2-3
買い物を終えると、三人は適当に村を散策することになった。
「ロベルさんのお宅のお庭、いつ見ても綺麗ね。確か、奥様は庭いじりが趣味で、花壇をとっても綺麗に飾っているはずよ。あと、お隣のジリアンさんは家庭菜園で育てたお野菜とハーブをいつも持ってきてくださるのよ。あとは……」
「聖女さま、まさか、一軒一軒住んでいる人の事、もう覚えたんですか?」
ニィナが驚いた顔をすると、アナは誇らしげに頷いた。
「勿論よ。聖女たるもの、村人のことは、きちんと覚えていないと。向こうは名前を憶えてくれているのにこっちが〝お名前はなんでしたっけ?〟なんて聞いたら、とっても失礼だし、聖女として失望されたくないもの」
「わぁ、さすが首席卒業ですね」
「別に成績がどうとかは関係ないわ。ただ、私がこうしたいと思っているだけよ」
当たり前のように言い、先を行くアナに、ニィナは無言ながら、理解できない、といった表情を浮かべてウェインを見た。
「あら、珍しい! 聖女さまに従者さまも、どうかなさったんですの?」
すぐ横にある家屋の方から、ご機嫌な婦人の声が聞こえて、アナはふと振り返った。
「あら、ローザさん……こんにちは」
この婦人は、以前アナをお茶会に誘ってくれた方で、丁度庭いじりをしていた所なのか、泥だらけの手袋を外しながら、アナたちに近づいた。
「いつもこの時間はご公務のお時間ですわよね。何かあったんですの?」
「ああっ、いいえ、そういうわけではないんです。何か緊急事態が起きたとか、そういうことではないので、ご安心ください……!」
「あら、そうなら安心ですわ。では、どうして……?」
「え、ええと……」
不思議そうに問いかけられて、アナが言いづらそうにしていると、ニィナが口を挟んだ。
「聖女さまは、ここに赴任されてから、ずっと忙しくされていたので、たまには休暇を取るように、私どもが無理を言ったのです。だから、今はお休み中なんですよ」
「あらぁ! いや、確かに聖女さまがお休みされている所を見たことがありませんでしたわ。いけませんわ、いくら聖女さまとは言え、ちゃんとお休みしませんと!」
「す、すみません……?」
公務をさぼっている事でなく、今まで休暇を取らなかった事で怒られるとは思わず、アナは戸惑いながらも謝った。
「あっ、そうですわ。お休みされているなら、村の外れの方にある、ポディアム牧場に行ってみてはいかがですか? あそこは景色もいいですし、なによりアイスクリームが食べられますから!」
「あいすくりーむ?」
「なんですか、それ?」
耳馴染みの無い響きに、アナは首を傾げた。ニィナも似たような反応だったが、ウェインが説明してくれた。
「アイスクリームとは、乳脂肪の多い牛乳を甘く味付けして、それを凍らせたお菓子です」
そういわれると、アナはようやくぴんと来たように頷いた。
「あっ、聞いたことがあるわ。昔、そういうお菓子があると本で読んだことがあるの。私の故郷のセロイエルムでは、氷なんて高級なものは手に入らないから、食べたことは無いけど」
「それなら、一度は食べていただかないといけませんね! ポディアム牧場で採れた牛乳と、近くの湖から取れる氷を使って作られていますから、とっても美味しいですわよ」
「え~、良く分かんないけど美味しそうですね! アナ様、絶対行きましょう!」
「ふふ、ええそうね。いってみましょう。ウェインもいいでしょう?」
「勿論です。俺も、アイスクリームを食べるのは久々です」
「じゃあ決まりね。ではこれから言ってこようと思います。教えてくださってありがとうございます、ローザさん」
「いいえ、聖女さまがこの村で楽しんでくだされば、私も幸せですもの」
そういって、ローザは優しく微笑む。アナもつられて笑顔を浮かべると、牧場へと足を向けた。
ポディアム牧場は村の北部にあり、草が青々と生い茂り、牛や羊がのびのびと過ごす広大な牧草地と、背後になだらかな山を背負う、赤い屋根の大きい厩舎が目印だ。
「周辺に結界があるから、通らせてもらったことはあるけれど、中をちゃんと見て回るのは初めてだわ。あっ、見て。犬がいるわ」
厩舎の前には、中型の犬が二頭と、その近くで眠そうに横たわる猫が三匹ほどいた。
「猫もいっぱい居ますね。ネズミ対策なんでしょうか?」
「そうかもしれないわね。あはは、見て。起きて背伸びしているわ。可愛いわね」
そんな話をしていると、ふと、厩舎の方から足音が聞こえて来た。
「おおい、なんか用かい……ってぇ、聖女さま!」
やって来たのは牧場主であるポディアムで、アナを見るなり、雑貨屋の店主とほぼ同じように驚いていた。
「急に伺ってすみません。今日は休みを取ったので、牧場がどんな所か見に来てみたんです。といっても、仰々しい視察というわけではないので、どうかお気になさらず」
「いやいや、わざわざ来てもらったんですから、案内しますよ!」
ポディアムは嬉しそうに言うと、厩舎の方を振り向いて、大声をあげた。
「おーい! ピーター! 聖女さまが来てくだすったぞー!」
すると、厩舎の奥から、頭に牧草を付けた赤ら顔の少年が小走りでやってくると、アナの顔を見るなり、恥ずかしいのかポディアムの後ろに隠れてしまった。
「こら、ちゃんと挨拶しねぇか。すいません、うちの息子、ちょっと人見知りするもんで」
