035 王手

「舞園ちゃんの打ち筋を観察していたんだけど、どうやら君は特に将棋が得意だって訳でもなさそうだね」


 冷たい声が聞こえる。


 その通り。生まれてから将棋なんて何度かしかやったことはない。ルールはかろうじてわかるが、それ以外はさっぱりわからない。


「僕は君から仕掛けてくるんだから、さぞ自信のあるゲームなんだろうなと思っていたよ。だけど、とてもそうは見えなかった。それでもう、はっきりとわかってくるんだよ」


 パチリ。


「君の狙いは、将棋に勝つことでも負ける事でもないんじゃないかってね」


 心臓が飛び跳ねそうになる。ポーカーフェイスを保ち、わたしは彼の顔を見る。疑いの視線は、相変わらずわたしを向いていた。


「そもそも、君が将棋を選んだ理由が不明瞭だ。だけどそれは、とりあえず後回しにしよう。問題は、何をしようとしているか……だ」


 とんとん、と顎を叩く。


「推理小説の世界には、フーダニット、ハウダニット、ホワイダニットというのが基本的な謎の構成要素として存在するらしいね。だれがやったか、どうやってやったか、なぜやったか。でも今回のこれは、どれかというとワットダニット……なにをやったか……だね」


 パチリ。


「そもそも、この勝負に挑むメリットが君には薄いんだ。僕を殺すとかならまだしも、生徒会を抜ける……だけだからね。それじゃあ、やっぱり奇妙だよ。そこで、『ああ、そうか』と思ったんだ」


 彼は、分かっている。

 わたしの狙いを、正確に。


「君が、僕を殺そうと罠にかけようとしているってね」


「……」


 バレている。

 その狙いはバレてしまっている。


「それじゃあ、どうやって……これはハウダニットだね。僕をどうやって殺そうとしているのか……。実は、興味深い推理材料がある。それはね、砂肝クンの持っていたものなんだよ」


 パチリ。


「すなぎもが、なにをもっていたというの」


「殺意がバリバリみなぎっているものだよ。君だってよく知っているはずだよ。それはあの、研究施設の中で見つけたものだろうからね」


 ゆっくりと唾液を飲み込む。

 額に玉の汗が浮かぶ。

 なのに冷たい。

 驚くほどに、体中が、血管が冷たかった。


「砂肝クンの上着の中から見つかった青酸ソーダだ」


 パチリ。


「真宮寺ちゃんは常に自分の唾液を火薬として入れるための小さな袋を持ち歩いている。君はそれに、青酸ソーダを入れて持ち歩いていたんじゃないか。事前に、あのカーチェイスの前に君はそれを手に入れていた。隠し場所はどこだっていい。口の中でも、女の子らしくスカートの中でもね。見つからなきゃいいんだから」


「わたしが、毒をもっていると」


「うん。そう思うよ。それで、どうやって僕に毒を飲ませようか策を練ってる」


 パチリ。


「例えば、この歩兵とか……」


 歩兵の駒を一つつかみ取る。そして会長はそのままそれを、舌の上に乗せた。ぺろぺろとそのまま舐めだす。

 しばらく眉に皺を寄せた後、ぺっと吐き出す。


「いや、ないね。これじゃないかぁ……」


 ちょっと残念そうな声色で呟きつつ、ハンカチで駒を拭く。


「駒に毒を塗っているというのはよくある手だ。でも、それってありきたりな手ってことだ。つまりは、真っ先に対策をされる方法だ。僕は知っている。君がそんなありきたりで、分かりやすい方法を使う人間じゃないってね」


 パチリ。


「じゃあ、一体何か。君はどうやって僕に毒を飲ませようとしているのか。実はこれはこのゲームの根幹にかかわる謎だ。いや、実はと言わなくても君はよくわかっているはずだね」


「何のことだかさっぱりわからない」


「とぼけるかい。いいよいいよ。丁寧に教えてあげるからね……君の手口を」


 彼はそう言って手を広げる。大げさに。


「ここで戻ってくるのがホワイダニット……何故君は数あるゲームの中から最終決戦として将棋を選んだのか、だ」


 そこに、たどり着いてしまう。

 確かにこれはギャンブルだった。生徒会長がわたしの罠に気が付かないのか、気が付くのか。


 いけるかもしれないとわたしは思った。

 だから……賭けた。

 わたしの命ごと。


「本当は、ポーカーでも殺し合いでも何でもよかったはずだ。だけど君は将棋を選んだ」


 パチン。


「その理由はシンプルで、君が普段なら取らない方法……。いや、気が付けなかった方法」


 パチン。


「そう。もう分かるだろう。将棋には駒がある。そして駒を……」


 パチン。


「鳴らすことが出来る。君の能力は、聴覚の錯覚により幻を見せるものだね。その聴覚を錯覚させる手段として君は二拍手という方法をとっていた。でも、その方法を……将棋の駒を何度も何度も鳴らせるという方法に変換させたとしたら」


