第16話 窮地

 大勢の足音が夜の街に響いている。

 ガチャガチャと鎧が擦れる音をかき消すように男たちの怒号が飛び交う。


「あの偽聖女め! 良くも我らを騙してくれたな!」

「貴族子弟で揃えられた聖騎士が、偽聖女に顎で使われていたのだと思うとハラワタが煮えくり返ってくるわ」

「さっさと捕まえるぞ。偽聖女には我ら聖騎士の聖なる剣をくれてやらんとなぁ」

「全員分の剣で刺し貫かれるころには、聖女を名乗った偽物も心を入れ替えて我らに奉仕する娼婦になるだろうな」

「くくくっ、泣き叫ぶあの平民娘の姿が今から目に浮かぶわ!」

「くそっ、どこにも居ないぞ! どこに言った偽聖女め!」

「探せ探せぇーっ!」


 神に仕える騎士とは思えないほど下劣な会話を繰り広げながら、聖騎士たちは街中を血眼になってアリスを探す。

 だがどれだけ探そうともアリスたちを見つけることはできなかった。

 聖騎士たちの怒号が飛び交う夜の街の中で物陰に隠れていたノアは、背後に居るアリスに声を掛けた。


「ふぅ……何とかけたみたい」

「ん。でもこんなことになるなんて」

「仕掛けてくるなら国外に出た瞬間だと予想していたけど。まさか王都に居る間に仕掛けてくるなんてね」

「……私の存在ってそんなに邪魔なのかな?」


 孤児でありながら女神から加護を得た。

 女神の期待に応えたくて。

 両親を兇獣に殺された自分のような者を少しでも救いたくて。

 頑張ってきていたはずなのに。

 それなのに王太子から国外追放を言い渡され、更には命を奪うための追っ手が差し向けられている。

 自分の何がそれほど邪魔だったのだろうか?