「いいんですよ、ピーターが恥ずかしがり屋なのは知っていますから。こんにちは、ピーター。日曜の集会ぶりね」
「……こんにちは」
ピーターは父の背後からちらりと顔を出すと、小さな声で挨拶を返してくれたが、また恥ずかしがって、厩舎の奥に走って行ってしまった。
「おい、ピーター! 全く、あの子は……」
ポディアムは呆れていたが、アナは特に気にしていない様子で微笑んだ。
「かわいらしい息子さんですね」
「いやぁ、いつまでも人見知りが治らねぇもんで、困ってるんですよ。他の子供や動物なら人見知りしないんですがね、大人相手だと、どうも緊張しちまうみたいで……っといけねぇ、愚痴っぽくなってしまってすみません。では、案内しますよ」
そういって、ポディアムは厩舎の中に入った。
牛や羊は放牧中の為、厩舎の中はがらりとしていた。厩舎の端にうず高く積まれた牧草の上には、猫が丸くなって眠っていた。
「今は放牧中で出払っとりますが、いつもはここに牛が十四頭と羊が八頭ほどいます。あいつらの乳を使って作るうちの乳製品は、隣のオレイーンじゃちょっとした人気なんですよ」
ポディアムは誇らしげに言った。広い厩舎を抜けると、その奥にある木造の工房も見せてくれた。
「ここでは、うちのおかぁと娘がバターやチーズを作っています。あとは、アイスなんかもここで作りますね」
すると、ニィナがぱっと表情を明るくした。
「あっ、噂のアイスね」
「おっ、従者の方もご存知とは、嬉しいねえ。うちのアイスは新鮮な牛乳とはちみつ、それに村で採れた苺のジャムを混ぜた、他じゃ見ない珍しいアイスですよ」
「苺入りですか、珍しいですね。俺も初めて食べます」
「そうなの、楽しみね。じゃあ、お昼を食べたらいただきましょうね」
「そうですね、もうそろそろ昼食時ですし」
ウェインがバスケットを持ち上げると、ポディアムは気を遣ったのか、こう提案してくれた。
「ああ、それならぜひそこら辺を使ってください。今日は天気もいいですし、ここの草原で食べるランチは最高ですよ」
「まあ、それは素敵ですね。二人共、それでいいかしら?」
「勿論、そんなの最高じゃないですか!」
「一応敷物は持ってきたので、問題は無いかと」
「じゃあ決まりね。では、お言葉に甘えさせていただきますね」
「いえいえ、うちの牛と羊たちも、聖女さまと一緒に飯を食えてうれしいでしょうよ」
そういって、ポディアムは屈託のない笑みを浮かべた。
厩舎の前にある草原に足を踏み入れると、柔らかい春の風がアナの髪を撫ぜていった。空を見上げると、雲が風に乗ってゆったりと流れていくのが見えた。
「なんていい天気なんでしょうね。素敵だわ」
「こんな気持ちのいい所にいたら、もう動けなくなっちゃいそうですね」
二人が空を見上げる中、ウェインはテキパキとランチの準備を始めていて、ニィナもそれを手伝った。
瓶に詰めたラズベリージュースを持ってきた木のコップに注ぎ、サンドウィッチと共に配ると、アナは手を組んだ。
「我らが生きる糧を与えて下さった神に、我らが生きる術を与えて下さった始祖アーヴェルナに、最大の敬意と感謝を。……では、いただきましょうか」
同じように手を組んでいた二人は頷くと、注がれたベリージュースを差し出す。アナも同じように差し出すと、鈍い音を立てた。
「乾杯!」
ラズベリージュースを一口飲むと、爽やかなベリーの香りと少し強めの酸味、そしてその中にある優しい甘みがとても美味しかった。
「ん、美味しい! ウェイン、これあなたが作ったの?」
「はい、村のご婦人に材料のベリーを沢山いただいた時、作り方を教えてもらいました」
ニィナも気に入った様子で、口元をぺろりと舐めると、いたずらっぽい眼差しをウェインに向けた。
「爽やかでいいねー、これはお酒で割っても美味しいんじゃない?」
「勤務中に酒はご法度だぞ」
「分かってるよ、ただ言ってみただけだって」
冗談通じない、と不満げにニィナが言うのを眺めながら、アナはウェイン手製のサンドウィッチを一口食べた。
中には、鳥肉を塩茹でしたものとゆで卵、キャロットラペが入っており、食感が楽しくボリュームもあって、とても美味しかった。
「はぁ、美味しいごはんと飲み物があって、天気も良くて、風も気持ちよくて……なんだか眠くなっちゃうね……」
「お前は……従者としてもう少し緊張感を持ったらどうなんだ?」
ウェインとニィナがサンドウィッチを頬張りながら、いつものように会話をしている。見上げれば、綺麗な青空と流れる雲、燦燦と陽光を降り注ぐ太陽があって、全ての平凡な平穏が、とても掛け替えのないもののように感じられた。
「……ふふっ」
アナはそれがなにより嬉しくて、つい笑みが零れ落ちた。
この牧場自体は、毎日のように足を運んでいる所だったが、こんなにも素晴らしい場所なのだと知れたことが、とても嬉しかった。
最後の一口を飲み込むと、腕を伸ばしてうんと伸びをしてから、息を吐くように言った。
「本当ね、ここでお昼寝したら、とっても気持ちがいいんでしょうね」
「ねぇ、そう思いますよね。ほら、ウェイン。やっぱりあんたがおかしいんだって」
「……」
もう言うことは無いと悟ったのか、ウェインは溜息を吐く。アナはそれを見て、押し殺すように笑った。
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