1-6

 三人の間を漂う温かい雰囲気を打ち破ったのは、玄関から聞こえる激しいノックの音だった。

 ノックの音と共に、男の声で興奮気味に何かを言っているのが聞こえ、よく見れば、窓の外が火でも焚いたかのように明るい。

 瞬間、今まで優しげだった従者の二人の表情に、一気に緊張感が走った。二人の雰囲気で、アナは何かただならぬことが起きていると、ようやく悟った。

「な、何? 村人たちかしら……?」

「ニィナ、お前はここでアナ様をお守りしろ。俺が様子を見に行ってくる。アナ様、ここを動かないでください」

「分かった、気を付けて」

 二人は簡潔に役割を分けると、ウェインは部屋を出て階段を降りて行った。アナは、それを不安げな表情で見送った。


 下に降りると、扉越しに、切羽詰まったような声と激しいノックの音が鮮明に聞こえてきた。

「聖女さま! 聖女さま! いらっしゃいませんか!」

 緊迫した声色からして、暴動の類では無さそうだが、念のため暖炉から火掻き棒を取ると、玄関前に立てかけて、ゆっくりと鍵を開けると扉を開けた。

「どうした、こんな夜更けに」

 ウェインが出ると、松明を持った中年の村人は面食らったような顔をした。その後ろには同年代の男たちが居て、皆緊迫した顔つきをしていた。

「あ……じゅ、従者の方か。あの、こっちにエドワーズはいねぇでしょうか⁉」

「エドワーズ?」

「ええっと、エドワーズっちゅうのは、村の子供でして。夕方に一人で家を出た切り、姿が見えねぇんです!」

「なんだと?」

 すると、背後から階段を降りて来る音が聞こえて、ウェインは振り返った。

「皆さん、そんなに慌ててどうしたのですか?」

 そこには、廊下から玄関へと駆け寄るが居て、ウェインは厳しい表情を浮かべて、後方に付いているニィナを睨んだ。

「どうして連れて来た……!」

「ごめん、どうしても行きたいって押し切られちゃって……」

「ああ、聖女さま! 大変です、エドワーズがいなくなっちまったんです!」

 村人は、顔を見るなり縋るように言う。アナは表情を凍らせて、玄関に駆け寄った。

「そんな、いつからですか⁉」

「姿を最後に見たのは、夕方頃だって言ってましたが、それから少し目を離した隙に家から抜け出したみたいで、もう、母親は半狂乱になっちまって……とにかく、今村人総出で探してるんでさぁ」

 アナは表情をこわばらせると、玄関前に掛けていた外套を引っ掴んで、外に飛び出そうとした。それを、ウェインが手首を掴み、慌てて止めた。

聖女あなたが飛び出してしまってどうするのですか!」

 すると、アナは振り返った。

聖女わたしが行かなくてどうするのよ!」

 今までのアナにはあまりにも似つかわしくない鋭い声色で、ウェインは驚いて手の力を緩めると、その隙を見逃さず、アナは外套を羽織りながら飛び出していった。

「……俺、聖女さまがあんなに怒鳴った所見るの、初めてだ」

 皆も驚きを隠せないようで、男たちは顔を見合わせている。

 ウェインは溜息を吐くと、男たちの方を向き直った。

「俺は聖女さまを追いかけるので、他の皆さんは引き続き捜索に当たってください。ニィナ、行くぞ」

「はいはい……もー、意外とおてんばなんだから!」


「エドワーズ、どこにいるの!」

 アナは、頬を切るような冷たい空気に満ちる森の中で、声を上げていた。

 聖堂の近くは森が広がっており、ここ一体には松明の灯りが見えない為、まだ誰も探していないのだろうと思い、まず近くを探すことにした。

 この森は山に繋がっており、結界の境目でもあるので、真っ暗な中、うっかり結界の境を超えてしまえば、近くをうろつく魔獣に殺されてしまうかもしれない。

 それに、春とはいえ、夜の気温は初冬を思わせる寒さが身体を襲う。その中で子供が一人で居れば、見つかるのが遅くなれば凍え死んでしまう。

(あの子は、私に懐いてくれて、本を読んで欲しいと言ってくれていた! 確かに子守を任されたことは不満だったけれど、あの子たちが私に喜びを与えてくれていたことも本当なのよ! だから、ここで自分だけぬくぬくと家に居て捜索隊の報告を待つなんて、そんなの嫌!)

 エドワーズの可愛らしい笑みを思い出して、アナは大きく息を吸う。

「エドワーズ! 返事をして!」

 人生で一度も出したことの無いような大声を上げるが、返ってくるものは森にこだまする自分の声のみで、アナは白い息を吐いた。

「一体どこにいるの……! お願い、返事をして……!」

 アナはその場に立ち止まると、身体が自然と手を組んでいて、服が汚れるのも構わず跪くと、目を瞑った。

(お願いします、神様、アーヴェルナ様……! あの子の運命を奪わないでください! どうか私に神の導きを!)