 内罰的なそんな想いがアリスを苛む。


「権力者たちの椅子取りゲームに巻き込まれただけよ。今まで貴女が為してきたことにもっと自信を持ちなさいな」

「うん……」

「ほら、そんなに暗い顔をしないで。貴女は決して間違ってない。それはあたしが保証するし、きっと地母神マーヤ様もお認めになっているはずよ」

「……うん。そうだね。マーヤ様とノアちゃん、二人に認められているのならそれで充分だね。なんだか少し元気が出てきたよ」

「良かった。それじゃ、あいつの居る宿までもう少し。気を抜かずに行くわよ」

「うん!」




 アリスたちが聖騎士たちの捜査網をかいくぐり、街中を移動していた頃。

 宿の中ではミカとルーの二人が剣呑な表情で睨み合っていた。


「ふっふっふっ……ルー。こんなにも早くあなたと雌雄を決することになるとは思いも寄りませんでしたよ」

「ミカは光の天使。ルーは闇の天使。相容れないのは当然のこと」

「覚悟はできているということですね」

「当然。ミカに負ける気はない」

「それはこちらの台詞ですね。ではルー。正々堂々、恨みっこなしですよ?」

「ん。そっちこそ負けてめそめそ泣く準備をしておく」

「ムカーッ! その言葉、宣戦布告と受け取りましたよ! そんなことを言われたらラッパを吹くしかありませんねえ!」

最終戦争ラグナロク、はじめる……っ!」

「最初はグーッ!」

「じゃんけんぽん……っ!」


 物騒なやりとりを繰り広げながらはじゃんけんを始める二人。

 そんな二人の様子を眺めていたシロが小首を傾げる。


『ねえねえご主人様。ミカ様たちはどうしてあんなに真剣に争ってるの?』

「んー……どちらが俺のベッドで寝るのかを決めようとしてるっぽい」

『そうなの? でもご主人様と寝るのはシロだよね?』

「ああ。シングルベッドだしな」


 宿で借りている部屋はシングル一つとツインが一つ。

 どれだけ二人が争おうが、シングルベッドで寝るのは俺とシロだって何度も言い聞かせたのだが……。


「話、聞いてくれないんだよなぁ……」

『ふーん。……あれ?』


 耳をピクンッと動かしたシロが窓の外に顔を向けた。


「どうしたシロ」

『うん。なんか街が騒々しいなって。人がたくさん走ってるみたい』

「人が? ちょっと調べてみるか」


 シロの反応が気になって『世界地図』のスキルを使用すると、目の前に半透明のウィンドウが展開された。

 そのウィンドウには王都の全体図が表示されていたのだが――。


「なんだこれ……ミカ、ルー! ちょっとこれを見てくれ!」

「むっ。ルー、ご主人様がお呼びです。ひとまず休戦ですよ」

「ん。分かった」

「で、ご主人様。どうかされました?」

「ああ。表示された地図を見てくれ」

「どれどれ……おや、これは」

「白丸マークがたくさんあるね」

「白丸はご主人様にとって中立な人物のマークですけど……」

「そうなんだけどさ。夜も更けてきたこんな時間に、こんなに多くの人が外に出てるって何かおかしくないか?」


 この世界は魔道具を除くと夜の闇を振り払うために火を使っている。

 ろうそく、ランタンなどが主な照明器具だが、それなりの金額がするために濫用されることはない。

 日が昇ると同時に活動を始めて日没と共に家に籠もる。

 それがこの世界の一般的な日常サイクルなのだ。


「酒場に行く人たちも居るとは思うけど、この数は尋常じゃない」

「ひぃ、ふぅ、みぃ……王都全体で千は居るみたいですね」

「何かの異常事態があったと判断できる。シロ、耳を澄ませて言葉を拾って」

『やってみる!』


 ルーの要請に頷きを返したシロが、窓の側によって耳をピクピクと動かした。


『んーと……鎧の擦れる音がたくさん。あと、アリスとノアの悪口がたくさん聞こえてくるよ』

「アリスたちの? ……つまり何かあったってことか」

「あ……! ご主人様、『地図』を見てください! 青丸マークがありますよ!」

「ほんとだ。もしかしてアリスたちか?」

「青い丸を指で触れれば詳細が確認できる」

「やってみる」


 ルーに言われた通りにマークを指で触ると、アリスとノアの簡易的な情報が表示された別ウインドウが展開された。


「間違いない。アリスとノアの二人だ。もしかして追われている?」

「どうやらそのようですね」

「でもアリスって聖女なんだろ? なんで追われてるんだ?」

「理由は分からない。だけどシロが二人の悪口を拾ってる。つまりこの中立マークのやつらはみんなアリスたちの追っ手と考えるのが妥当」

「追っ手だって?」


 苦しんでいる人を、悲しんでいる人を支えようとアリスは頑張っていた。

 その姿を俺は見ている。

 そんなアリスに追っ手が掛かり、殺されようとしているだって?


「意味が分からない。なんだってアリスが……」

「分かりません。状況から見て権力者の都合の可能性が高いですけど……」

「権力者の都合? そんなことでアリスが?」


 出会ってから十日ほどしか経っていない、まだ友人とも言えない関係だ。

 それでも少なくない時間を共に過ごし、アリスの生き方、自分への向き合い方に触れて尊敬の念を抱いたのも事実だ。

 誰かのために一所懸命なアリス。

 そんな生き方、俺には無理かもしれないけれど……だが前向きに頑張るアリスを応援したいと思えた。

 そんな少女が今、困難に陥っているのを知った。

 助けたいと思う。

 だけど俺に何ができる?

 この世界のことも、自分に与えられた能力のこともほとんど理解できていない俺に誰かを助けることなどできるのだろうか?

 ジッと自分の手を見つめる。

 その手は細く、荒事などしたこともない、生っ白い手だ。

 暴力を振るったことのない、なよなよした弱っちい手だ。

 だけど。

 そんな俺でも困難に陥っているアリスを助けたい――。

 胸の内に浮かんだこの気持ちを諦めたくはないんだ。

 だから。

 俺はグッと拳を握り締めて心を決めた。


「アリスを助けたい。協力してくれるか」

「ん。大丈夫。主様ならなんでもできる」

「もちろんです♪ ご主人様の望むことを。やりたいことをやってください。ミカたちは全力でサポートしますよ♪」

『シロも頑張る!』

「ありがとう……!」

「で、主様。作戦はある?」

「まずは転移を使ってアリスたちと合流しよう。合流したらもう一度転移を使ってこの国を脱出しようと思う」

「そうですね。一度、アルカディアに戻るのが良いかと」

「ああ。そうしよう」

「ん。了解」

『ご主人様! 外から鉄のぶつかる音が聞こえてきた! 急がないとだよ!』

「分かった! みんな俺の側に。アリスの居る場所へ転移する!」

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