第10話 やりたいこと:子フェンリルを助けたい(前編)

【第十話】やりたいこと:子フェンリルを助けたい


 聖獣フェンリルの住処に向かう途中。

 成り行きで知り合うことになった『創世教会』の聖女アリスと、アリスを護衛する聖騎士ノア。

 二人の少女と言葉を交わし、いくつか判明したことがあった。

 聖女アリスは創世教会の大司教の命令を受け、『リングヴィの森』に発生した兇獣を浄化するために兵を率いてやってきたらしい。

 だが森の中を捜索して兇獣を見つけて折伏(兇獣を攻撃して弱らせること)を始めようとしたとき、ノア以外の聖騎士が一斉にその姿を消してしまったそうだ。

 兇獣は瘴気によって理性と知性を失い、破壊衝動に突き動かされて全てのものを攻撃する災厄のようなもの。

 そんな兇獣を放置する訳にもいかず、アリスたちはたった二人で果敢に兇獣に立ち向かった。

 だが兇獣は部隊を率いてようやく互角の戦闘になるほどの強敵だ。

 たった二人では敵うはずもなかった。

 アリスたちは兇獣と化した聖獣フェンリルの攻撃を防ぎながら撤退のチャンスを窺い――絶体絶命の危機に陥ったとき、俺たちが登場したという訳だ。


「突然、聖騎士団が居なくなったって。それ、完全にアリスを消そうとしているよね。動きが胡散うさんくさすぎだろ」

「やはり……そうなのでしょうか」

「え、それ以外に考えられないと思うんだけど……」

「ですが聖騎士団の皆さんはとても良い方ばかりなんです。民を想い、民を守るためにマーヤ様に誓いをたてて聖騎士になったのですから」

「ふーん。……」


 あくまで消え失せた聖騎士を庇うアリス。

 その横では聖騎士であるノアが表情を曇らせていた。

 恐らくアリスの知らない何らかの事情を知っているのだろう。

 俺はノアに問い掛けようとして――だがすぐに口を閉じた。


(あまり深入りするのも良くない、か)


