第二章 夏の夢
006 夏祭り
放課後。わたしは寮のりあの部屋にいた。
雑誌や空き缶が転がった粗雑な部屋だ。頻繁に足を運んで掃除をするけれど、次来た時には何故かまた散らかっている。りあ曰く『これは悪の組織の陰謀だ!』だと。
個人に地味な嫌がらせする悪の組織ってなんなのだ。
ただ今日はその掃除のために来たわけじゃない。
もっと別の用事で、わたしの友達ではりあにしか頼めない事……。
「おらっ! どうだきつく締まるだろ! アタイの帯締めは天下一品だぜ!」
戯言を吐きながらわたしの着物の帯を締める。正確には『借りものの着物』だけど。
「しかし夏祭りなんて今時わざわざ着物着るやついねぇよ?」
不思議そうにつぶやきながらもりあの手つきは手慣れている。どこでこんな知識を身に着けたのか気になるけど、多分昔のことは話してくれないだろう。それはりあにとって思い出したくない過去だろうから。
「でも夏祭りと言えば着物だって本に書いてあった。それに」
わたしは袖からひょいっとナイフを取り出して彼女にちらりと見せる。
りあは、『へぇ』と頷く。
「凶器が隠しやすい、と」
「そういうこと」
ナイフを再び袖にしまう。
りあがぱんっと帯を叩く。おしまいの合図らしく、着物姿のわたしに向けて指先で作った枠を向ける。その枠の中にわたしを収めるようにポーズをとる。
「うん。なかなかキマってる。上等だ。こりゃスナギモのやつ出会った瞬間卒倒するかもしれねぇ」
「大げさ」
「いやいや、そもそも美人なユリカが着物を着るんだ。破壊力は桁違い、こいつぁこの真宮寺の目を持ってしても読めなかった」
「どの真宮寺の眼」
真面目なんだか不真面目なんだかわからない感想を述べるりあは通常運転だ。りあは散らかった床に落ちているデジタル時計の画面をのぞき込む。
「もうすぐ六時だ。歩いて行っても今なら間に合うだろう」
満足そうにりあは扉へと向かう。わたしもちょこちょこと慣れない着物で動き始める。
ふいにりあはわたしの前で立ち止まる。部屋の電気をぱちりと消す。彼女の顔がよく見えない。
「本格的に人間狩りが始まるのは今夜十時だ。アタイはそれまで寝て時間を待つ。殺すなら早く殺しても当日だし、会長は文句言わねぇだろう」
「うん。分かってる」
「やるなら素早く、終わらせてやれ」
うん。分かってる。
「お前とスナギモ……ストーカーと被害者というには、仲が良かったからな」
仲が、良かった?
変態と戯れる日々がそう、りあにみえていたの?
まぁ……。
「そう、かもしれない」
でも、わかんない。
もしもこれが悲しいってことなら。
しりたくなんてなかった。
●◯●◯●◯
「由梨花さぁーーんっ! こっちです、こっち!」
第七駅の改札を出た柱の前にすなぎもは立っていた。いつもよりラフなその服装はゲームに出てくる雑魚のチンピラみたいだった。彼はわたしの顔を見つけるなり大きく手を振ってコミカルに動いていたが、わたしが着物を着ているということに気付くとその動きさえ止まった。
近づいてとん、と額を小突く。
「なに。みとれた?」
「はい! もうなんていうか、輝きに満ちていて……今まで見ていた由梨花さんもそりゃあ高嶺の花みたいに綺麗でしたけど……今日の由梨花さんはなんていうか……」
「なんていうか?」
「聖母」
真顔で言う。そんなに言われると口角が少し上がってしまう。ストーカーだからってそんなに褒めないでほしい。
「あ、写真撮っていいですか?」
「かまわない」
わたしが許可を出すとすなぎもは背中に背負ったバッグからカメラを取り出し、組み立て始めた。最近のストーカーは本格的な撮影にこだわるのかもしれない。
「由梨花さんには黙ってましたけど、俺学校で裏写真の取引やってるんですよ。健全な写真を同志に売るっていう簡単なお仕事で」
「それ世間一般では盗撮って言う」
「大丈夫です。お客様は喜んでます」
「被写体の許可」
「真宮寺さんにこの前撮った写真見せたら『なかなかよく撮れてんな』って褒められたんですよ」
「本人に見せたなら安心」
「いえ、十神先輩の生着替え写真を」
「りあは何をみてるの……」
「ちなみに十神先輩にも見せました」
「その度胸をもっと別の所に向けたほうがいい」
「十枚買ってくれました」
「うちの先輩は馬鹿だったのかもしれない」
「肉体美を見せつけるためにいろんな人に配るらしいです」
生徒会の人間はそんなに変人ばかりだったのか……。 まともな人がいないと思ってはいたけど、もっと常識的だと思ってた。
すなぎもはあらゆるアングルからわたしの着物姿を写真に収める。彼は生き生きとしていて、撮り終わるとカメラを抱きしめる。
「いやぁ……ありがとうございますっ! 一生の宝ものにします!」
「……そう」
すなぎもは腕時計をちらりと確認する。彼には何かスケジュールがあるらしく、その時間が想定通りだったらしく。
「それじゃ行きましょうか」
彼がわたしの腕を引っ張る。嬉しそうな彼の顔を見るたびに、満ちていくものと欠けていくものを心に感じる。動揺みたいなもので、彼の言葉に肯定の意志を投げかけるのにもわずかに時間がかかってしまう。
ああ、駄目だ。
わたしはなんてだめな女なんだろうか。
人ごみの中を二人歩いていく。手をつないだりはしないけど、はぐれないように距離は近い。
