008 祭りの後に

 草むらからすっと顔を出す。ナイフを着物の袖に入れなおして、ふぅっと一息。くらりと目が回りそうになりながら、意識を必死に現実につなぎとめる。

 途中、木に片手をつき息を整える。


 どうして?


 分かってる。


 これが正しいと思ったから。


 自問自答する。答えなんて決まってるはずなのに出てこない。頭の中にずっと靄がかかっているような曖昧な景色。屋台の明るさがまぶしすぎる。何も見たくない気さえする。


 無理矢理足を動かす。はやく、タクシーか何かを見つけて乗ろう。そう思うわたしのもとに、三人ほどの若い男が近づいてくる。作業着姿の彼らに、見覚えがあった。前の人間狩りの時に死体の後片付けをしていた人たちだ。間違いない。

 彼らはわたしの目の前に立ち、顔をじっと見つめる。皆無表情だ。多分、下部組織の人間だろう。首筋にバーコード型の痣が見えた。


「舞園由梨花副会長ですね」


 男のうちの一人が言う。

 わたしはきっと不快そうに彼らを睨みつけていただろう。それに何の変化も示さずに男は辺りを見回す。


「少々お時間は早いですが、お仕事ご苦労様です。無能力者の始末はさぞご簡単でしたでしょう」


「見てたの」


 男は何も言わなかった。

 それは肯定と受け取れた。


「見張っていたの」


「もしも能力の暴走で多くの死者が出た場合、その始末をするのは我々下部組織の人間です。よって、できる限り素早く行動に移せるように、常に二、三人の監視をつけています」


 わたしの片手がぴくりと蠢く。きゅっと握りしめるように力を込めて、震えを止めようとする。


「知らなかった」


「舞園副会長は優秀ですから。お世話になる機会もほとんどありませんし」


「お褒めの言葉ありがとう」


 抑揚のない男の台詞に礼だけ言う。

 返事はない。

 どうでもいい。


「さきほどの手際。関心致しました」


 男のうちの一人がとろけるような声で言いだした。


「二拍手したかと思えば男の体が痙攣し、そして素早く後ろに回る。そのまま袖からナイフを抜き、首をパックリ一筋。血が噴き出してもこれなら返り血を浴びることはございません。なかなかの腕前です」


