第11話 やりたいこと:フェンリルに名前をつけたい

 俺の話が終わるとフェンリルが俺の膝の上に乗ってきた。

 膝の上が気に入ったのかフェンリルは身体を丸めて寛ぐ。


「おいこら。俺の膝の上はおまえの寝床じゃねーぞ。重いって」


 フェンリルは秋田犬の成犬ほどの大きさだ。

 それほど大きな毛玉にのし掛かられるとさすがに膝が痛くなってくる。


「ほら。どいてくれ」


 話しかけながら銀の毛玉を押すが、毛玉は面倒臭そうに片目を開けて俺を見上げ――すぐに目を閉じて寛ぐのをやめない。

 退いてくれないフェンリルにほとほと困っていると、頭の中に声が響いてきた。


『ご主人様。重いなんてひどいよ。ボク、女の子なのに……』


 非難するような声に俺は慌ててフェンリルに目を向けた。


「もしかして今の声、おまえか?」

『うん。もしかしてボクのこと、忘れちゃったの?』

「いや忘れた訳じゃないけど」


 よくよく考えてみると母フェンリルとも念話で会話したのだ。

 子フェンリルが念話を使えてもおかしい話じゃない。


「話せるとは思わなかっただけだよ。それより身体、大丈夫か?」


 この世界を消滅させると言われている異形の怪物『貪食の虚無ヴォイドイーター』。

 その怪物に憑依された子フェンリルはミカたちと戦い、有り体に言えばフルボッコにされたのだ。

 そのダメージが残っているんじゃないか――それが心配で確認した俺に、子フェンリルが顔を寄せて頬をペロッと舐めながら答えた。


『安心して。あの後、お姉ちゃんたちに全部治してもらったから』

「そうか。なら良かったけど。……って、ミカ? どうかした?」


 何やら俺を見つめながら滂沱の涙を流すミカの様子に気付いて声を掛けると、ミカの横に控えたルーが状況の説明をしてくれた。


「子フェンリルが主様にキスしたのが悔しいみたい」

「キス?」

『これ?』


 子フェンリルが俺の頬を舌で舐めると、


「むきぃーーーーっ! ご主人様にキスするなんていくら子供でも許せません! でも子供に本気になって怒るミカを見たらご主人様が引いてしまうかも……! うっ、ミカはどうすれば良いんですかぁ!」


 エプロンの裾をギュッと握り締め、ミカが何やらおかしなテンションで独り言を繰り返していた。


「は、はは……まぁミカはそっとしておこう」

『それよりご主人様。ボクに名前を付けて』

「名前? お母さんが付けてくれた名があるんじゃないの?」

『あるよ。でもそれはボクの真名まなだから。真名はその人の本質が宿った大切な名で日常で使うものじゃないんだって。それにボクはご主人様がつけてくれた名前で呼ばれたいの』