 心の中で強く念じ、ぐっと瞑った目には、涙が滲む。耳を澄ませていると、痛い程の静寂が広がっていた。

「答えてよ……!」

 ふり絞るように、アナが呟いた時。

「…………じょ………ま」

 遠くから、そんな声が聞こえたような気がして、アナは弾かれたように声のする方を向いた。

「……エドワーズ? エドワーズ、居るの⁉」

 急いで立ち上がって、アナは声が聞こえた方向へ走った。聞こえた声はあまりにもか細く、確証はなかったが、何故だか強い確信があった。

 低木や枝葉を掻き分け、森の中を走り去っていく。偶に頬に痛みが走り、葉が顔に当たって怪我をしたような気がするが、そんなことはどうだってよかった。

 すると、アナは少し開けた所に出た瞬間、走るのを止めた。

「……エドワーズ」

 そこには、大きな木立にもたれかかって、虚ろに瞬きをしたエドワーズの姿だった。

「ああ、エドワーズ! ここに居たのね!」

 アナはすぐさまその場に膝を突くと、羽織っていた外套をエドワーズに掛けて、身体を抱き寄せた。

 エドワーズの身体はかなり冷たくなっていて、アナは体温を分けるように、きつく抱き締めた。

「怖かったでしょう、寒かったでしょう……でも、もう大丈夫よ。私が居るからね、安心して……」

 安心させようと耳元で呟くと、エドワーズは僅かに身じろぎをして、何かを持ち上げるように腕を上げた。

「せいじょさま……あのね、ぼく……」

「なぁに……?」

「これを……せいじょさまに……あげたくて……それで、かえろうとおもったら、まいごになっちゃって……」

 そういって、差し出したのは花びらの小さな白い花だった。これは山間の土地にしか見られない、早春に咲く花で、アナも偶に見かけたことがあった。

「これを……? でも、どうして……?」

「あのね……せいじょさま、さいきんげんきがないから……おはなをあげたら、げんきになるかなって……」

 エドワーズは、力なく握りしめられた花を、アナの掌に落とす。その瞬間、アナの喉の奥が熱くなった。

「……本当に、良かった。あなたを見つけられて……っく、う、うわあああああんっ……!」

 なんとか堪えようとしたが、溢れる感情を止めることが出来ず、涙となって零れ落ちる。

 エドワーズを抱きしめながら、アナはただ泣いていると、その泣き声を誰かが聞きつけたのか、松明の光が二人の方へ近づいていった。

「ここから聞こえたぞ! こっちだこっち!」

 捜索に出ていた村人がアナたちの方へと駆け寄っていき、それと同時に、ウェイン達も駆けつけて来た。

「ここだここ……って、ありゃあ……?」

 茂みを掻き分けた先には、エドワーズを抱きしめながら、子供のように大泣きしているアナで、村人たちは呆気に取られていた。

 てっきりこの泣き声はエドワーズのものだと勘違いしていたようで、皆は初めて見るアナの姿に、困惑している様子だった。

 ウェインとニィナも驚いた様子で顔を見合わせたあと、二人は微かに笑みを作ると、アナとエドワーズの傍に駆け寄った。


 * * *


 アナが落ち着いた頃、誰かが呼んだようで、母親がやって来て、エドワーズに飛びつくようにして我が子を抱きしめると、泣きながら再会を喜んでいた。

 エドワーズもようやく気が緩んだのか、母の顔を見た瞬間、わんわん泣き始めた。

「聖女さま、本当に、本当にありがとうございます……! あなたは息子の命の恩人です……!」

 母親はぼろぼろ涙を零しながら、何度もアナに頭を下げて、森を後にしていった。

 アナはその後ろ姿を安堵に満ちた表情で見送っていると、ふと多方面から視線を感じることに気づき、ふと横を見た。

「いやぁ……まさか聖女さまが、こんなに感情豊かな方だったとはなぁ……」

「あの泣き声、最初はエドワーズが泣いてるんだとばっかり思ってたが、まさか聖女さまの声だったとは」

「家を飛び出す時も、物凄い剣幕だったぞ。大男の従者も、かなりびっくりしてたよなぁ」

 今までのいかにも聖女といったイメージとは真逆のアナの行動がまだ呑み込めていないのか、村人は口々に呟く。

「あ、あの……それは……!」

 アナは恥ずかしさのあまり顔から火が出そうになっていた。

 普段は聖女としての品格を崩さないように、ふるまいには常に気を配っていたが、ついにそれが崩れてしまった。アナは村人がどう反応するかびくびくしていたが、村人はにかっと笑みを浮かべた。

「だけど、俺らみたいなもんには、それくらいおてんばなのが丁度いいでさぁ。聖女さま、それが素なんでしたら、いつもそうしていてくだせぇ」

「うんうん、あの姿にゃ気骨を感じたね。普段は都会の人って感じで、なーんか話しづらかったけど、本当はこんな聖女さまだったって、早く教えてくれりゃよかったのになぁ!」

「そうだなぁ、それに、聖女さまが泣き虫なんて、他の村にゃそういねぇしな!」

「わはは、間違いねぇ! これからはただの聖女さまじゃなく、泣き虫聖女さまだな!」

 村人は一斉に笑い出し、アナをその目でしっかりと捉える。

「な……泣き虫聖女ですか⁉」

 突然付けられた変なあだ名に、アナは大分納得がいかない様子だったが、村人たちが陽気に笑っていて、ただの聖女としてでなく、その奥にある自分をしっかりと見てくれているような気がして、アナは全てがどうでもよくなってしまった。

(……これも、あなた方のお陰です)

 微かに笑みを浮かべて、アナは祈りを捧げた神と初代聖女の事を思い浮かべる。

 今まで聖女学院で教えられたことが第一で、視野狭窄に陥っていた自身の視界が一気に広がったような気がして、アナは空を見上げた。

 空には三日月が浮かび、優しい白い光を放っていた。

  

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