本当にありがたいと思ってるんですよ。俺らの命だけじゃなく、その命を繋ぐ稼ぎでもある動物たちも、一緒に守ってくださってるのが、嬉しいんです。それに牧場の仕事が忙しくて、日曜の集会すらいけないこともありますし……だから、その感謝とお詫びの気持ちとして、貰ってくだせぇ」

 その言葉を聞いた瞬間、アナは、風が胸の間をふわっと通り抜けたような、不思議な感覚を覚えた。不思議で、くすぐったくて、これは一体なんだろうと思った時、傍にいたニィナとウェインに耳打ちされた。

「アナ様、これ以上断るのも逆に失礼ですし、貰っておきましょうよ」

「そうですね。それに、折角のアイスが溶けてしまいますよ」

「そうそう、アイスはすぐに溶けちまいますから。固まっている内に食ってください」

「わ、わかりました……では、いただきます」

 皆にそう促され、戸惑いながらもアナは皿を二人に配り、自分の分も取ると、白の中に所々苺の赤が混じるアイスをスプーンで取り、恐る恐る口にした。

「……!」

 その瞬間、甘さと冷たさとミルクと苺の香りが同時に口内を駆け回り、初めての感覚に、アナは目を輝かせた。

「美味しい……!」

「うわ、これ美味しい! いくらでもいけちゃう!」

「ん……苺入りのものは初めて食べたが、美味しいな」

「わはは、そう言ってくれて嬉しいですよ。良かったなぁ、ピーター。お前が作ったアイス、聖女さま方も美味しいとよ」

「えっ、ピーターが作ったのですか?」

 驚いて、アナがピーターの方を向く。ピーターはポディアムの後ろでもじもじしながらも、小さく頷いた。

「この子は中々手先が器用でね。子供ながら、うちの中で一番美味いアイスを作りますよ」

「まあ、そうなんですか。じゃあ、ピーターにもお礼をしないと」

 アナはピーターに近づくと、傍にしゃがみ込んだ。

「美味しいアイスをありがとう、ピーター。毎日お父さんのお手伝いをして、こんなに美味しいアイスも作れるなんて、とっても頑張り屋さんなのね」

 そういって微笑むと、ピーターは恥ずかしいのか、顔を赤くしてまた更に隠れようとしていた。

「はは、こいつ一丁前に照れていらぁ!」

 ポディアムはからかい口調で言い、ピーターの頭を撫でている。

「……今日、連れてきてよかったね」

 それを遠巻きに見ていたニィナが、アナに聞こえないように呟くと、ウェインも、

「……そうだな」

 と、静かに言った。


 帰る頃には、天高い所にあった太陽も傾き始め、空が薄赤色に染まりつつある。昼間は少し暖かかったが、段々と風が冷たくなっていき、夕方の気配を感じさせた。

 聖堂前に差し掛かると、その端の林を抜けていこうとする従者二人を、アナが呼び留めた。

「二人共、私は少しだけ聖堂に寄って、お祈りしてから戻るから、先に行っていてくれる?」

「今日くらいおやすみしてもいいんじゃないですか?」

「駄目よ、毎日欠かさずやらないと、私の気が済まないもの」

 アナは懐から鍵を取り出すと、扉を開けて聖堂の中へと入っていった。

 扉が閉まるのを見届けると、ニィナは腰に手を当てて、呆れたように言った。

「全く、どこまでも真面目なんだから。一日くらい休んでも、罰当たらないでしょうに。まあ、そこがいい事なんだけどさ」

「それだけ熱心なのだから、村人たちもアナ様を慕ってくれるのだろう。好きにさせよう」

 そういって、二人は聖堂脇の林を抜けていく。先頭を歩くウェインを、ニィナは暫く見つめた後、何故か含みのあるような声で言った。

「でもさぁ、まさか、ウェインがアナ様のお出かけを許可するとは思わなかったなぁ」

 先を歩くウェインは、少しの間を置いて返した。

「……提案が急だったからな、本来は反対の立場だ。だが、最近休みを取っていなかったのも事実だし、アナ様も行きたそうだったから、これでお心が休まればと思ったまでだ」