「分かった。けど名前かー……俺、ネーミングセンス無いんだよなぁ」


 ゲームでは分かりやすく自分の名前をつけてたし、ソーシャルゲームのアカウント名も同じような名を使い回していたし。

 名前をつける必要のあるゲームでは拠点防衛1とかボス攻撃用2とか用途に応じてつけていたからなぁ……。


「フェンリル……子供……フェン子とか?」

『むぅ。もっと可愛い名前にしてよぅ』

「可愛い名前っ!? いきなりハードル上がったなぁ」


 子フェンリルの要望に頭を悩ませ――俺は一つの名前を思いついた。


「ならしろがねっていうのはどうだ?」

『シロガネ? 不思議な名だね。何か意味があるの?』

「俺の故郷ではおまえの体毛みたいに綺麗な銀色のことをシロガネって呼ぶんだ。だから銀。シロとも呼べるし、なにより格好いいじゃないか」

『むぅ。ボク、女の子だって言ってるのに。格好いい名前じゃなくて可愛い名前が良かったなぁ』

「ダメか?」

『ううん、ダメじゃないよ。シロって響きは好き!』

「そっか。ならシロガネ。それがおまえの名だ」

『ボクは銀! ご主人様に仕えるシルバーフェンリル、シロガネだよ!』


 シロガネが嬉しそうに吠えるのと同時に、俺とシロガネの身体が透明な光の線のようなもので繋がった。


「ふふっ、ご主人様さすがです! 名付けただけで聖獣を支配するなんて♪」

「えっ!? 聖獣を支配した……っ!?」


 ミカの言葉にアリスが目を丸くして驚きの声を上げた。


「俺、何かやっちゃった……?」

「聖獣は女神の従者。ただの獣ではなくもっとも女神に近い魂の格を持つ神聖な生き物なんだよ。人の身で聖獣を支配したなんて話、聞いたことがないかな……」

「そうなの?」

『うん♪ 聖獣は女神と同格の魂の格を持つの。でもご主人様の魂の格はボクよりも遥かに上だからボクはご主人様に支配されたんだよ♪」

「その支配っていうのは?」

「相手との関係性。協力、契約、使役、従属、支配の順で相手の『存在意義レゾンテートル』への拘束力が変わってくる」

「『存在意義』は確か魂って意味だっけ。つまり俺はシロの魂を支配してしまったってこと?」

『そうだよ♪ ボク、ご主人様と一心同体になれたんだ♪」

「いやいや。それで良いのかおまえは」

『うん。ボク、嬉しいよ? 大好きなご主人様と一心同体になれたんだから♪』


 そう言って鼻を鳴らすとシロは俺の頬をペロペロと舐めた。


「まぁシロがそれで良いのなら俺は良いんだけど。……これからよろしくなシロ」

『うん! よろしくね、ご主人様!』


 親愛を示すようにシロは俺の鼻先に自分のそれを当てた。


「くぅ……! ミカよりも先にご主人様とノーズキッスをするなんて! ううっ、でも相手は子供、相手は子供……! 我慢我慢……っ!」


 血の涙を流す勢いで悔しがるミカの様子に苦笑していると、馬車が進むガタゴトとした車輪の音が止まった。


「主様。今日はここで野営する」

「野営? えっ!? もうそんな時間っ!?」


 馬車から外を見ると確かに空は茜色に染まりかけていた。

 どうやら思っていた以上に長い時間、気を失っていたらしい。


「ご飯の準備して、寝床の準備をすることを考えたらそろそろ良い時間」

「確かに。あれ、けどアリスたちはどうするんだ?」


 二人は兇獣と化したフェンリルを浄化するために、聖騎士団を率いてリングヴィの森にやってきた。

 だが兇獣との戦闘の直前になってノア以外の聖騎士は姿を消した。

 その直後、俺たちに同行することになったのだが――。


「野営の道具なんて持ってないんじゃない?」

「大丈夫だよ。ねっ、ノアちゃん」

「ええ。聖女の護衛騎士として備えは常にしてあります」


 そういうとノアは腰にぶら下げた小さな袋を叩いた。


「袋? あ。それってもしかしてアイテム袋ってやつ?」

「そうです。この中にはあたしとアリス、二人分の食料や野営用の道具が入っていますので心配せずとも大丈夫です。そんなことよりも問題は貴方方でしょう。見る限り馬車の荷物に野営の道具は見当たらないようですが?」

「うん。俺たちもアイテム袋に入れてるから」

「そうですか。ではあたしはアリスの天幕の準備をすので失礼します」


 素っ気なく言うとノアは馬車から降りてアイテム袋から野営道具を取り出し、寝床の準備を始めた。


「じゃあ俺たちはメシの準備をしようか」

「はい♪」

「ご飯……♪ ご飯……♪」


 ウキウキした様子で馬車を降りると、二人は土魔法を使って手際よく簡易台所を創り上げた。

 台所、と言っても素材を調理する台とかまど程度のものだ。


「ご主人様。今日の晩ご飯はどうされます?」

「うーん、そうだなー……」


 『無限収納』には何が入っていたっけ?

