第10話 やりたいこと:目を覚ましたい

 背中に感じる微かな振動。

 ガタゴトと車輪が大地を噛む音が耳に届き、沈んでいた意識がゆっくりと浮上してくる。


「ん、んんっ……」


 瞼を突き抜けてくる光が網膜をシクシクと刺激し、その刺激が意識を覚醒まで一気に引き上げた。

 耳に届く音は先ほどよりも鮮明に聞こえ、鼻孔を微かに刺激する甘い香りが覚醒したばかりの意識をくすぐる。

 後頭部に感じるクッションのような柔らかさ。

 その柔らかさが心地良くて再び意識が沈んでいきそうになるのを堪えながら、俺はゆっくりと瞼を開いた。


「お気づきになられましたか、ご主人様!」

「主様、良かった……!」


 意識の戻った俺を確認するように、二人のメイドが俺の顔を覗き込む。

 俺はどうやらミカに膝枕をされていたらしい。


(甘い匂いはミカの匂いだったのか……)


 柔らかな膝枕に名残惜しさを感じながら、俺はゆっくりと上半身を起こした。

 すると二人のメイドが安堵の声を上げながら抱きついてきた。

 ボリュームを感じさせる柔らかな双房の感触と、なだらかな少し固さの残る二つの感触。

 そしてモフモフとした感触が起き抜けの頭に――。


「ん? なんだこれ?」


 ミカとルーの髪とは違う、ふんわりモフモフとした感触。

 その感触を何度か確かめ、視線を向けると――。


「ワフッ!」


 キラッキラッと輝く双眸と目が合った。

 その双眸の持ち主は秋田犬ほどの大きさで俺の上にずっしりと乗り上げ、鼻を鳴らして懐いてくる。


「い、犬?」


 馬車の外から差し込む日の光を浴びてキラキラと輝く、限りなく白に近い銀色の毛並み。

 馬車の中を見渡すとミカとルーの他にアリスと呼ばれていた神官少女が居り、アリスを護衛していた聖騎士のノアが御者台に腰を下ろして馬の手綱を握っていた。

 今朝、スタッドの街を出たときとは丸っきり変わってしまった馬車の中の光景に、俺は首を捻って仲間に質問した。


「俺が気を失っている間にいったい何が?」

「それはミカがご報告しますね♪」


 身体を密着させるように抱きついてきたミカが、俺が気を失ってからのことを報告してくれた。

 一つは聖獣フェンリルが我が子を救ってくれた恩返しのために娘の同行を許可して欲しいと願い出たこと。

 そしてもう一つはアリスたちが同行を申し出たこと。


「フェンリルに関してはミカが独断で許可を出しました。ミカたちが居ないときにご主人様を守る必要があると判断しましたので。ですがこの娘たちのことは――」

「許可できないと突っぱねたけど、どうしても主様に確認して欲しいって食い下がられた……」


 口を尖らせたルーが不満を隠そうともせずに愚痴っぽく零す。


「俺に同行? どうして?」

「それは私から説明します」


 話を聞いていたアリスが横から話題を引き継ぐ。


「まずは自己紹介ですね。私の名前はアリス。アイウェオ王国にある『創世教会』で聖女を務める者。そして彼女は私の専属騎士を務める聖騎士ノア。以後よしなに」


 そう言うとニコニコとした笑顔を浮かべてアリスは黙った。

 どうやら次は俺が名乗れ、ということらしい。


「俺はカミト。カミト・ジングウ。よろしく? と言って良いのかな?」

「はい。カミト様、よろしくお願いします♪」

「それで? 俺に同行したいって話みたいだけど、理由を聞いても?」

「神託です」

「へっ?」

「先ほど私の奉じる女神、地母神マーヤ様から神託を得たのです。カミト様のお側にはべりご奉仕せよ、と」

「……なんですと?」


 その地母神マーヤさんとはいったい誰なのか。

 それもいまいち分からないし、アリスが俺に侍る? ご奉仕?

