第9話(前編) やりたいこと:お昼ご飯を食べたい
ミカが手綱を握ってから都合三度ほど、俺たちは盗賊や魔物に襲われた。
その度にミカとルーが圧倒的な力で代わる代わる敵を吹き飛ばした。
「スタットの街に向かう商人が頻繁に利用する道、というのを差し引いても、ちょっと盗賊が多すぎない?」
それだけこの世界の治安が良くないということだとは思うが、これから先も同じようなことが続くのであれば考え方を改めなければいけない。
「この世界はみんな生きるのに必死だから」
「フォースデン世界は難易度ハードな世界ですからね。『自分たちの命と財産は自分たちで守る』ことが当然と考えられています。お優しいのはご主人様の良いところだと思いますけど、殺るときに殺っておかないと後で自分が、自分の大切な人が殺られるかもってこと、ちゃんと覚えておいてくださいね」
「主様は簡単に死なないけど、ルーは主様が傷つくのはイヤ」
「……ああ。俺も覚悟を決められるように頑張ってみるよ」
自分と、自分の仲間たちが幸せになるためには、他者の権利を、財産を、命をないがしろにするような悪人のことを慮っている余裕などない。
身近に居る人たちを守るために俺自身も覚悟を決める時が来るだろう。
そのときになって後悔しないように――。
森の中を進んでいくとぽっかりと開けた場所を見つけた。
俺たちはそこで馬車を止めて昼食の準備を始める。
『無限収納』からスタットの街で調達したパンや葉野菜を取り出した。
「さて。メインは何にしようかな……」
「主様。ルー、ヒュドラの肉が食べてみたい」
「えっ、いきなり魔物の肉を食べるの? 一応、牛肉とか豚肉は買ってあるけど」
「んーん、ヒュドラの肉がいい」
「そっか。でもヒュドラの肉なんて食べられるんだね」
「ミカたちは食べたことがありませんが、文献には鶏の胸肉のような味という記載があるそうですよ」
「鶏胸肉か……ということはさっぱりとした味わいってことかな」
ミカの話からヒュドラ肉の味を想像しながら、『アルカディア』でルーたちが狩ったヒュドラ肉を『無限収納』から取り出した。
胴体を輪切りにし、それを更に四分の一にカットしたヒュドラ肉は、それでも大型トラックのタイヤほど大きく、男の俺でも支えるのがやっとの重さだった。
ミカが土魔法で創ってくれた簡易机に調理器具を並べて食材を切り、ルーがこれまた土魔法で創ってくれた簡易かまどを使って調理していく。
ヒュドラ肉には毒素が含まれているらしく、ミカが神聖魔法の『浄化』を使って肉の毒素を消去してくれた。
この『浄化』という魔法は、火、水、地、風、光、闇、無の七大元素とは違う系統――神聖魔法という特殊系統に属する魔法で、毒素などの消去の他にも身体の汚れを落とす効果があるらしい。
誰でも使える訳じゃないということだったが、俺は使えるらしいので後で練習してみよう――と、そんなことを考えながらヒュドラ肉の調理を進める。
二人に美味しいと思ってもらえるように味見を繰り返し、三十分ほどで『ヒュドラ肉のサンドイッチ』が完成した。
「調味料もまだまだ揃ってないし、あり合わせの具材を切って火を通しただけの代物だから二人の口に合うか分からないけど。多分、そこそこ美味しいと思う」
