第8話 やりたいこと:王都に向けて出発する


 朝靄がかかる市場で開店準備を勤しむ露天商たち。

 その間を馬車で通り抜けると、その先に街をぐるりと囲む外壁が見えた。

 五メートルほどの高さまで石材を積み上げた外壁はなかなかに重厚だ。

 門番と挨拶を交わして門の外に出た。

 スタッドの街を出るとしばらくは小麦畑が連なる街道が続いていた。

 黄金に輝く小麦畑のそこかしこで、人々が忙しそうに農作業をしていた。


「一面に広がる黄金色の小麦畑。こんな光景、日本では一度も見たことも無かった。壮大だなぁ」

「フォースデン世界の主食の七割はパンですからね。スタッド周辺のこの辺りは小麦の産地としてそこそこ有名です」

「パンかー……」


 中世ヨーロッパ的な世界だから、やっぱり米は無いのかな――と、少し残念に思っていると、


「でも安心して、主様。ちゃんとお米もあるよ」


 俺の表情を見て考えていることを察したのか、ルーが答えてくれた。


「そうなのっ!?」

「米は主に東方で消費されていますけど、この辺りにも多少、流通していますね」

「そうなんだ。スタットの市場では見かけなかったから無いと思ってたよ」


 今のところはまだ平気だけど、この世界で暮らす間に米が無性に食べたくなることもあるかもしれない。

 いや絶対にあるだろう。


「王都に行けば米が売ってるかな?」

「それなりに大きな都ですから商会を訪れれば必ずあると思いますよ」

「じゃあ王都に到着したらまずはお米を調達したいな」

「ん。そうするといい。ルーもお米、食べたい」


 そんなことを話しながら馬車に乗って街道を行く。

 御者はルーが務め、俺とミカは幌馬車の中で向かい合って座っている。

 馬車から眺める風景はとても牧歌的で、妙に心に染み入ってくる。


(日本にもこういう風景があったのかな)


 都会で生まれ、都会で育った俺には見慣れない風景だ。

 大人になってから仕事、仕事と忙しく生きていたけれど、もう少し時間を作って、旅をして色んな光景を見れば良かった――そんな後悔が湧き上がる。


(生きることに精いっぱいだったのに、死んでから風景を楽しめるなんて。なんだか少し皮肉だな)


 どこかしら解放感に似たものを感じていると、俺のことを見つめていたミカと目が合った。


「ふふっ、どうかされましたか?」

「いや、なんでもないよ」


 少女の微笑みを受けて、自然と頬が綻ぶのを自覚する。

 疲れ切った心にじんわりと染み入るような穏やかな時間が流れ、凝り固まっていた肩の力が抜けるよう気がした。

 馬車はやがてずっと続いていた小麦畑を抜けた。

 前方には森が広がっており、道はその森の中へと続いていた。

 世界地図スキルを使って周囲の地形を確認すると、その森はどうやら『リングヴィの森』という名で呼ばれており、聖獣が住んでいるらしい。


「なぁミカ。この森には聖獣っていうのが住んでいるみたいなんだけど。聖獣ってどんな存在なの?」

「聖獣は神の従者とも呼ばれ、フォースデン世界に数多居る女神と呼ばれる者たちは必ず自分の眷属として聖獣を従えていると言われています。水の女神アクアであれば水龍、地母神マーヤであればフェンリルなど、自分が管轄する領域に近しい獣を聖獣とする傾向にありますね」

「聖獣は魔獣や魔物と違って滅多なことでは人に危害を加えないし、女神と呼ばれる者たちの命令を受けて人を助けることもある。人もそれが分かっているから聖獣を敬い、聖獣の領域を邪魔しないように生きてる」

「とはいえ、その聖獣にちょっかいをかける悪人の数も多いんですけどね」

「それは……仕方の無いことかもしれないな」


 善人ばかりではなく悪人もいる。

 善人面して近付いてきて人を嵌めるような性悪な人間も多い。

 そういった奴は前世でも散々見てきた。

 このフォースデン世界も同じなのか……と、うんざりしてしまう気持ちもあるが、仕方の無いことだ。

 せめて自分は悪人側にならないように生きていきたい。


「少し気になるんだけどさ。聖獣と魔獣と魔物ってどんな違いがあるの?」

「聖獣は先ほど説明した通り、女神と呼ばれる者たちの眷属して生まれ出でたものの総称ですが、魔獣は魔素の影響を受けて生まれ出でた獣のことを指しています」

「魔素はこの世界の空気中に存在する魔力の素。魔素がなければ魔力を生み出すことはできない」

「異世界系の物語には定番の要素ですね♪」

「なるほど。じゃあ魔物っていうのは?」

「魔物はフォースデン世界原初から存在する人類種と敵対する生物全般を指しています。例えばゴブリンやオーク、コボルトなど。ファンタジー世界で敵として登場する存在は総じて魔物と呼称されていますね。とはいえ色々例外もありますが」