 状況を理解していない外野が口を出して事態が好転することなどまれだ。

 俺は口を閉じ、聖獣フェンリルの先導に従う。

 やがて大きな洞穴のような場所に到着した。

 洞穴からは黒い煙のようなものが滲み出していて、その煙に触れたであろう木々は痛々しいまでに枯れ果てていた。


「うっ……この瘴気の濃さは異常です」


 濃厚な瘴気にあてられたのか、アリスは顔を真っ青にしながら口元を抑える。


「大丈夫?」

「何とか。……ですが皆様はすごいですね。こんなに濃い瘴気が漂っているのに平然としていられるなんて」

「フフンッ、当然です。ご主人様もミカたちも特別ですから♪」

「ミカ、チート自慢みっともない」

「うっ……ごめんなさい」


 ルーに窘められてミカは素直に頭を下げた。


「それにしてもこの瘴気……なんか変」

「そうですね。ここまで濃い瘴気が発生することはそうそう無いはずですけど」

「やっぱり”アレ”かな?」

「ええ。”アレ”でしょうね」

「”アレ”とやらが何なのか良く分からないけど。そもそも瘴気ってどんなものなの? いやなんとなく言葉からはイメージはできるんだけど」

「瘴気とは言わば腐った魔素のようなもの。魔素は世界を循環していますが、一カ所に留まると淀んでその性質を変化させるのですが……」

「この瘴気は普通の瘴気じゃない。多分、瘴気を生み出すものがこの中にある」

「瘴気を生み出すもの? それって何?」

「……巣に入ってみれば分かる」

「そっか。……なら覚悟を決めて入ってみるか。二人とも着いてきてくれるか」

「ん。主様のことはルーたちが守る」

「もちろんですよ♪ とは言うものの、この娘たちを連れていくのは止めておいたほうが良いでしょう。瘴気の毒で身体が保たないでしょうから」

「それは……そう、ですね。私たちはこの場所に立っているだけで精いっぱいですので、ここよりも濃厚な瘴気が漂う洞穴の中に入ることはできないでしょう」

「そっか。なら少し待っていてくれる? あとで何があったかの説明はするから」

「承知しました」

「ありがとう。……じゃあ聖獣さん、先導してくれるかな」

『承知。ですがこのまま入れば、我は再び兇獣に成り果てるやもしれません』

「それなら大丈夫ですよ。ミカが護ってあげましょう」


 そう言ってミカは聖獣フェンリルの身体に触れた。

 すると聖獣の身体が白い光の障壁バリアに包み込まれた。

 周囲に漂う霧のようなものが光の障壁に接触すると、バチッと静電気が走るような音と共に霧散する。

 どうやら光の障壁は完全にフェンリルを護っているようだ。


『おおっ、これは素晴らしい……使徒様、感謝申し上げます』

「構いませんよ。では先導を」

『御意』


 ミカに恭しく頭を垂れたフェンリルが先導するように洞穴に姿を消す。

 俺たちはアリスとノアを残してフェンリルを追うように洞穴へ入った。

 洞穴の中は暗く、じっとりとした湿気に満ちていた。

 肌に纏わり付くような感触が不快指数を上昇させる。


「なんか嫌な空気だなぁ」


 湿気だけじゃない。

 洞穴の中に漂う空気感が、どこか墓場や心霊スポットに居るような奇妙な感覚を呼び起こすのだ。


「それはご主人様が本能的に感じ取っている嫌悪感でしょうね」

「ん。この洞穴の中、瘴気がすごく濃い。ルーたちでも息苦しくなってる」


 漂う靄を手で払いのけながら洞穴の中を進むと、やがて広場のようなところに到着した。

 その広場には木枝や藁が積み重なり、寝床のようなものがあった。

 そしてその広場の一番奥――石で創られた祭壇のような場所に大きな穴がぽっかりと開いていた。


「穴? なんだこれ?」


 中を覗き込んでみても底は見えず、ただ真っ黒な闇が溢れ出しそうなほど穴の中を満たしていた。

 何も見えず、ただ闇だけが存在する穴。

 その様子を例えるなら”虚無”だ。

 見ているだけで心の奥底が恐怖に震え、その場から逃げ出したくなるほどの不安がわき上がってくる。

 穴の淵からは黒いドライアイスじみた瘴気の黒い靄が溢れ出し、その瘴気が洞穴の中に漂っていた。


「これが瘴気の原因?」

「そうですね。でもこの穴はそれだけではないです」

「どういこと?」

「これはただの穴じゃない。これは空所グリッヂ。世界が消滅した痕跡のようなもの。空所のある場所では世界が停滞して魔素が腐敗する」

「世界が消滅ってどういうこと?」

「創世神から一万二千年もの間、放置されていた世界に起こるバグのようなものです。この空所を放置していればやがて世界に広がっていき、このフォースデン世界は跡形も無く虚無きょむへ帰ることになるでしょう」

「本当なら空所は発生次第、すぐに創世神が修正するはず。でも創世神はこの世界の管理を主様に丸投げした」

「はい。だからこの空所を塞ぐのが代行者の務めになってしまうのです」

「代行者……つまり俺の役目ってことか」

「そうです。今まで黙っていてごめんなさい……」

「ごめんなさい、主様」

「いや二人が謝ることじゃないって。そもそもあの神様が『異世界をあげる』なんて言った時から、なんかおかしいなとは思ってたんだ」


 あのとき、創世神――神様はこう言った。


『だけどあまり放置しすぎるのもマズイからこの異世界をカミトクンにあげる』


 放置しすぎて空所とやらが発生し、その結果、神様にとって不都合が起こるから俺に与えて管理させたいということだったのだろう。


「押しつけられたって不満も少しはあるけど。でも、この世界は俺にとって第二の人生を過ごす場所なんだ。その世界を守るためならなんだってするさ」


 俺がやりたいことをやるためにもこの世界は平和であって欲しい。

 心地良い生活を守るために生活環境を整えるのは家主として当然の義務だ。


「でも何度も言うように俺には世界の管理の仕方なんて分からない。だから二人にも協力をお願いしたいんだけど……良いかな?」

「もちろんです……♪」

「それもルーたちの役目。だから安心して主様」

「ありがとう。じゃあさっそくこの穴をどうにかしよう。塞げば良いんだよな?」

「はい。穴を塞ぐイメージで『神』スキルを使えば穴は塞がります。ただ……」

「世界の『ことわり』に直接干渉することになるから、多くの神精力プラーナを使うことになる」

「この程度の空所であれば、代行者レベル1のご主人様の神精力でも充分対応は可能だと思いますよ」

「そっか。でも神精力ってどうやって使えば良いんだ?」

「特に意識する必要ない。主様が『神』スキルを行使するときは自動的に神精力が消費されることになるから」

「了解。じゃあ早速やってみるか――」


 大きく口を広げた穴に近付いて掌を翳す。


(穴を塞ぐイメージ……大穴の中にコンクリートを流し込んでしっかり固めるイメージを頭の中に思い浮かべて。ついでに鉄の扉で蓋でもしておこうか)


 ミカに言われた通り、ぽっかりと口の開けた穴をしっかりと埋め、ついでに二度と穴が開かないように封印するイメージを頭に浮かべる。

 そして。


「『神』スキル!」


 そのイメージをしっかりと実現するために気合いを籠めて声を上げた。

 すると大穴は一瞬で消滅したが、同時に身体中がひどい倦怠感に襲われた。


「うおっ……なんだ、身体がすげぇ重い……」


 激しい運動をした直後のような。

 体内から何かがどっと放出されると同時に四肢に重りがついたようなきつい倦怠感に襲われて思わず地面に倒れ込みそうになる。

 そんな俺をミカとルーが両脇から抱え込むように支えてくれた。


「悪い、ありがとう二人とも……」

「このぐらい当然です♪」

「ん。ルーたちは主様を支えるためにお側に居るんだから」

「ルーの言う通りです。だから気にせず体重を預けちゃってくださいね」

「お言葉に甘えるよ……」

「んっ……ふふっ、ご主人様の重みを感じられてミカ、幸せです……♪」

「たくさん頑張ってくれたね。主様、いいこいいこ……♪」


 二人の労いがなんだか妙にくすぐったくて妙に照れくさい。

 ――と、和んでいたそのとき。

 洞穴の外から騒がしい声が聞こえてきた。

 その声は何かと争っているような緊迫した声だった。


「アリスたちに何かあったのかもしれない。すぐに行こう」

「ですがご主人様はまだお疲れのご様子。無理をなさっては……」

「大丈夫だよこれぐらい。ほら、もう元気だ」


 二人から身体を離して軽くジャンプして見せた。

 着地のときに少しふらついてしまったが、女の子に支えられなければ動けないほどじゃない。


「それよりアリスたちが心配だ。急ごう」

「ルーが先行する。ミカは主様のお側に居てあげて」

「分かりました。お願いします、ルー」

「行ってくる」


 そう言って外に向かって駆け出していったルーを、俺とミカ、そして聖獣フェンリルが追いかけた。

 倦怠感の抜けきらない身体を何とか動かして洞穴の入り口に向かうと、外から獣の唸り声のようなものが聞こえてきた。

 その声を聞いた途端、俺の横に控えていた聖獣フェンリルが外に向かって駆け出していった。


「ミカ、急ごう……!」

「はいっ!」


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