第七区の通りには様々な屋台が並んでいた。それは定番のたこ焼きとか焼きそば以外に、ケバブに激辛カレー、焼き鳥、お面屋、射的屋、型抜きなど様々。タコスなんかも売ってある。
普段栄養サプリメントで食事を済ませるわたしにとって、こんな見渡す限りに食べ物があるのは違和感を覚える。あたりに充満するソースなどの強いにおいが慣れていない鼻を刺激して、思わず顔をしかめてしまう。
「大丈夫ですか」
心配そうに眉を下げる。
「慣れてないだけ。あんまり人の多いところに進んでこないせい」
そう言って誤魔化す。嘘はついていない。
お祭りっていう場所だけでも、割とテンション自体は上がっている。ただ、慣れてないものが多すぎるというのも本当のこと。やけに心臓の動きは速いうえに、普段あまり動かさない表情筋をもにょもにょ動かすから顔に少々の違和感を覚える。
辺りは夜の薄明るい闇に、提灯やらの明かりが灯って風情のある温もりを感じさせる。人の多さ、楽しむ人々の声が心地よく感じる。時々走ってくる小さな女の子がわたしにぶつかる。そんな姿さえ愛らしい。
すなぎもは、あまりこちらを見てくれなかった。恥ずかしそうに顔をそらすことが多い。着物で来るのは失敗だったかもしれない。そう思いつつ、わたしは視線を屋台の方に向ける。そのまま、とある屋台に目が留まった。
「りんご飴好きなんすか」
わたしの見ているものにすぐにすなぎもが気が付く。わたしのことはすぐに分かってしまうみたい。
「別に好きってわけじゃない。そもそも食べたことがない」
「なるほど」
すなぎもは呟いてポケットから財布を取り出す。そして一直線にそちらに走っていきながらわたしに手を振った。
「ちょっと買ってきますねぇー」
そんな声がだんだん遠ざかっていく。後ろ姿をぼーっと見つめる。飴が店頭に何本か並べられており、どれも一緒に見えるのにどれを買おうか必死に悩んでいる。首を横に振って、一生懸命に選んでいる。
「……悪いストーカーじゃない」
知っていたことだけれど。
「うん? 舞園由梨花じゃないか」
聞き覚えのある低い声が聞こえた。振り返ってみると、片手に五箱の焼きそばとたこ焼きを乗せた甚平姿のとがみ先輩が立っていた。
「お前が祭りとはまた珍しい。いや、実は祭りマニアだったりするのか」
「ちがいます。祭りは久しぶり。先輩こそ珍しい」
とがみ先輩が夏祭りに来るのはイメージになかった。道場で竹刀をひたすらに振っているようなストイックな気がしていたからだ。もしくは妹さんの看病とか……。
「ああ。妹が夏祭りの焼きそばが食いたいと言うんでな。今さっき買ってきた」
ひょいっと焼きそばを見せつける。たっぷりとソースの絡みついた太麺が明かりに照らされて輝く。どっぺりしそうだけど、食べたくなる気持ちはわからなくもない。
「あとは金魚すくいに射的、水風船もか。土産をたくさん持って帰るんだ。今日の夜中から明日にかけては人間狩りでかまってやれんからな」
ははは、と豪快に笑う。
ええ、そうですねと返したつもりだったが声が出ない。
「なんだ? 大丈夫か」
「……平気。……ちょっと、疲れてる、みたい」
かろうじて声が出る。
「……無理はするなよ」
とがみ先輩がやさしく声をかける。先輩も妹に対してはこういうやさしい声をかけるのだろう。
「そうだ。元気が出るようにプレゼントだ」
先輩はあいている片手を甚平に突っ込み、写真を取り出す。そして自慢げにわたしに見せつけてくる。
「あ……」
ムキムキ先輩、生着替え。
筋肉のテカリ具合、角度、血管の浮き上がり具合、汗のきらめき。すべてが完璧なバランスでとられた奇跡的な筋肉写真。
「どうだ。大傑作だ」
後輩に自慢げに見せる写真じゃないだろう。
アングル的に盗撮です、それ。
「二枚やろう」
「いらない」
「どうしてだ⁉ 妹は五枚嬉しそうに受け取ってくれたぞ‼」
妹さんもブラコンだった……。
「なら、これをやろう」
甚平の中からダンベルが飛び出す。
「遠慮する」
「それならばこれはどうだ」
甚平の中から筋肉育成ギプスが飛び出す。常時持ち運びするものじゃない。
「だめか」
顔に出てしまっていたらしい。
「ま、それなら良い。ああ、それと……砂肝和一という男が今どこにいるか知らないか」
心臓が、飛び跳ねた。
思考が吹き飛ぶ。
「知らない」
知っているのに。
わたしのためにりんご飴を買いに行っているのに。
「そうか……。人間狩りの前にせめてもう一度写真の礼をしとこうと思っていたんだが……致し方ない」
残念そうにダンベルとギプスを甚平の中にもどす。
そしてふぅっと息を吐く。
「それじゃあ俺は金魚を救いに行ってこよう。セーブ・ゴールデン生魚」
馬鹿なことを言いながら気合を入れなおし、とがみ先輩は金魚すくいへと歩いていく。
その姿に、胸をなでおろす。
どうして?
先輩に知ってほしくないから。
それはどうして?
だってそんなことをしたら。
すなぎもが死んでしまう事が。
事が。
事が……?
「由梨花さぁーん!」
りんご飴を片手にすなぎもは犬みたいに駆け寄ってくる。くいくい、と小さく手を振る。
袖に隠したナイフがやけに重く感じた。
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