幕間 王都での陰謀劇

「ごめんアリス。余計なことを言っちゃったわね」

「ううん大丈夫だよノアちゃん。私のほうこそ大きな声を出しちゃってごめんね」

「それこそ大丈夫よ。だけど珍しいわね、アリスがあんな大声を出すなんて。やっぱりあいつに知られたくなかった?」

「モーブ王子とのこと? ……どうなのかな? 自分でも良く分からないよ」

「そう。……これからどうする?」

「まずは教会に戻って報告かな。大司教様に神託のことを話して、教会から籍を抜くための許可をもらおうと思う」

「簡単に許可するかしら? あの強突く張りの大司教が」

「きっと大丈夫だよ。だって大司教様もマーヤ様の敬虔な信徒だもの」

「……そうね。でもアリス。あの男のことはどう説明するつもり?」

「そのまま説明するのは良くないかな?」

「ダメね。創世教会に所属する聖女が一人の男に奉仕するなんて大司教が許すはずがないわ」

「じゃあウソついちゃおうか」

「はっ? 神託を歪めて伝えるつもり? それは『創世教会』では重罪とされていることよ?」

「教会では、だよ。ご神託に添うためならマーヤ様も多少の嘘は見逃してくれると思うな」

「アリス……あなた、時々、大胆になるわね」

「へへー、それほどでもぉ」

「褒めてないわよ」

「クスクスッ、うん、知ってる。でもさノアちゃん。この嘘は誰かを不幸にするための嘘じゃないから。きっと大丈夫だよ」

「そういうものかしら……?」

「ほら、嘘も方便っていうでしょ?」

「はぁ……ほんと、アリスってポンヤリしてるように見えてしたたかよね」

「むぅ。ノアちゃん、その言い方はひどいよぉ」

「本当のことでしょ」

「納得いかないなぁ」


 ノアの評価を聞いてアリスは不満そうに唇を尖らせた。

 幼馴染みの見せた表情に噴き出しながら、ノアは大司教のことを思い浮かべる。


(嘘の報告をするのは別に構わないけれど。それでもあの大司教がアリスの願いを素直に受け入れるとは思えない……)


 ノアにとって大司教はいたずらに政治にくちばしを挟む性悪な俗人でしかない。

 この人の良い幼馴染みを守るのが自分の使命――改めて心を決めたノアは、アリスと共に『創世教会』の大教会へと向かった。

 大教会のある敷地の中には神官たちが生活する住居や生活を支える商店が並び立ち、門前町の役目を果たしている。

 王都の中に小さな町があると言っても過言ではなく、その状況を王家から許可されているというだけで『創世教会』がどれほどの権勢を誇っているのかが窺い知れるだろう。

 信徒たちで盛況な商店街を抜けると、ようやく大教会へと辿り着く。


「いつ見ても凄いわね、この教会は」


 アイウェオ王国にある『創世教会』の大教会は王城に次ぐ偉容を誇る。

 広大な敷地の中央に天を衝くように主塔がそびえ立つ大教会があった。

 その主塔を仰ぎ見ながら二人は正門をくぐり抜けた。

 教会内部は外の喧噪とは裏腹にシンッと静まりかえっており、多くの信徒たちが信仰の対象である地母神マーヤの像に祈りを捧げていた。

 皆が皆、緑色の護石アミュレットに手を添えて、一心に女神への祈りを捧げている。

 緑は地母神マーヤのシンボルカラーで、マーヤの信徒は祈りを捧げるときには緑色の何かを持つことが習わしとなっていた。

 石の質は様々で、平民たちは小さな護石のついたブレスレットを使うが、貴族はエメラルドなどの希少石を使うことが多い。

 もちろんアリスとノアの二人も緑色の護石を携帯している。

 アリスは教会に引き取られたときに世話になった恩人の形見である護石を。

 ノアは聖騎士として認められたときに贈られた腕輪を使っていた。

 敬虔な信徒たちが静かに祈りを捧げる中に混じり、女神像に帰還の報告をしたアリスたちは教会の奥へと向かった。

 奥へ続く長い廊下には多くの扉がある。

 扉の上には部屋の所属を示す表札が掲げられていて、会計部、総務部、生活部、清掃部など『創世教会』を運営するための部署が並んでいた。

 その長い廊下を通り過ぎると教会幹部たちの書斎が並ぶ。

 その内の一つがアリスたちの目的地だった。


「大司教様。アリスです。兇獣討伐の任を終えて報告に参りました」


 アリスの声を聞き、部屋の内部で何やら慌ただしく言葉を交わす様子が扉越しに伝わってくる。


(来客中かな?)