「へぇ、意外と柔軟な所あるじゃん」

「固い所があるのは認めるが、石頭というわけではない。ただ、次は民の事を考えて、事前に告知するように、アナ様に進言するつもりだ」

「ふぅん……」

「……なんだ、言いたいことがあるならはっきりと言え」

 先ほどから言葉の端にある含みが気になったのか、ウェインは苛立ったように言った。ニィナは小首を傾げながら、嫌味のように言った。

「いいや? 聖導院印の首輪が付いている割には、ちゃんと聖女の事をきちんと考えているんだなって、感心したまでよ」

 すると、ウェインがぴたりと足を止めたので、ニィナも足を止めた。

「……何が言いたい?」

 振り向いたウェインの表情は冷徹で、眼差しだけで射殺されてしまうような鋭さがあった。だが、ニィナはひとつも怯むことなく、薄い笑みを浮かべた。

「だからさぁ、聖導院に飼いならされたわんこが、そんなに自我を出して、ご主人さまによく怒られないなぁと思っていたのよ」

 ウェインが放つ殺気にも似た敵意は半端なものでは無かったが、ニィナはそんなこと気にも留めていないようだった。すると、ウェインは更に表情を険しくした。

「そんな事を知って、俺の何を知った気になっている? 傭兵崩れの野良犬が」

「ハッ! 今度は私に矛先向けるんだ、なんか必死じゃない?」

 悪態を笑い飛ばして、ニィナも、普段の明るい表情から一変して、瞳に好戦的なギラギラした光が宿った。

 視線がかち合い、このままでは一触即発かという所で、二人が一斉に、聖堂の方を見た。

「……待て、この話はあとだ。何か変な物音がした」

「うん、なにか異様な気配がする」

 そういうと、二人は先ほどの喧嘩腰はどこへやら、急いで聖堂内へと走っていった。


 時は少し遡り、聖堂に入ったアナは、礼拝室の中心にある講壇の前に立つと、その奥にあるアーヴェルナの石像を見ながら手を組むと、ゆっくりと目を瞑った。

(今日はお祈りが遅れてしまい、申し訳ありません。今日はニィナとウェインという従者と共に、半日休暇を取っていました。買い物をして、牧場の生き物を見て、昼食を気持ちのいい草原で食べて、アイスクリームというものも食べました。あんなに美味しいものが存在するなど、思いもしませんでした)

 今日の楽しかった事、嬉しかった事、美味しかった事を全て思い出して、アナは祈りを捧げながら、微かに微笑んだ。

(この喜びを得られたのは、全て、神様とアーヴェルナ様のお陰です。この世界を守って下さり、ありがとうございます。……本当は、村人たちを放っておいて、私一人が息抜きをするなど、罪悪感がありましたが、皆が嫌な顔一つせずに受け入れてくれて、安心しました)

 アーヴェルナの石像はただそこにあるだけで、何も返事はしないが、アナにはそれが、ただ真っすぐに自分の話を聞いてくれているような、温かい安心感を覚えた。

(実を言うと、最初ここに赴任した時、私が望んでいた任地では無いことに、がっかりしていました。こんな気持ちのまま、私はこの村に一生を捧げなければならないのかと思っていました。ですが、今はそんな事どうでもよくなっていて、威厳も必要ないことが分かりました。村人に自分の頑張りを分かってもらえるだけで、十分なのです。欲を言えば、母には会いたかったですが……今はもう気にしていません)

 母親への未練は少しあったが、最初から望みが無いことは分かっていたので、そこまで気にしてはいなかった。今感じているのは、全てへの感謝だけだった。

 すると、背後から扉が開く音がした。時間帯からしてもうすぐカーンが来る頃なので、彼かと思い振り向くと、思わぬ人物がいた。

  

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