1-2

 扉が閉じられると、外から鐘の音が五回、村中に鈍く響き渡った。これが夕方を告げる鐘だ。

 夕の鐘が鳴ると聖堂を閉める決まりで、アナは懐から真鍮の鍵を取り出すと、扉に鍵を掛けた。

「お疲れ様です、アナ様」

 ふと、背後から落ち着いた低い女性の声がして、アナは振り返った。

「ああ、ニィナ。迎えに来てくれたのね」

 後ろには、黒のシャツとスカートにシンプルな白のエプロン姿で、焦げ茶色の髪を団子状にまとめた、従者のニィナが居た。

 従者とは、聖女に付き従い、身の回りの世話や雑務を行う為に、聖導院から派遣される者のことだ。

「公務の時間は終わりましたし、そろそろご自宅へ戻りましょう」

「そうね……そうしましょう」

 アナは疲れた顔で頷くと、礼拝室の左側にある扉を開けて、右手に伸びる廊下に出ると、その突き当りにある裏口から聖堂を後にした。

 空は、すでに茜色から薄い藍色に変わりつつある。アナは正面を見ると、遠くにぽつりと小さな灯りが灯っているのを見つけた。

 その灯りは、聖女であるアナと、従者が住まう、二階建ての石造りの住居から漏れた灯りだった。聖堂と住居の周りを囲うように、針葉樹の木が生えており、聖女のプライベートを侵さないように配慮がなされていた。

 見た目は古めかしく質素であったが、アナはそれなりに気に入っていた。

「ただいまー」

 ニィナが扉を開け、アナが先に通ると、右手には暖炉と椅子、左手には食卓があった。

 中央には廊下があり、そこを通ると、途中にある厨房で、赤みがかった黒髪の男がテーブルについていて、じゃがいもの皮を器用に向いていた。

 彼はシャツにベスト姿で、複雑な模様が彫られた木製のネックレスを着けていた。よく見ると、ニィナとアナも同じようなネックレスを着けていた。

「ただいま、ウェイン」

「おかえりなさい、アナ様。今日は村の猟師に鹿肉を分けてもらったので、ブラウンシチューを作ろうと思います」

 ウェインと呼ばれた男性は、アナに付いたもう一人の従者だ。彼は主に料理や巻き割り等の力仕事を任せられていた。

「そうなの。楽しみにしているわ」

 アナは小さく笑うと、ニィナと共に、廊下の突き当りのすぐ右にある階段を上って、二階の自室に向かった。

 自室はベッドとクローゼット、それに小さなテーブルと椅子があるだけの殺風景な部屋だった。そもそもこの部屋は寝る為以外に来ることはなく、飾り付けをする余裕も無かった。

 ニィナに手伝ってもらいながら黒紫色のローブを脱いで、頭に着けていた金属製の飾りを取ると、ワイシャツとスカートという少女らしい姿に着替えた。

「お茶をお持ちしましょうか? お疲れでしょう」

「ありがとう、でも大丈夫よ。……暫く一人になりたいから、夕飯の準備が出来たら、また呼んでくれるかしら?」

「……かしこまりました」

 窓の外を眺めながら言うと、灯りの反射でニィナの心配げな表情が薄ぼんやりと見えて、アナは少しだけ申し訳なくなった。


 アナの部屋を後にしたニィナは静かに階段を降りると、先ほどの上品な振る舞いはどこへやら、大股で厨房に向かってもう一つある椅子を雑に引くと、どかりと座った。

「ふー、やれやれ」

「アナ様はどうだった?」

 じゃがいもを剥き終えたウェインは、片付けながらニィナに問いかけると、ニィナは眉を上げた。

「今日も今日とて、つまんなさそうな顔してたよ。よっぽどここが不満みたいだね」

「そうか。もうひと月経つし、そろそろ慣れてくれたと思っていたんだがな」

「初めて会ってから、一度も作り笑顔以外の笑った顔を見てないんだから、もう相当だよ。まあ、アナ様は聖女学院で成績優秀だったって話だし、田舎に赴任させられたのが納得いっていないんじゃない?」

 ウェインはその推測には返事をせず、今度はにんじんを切り始める。ニィナは階段を見上げると、小さく溜息を吐いた。

「聖導院も、何を考えてるんだかね……」


(……私は)

 灯りを落としてしまい、真っ暗な部屋でベッドに突っ伏すアナは、胸中で呟いた。

(私は、聖女学院を首席で卒業したのよ。ただの学校じゃない、進級できなければ留年など無く、即退学というとても厳しい学校をよ。浄化の力や退魔の力は他のクラスの誰にも負けなかったし、苦手だった語学も死ぬ気で勉強してなんとかした。それなのに、聖女になってからやることが、子守だなんて……)

 自分の優秀さに誇りを持っていたアナは、聖導院が下した辞令に、強い苛立ちを覚えていた。先生や同級生からは、きっと大都市の聖女になれると太鼓判を押されていただけに、その失望は計り知れないものだった。

(もちろん、聖導院の決めたことに抗議なんて出来るわけ無いし、今やっていることに不満はあるけれど、別に私は、ただ田舎だから嫌なんじゃない。でも、私には都市に行って、どうしてもやりたいことが……)

 すると、扉をノックする音が聞こえた。どうやらニィナが迎えに来たようだ。重い体をなんとか起き上がらせると、アナはベッドから降りて、作り笑顔で自室を後にした。


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