(さあ?)


 怪訝そうに顔を見合わせた二人に部屋の中から入室を許可する声が届いた。

 表情を改めて扉を開けると、そこには部屋主であろう初老の男と、荘厳な全身鎧を装備した壮年の男の姿があった。

 相手を見透かすような光を湛え、誰も信じていないかのように相手を値踏みする細い目をアリスに向ける初老の男こそ『創世教会』の大司教の一人だ。

 その横で全身鎧に身を包んで周囲を威圧するように睥睨している男は、『創世教会』所属の聖騎士を纏める聖騎士団長。

 二人は歓迎とはほど遠い表情を浮かべながら入室してきたアリスたちに視線を向けていた。


「大司教様。アリスとその護衛騎士ノア、ただいま戻りました」

「うむ。よくぞ無事に戻った。これも女神マーヤ様のお導きであろう。感謝を」

「感謝を」


 それぞれが携帯する緑石を恭しく捧げ、大司教とアリスは天に祈りを捧げる。


「それでは早速、報告をしてもらおう」

「はい」


 大司教に促され、アリスは兇獣討伐の顛末を報告した。

 聖獣フェンリルが瘴気に犯されて兇獣化したこと。

 折伏しゃくぶく(兇獣を攻撃して弱らせること)の際、同行していた聖騎士隊の姿が消えたこと。

 しかし浄化には成功したこと。

 カミトについての情報を一切出さずにアリスは報告を終えた。


「聖騎士隊が? どういうことかね? 聖騎士団長」

「さて。調べてみないことには詳細は分かりかねますなあ。それが本当のことであるならばけしからん話ですが」

「うむ。すぐに内部調査を行って頂こう」

「はっ。事態が判明次第、訓告処分と致します」

「訓告っ!? お待ちください! それだけで済ますことではありませんよね? 聖女であるアリスを危険に晒したのですよっ!?」

「だが聖女は無事だった。ならば訓告以上の罰は必要ない」

「本気で言っているのですかっ!?」

「なに? 聖騎士団長であるこの私の決定に平騎士ごときが口を挟むのか? 聖女のお気に入りの騎士だからといって調子に乗りよって。僭越にすぎるぞ貴様!」

「しかし――!」

「ノアちゃん、落ち着いて」

「でもアリス!」

「私は大丈夫だよ。……それより大司教様。もう一つ報告がございます。話を続けても宜しいでしょうか?」

「うむ」

「ありがとうございます。兇獣を浄化したあとについての報告ですが、実はそのとき女神マーヤ様から特別な神託を得ました」

「……ほお? 特別な神託とは?」

「通常の神託は凶事をほのめかす一文が頭の中に浮かぶものですが、今回の神託はそのようなものではなく。マーヤ様御自おんみずからお声掛けくださったのです」

「なんだと……? ならばアリスよ。おまえは女神の声を聞いたとでも?」

「その通りです」

「嘘をつけ!」


 報告を聞いていた聖騎士団長が、部屋の空気が震えるほどの大きな声でアリスの報告を否定した。


「女神が小娘のおまえに声を掛けるなどあろうはずがない! 貴様、聖女と呼ばれているのを鼻に掛け、虚偽の報告をするなど言語道断であるぞ!」

「いいえ。決して虚偽の報告などではございません。私は確かに女神マーヤ様のお声を聞きました」


 威圧するように大声を出す聖騎士団長に毅然とした態度で抗弁するアリス。

 真っ直ぐな視線を向けられて聖騎士団長は言葉を詰まらせた。


「それでその神託とはどのようなものだったのだ?」

「はい。聖女は教会を離れ、大陸に蔓延る兇獣を浄化する旅に出よ、と。私は女神マーヤ様より神命を授けられたのです」

「待て。神命、つまり女神から命令を授けられただと? それはまことか?」

「真にございます」