ヒュドラ肉は焼くと身が固くなるのが分かったから蒸し焼きにする。
下味をつけて蒸し焼きにしたヒュドラ肉を細かく裂き、オリーブオイルと酢と塩で作ったドレッシングを絡めて野菜と共にパンに挟む。
付け合わせのスープは干し肉で出汁を取り、湯がいた大豆と香草を投入してあっさりとした塩味のスープにした。
どちらの料理もレシピなんてものは存在せず、食材の味を確認しながら適当に料理したものだ。
「はぁ~……ご主人様、手慣れていますね」
「まぁ一人暮らしが長かったしね。冷蔵庫の中身を見てチャチャッとご飯を作るのは一人暮らしの男には必須スキルだったし」
「主様の作ったご飯、早く食べたい……」
ヨダレを垂らしながら机にかじりつき、お皿に乗っているサンドイッチをギラギラとした目で見つめるルー。
そんなルーとは対象的に澄ました顔を浮かべながらも、机の上に置かれたサンドイッチをチラチラとみるミカ。
二人の態度を微笑ましく思いながら俺は両手を合わせた。
「いただきます」
見よう見真似で手を合わして挨拶を口にした二人がサンドイッチを頬張る。
ミカはおしとやかに、小さな口で。
ルーは大胆にガブッと。
サンドイッチを口にした瞬間、二人の瞳がキラキラと輝いた。
「おいしい……っ!」
「ええ、本当に。ご主人様が創ってくださったカレーも美味しかったですけど、このサンドイッチはそれよりももっと美味しくて……」
「ほっぺた落ちる」
「本当……! すごく美味しいです、ご主人様♪」
「そう? 二人の口に合ったようで良かった」
二人の反応に安堵しながらサンドイッチを口に運んだ。
スタットの街で売っていたパンに肉を挟んだだけの簡単なサンドイッチ。
しかもパンはフランスパンよりも固く、噛みきるのにも苦労する代物だ。
それでも噛めば噛むほどヒュドラ肉の旨味が固いパンに馴染み、口の中に幸福が満ちていく。
「うん、そこそこ美味しく作れた」
正直、味は『神』スキルで創造したカレーよりも大きく劣るだろう。
だけど味がしっかりと舌に残り、自然と心が弾んでくる。
(宿で食べた料理も創造したカレーより味は劣っていたけど、それでも美味しいと感じられた。スキルで出したものよりも美味しく感じるのは、手作りしたから……ってことなのかもしれない)
これからはできるだけ料理をしよう。
そう心に決めて、残りのサンドイッチを口に放り込んだ。
食事を終え、後片付けも済ませて馬車に乗り込んだところに、森の奥から悲鳴にも似た叫び声が聞こえてきた。
「あれ? 今の声、悲鳴に聞こえなかった?」
「そのようですね。ルー、索敵を」
「ん」
ミカの指示に従ってルーが探知スキルを発動させた。
ルーの目の前に半透過ウィンドウが展開して周囲のマップが表示される。
マップには赤丸マークが一つと白丸マークが二つ、表示されていた。
地図に表示されたマークは激しく絡み合い、どんどんこちらに近付いてくる。
「ちなみに表示されているマークの色は、赤が敵、白が中立。青が味方」
「どうやら誰かが魔物に襲われているみたいですね。どうします? 巻き込まれるのを避けるためにさっさと出発しちゃいますか?」
「ルーたちには関係無いし」
「それは――」
ルーの言う通り、危険な目に遭っている誰かを助ける責任は俺たちにはない。
だけど本当にそれで良いのか?
