1-4

 見回りを終えて聖堂に戻ると、それを見計らったように、ウェインが作った昼食を、ニィナが執務室まで持ってきてくれていた。

「ありがとう、ニィナ。今日は何かしら」

「昼食は鴨のハーブソテーだそうですよ。猟師のマイルズさんから、大きいのを丸々一羽いただいたんです」

「そうなの、それは楽しみね」

 冷めない内にテーブルに付き、神に祈りを捧げて、それをありがたく食べていると、執務室の扉がノックされた。お茶を注いでいたニィナは、またかと言わんばかりに溜息を吐いた。

「どうぞ」

 ニィナの表情に苦笑を浮かべたアナは、ナイフとフォークを置いて声を掛けると、扉を開けて入ってきたのは、いつも面倒を見ている子供たちと、その母親たちだった。

「失礼します、聖女さま……あっ、お食事中でしたか。申し訳ありません、出直しましょうか?」

「いいえ、構いませんよ。ニィナ、お皿を下げてくれる?」

「かしこまりました」

 ニィナは皿を片付けると、女たちの前を通って執務室を後にする。その時ニィナが母親たちに一瞬視線を送り、それに気づいてさすがに拙いと思ったのか、母親たちはばらばらに頭を下げた。

「申し訳ありません、お食事中でしたのに……」

「気になさらないでください。お子さんはお預かりしますよ」

 そういって薄く笑みを浮かべると、母親たちは顔を見合わせて苦笑いを浮かべて、そそくさと執務室を後にしていった。

(丁度見えなかったけれど、母親たちの反応からして、去り際にちょっと睨んでいったのね。もう、ニィナったら。私は大丈夫なのに……)

 ニィナもさすがにあの母親たちには目が余ったようで、苦笑いを浮かべる。ふと視線を落とし、残された子供たちに目をやると、一人の子供が持っていたものに、アナは思わず声を上げた。

「エリン、その髪飾りはどうしたの?」

 エリンは振り向くと、小さな手に握られた、高価そうな髪飾りを見せてくれた。

「あのねー、これはねー、ママのなんだよ」

 すると、弟のリックは指をさした。

「あっ、駄目なんだー! ママ、それは高いから触っちゃ駄目って言ってたもん!」

「それはリックに言ってたから、あたしは言われてないもーん!」

 子供たちは屁理屈の応酬をしていて、エリンは二人の前にしゃがみこむと、優しく言い聞かせた。

「エリン、それでもお母さんのものを勝手に持ってきたんでしょう? それって本当にいい事かしら?」

 問いかけられると、強気だったエリンの表情が、たちまち頼りないものになっていった。

「……ううん、悪い事」

「そうよね、認められて偉いわ。じゃあ、今からお母さんの所へ行って返してくれる?」

「で、でも、お母さん怒ると、すっごく怖いぃ……」

 そういって、まだ怒られていないにも関わらず、涙で瞳を潤ませている。以前きつく叱りつけられたことがあったのだろう。

 アナは溜息を吐くと、掌を差し出した。

「じゃあ、私が代わりに返しに行くわ。だから、泣かないで。エリンは笑顔が素敵だから、笑った顔を見せて頂戴?」

「……うん、ありがとう、聖女さま」

 エリンはほっとした表情で、握り締めていた髪飾りをアナの掌に置いた。

 アナはエリンの頭を撫でると、執務室を後にした。今ならまだ走って追いかければ間に合うと思い、早足で廊下から礼拝室に入り、玄関扉に手を掛けようとした時。

(……? 話し声が聞こえる)

 扉越しに話し声が聞こえて、アナはつい扉を開けるのを止めた。その声は、先ほど子供たちを預けに来た母親たちのものだった。どうやら、聖堂の前で談笑しているようだ。

「……で、新しく来た聖女さま、どう思う?」

 くぐもった言葉がアナの耳に入り、びくりと肩が揺れた。

「どうって……まあ、熱心に仕事をこなしてくださっているんじゃない?」

「それはそうだけど、なんだか、あのお方って、常に距離を感じない? 何を考えているか、いまいちわからないっていうか……」

「ああ、確かにそれはあるかもね。さっきだって、ちょっと失礼なことしちゃったけど、ほんの少しも嫌な顔せずに笑顔だったじゃない。逆にちょっと怖かったもの」

「そうよねぇ。そうしたら、逆に従者が睨みつけてきちゃって。感じ悪いったら」

「まあ、若いのに仕事はきちんとしてくれるし、別に文句は無いんだけれどねぇ……」

「前任の聖女さまは、本当の友人のように、ずっとフレンドリーに接してくださったじゃない。だから、余計に自分とは違うんだって言われているような気分になるわよね」

 愚痴を一通り言い終えてから、彼女らの話題は何かに変わっていったようだが、アナは思考が完全に止まっていて、何も考えることが出来なかった。

(……私は、そんな風に思われていたの?)

 ショックが全身に重くのしかかり、指先が震える。とにかく早くここから居なくなりたくて、渡すはずだった髪飾りを握りしめていると、気づいたら執務室に戻っていた。

「……聖女さま、大丈夫?」

 アナの様子は子供が見てもおかしかったようで、いつも本を読んであげているエドワーズが、心配そうにこちらを見上げていた。

 はっと我に返って、アナはいつもの微笑を浮かべると、しゃがみこんでエドワーズの頭を撫でた。

「──大丈夫よ、少し走ったから疲れちゃったの。エリン、お母さんはもうおうちに帰っちゃったみたいだから、あなたから返してもらっていいかしら。大丈夫、お母さんに叱られないように、お祈りをしたから」

「本当? 本当だよ?」

 髪飾りを渡されたエリンは怖がって何度も聞き返す。だがアナはそれが耳に入らず、ただ、ぼんやりと先ほどの言葉が頭に響いてならなかった。

(聖女として相応しくふるまわなければと頑張って来たのに、私のやり方は、民を怖がらせていたの? でも、私は聖導院の教えに則っているだけで、私は……)

 言い訳は幾度となく頭に浮かぶが、それは胸の痛みになって消えていき、やがて残されたのは、焦燥感と無力感だった。

  

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