「ふーん。じゃあドラゴンとかは魔物?」

「魔物としてカテゴライズされるドラゴンも居ますが、魔獣としてカテゴライズされる竜種も存在しますね」

「魔獣扱いされるドラゴンは知性を持ってることが多い」

「えっ、ドラゴンって知性があるんだ?」

「ワイバーンのようなただの飛行蜥蜴とかげな飛竜種も居ますが、特に世界の原初から存在するドラゴンは魔獣に分類されますね」

「創世神が種の起源に関わった、このフォースデン世界の創世期からいる存在を『原初種』という。そしてその原初種から派生したのが『古代種』。こういった種は総じて知能が高い」

「なるほど。そういう歴史の流れってロマンを感じるなぁ……」

「ふふっ、男の人ってこういう設定、好きですよね」

「否定できないねえ」


 ファンタジー的な歴史とか起源とか成り立ちとかを聞くと妙にワクワクしてしまうのは俺がオタクだからなのかもしれない。

 やがて馬車が森に差し掛かった。

 二台の馬車がなんとかすれ違うことのできる程度の道が森の中を蛇行するようにずっと先まで続いている。

 木々の密度が高く森の中を見通すことは困難で、少なからず圧迫感を覚える。

 車輪が奏でるガタガタとした音。

 木の葉の擦れ。

 風の音。

 そして時折聞こえてくる鳥や獣の鳴き声――。

 静かなようで色んな音が聞こえる森の中を進む。


(なんだか癒やされる……)


 森の中を馬車に乗って進むなんてもちろん初めての経験だ。

 呼吸すると胸いっぱいに広がる独特の匂い。

 土や葉、それに木の香りだろうか。

 大自然を感じさせるその匂いは、都会で暮らしているとそうそう出会えない新鮮な匂いだ。

 自分が自然の一部になったような――そんな不思議な経験を楽しんでいると、御者を務めていたルーが手綱を引いて馬車を止めた。


「ルー、どうかした?」

「あれ」


 ルーは手綱を握っていた手を離して前方を指差した。

 そこには馬車の進行方向を遮るように大きな木が横たわっていた。


「あー、やっぱり出ちゃいましたか」

「ミカ、出たって何が?」

「あれは盗賊が馬車を止める為に良くやる手なんです。木をどかそうとして下りてきた人を襲ったり、大勢で馬車を包囲したり――」


 俺の疑問に答えたミカの説明が終わるよりも早く、森の中から武装した男たちがわらわらと姿を現した。


「おうおう商人さんよぉ! なかなかいいオンナを連れているじゃねーかぁ!」

「ひひっ! 俺たちが可愛がってやるから、積み荷と一緒に置いていきな!」


 剣や斧で武装し、粗野な言葉遣いで威圧してくる盗賊たち。

 盗賊たちの言い方に眉を顰めたミカが、御者台に座るルーの肩を叩いた


「やっちゃいなさい、ルー」

「ん。了解」


 ミカの指示に頷いたルーが盗賊たちに向けて人差し指を向けて――。


「どどーん」


 擬音を口に出した。

 その瞬間、ルーの指先から衝撃波が発生し、馬車の進行方向を塞ぐ倒木ごと盗賊たちを遥か彼方へ吹き飛ばした。


「な、なにぃ~~っ!」

「ぐわぁぁぁぁ!」


 情けない声を上げながら空を飛んで森の中へと消えていく盗賊たち。


「え、今のなに?」

「指先から魔力の塊を飛ばして盗賊たちにぶつけて吹き飛ばした。大丈夫。全身骨折してると思うけど命までは取ってないよ」

「お、おう……」


 それは果たして大丈夫と言えるのか? と思わなくもないが、ルーが褒めて欲しそうにキラキラと目を輝かせているのを見ると何も言えない。


「守ってくれてありがとう、ルー」


 そう言って俺は御者台に座るルーの頭を撫でつけた。


「ん。……えへへ」

「良いなぁ……」

「次、ミカがやる?」

ります! ご主人様、次はミカがご主人様をお守りします! だからちゃんとできたらルーみたいに頭を撫でて褒めてくださいね♪」

「それはもちろん。だけどほどほどにね」

「もちろんです♪」


 大きく頷いたミカは、御者台に座るルーと居場所を交換して手綱を握った。




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