004 憂いの夏と
青葉学園の正門を出てすぐにある長い階段をわたしは下る。学生鞄を両手で真正面に持って、静かに歩き続ける。定例会はあの後すぐに終わったけれど、なかなか帰る気になれなかった。
足取りは、重い。
人間狩りは、能力者であれば生徒会の包囲網をかいくぐり逃げることは不可能じゃない。
だけど、それが無能力者となれば話は別。
確定された死だ。
「りあは、知ってたの」
わたしは小さくつぶやいた。
並んで歩く彼女はいつもに比べて静かだった。
「スナギモのことか」
問いに小さく頷く。彼女はちょっと腕を伸ばしながら、言いづらそうに答える。
「知らねぇけど、まぁ無能力者かもしれねぇ……くらいは。いつかは人間狩りの候補にあがるかもしれねぇってことは、まぁアタイは思ってた」
「……殺すの?」
思わずつぶやいていた。りあは、わたしにやさし気に目を向ける。母親みたいなそんな顔をして、しょうがなさそうに頭をくしゃくしゃと撫でる。
「殺すさ。規則だからな」
言葉に迷いはなかったけれど翳りを見せるその声色。
多分、彼女はその言葉通り人間狩りが始まればすなぎもを躊躇いなく殺す。
わたしもそうするべきだ。それが規則だから。
それにあんなストーカーが死のうが、わたしには関係ないはずだ。彼女にとっても知人だったけれど、だからと言ってそれを人間狩りにまで持ち越しはしない。
「嫌か」
りあが言う。
嫌?
そんなはずはない。わたしはすなぎもが好きじゃない。
たとえ死んでも次の日にはいつも通り学校に出てこれるはずだ。
「……戸惑ってるだけ。思いがけなくて混乱してる」
うつむいて階段を見た。石の階段にはところどころ傷が入って、そこには少しだけ拭いきれなかったであろう過去の人間狩りの痕跡が残っていた。
消えかかった薄い血の色。
不自然なへこみ。
よく見ないと分からないはずのそれが、やけにはっきりとわかる。
「混乱……か。まぁそうだな」
納得していない口ぶりだった。りあは多分わたしの中のこの不自然な感情の正体を知っているんだと思う。
だけどそれをわたし自身が知る必要はない。
わたしは規則に従うだけ。
砂肝和一を殺すだけ。
「もう大丈夫」
呼吸を乱しながらわたしはりあを見た。
迷いなんてない。
あっていいはずがない。
なのにどうして。
りあ。
りあはそんなにつらそうな顔をしているの?
「人間狩りは明日だ。一日は猶予がある。今日はとりあえずゆっくり休んで寝ろ」
自分の中にある想いを抑え込むみたいな力強い力でわたしの頭をぐしゃぐしゃと撫でる。
首が大きく揺れる。いたい。
「やめて、りあぁ……」
「はっはっは。ユリカは可愛いな。スナギモが惚れるのもよくわかる」
彼女が大きく笑う。わたしもくすりと笑ってみる。ぎこちない苦笑いになってしまった。
わたしとりあの二人だけの会話なのに、脳裏にはずっとすなぎもが張り付いていた。
蹴り倒したすなぎもの顔。
嬉しそうなすなぎもの顔。
憂いを帯びた夕焼けの中の顔。
わたしは彼をどれだけ知っているだろう。
彼がわたしの人間狩りを知らないように、わたしも彼のことを知らないのだろうか。
だめ。どうしてこんなにあの変態のことを考えてるの。
馬鹿馬鹿しい、人形にはふさわしくない思考ばかり。
「ねぇ」
吹っ切れ。
明日に殺す命の為に、思考を裂くことは良いことじゃない。無駄でしかない。なのにわたしの口は勝手に動く。
「夏祭り……いつ」
「ん? 明日だけど……」
当たり前のことのようにりあが呟く。次の瞬間、彼女の眼が丸く開かれ、わたしを愕然と見つめた。
わたしの考えがわかったみたいだ。
自分自身でさえ思考が読めないというのに。
「おまえまさか」
「うん。夏祭りデート」
何故だろう。せめて最後に、すなぎもの喜ぶ姿が見たいと思ってしまった。
うん、最期に。
「そのあと、わたしが彼を殺す」
懐から小型のナイフを取り出してりあに見せる。
夕焼けを反射するそれは、禍々しい地獄の色をしていた。
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