聖女のお暇
2-1
エドワーズが行方不明になった事件から、数週間が経とうとした頃。
「おう、聖女さま! おはようございます!」
「あら聖女さま、今日も見回りご苦労様です」
「聖女さまー、遊んでー!」
結界の見回りの為に村の中心部へ行く時、話しかけてもらえることが格段に増えた。
以前も会釈はしてもらえたが、世間話をしてくれるのはおしゃべり好きの決まった女性ばかりで、あれ以来、会う村人の殆どが、友好的に話しかけてくれるようになった。
だが、それはいい事ばかりでも無かった。
「おおっ、泣き虫聖女さまが来たぜ!」
「そ、その呼び方はやめてください……!」
「わはは、いいじゃねぇですか。皆この呼び方を気に入っていますぜ。なあ?」
「ねえお父ちゃん、なんで聖女さまが泣き虫なの? 大人だよ?」
「それはなぁ、この前エドワーズが居なくなった時……」
「ああもうっ、説明しなくていいですってば!」
友好的に接してくれるようになったのはいいのだが、すっかりこの〝泣き虫聖女〟というあだ名が定着してしまい、アナは困っていた。
夜、自宅の書斎にて、聖導院に送る報告書を書きながら、アナは新たな悩みに直面していた。
(村人と距離を縮められたのは嬉しいのだけど、ちょっと私が思っていたのとは違うというか……もっとこう、聖女というのは、威厳があるものじゃないの⁉)
悩みが解決したと思えば新たな悩みに直面し、アナは額に手を当てた。というのも、村人の態度が、友好的を通り越して、若干舐められているように感じるからだ。
(いや、全然いいのよ。前みたいに腫れ物のように扱われたりしたら堪ったものではないし、気安い関係になれたのはとても嬉しいんだけれど……で、でも、あまりにも舐められすぎじゃないかしらっ?)
聖女とは村を導く存在だというのに、村人にからかわれてばかりでは、真剣に話したいと思ってもらえなくなってしまうのではないか、とアナは不安に駆られた。
だが、今更威張った所で真面目に取り合ってもらえないどころか、笑われるのがオチだろうと、溜息が零れ落ちる。
(聖女って、難しいのね……)
威厳と親しみやすさの均衡をどう取ればよいのか、アナは頭を悩ませていると。
「……アナ様―!」
「ひゃわぁっ⁉」
突然耳元で名前を呼ばれ、アナの身体が打ち上げられた魚のように跳ねた。
「ニ、ニィナ⁉ いつからそこに……⁉」
真っ白の書類に落とされていた視線を上げると、腰に手を当てて呆れた様子のニィナが居た。
「数分前って所ですけど、お食事の用意が出来ましたよって、何回声を掛けても、アナ様ったら全然聞こえていないんですもん。何ですか、また悩み事ですか?」
「うぅっ……」
すでに見破られていて、アナは呻き声を上げると、観念したように、今の悩みを吐露した。
「はぁ~……まあ、それはもう、今更変えるのは無理じゃないですか?」
「ううっ!」
ニィナから返って来たのは鋭利なほどの正論で、アナは更にうめき声をあげた。
「そもそも、威厳なんてものは自分から求めて得られるものではなくて、自分の振る舞いのあとに付いてくるものなんですから。考えるだけ無駄ですよ」
「うぅ……で、でも今のままじゃ、もし伝えたいことがあっても、真面目に受け取ってもらえないんじゃ……」
「いやいや、そんなことは無いでしょう。確かに今はちょっとネタにされてるかもしれないですけど、アナ様が頑張っているのは、村の全員が知っている事ですから。アナ様が危惧しているようなことにはならないんじゃないですか?」
「……本当に?」
「そうですよ。いいことだとは思いますけど、アナ様は真面目過ぎるせいで、色々と考えすぎちゃっていませんか? もっと肩の力を抜きましょうよ!」
「で、でも私は聖女である以上、常に気を引き締めていないと……」
「そんなことしていたらくたびれちゃいますよ。あっそうだ、たまにはリフレッシュしに、半日だけでもいいから何処かに出かけませんか? そうすれば少しはアナ様の心も休まりますよ!」
唐突な提案に、アナはぶんぶんと首を横に振った。
「駄目よ、私は聖堂で公務をしなきゃいけないし、そんな暇は……!」
「いやいや、そうやって根を詰めていたら、却って身体を壊して公務が出来なくなるかもしれませんよ? いくら聖女といえど、お休みの時間は必要ですよ」
圧のある説得に、アナはたじろぐ。確かに今まで一日も休まず頑張ってきたが、体調を崩して結界を維持できなくなって、村が魔獣に襲われるようなことがあれば、後悔だけでは済まないかもしれない。