 いったい何がどうなってそうなったのか分からない。


「なんでまたそんなことに? いや、そもそも神託って何?」


 状況を理解しきれない俺はミカに助けを求めた。


「神託とは世界に直接干渉することを許されていない神が、間接的に世界に干渉するために人を動かす命令書のようなものです」

「預言や予知なんかを与えて人に行動を促すもの。簡単に言うと女神からのダイレクトメール」

「ダイレクトメール……」


 そう聞くとなんだかありがたみが薄れる気もするが、今はそれどころじゃない。


「女神様からの神託がどうして俺に奉仕するなんてことになってんの?」

「大方、地母神マーヤとやらがご主人様と接点を持つために、信徒であるこの娘を利用しているのでしょう」

「主様に御目文字おめもじしたいのなら自分から来いって話」


 ぼろくそである。

 だがそれ以前に、なぜ女神が俺と接点を持ちたがっているのかが分からない。

 考えるための情報が不足しているのを感じ、ミカに疑問を投げかけた。


「そもそも女神様ってこの世界ではどんな存在なの?」

「さあ……?」

「へ?」

「ルーも良く知らない」

「そうなの?」

「そもそもこの世界には創世神以外の神は居なかったのですよ。ですが創世神が管理を放棄している間に自然発生して――」

「ちょ、ちょっと待って頂きたい。貴女たちは一体、何を言っているのだ?」


 手綱を握っていたノアが驚きの声を上げながらミカの説明を遮った。


「むっ、なんです急に。私は今、ご主人様の質問に正確に、明確に、しっかりくっきりお答えしてるのです。邪魔しないでくれます?」

「いや邪魔をする気は毛頭無かったのだが……だが女神様への信仰を否定されるような話を耳にすれば、抗言したくなるのは信徒として当然だ」

「信仰の否定なんてしてない。元々、その信仰は間違っていると言ってる」

「なにっ! マーヤ様を侮辱するというのか! あなたたち、表に出なさい! 信徒を代表してこの聖騎士ノアが説教をくれてやります!」

「あー、ちょっと待って。双方喧嘩は止めよう。話が進まなくなる」


 これ以上、話を続ければ衝突が発生することになる――そう考え、早々に答えを出すためにアリスに確認した。


「とにかくさ。アリスはその女神様から俺の側に居ろって言われて、君はその神託に従いたいってこと……で合ってるかな?」

「そうですね。おおまかには」

「そっか。なら俺の答えだけど。君のしたいようにすれば良いんじゃないかな」

「ご主人様っ!?」

「むー。主様、ルーたちだけじゃ不満?」

「不満なんてあるわけない! だけどこの場合は仕方ないかなって」


 女神からの神託がどれほど大きな意味を持つかは俺には分からない。

 だけど信奉する女神様からの神託は、アリスにとっては上司からの業務命令みたいなものだろう。

 その業務命令を実行できなければ、アリスは信奉する女神から見放されるかもしれない。そんな後味の悪いことはしたくない。


(それに理由があって申し出てきたことを無碍に断るのは忍びない)


 何を考え、何を目的として同行したいと言っているのか。

 それが分かってから改めてどうするのか決めても遅くはないだろう。


「……本当によろしいのですか?」

「どうだろ? 良いか悪いかは俺には分からない。だけど君が同行したいって言うなら俺はそれを歓迎するよ。但し、侍るだのご奉仕だの良く分からないことはしないで欲しい。旅は道連れ世は情け、袖すり合うも多生の縁。その程度に気楽に考えてもらえると嬉しいかな」

「道連れ、ですか……」

「ああ。俺たちはアイウェオ王国の王都を目指して旅をしている。アリスたちも王都に住んでいるんだろう? ならそこまでは一緒に行こう。それ以降のことは王都に到着してからでも良いんじゃない?」


 俺自身、アリスやノアのことは何も知らないのだ。

 ここから王都までは十日ほどの旅になる。

 その間にお互いのことを理解すればその後の方針も定まるだろう。


「まぁ気楽に行こうよ」

「ふふっ、そうですね。そう言ってもらえると少し気が楽になります」

「敬語も必要ないよ。見たところ、歳はそう離れていないみたいだし」


 パッと見た限り俺と同い年に見えるノアに比べて、アリスの顔つきにはまだあどけなさが見え隠れしている。

 そう考えるとアリスの年齢は十七、八歳ぐらいだろう。

 もちろん女性に対して年齢を尋ねるようなことをするつもりはないが。


「ええと……じゃあ、お言葉に甘えてそうさせてもらうね」

「ああ。それじゃ、王都までしばらくの間、よろしく」

「うん♪」


 そう言って浮かべたアリスの微笑みは、ようやく年相応の可憐さが見えた。

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