 恍惚と口早にそういう風に言い出す。

 あとの二人も同意見の様で、頷いている。

 あまり長居するのもまずいだろう。

 人に見られて気持ちのいい光景じゃない。


「うまくできてた?」


「えぇ。とっても」


 下部組織の人間の言葉にわたしは満足する。

 それならよかった。


「死体は分かりづらいように草むらの陰に蹴り落したから。斜面になってるから見つけにくいかもしれない。こんなに暗いし……」


「ご安心を。他の誰かに見つかる前に、いち早く発見して見せます」


 三人はそう言い切って、草むらの方に走って向かう。わたしはその後ろ姿を見送って、道路の方に向かう。

 夜だと言っても第七区。むしろ昼より活発に車が走り続けている。行きかう光の中に、タクシーのランプを見つけると、わたしは片手をそっと上げる。


 すぐに一台のタクシーが止まった。

 扉がひとりでに開く。

 わたしはそちらにちらりと視線を向けて数秒待つ。

 そして、中に入り席に着く。


「お客さん、どこまで」


「青葉学園女子寮星海寮」


「へいへい」


 運転手のおじさんが、よぼよぼの声でそう答える。料金メーターをちらりと見つつ、ルームミラーに目を向けた。



「え⁉ えっと……」


 運転手の声に、すなぎもが困惑する。

 彼の声を遮り、わたしは言った。


「出来るだけ、遠くへ」


 わたしは自分の財布を取りだし、中から銀行カードを取り出す。それをすなぎもの手に強く握らせた。


「お金は此処にある。好きに引き落として。暗証番号も今教える」


 わたしはそう言って、彼に口頭で伝える。未だ状況が飲み込めない彼は首を傾げたままだ。

 当然。

 わたしだってついさっきまでこんなことをするなんて考えていなかった。ずっと、ずっと悩んでいたから。


「あの、説明してくれねぇっすか? なんであの人たちには俺が死んだように見えたんすか。あの人たちの目的は何で、由梨花さんは……」


「すなぎも」


「はいっ」


 思わず大きく返事をする。

 わたしは彼を、強く抱きしめる。

 感覚をしっかりと確かめるように。

 そうして、一度離れる。

 あんまり長く抱き着いていると、離れたくなくなってしまう。だから、これで終わり。


「手短に話す。貴方は今夜、命をねらわれる」


 ●◯●◯●◯


「能力者育成、そして無駄な能力者の排除のため、定期的にこの学園都市では間引きとして『人間狩り』が行われる。今月のターゲットの一人が貴方」


「人間狩りって、そんな簡単に……」


 能力者の存在自体は公になっているから彼だって知っていただろうけど、その内容があまりにショックだったらしい。


「失望した……? わたしがそういうことをする女の子で」


「……いや。失望はないっす。いま、こうやって俺を助けてくれようとしてくれてるのは分かるんで」


 その言葉に、わたしはすこしだけうれしくなってしまう。理由は、考えないようにする。


「由梨花さんの能力は?」


「わたしのはシンプル。でも、活用は割と難しい」


 すっと彼にわたしの手を見せる。何の変哲もなさそうに見えるだろう。


「触ってみて」


「えッ」


 わたしの言葉に彼はぴくりと動きを止める。だけど、緊張しながら恐る恐る指を伸ばし、触れた。彼の指が、わたしの指をゆっくりと撫でる。そうして、息を飲んだ。


「小さな無数の凹凸……」


「うん、これは自在に動く」


 わたしはくにくにと手を動かす。するとその凹凸はなめらかに動きを変えながら揺れ始める。

 すなぎもは感嘆の声を漏らす。


「この凹凸の変化によって、手を叩くとその音の響きが変化する」


「はぁ……それが……?」


「わたしのチカラは、その凹凸の変化を利用し音の響きを変えて、二拍手を聞いた人間に暗示をかけるの。一種の催眠術みたいで、それで幻を見せる。錯覚させる……と言っても、自分の能力ながらそんなに詳しくはない。こういうものだって、イメージしている」


 わたしの能力は、耳に届く情報を操作することにより脳にバグを起こさせて視界の情報さえ誤解させる能力。

 音が響く範囲の人間にはその効果はバツグンだ。


「なるほど……。それであの人たちに俺を殺したように見せかけたんすね。ナイフ突き立てられたときは何かと思ったぁ……」


 力なく笑いながらもタネが分かって心に余裕が生まれたみたいだ。ただ、そこで新たに首をひねり始める。


「あれ……? だったらどうして俺にはそれが聞かなかったんすか?」


「簡単。聴覚が誤解しても、視覚と触覚がその事実を認めていないから誤解できなかった」


 すなぎも自身は自分が殺されていないことを知っている。だからこの術が効かなかった。


「これの弱点は初見殺しの技ってところ。能力の正体を知られて耳をふさがれてしまったらおしまい。だから二度目は通じない」


 自分に言い聞かせるようにそう言う。

 この能力は何も知らない人間にとっては凄まじい脅威と化すが、生徒会の人間にとっては周知の事実で、簡単に対処されてしまう。


「だからすなぎも。これから生徒会の人間に会ったらひたすらに逃げて。絶対に戦わない。とがみ先輩も、さいおんじさんも、りあも戦闘特化の能力だから戦えば分が悪い。何の能力もない貴方じゃ、すぐに死んじゃう」


 すなぎもの手を握り、そう言い切る。

 汗ばんでいる。

 わたし自身も、恐れている。


「特に生徒会長。会長の能力は未だに分からない。だれも、その正体を知らない」


 だれにもわからない。

 それは誰にも知らせないから。

 だからこそ、生徒会長は生徒会長なのだ。

 だれにも負けないから。


「いい? 隣の県に逃げたらもう数県またいでもいい。この学園都市から逃げ出せばほとんど人間狩りの対象外だと思うけど、できるだけ遠くに逃げた方が安全」


「由梨花さんは」


 彼は、わたしをじっと見つめている。

 わたしのことばかり考えて。


「由梨花さんはどうするんですか」


「学園に戻る。二人一緒より、一人の方が逃げやすい。身も隠しやすいし、荷物も少ない。わたしが時間を稼ぐ」


「でも」


「他のことは考えなくていい」


 怒鳴るように。

 縛り付けるように。

 彼はそれでも泣きそうな顔をしている。


「どうして」


 ああ。そんな顔をしないで。

 そんなに目に涙をためて。

 苦しそうな顔をしないで。


「どうして、由梨花さんがそんなことするんすか」


 生徒会の人間としてこの行為が規則から外れることは重々承知だ。帰ったら何をされるかわからない。もしかしたら、殺されちゃうかもしれない。いろんなことを知りすぎたから。


 でも、すなぎも。

 怖くはない。

 不思議だけど、それが怖くはない。

 だってそれは。


「だってそれは」


 精一杯わたしは笑う。

 やっと気付けた、自分の本心に。


「友達を守りたいから」


 学校生活の中で、わたしは彼をずっとストーカー扱いしていた。実際、彼はストーカーで、変態で、盗撮もする。犯罪すれすれをギリギリで渡るギャンブラーともいえる。


 それでも、この学校生活でりあと、彼と、わたしは、なんだかんだ一緒に過ごしてきた。わたしとりあが遊びに出かけると、追いかけてきたりもした。りあがすなぎもをからかうこともあった。


 もっと早く気付けることだった。

 わたしは人形になり切れなかった。


 わたしはなりそこないだ。

 感情を、断ち切れなかったから。


 タクシーの運動が止まる。わたしは扉を開いて車内から降りようとする。


 袖を彼が掴んだ。目は、『行かないで』と訴える。

 わたしはそれを、力いっぱい振り払った。扉を閉める。彼は呆然とわたしを見ていた。多分、体が動かない。動きたくても、今は動けない。だから精いっぱい、わたしは彼のために口を動かすのだ。最期の言葉を伝えるために。


 それは彼のこれからの旅路へのメッセージ。


 「長生き、してね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る