「確かに……?」
「おっ、分かってくれましたか。じゃあ善は急げと言いますし、明日、早速お出かけしましょうよ!」
「わ、わかったわ……でも、ウェインにも伝えないと」
すると、ニィナは厳しい表情を浮かべて首を振った。
「いやっ駄目です。あいつは頭が石みたいに固いんで、絶対許可を出してくれません。行くなら内緒で行きましょう」
「そんなの、仲間外れみたいで可哀想だわ……」
「大丈夫ですって、じゃあ見回りが終わったら、聖堂前で落ち合いましょうね」
ウェインには内緒ですよ、とニィナは嬉しそうにウィンクする。アナは終始不安げな表情を浮かべていたが、それと同時に、少しだけ楽しみになっている自分を隠しきれずにいた。
次の日、いつものように朝の時間を過ごした後、見回りを終えたアナは少し急いで聖堂に帰ると、玄関前には既にニィナが居た。
「あ、アナ様! 見回りご苦労様です」
「待たせちゃったかしら、なるべく急いできたんだけど……」
軽く息が弾んでいるアナを見て、ニィナは笑った。
「全然待ってないですよ。じゃあ行きましょうか」
「そうね。……でも、本当にウェインに言わなくてよかったのかしら」
「いいんですよあいつは、連れてきても、どうせムスッとした顔してつまんなさそうにしてるだけですから」
「ムスッとした顔したつまらない奴で悪かったな」
二人が聖堂を後にしようとすると、背後から男の声が聞こえて、二人は驚いた様子で振り返った。
「げ、ウェイン……! なんでここに、あんたいっつも家に籠ってるでしょ!」
そこには、言葉通りムスッとした顔をしたウェインが仁王立ちしていた。
「昨日の会話が偶々聞こえてな。ニィナが勝手なことをしないよう様子を見に来たんだが、案の定だな」
「ハッ白々しい、ただ聞き耳立ててただけでしょ」
ニィナは悪態を吐くが、気にも留めずにアナの方を見やると、ウェインは言い聞かせるように言った。
「アナ様、こいつの言うことを鵜呑みにしてはいけません。もちろん休むなとは言いませんが、あなたには聖導院から託された大切な公務があります。それを放棄してもよろしいのですか?」
「それは……」
心が揺らぎかけたが、ニィナはすぐさま反論した。
「たかが半日休んだくらいで神様は怒ったりしないでしょ。それに、アナ様だって人間なんだから、少しは休まないともたないって」
すると、ウェインは、今度はニィナの方を向いて厳しい口調で言った。
「お前もお前だ、アナ様を利用して体よく休日を作ろうとするのはやめろ。色々と耳障りのいいことは言っていたが、結局の所はアナ様と外出したいだけだろ」
「ぐ……」
痛い所を突かれたのか、ニィナは小さく呻き声をあげる。ウェインは得意げにニィナを見下ろしていて、それを、アナは一体何が起きているのだろうと、終始不思議そうに見ていた。
すると、劣勢に見えたニィナが、突然悪い笑みを浮かべた。
「あぁ……あんたひょっとして、お出かけに誘われなかったからって拗ねてるんだ?」
「な……!」
「あれっ、まさか図星なの?」
突然予想外の事を言われたからか、はたまたそう思っていたかは分からないが、ウェインは明らかに動揺していた。
アナもこれを意外に思い、つい口を挟んだ。
「ウェイン、もしかして、あなたも一緒に行きたかったの?」
「いや、そういうわけでは……!」
「ごめんなさい、ウェインを仲間外れにしたかったわけではないの。もしよかったらだけど、今から誘ってもいいかしら……?」
「だ、だから本当にそういうのでは……」
「ウェイン……駄目?」
「……」
遠慮がちにこちらを覗き込む邪気の無い眼差しに、ウェインは無言だったが、明らかにたじろいでいた。ふとニィナを見ると、アナの背後でにやついた笑みを浮かべていた。
「……わかりました」
ついに耐えきれなくなったのか、ウェインは深い溜息を吐いて、がくりと頭を下げた。
「あはは、堅物のあんたでも、さすがに聖女のおねだりは断れないか!」
「うるさいぞ……」
ウェインは、豪快に笑い飛ばすニィナを睨みつけていたが、その隣で嬉しそうに笑うアナを見ると、毒気を抜かれたように険しい表情を崩した。
「ですが、今度からこういうお休みを取る時は、きちんと俺にも言ってください。今度は無下になどしませんから」
「ええ、もちろん。次はあなたを真っ先に誘うわね!」
「……いえ、だから別に気にしているわけでは……」
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