007 夜の華
「射的……」
りんご飴の甘味で口の中が天国。長らく得てこなかった糖分を一気に取り込んでる感じで、これは良いかも。そう思いつつ口をついて出たのは、新たな望みだった。
子供達の騒ぐ声と共に、ぱふんっと物の倒れる音がする。射的屋から聞こえてきたのは間違いない。屋台の方を見れば、熊の大きなぬいぐるみや最新のゲーム機、プラモデルにモデルガンなどさまざまな景品が並んでいる。
「射的。盗撮で培ってきた動体視力があるんで得意ですよ」
盗撮って認めちゃった。
そこは最後まで否定し続けて欲しかったのに。
彼はぐるぐると腕を回す。
「百発八中の砂肝和一に任せてください!」
ダメじゃん。
期待はあんまりしないでおこう。
射的屋に近づいていくと、人が何やら集まって挑戦者を見守っている。だけど、なんだか騒がしい。まるで揉めてるみたいに……
「だ、だからっ……! どうして射的銃を直接しょ、商品にぶつけてお、お、落としたら駄目なんですかぁっ⁉︎」
おどおどしつつも、妙に強気な口の悪い声が聞こえる。可愛らしい声に反して、滅茶苦茶なイチャモン。
「だからお嬢ちゃん……射的ってのは銃で撃って景品を落とすもので……」
「で、で、でもおじさんは銃で景品を落とすんだよって最初に言いましたよね。つ、つまり銃を景品にぶつけて落とすことも正当化されるんですよ。はい論破ー。言い負けた理由を明日までに考えておいてくださいっ!」
すごいめんどくさいクレーマーみたいになってる。
もしやと思って確認すると……
薄黄色のカーディガンに、大人しめの色合いのワンピースを来た眼鏡っ子……西園寺あずさだった。
彼女は店主と言い合ってたけど、ふとわたしに気が付くと素早くそばに近寄った。一瞬で。
「き、き、きいてくださぁい……先輩。あの焼畑農業に従事して疲れ果てて肥溜めに身を落としたみたいなみすぼらしい服装をしている射的屋の死にぞこないがですねぇ……」
語彙力の無駄遣い。
愚痴をわたしにえんえんと言い続けてくるし、えんえんと続けて泣き始める。よしよしと背中をとんとん叩きながら泣き止むのを待つ。
「あれ、先輩。その男の人は」
「えっと……」
「こ、ここ、恋人ですか⁉ 先輩はわ、私と同じで大人しめの人だと思ってたのにぃ。男にはアグレッシヴなんですかぁっ」
さいおんじさん。貴方は十分アグレッシヴ。
「うぅうう! 私も彼氏が欲しいですぅぅぅぅ。結婚したい。彼氏の金で豪遊したいいいいい」
「欲望に従順すぎる」
「ゆ、愉快な人っすねぇ……」
言葉に困りつつすなぎもが評する。
「あーあっ。射的うまくいかないし、とがみ先輩はガチムチ写真押し付けてくるし、先輩は彼氏といちゃらぶデートだし! い、い、いいですよ! 私は今日屋台の店主を煽って夜を過ごしますよぉっ! おやすみなさい!」
涙をためて、うわぁあんと可憐な少女みたいに上品に泣きながら嵐のように去って行った。残されたわたしたち二人は顔を見合わせる。
「誤解しないであげてほしい。悪い子じゃない。口が悪いだけで」
「ま、まぁ……。分かってますから」
頭がちょっと悪いだけ。
口もちょっと悪いだけで、資料作成とかも丁寧……。
射的では、結局すなぎもは小さなストラップしか落とせなかった。奇跡的に当たったそれは、特別可愛くもないウサギのぶすっとした顔。でも、それなのに非常に愛らしく感じた。
風船も、型抜きも、すなぎもと一緒に回った。これ以上はないというくらいに遊びまわったと思う。
すなぎもは変な所で器用なようで、型抜きも速く、丁寧に切り抜いていた。自慢げにわたしに見せる姿は、普段の彼と少し違ってわたしが彼の一面しか見ていなかったことを改めて感じさせた。
遊び疲れて、それなりの時間が過ぎる。二人とぼとぼ他に遊んでいない場所がないか探していると、周囲の人々の口から『花火』という単語が聞こえた。もうすぐ上がるらしい。
「花火ってみたことありますか」
するとすなぎもがそんなことを言う。
わたしは、記憶を随分と昔までさかのぼって、ようやく二度くらいの経験を引き出す。
「俺、実はないんすよ」
実はと言われても意外性もない。
そうなの、と相槌を打つ。
「去年も夏祭りはあったはず。来なかったの」
「まぁ……あんまり興味ありませんでしたから」
わたしは二本目のりんご飴をぺろぺろと舐める。小さな子供みたいに、その甘さに驚いたり、落ち着いたりしながらなくなるのを恐れて少しずつ食べる。
「すなぎもは祭りとか好きじゃないの」
小さくつぶやく。
『え?』とすなぎもは驚き、足を止める。
不意打ちだったみたい。
「今日、夏祭りよりずっとわたしのことばかり気にしてるから」
「そんなに、気にしてたっすか」
「……うん」
屋台に目を向けながらも、意識はずっとわたしに向いていたと思う。それは自意識過剰とかじゃない。わたしの視線に合わせて彼は話題をよく変えていた。だから、多分間違いないと思った。
彼は恥ずかしそうに顔を赤くする。
「いや、祭りが好きじゃないわけじゃないですよ」
そして、消え入るような小さな声。
「祭りより、由梨花さんの方が輝いてて、きれいで」
すなぎもは言う。
「なんだか、いつもと違って」
花火が、上がった。
「楽しそうだったんで」
大きな音が響く。すなぎもがその音に吸われるように視線を向ける。わたしも同じように夜空を見上げた。
月はない。
星はある。
空いっぱいの星の海が。
河原の方面から花火が数発上がる。
弾ける火薬の花は綺麗だ。
血に濡れてもいない。
まっさらだから。
わたしと違って。
「本当は、今年由梨花さんを夏祭りに誘おうと思ってたんです。真宮寺さんにも相談したりして」
りあの言っていた『夏祭り』とはそういうことだったのか。彼の鞄に入っていたチラシのことも納得がいく。
「でも、俺ってまぁストーカーですから。やっぱやめようって思ってたんですよ」
それは自分を納得させるように。夜空に新たな花火が咲く。それはまるで希望の花みたいに優雅に。
「でも、由梨花さんが俺を誘ってくれた」
かみしめるように呟く。
それが極上の幸せなんだと声色が物語っている。自分が望む以上のことが訪れていると感謝するように。
「俺、今日のこと絶対に忘れねぇ」
ギザギザとした歯を大きく見せる。
「死んでも忘れねぇ」
花火の音。耳にいつまでも残るような哀しげな音。
すなぎもは、すがすがしそうに笑っている。やり残したことはないような、きれいな顔だ。わたしが今まで見てきた中でこれほどのものは他に見たことがない。生の喜びにあふれていながら、死を拒む気持ちは何処にもない。
これなら。
これならきっと、今日死んでも彼は何も悔いはないだろう。
わたしの見たかった姿だ。
わたしの求めていた彼の姿。
嘘。
嘘をつかないで、わたし。
わたしの見たかった彼は……。
「ねぇ、すなぎも」
わたしは彼と距離を詰める。
そしてそのまま彼の手を掴む。
驚いて目を丸くする。
戸惑いつつ、声を震わせつつ。
「は、はいっ」
動揺を悟られないようにわたしは小さくつぶやいた。
「場所、移動しようか」
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