023 過去に沈む
曖昧な記憶が閃光のように脳内を駆け巡る。
いつの記憶かもわからない幼い記憶。まともに映像として記憶さえできていない。もはや、文字と感情でしか思い出せない幼い記憶。
男の子が、泣いていた。アタイの小さい頃の話だ。
アタイは孤児院の出身で、そこでは能力者育成が盛んだった。注射で怪しげな薬を打ち込んで、耐えられる奴だけ厳選していく。
狂った環境の中で生きてきたアタイは完全におかしくなっていた。人殺しに快楽を見出すようになっていた。
それは、人を殺す時に得られる心の苦しみと、注射により薬を流し込まれて起こされる苦痛が似た痛みを伴っていたからだ。だからアタイはそれらを同じ痛みだと錯覚し、それがなければ生きていけなくなった。
長い間注射を打ち込まれてきたんだ。それはもはや中毒になっていた。だからアタイは、人を殺すことでしか生きていけなくなった。
それでも、アタイをギリギリで理性の淵にとどまらせている人間がいた。それは初恋の男の子だった。
もう、思い出せもしない。
そこにいたということ以外は思い出せない。
良い子だった。人を殺すことに苦しみを感じ、薬の苦しみに毎晩悶えていた。体中を掻きむしり、血がにじむ程歯を食いしばり、目は充血し、やせ細っていた。
それは孤児院の誰もが一緒だった。
誰にも救いなどなかった。
彼には、救いが必要だった。
だから……。
泣いている男の子を。
アタイは殺した。
彼がこれ以上苦しまないように、一思いに。
最期の表情も覚えていない。彼がアタイを憎んだのか、それとも感謝してくれたのか。
知らない。
知る手段はない。
その記憶は、その出来事は、アタイの脳裏を蝕むみたいにずっと張り付いていた。アタイの体中に潜み、トラウマとはまた違う、アタイという女がどういう女なのかを決定づけるようにずっとずっと残り続けていた。
いくら体が大きくなっても、いくら知識を増やしてもそれが消えることはない。
そうして。
そうしてアタイは、あの子に会ったんだ。人形みたいなのに、心に熱いなにかを宿しているあの女の子に。
……だれ、だっけ
……大切なことのはずなのに、ぼやけている。
……無理矢理蓋をされているみたいに。
アタイも、あの子も同じ人殺しだ。だけど違うことがある。あの子が心の底から殺人を渇望していないところ。
アタイは殺さなくちゃ生きていけない。人を殺すことで寿命が延びるようなものだ。だけど、あの子は能力者として生きることを強いられているからこそ……自ら心を殺している。そんなひどいことを、当然のように受け入れている。いじめも、なにもかもすべてが自分の罪だと。
違うさ。それは、お前への罪でも罰でも何でもない。神様の不公平なお遊びなんだ。だからアタイは……
アタイは……?
●◯●◯●◯
ある日の昼休み。あの子のいじめのことをずっと考えていた。不当なものだと思って、ずっと誰がやっているのか確かめようとしていた。
人殺しがいじめ一つに必死になるなんて、側から見たらおかしいかもしれない。
だがアタイにとってそれは大事な問題だったんだ。彼女が一人になろうとしているのは、ただ誰も傷つけたくないだけだと……。アタイはそう感じていた。
廊下窓から外階段が見えた。複数人の生徒が戯れているように、一瞬見えた。だが、それにしては数がおかしい。それに一人、まるで階段から突き落とされそうになっているかのように……。
「あれ」
銀髪の、女の子だった。
彼女が、複数人に突き落とされそうになって……。
ぞくっと。その瞬間、アタイの体中の血が凍り付いたような気がした。
急いで外階段へと向かう。他に何も考えはない。他の奴らはぶん殴ってもいい。あの子だけは。あの子だけは助けたいと。
どうしてか、と訊かれたら。
彼女はアタイと違うからと答えるしかない。
外階段。邪魔な奴は殴り飛ばす。人をどかし、あの子のもとへと駆け寄る。彼女が、ぐらりと階段の手すりから外に落ちそうになる。他生徒に押されたせいで。
彼女はアタイを見ていた。
どうしてここに、という顔で。
だってアタイは……
「アンタを助けたいから!」
手を伸ばす。
彼女も手を伸ばす。
ぐっと。そうして二人の手はつながった。
「わたしは、罰を受けなくちゃいけない」
強がるみたいに彼女は言う。
「だけどそれがあんな一方的な暴力を受けることかよ。違うだろ」
「他に……方法なんてない。罰を受けるのは、ああいうこと……」
それは自己防衛だ。
誰も傷つけたくないから、自分だけが傷つくようにしようとしてる。だけどそんなのは幻で、思い込みだ。
だからアタイは。
彼女の頭に、思いっ切り頭突きをする。
がぁん、と頭に響く。
彼女は急な事柄に、目を丸くして呆然とする。
「なん……で」
「痛みなんてな、共有することだってできる。頭突きをすりゃあ、アタイもアンタも痛い。お互いにその痛みを知ってる……。それでいいじゃねぇかよ。ただ側で、自分の罪を知ってる人がいりゃあ」
彼女はひとりぼっちであろうとした。でもそれは、彼女を満たすことはない。救われることはない。
アタイにだって、彼女の苦しみだったり気持ちを完全に理解することなんて出来ねぇ。でも、側にいることはできるんだ。その痛みを共有しようってすることはできる。
アンタのその胸の内に秘めた熱い気持ちが凍ってしまわないように。
「何度も拒絶した」
「ああ」
「何度も貴女はわたしを助けようとした」
「ああ」
「今も」
「大したことじゃねぇよ」
「大したこと」
彼女の目じりから一筋の雫が零れ落ちる。
「わたしは、貴女に救われてしまった。貴女のその、しつこすぎる絡みに触れているうちに、貴女がいることに慣れているわたしがいた」
彼女の表情は、それでも動かない。
でも、気持ちは伝わる。
「こんな、いまごろで悪いけど」
彼女が、はじめてアタイをまっすぐに見た気がした。
「わたしと、友達になってほしい。りあ」
「ああ。勿論だぜ…………」
「ユリカ」
意識が戻る。頭がぐらぐらと痛む。
あの日の、頭突きを喰らった後みたいに。
目の前の景色がはっきりする。
ユリカが、頭を押さえて『やっぱり痛い』とかなんとか呟いている。あの日と立場が逆になったみたいに。いや、逆だ。
「迷惑かけちまったみてぇだな、ユリカ」
「大丈夫。むしろ」
彼女は言う。
「やっと恩を返せたって思う」
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