 ――そう考えた瞬間、視界の片隅に半透過状のウィンドウが出現した。

 ウィンドウには『無限収納』に格納されている物がリストアップされていて、どのアイテムが何個入っているのかが一目で分かった。


「便利だなぁ。……って感心してる場合じゃないか。ええと、今日の晩飯は何にするかな、と」


 『無限収納』の中にはスタットの街で購入した塩、ヴィネガー、砂糖、オリーブオイルなどの調味料が揃っている。

 残念ながら醤油や味噌などの日本独特の調味料はないけれど、それなりにちゃんとした料理を作ることは可能だろう。

 他にも豚肉や牛肉などの家畜肉や、ミカたちが『アルカディア』で狩った魔物の肉も揃っていた。


「アリスたちも居るし、無難に豚肉を使った料理にするか」


 『無限収納』の中から豚肉の塊を取りだし、ついでに塩、砂糖、オリーブオイルなどの調味料や香草を取り出した。


「主様、ご飯、どんなのを作るの?」


 かまどを作り終えたルーがソワソワしながら手元を覗き込んでくる。


「塩ニンニクダレを使った豚串だよ」


 取り出した豚肉ブロックを一口サイズに切り、塩を塗しておく。

 ニンニクは細かく刻んで塩とオリーブオイルに混ぜ合わせる。

 香草――フレッシュバジル――も同じく細かくみじん切りにして、ニンニクを混ぜたオリーブオイルに投入すれば焼きタレの完成だ。

 次は付け合わせのスープをこしらえる。

 こっちは水を満たした鍋に大豆や刻んだにんじんやタマネギ、それにトマトを入れて煮立たせる。

 味付けは塩。

 オレガノと呼ばれる少し苦味のある香草を入れて鍋を火に掛ける。


「これで下準備は完了だ。豚肉に焼きタレを塗って網で炙れば、焼き上がる頃にはスープも出来てるだろう」

「楽しみですねー♪」

「ん。早く食べたい……!」


 俺の料理を側で見ていたミカとルーが目を輝かせた。

 その横でアリスも興味深そうに下準備したものを覗き込んでいた。


「美味しそう……。カミト様、料理が上手なんだね」

「一人暮らしが長かったしな。アリスは料理はしないのか?」

「お外でこんなに本格的な料理はしたことはないかな。子供の頃に教会に引き取られたあとはずっと神官の修行をしてたし、神官になってからは浄化のためにあちこち遠征続きだったから。野営するときの食事は干し肉とパンばかりだったよ」

「そうなんだ」

「だからちょっと羨ましいなー、なんて……えへへ」

「大丈夫よアリス。あたしがアリスのために王都中の店を巡り、厳選に厳選を重ねた最高級干し肉を用意しているから!」


 横から口を挟んできたノアがアイテム袋の中から赤黒い塊を取りだした。

 その赤黒い塊はカンコンッと金属質の音を響かせていて、どう好意的に見たところで美味しそうには見えない。

 どうやらアリスも俺と同じ感想らしい。


「う、うん。ありがとう、ノアちゃん」


 ノアのズレた気遣いにアリスは苦笑交じりに感謝を伝える。


「ちゃんとアリスたちの分も作ってるんだけど……もしかして必要無かったか?」

「えっ!? 私たちの分もあるの?」

「もちろん。一緒に旅をするんだし、別々にする必要は無いと思ったから作ったんだけど……干し肉のほうが良かった?」

「ううんっ! 私もカミト様の作ったご飯が食べたいです!」

「ええー……折角、今回の遠征用に奮発したのに……」


 アリスの反応を見てノアががっくりと項垂れる。

 そんなにすごいのか、最高級干し肉って。


「あー……じゃあノアの干し肉も一緒に出す?」

「良いでしょう。貴方の作った料理とあたしの用意した最高級干し肉。どっちがアリスを喜ばせることができるか勝負です!」


 ノアは自信満々な様子で俺に啖呵を切った。

 だが――。


「ううっ……ううっ……ニンニクバジルの豚串美味しい……」


 涙を流しながら豚串を頬張るノアの姿があった。

 その横でアリスも目を輝かせながら豚肉を頬張っていた。


「すごく美味しい! こんなの初めて食べたかも……♪」

「喜んでもらえて何よりだよ。ミカ、ルーはどうだ? 美味いか?」

「食欲を刺激するニンニクの濃厚な匂いとその匂いを下支えするようにバジルの豊かな香りが炙られた肉汁と混ざりあって口の中に幸福が満ちてます!」

「美味しい……♪ 主様の作ってくれたご飯、美味しい……!」


 感激しながら肉を頬張る二人の姿にホッと一安心し、俺も豚串にかぶりつく。

 口の中に広がるニンニクの味は濃厚で、肉汁と絡み合って口いっぱいに豚の旨味が広がっていく。

 その旨味をより引き立てる塩味と、肉の臭みを消すバジルの風味がほどよく絡み合って口の中が幸福に染まる。


「うん、美味い。塩加減も丁度良いし、なかなかうまくいった。けど……主食がパンなのが悲しいなぁ……」


 味の濃い料理を食べると無意識に米を欲してしてまうのは日本人の性だろうな。

 ――と、そんなことを考えながら用意した豚串を焼いていく。

 串に刺した豚肉と野菜に用意していた焼きダレを塗り、かまどに乗せた網の上に置いてじっくりと火で炙ると、食欲をそそる匂いが辺り一帯に漂った。


『ご主人様! ボクも! ボクも早く食べたい!』

「ちょっと待ってろ。今、準備するからな」

『うん!』


 尻尾を激しく振るシロを微笑ましく思いながら、焼き上がった串から豚肉と野菜を取り外し、皿に載せてシロの前に置く。

 するとシロは待ってましたとばかりに肉にかぶりついた。


「どうだシロ。うまいか?」

『美味しい! こんなに美味しいお肉食べたの、ボク初めて!』

「そうかそうか。たくさん食えよ」

『うん!』


 夜空の下、焚き火を囲みながら皆が笑顔で食事に興じる和やかな光景。

 その光景はずっと昔……子供の頃、家族団らんで食事をしたときのことを思い出させ、胸の奥がジンッと熱くなってくる。


(大人になってからはずっと一人でメシを食ってたし。こうやって誰かとメシを食べるなんて久しぶりだ)


 俺の作った料理を笑顔で頬張る仲間たちの姿を見ていると、摩耗し、強ばっていた心の奥底にすっかり忘れていた温かな感情が溢れ出しくる。

 そんな気がした――。

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