(良いはず……ないよな)
困っている誰かを助けるのに理由や理屈は必要ない――なんて格好良いことが言えるほど俺は立派な人間じゃない。
自分に危険が及んだときはさっさと逃げ出してしまうのが自分でも分かっているぐらい臆病な人間だ。
だけど。
自分にできることがあるのに『しない』選択をするのはイヤだ。
「俺は助けに行きたいって思う。でも俺一人ではきっと助けられないと思う。だから二人の力を貸して欲しい!」
「もう。ご主人様はお人好しなんですから」
「でもルーたちは主様に従うよ。だから安心して」
「ええ。ミカたちがご主人様の望みを叶えて差し上げます♪」
「ありがとう……!」
「ではルー。先行して時間を稼いでおいてください。ミカはご主人様を護衛しながら後を追いかけます」
「ん。了解。主様。ルー、行ってくるね」
「頼む!」
御者台から飛び降りたルーは地面を蹴って森の中へと入っていった。
まるで放たれた矢のように一直線に地面を走るルーの背中を追いかけて、俺もミカと共に森の中へ入った。
森の地面はあちこちで木の根がヘビの背中のように隆起していて走りづらい。
そんな中をなんとか早く走ろうとするが、数歩走るだけで木の根に足を取られ、転びそうになってしまう。
そんな俺を見かねたのか、
「ご主人様、失礼しますね」
「うわわっ!?」
そう断ると同時にミカは俺のことを抱きかかえて一気に速度を上げた。
女の子に抱きかかえられるなんて恥ずかしい――そんな気持ちもあるが、今は人助けが優先だ。
ミカの首に腕を回し、ミカの負担にならないような姿勢を保つ。
やがて木々が開け、昼食を食べた場所のような小さな広場に辿り着いた。
そこには凶暴そうな魔獣を睨み付けているルーと、その後ろにいる二人の少女の姿があった。
一人は土埃で汚れた神官服を身に纏った髪の長い少女。
肩の辺りまで伸びた桃色の髪を靡かせながら、突然、森の中から現れた俺のほうを驚きの目で見つめていた。
その神官少女を護るように立つもう一人の少女は重厚な鎧と盾を装備した騎士だ。
白を基調した鎧は厳かに装飾されていて特別な威厳を備えていた。
二人は傷ついた身体を引き摺るようにしながら、突然、現れた俺に対して不審な視線を向けた。
だが俺はその視線に構わず、凶暴な魔獣と対峙するルーに声を掛けた。
「ルー! 無事かっ!?」
「ん。ルーは大丈夫。でも相手が少し面倒」
「相手?」
ルーと対峙する魔獣は、目が血走り、身体から黒い靄のようなものを発して獲物である俺たちを睨み付けていた。
二メートルはある体高。
腕は巨漢の胴よりも太く、先端には鋭く凶悪な爪がギラついている。
黒い靄を纏った獣は突然、目の前に現れたルーを睨み付けて威圧するように唸り声を漏らしている。
その獣の姿を見て、俺を地面に下ろしたミカが一歩前に進み出た。
「なるほど。
「ん。しかも
「え……聖獣って人を襲わないんじゃなかった?」
「本来ならばそうですが目の前に居るのは兇獣……瘴気に犯されて理性も知性もなくしてしまった、生きる災厄ともいえる危険な
「モンスター? それに瘴気って……」
「あとで詳しく説明します。今は対処に集中しましょう。ルー、やれますね?」
「ん。余裕」
「ま、待て!
攻撃を仕掛けようとするルーに向かって騎士の少女が慌てて声を掛けた。
「いいえ。貴女では兇獣化したフェンリルに敵わないでしょう。ここはミカたちに任せておきなさい」
「それはできない! あたしは聖騎士として弱き者を護る義務が――」
「ならミカたちは弱くないので対象外ですね。そんなことより貴女は背後にいる女の子を護ってあげなさい」
「しかし――!」
辛辣なミカの言葉に更に反論しようとした矢先、
「来る……!」
ルーの警告の声と同時に森の中に兇獣の咆哮が響いた。
その咆哮はダイレクトに脳を揺らすような――何か特別な力を持っているように感じられた。
「ひっ……! いやぁぁぁぁ!」
咆哮を聞いた神官少女が悲鳴を上げながら耳を押さえて地面にへたり込む。
「お、おい、大丈夫かキミ!」
地面にへたり込んで恐怖に身を震わせた神官服の少女に駆け寄って、少女を安心させるように背中を何度もさすってあげた。
「ご、ごめんなさい、でも、だい、じょうぶです。ありがとう、ございます」
介抱する俺を安心させるためか、健気に笑顔を返した神官服を着た少女が、フルフルと震える足で何とか立ち上がろうともがく。