「……」


「二拍手に詰め込む錯覚の情報量を、何十回もの駒の音に分割させて僕に幻を見せているとすれば……?」


「もしも、もしもばかりを並べ立てるだけじゃ何も変わらない」


「そうだね。じゃあ、単刀直入に言おう。君の常套手段だ。君は僕にその錯覚を使うことで、僕が『』を出来なくしている。何故か……簡単なことだ」


 彼が言う。

 外れていてほしいという気持ちもある。だけれど、無慈悲にも彼の視線は明らかに『あの場所』を見つめている。


「毒を仕込むなら、僕が必ず口にする場所に塗らなきゃ意味がない。僕が君の前でいつも口にしていたものに……。そう、君からもらったシャープペンシルにね」


 ガッと彼の手が、ポケット付近の空中を掴む。彼にとってそれは空中だっただろう。だけど、わたしにとってはずっとはっきり見えていた。


 りあが彼のポケットの中のシャープペンシルを、わたしの用意した毒を塗ったシャープペンシルと取り換えている様子が。


 そしてそのりあの手は、今彼に手に掴まれていた。


「ど、どうしてアタイの手がここにあるって……ッ」


「確かに、僕の目では知覚できない存在だった。でも、舞園ちゃんにとっては知覚できたはずだ。だからその瞳に反射される君の姿を追っていただけだよ」


 ぐぐぐっとりあの手を力強く掴み続ける会長。

 完全に見破られた。

 彼を毒殺する作戦が。


「ご苦労様、真宮寺ちゃん。でも残念……おしまいだね」


 りあを思いっ切り殴り倒す。

 思わずびくっとする。


 りあは床に倒れつつも、会長から目を離さない。同時にりあの手に握られていたシャープペンシルが床に落ちる。

 会長はそれをひょいと持ち上げてわたしに見せつける。


「これに毒が塗ってあるんだね」


 そう呟き、それを将棋盤の上に置く。


「……塗ってない」


「声が震えてるよ。塗ってあるんだね」


「……塗ってないっ」


「じゃあ」


 声を張り上げる。会長の目にはもう疑いはない。

 確信しかなかった。


「確かめてもらおうか! このシャープペンシルを、舐めてさぁ」


 彼の瞳が、妖しくわたしの体を舐め回すかのように見る。逃げ道など存在しないと宣言するように。


「……必要ない」


「いいや。必要はある。ここに不正があったのかどうか確認するためにさ。なんだい、舐めたくないということはこのシャープペンシルに毒が塗ってあるってことを認めてしまうことなんだよ! さぁ!」


 手が震える。わたしは、ゆっくりと将棋盤の上のシャープペンシルに手を伸ばして……。

 掴む……。満足そうに会長がそれを見つめている。


「舐めろ」


 舌を、伸ばして……。

 シャープペンシルに、舌先を触れさせた。


「ッ」


 のけぞる。


「ッ」


 息が詰まる。

 絞り出すように声を出す。

 それは悲鳴も出ないという風に。

 喉をかきむしる。

 床にうずくまる。

 助けを求めるように床を這いずり回る。


「……が……は……ッ」


 じたばたと足を動かす。

 また、床の上を暴れる。

 将棋盤からだんだん離れる。

 それさえも気にしないという風にわたしは喉をかきむしり、暴れていた。


「はははっはははっはははっ! 何が毒を塗っていないだい! じゃあ今の醜態は何だってんだい? はははっはははっははは!」


 笑う。

 嗤う。

 嘲笑う。


 依然、わたしは床の上で暴れていた。

 床をひっかき、足を空中に彷徨わせ。

 シューズがわたしの足から離れ。

 将棋盤に、こつんと当たる。

 会長は馬鹿みたいに高笑いを続けていた。


 だが、それが止まる。


 なぜか。


 それは。


 

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