「ふむ……女神より神命を授けられた者など、歴史書を紐解いてみてもそう多くはない。その神命をアリスは得たというのか……」

「その通りです。私はマーヤ様より授けられた神命に従い、『創世教会』を離籍して旅に出ようと――」

「教会を離籍だと?」

「はい。マーヤ様はそうせよと」

「ならん」

「ですが大司教様。これはマーヤ様のご神託で――」

「例え神託であろうと、聖女の存在は『創世教会』の信徒たちにとって希望なのだ。おまえは神託を授けられたからと言って信徒たちの希望を裏切るつもりか?」

「……」

「それに王太子との婚約についてもそうだ。王太子と聖女の結婚を反故にすれば、アイウェオ王国の民たちがどれほど悲しむか」

「そうかもしれません。ですが例えどのように言われようと、私はマーヤ様の神託に従うつもりです」

「決意は固いとでも?」

「はい」

「はぁ~……分かった。とにかく待て。国に所属する聖女が教会の籍を離れるなど前代未聞のことだ。王家の意向を伺わねばならん」

「……」

「兇獣化した聖獣を浄化できたのだ。恐らくおまえの任務達成を祝して王城で宴が開かれることになるだろう。それまでに私は王家と今後の対応を話し合う。それまでは教会で待機しているように」

「……分かりました」


 今、どれだけ抗弁しようとも状況は進展しない――そう悟ったアリスは、大司教の申し出を受け入れた。


「報告は以上です」

「うむ。ご苦労であった。下がって休みなさい」

「はい。失礼します」


 頭を下げたアリスはノアを連れて大司教の部屋を出た。

 二人が退室していった扉を睨み付けながら、聖騎士団長が忌々しそうに呪詛を吐き捨てた。


「平民の分際で付け上がりおってからに……」

「うむ。最近は私の指示を無視して身勝手な振る舞いをすることが増えてきておる。まったく忌々しいものだ。ところで聖騎士団長。極秘任務の失敗について、どう言い訳するつもりだ」

「それは……不甲斐ない部下どものせいです」

「兇獣化した聖獣の浄化に果敢に挑み、あえなく散った悲劇の聖女と祭り上げて創世教会の信徒を増やす。その計画が無為となってしまったわ。聖獣を兇獣化させるのは手間が掛かったのだぞ?」

「部下どもが無能揃いで申し訳なく思っていますよ。ですがまさか兇獣と化した聖獣を浄化することができるとは……そんな話、聞いていませんでしたが?」

「確かにな。あの平民がそれほどの力を持つ聖女だったとは、私にとっても予想外のことであった」

「なら計画は見直すので?」

「いいや。王太子とはすでに話は付いているのだ。今更止める訳にはいくまい」

「でしょうとも。では?」

「うむ。聖女アリスに偽聖女の烙印を押し、代わりに教会が真なる聖女と認めた男爵令嬢を新たな聖女として任命する」

「そして王太子は平民へ婚約破棄を叩きつけ、新たに聖女となった男爵令嬢と婚約を発表する、そのような計画でしたな」

「そうだ。王太子が王になった暁には今まで以上に『創世教会』を優遇するという確約を得ている。計画は絶対に遂行せねばならん」

「ならばあの平民を始末する他はありませんな」

「できるだけ劇的に。民衆の敵意があの平民に向くようにな」

「ご安心を。街の中には私の手の者を放っておりますゆえ、平民を扇動するなど容易いことでしょう」

「そう願っておるよ。今はとにかく時間の猶予はない。聖騎士団長の働き、期待しておるぞ」

「お任せを。そちらも事が成った暁には宜しく頼みますぞ?」

「分かっておる」


 大司教と聖騎士団長は互いに頷きを交わし、懐から取り出した赤黒い護石に恭しく祈りを捧げた――。


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