「無茶しちゃいけない。ミカたちに任せておけば大丈夫だから!」
「いえ、そうは言っていられません。あの兇獣は私たちで何とかしなければ……」
「そうは言ってもキミ、震えてるじゃないか」
「え、へへ……はい、すごく怖いですから。でも怖いからといって逃げてしまえば、きっとあの兇獣はいつか誰かを
手に持った杖に力を籠めて身体を支えながら神官少女は立ち上がった。
まだ足は震えていたが、その表情からは怯えが消え去っていた。
「それが私の使命……ううん、それが私のやりたいことだから」
杖を握った神官服を着た少女は兇獣を真っ直ぐに睨み付けた。
その表情には決意が満ちていたが、やはり手と足の震えは止まっていない。
それでも少女は戦う姿勢を解こうとはしなかった。
強い意志を感じさせる真っ直ぐな瞳で兇獣を見つめながら、しっかりとした声で仲間の騎士に声を掛けた。
「ノアちゃん、いける?」
「もちろんよ!」
「浄化魔法を詠唱するからノアちゃんは兇獣の注意を引いて時間を稼いで!」
「分かったわ!」
声を掛け合って連携を確認すると神官と聖騎士は兇獣との距離を詰める。
いや、詰めようとした。
だが地面から蔦がスルスルと生まれ出でると、二人の少女はその蔦に巻き付かれて身動きが取れなくなってしまった。
「なっ!?」
「なんなのこれっ!?」
驚愕の声を上げる二人の少女に対して呆れ口調のミカが声を掛ける。
「ミカは不要だと言いました。邪魔をしないでもらえますか」
「これは貴女がっ!?」
「おい! 貴女こそあたしたちの邪魔をしないで! あの兇獣は危険なの! すぐに対処しないと――」
「対処はミカたちがしますので。ルー」
「ん。とりあえずぶちのめすね」
ミカの言葉に頷きを返すと、ルーは警戒もせずゆっくりとした足取りで兇獣に近付いていった。
兇獣の腕はルーの身体よりも太く、その爪は鋭利という表現が馬鹿らしくなるほど凶悪に煌めいている。
近付いてくる獲物を食らおうと口を大きく開けると、人間など簡単に飲み込めてしまいそうな大きな口の中で唾液に塗れた大牙がおぞましく濡れ光っていた。
その光景を見れば誰もが戦慄して腰を抜かし、抵抗できぬまま丸呑みにされてしまっただろう。
そう思わせてしまうほど凶悪な姿を持つ兇獣に対し、ルーは少しも頓着せずに無警戒で近付いていった。
散歩でもするようにトコトコと近付いてきた小癪な獲物に、兇獣は無造作に丸太のような太い腕を振り下ろした。
普通ならばその巨腕の一振りで獲物は地に伏し、血を流して絶命したであろう。
だがルーは普通ではなかった。
「んしょっ」
振り下ろされた巨腕の一撃を片手で軽々と受け止めたルーが、兇獣の巨腕を大きく振り払うとスカートを翻して片足を天に向かって大きく振り上げた。
スカートがめくれ、下着を止めるガーターベルトがチラリと見える。
フリルのついたエプロンがはためき、そして――。
「おすわり」
そんな言葉と共に兇獣の頭に
ドンッ! と周囲を圧する音と共に兇獣の頭が地面に叩きつけられる。
一瞬の出来事だったためか兇獣は何が起こったのかも理解できず、咆哮することもできない状態で地面に突っ伏した。
そんな兇獣の頭にルーは片足を乗せた。
それだけで兇獣は起き上がることもできずに無様にもがく。
「これでおしまい」
巨大な体躯を持つ兇獣がたった一人の少女の足に抑え込まれ、身動きすることができない――そんなシュールな光景にミカを除いた全ての者が言葉を失っていた。
そんななか、さも当然とばかりにミカがルーの側に近付き、頭を優しく撫でながら銀髪の少女を褒め称える。
「ルー。よくやりましたね。さすがご主人様のメイドです」
「ん。よゆー。主様、見ててくれた?」
「あ、ああ、ちゃんと見てたぞ。本当にルーは強いな」
「えへへ……♪」
褒められたことで頬を緩ませ、ルーは照れくさそうに頭を掻いた。
そんなルーの足下で兇獣が自由を求めて激しく藻掻く。
「うるさい。少し大人しくする」
足下でバタつく巨体の兇獣に文句を言いながら、ルーは足に力を籠めて凶暴な獣の頭を地面に押しつける。
それでも兇獣は必死に藻掻き続けていたが、ギラつく瞳をルーに向けながらも観念したのか大人しくなった。
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