猿の恩返し

だるっぱ

猿の恩返し

「正月に食べるやつで、何か美味しいもんはないか?」


 朝の7時頃、カネヨさんが中央卸売市場にやって来られました。僕の会社は果物を専門に扱う仲卸で、お客さんの多くは小売屋やスーパーになります。週に一度は来店されるカネヨさんは、小売屋ではありません。大阪府茨木市に拠点がある大手土建屋の会長さんです。政財界とも繋がりがあり、とても顔が広い。


 果実というのは、贈答品としての価値が高い。夏場であればシャインマスカット。冬であれば苺。他にもメロン等を購入されては、繋がりのある関係者にプレゼントします。それなりの立場になられた方というのは、周辺への気配りも大変そうです。


 カネヨさんが頻繁に果実を購入する理由は、他にもあります。とても信心深い方で、毎月、お寺に果実のお供えをされます。一般的には、林檎を1ケースでもお供えすれば十分ですが、カネヨさんは違います。林檎、バナナ、みかん、メロン、葡萄と旬の果実を次々とピックアップします。しかも、高級なものばかり。上得意です。


 若い頃は、そうとうイケイケだったと思いますが、80歳を目の前にしたカネヨさんは人懐っこいお爺さんです。グレーがかった白髪に、豊かな髭。昔話に出てきそうなお爺さんです。そんなカネヨさんに、問いかけました。


「今日は、猿の為にバナナは買わないんですか?」


「バナナか。美味しいやつあるか? ここで買ったバナナを、猿の奴、美味しそうに食べるんや」


 実は、カネヨさんは猿の為にも果実を買います。猿と言っても、自宅で飼っているわけではありません。野生の猿です。


 仕事の拠点は茨木市ですが、カネヨさんのご自宅は箕面にあります。有名な芸能人も住まわれている箕面の高級住宅街の、更に上。一度、配達に伺いましたが、旅館の様なご自宅です。三日月のような細長い日本家屋が、大きな庭を囲んでいます。玄関の前は、車が展開できる広さがあり、個人の家というにはあまりにも大きすぎます。庭の先は、箕面の山に溶け込んでいて、深い森になります。この箕面の森に、猿が生息しているのです。


 昔、嫁さんと子供を連れて箕面の滝に遊びに行ったことがあります。あまりの猿の多さに驚きました。看板には「猿に目を合わせないでください。襲われます」みたいな注意書きがあります。嫁さんが弁当を入れた買い物袋をぶら下げていたのですが、なんと猿に強奪されました。怪我がなかったから良いようなものの、かなり危険です。箕面の猿には注意してください。あれは山賊です。


 ところで、カネヨさんには妹さんがおられまして同居しています。名前をヨシコさんといいます。ある時のこと、ヨシコさんは、庭の端に猿が侵入しているのを見つけました。箕面に生息している猿ですから、珍しくはありません。しかし、少し様子がおかしいのです。よく見ると、その猿は子供を抱いていました。その子猿は頭から血を流しており、片耳がありません。腕も、片一方が折れています。猿社会では、たぶん珍しいことではありません。犯人は母親猿に発情したオス猿の仕業でしょう。


 子猿のことを哀れに思ったヨシコさんは、子猿の為にとバナナを庭に置いて様子を見ました。母親猿は、そのバナナを掴み森に消えます。その日から、その猿の親子は、庭に現れるようになりました。実は、ヨシコさんは自宅の中で動物を飼っていました。ボスのインコを筆頭に、犬、猫、ウサギ。世話をしているそうした動物と同列に、猿の世話も始めたのです。


 毎日毎日、庭に果実を用意しました。用意される果実は、バナナ、リンゴが中心です。怪我をした子猿は、毎日、ヨシコさんが用意する果実を食べます。子猿から大人に成長して、母親猿は姿を見せなくなりました。その代わり、仲間が出来ました。群れからのけ者にされたのかもしれません。ヨシコさんの果実を目当てに、今度は三匹の猿が通うようになります。順番に、ルルちゃん、フー太郎、よたろうと、ヨシコさんは名前を付けました。また、猿だけでなく、タヌキやキツネまで、やってくるようになります。


 ある時、庭に熟した柿が置かれていました。多分、猿の仕業です。不審に思いながら、その柿を片付けたのですが、次の日も置かれていました。


 ――どうしてそんなことをするのだろう?


 猿のルルちゃんは、ヨシコさんが現れたからといって逃げることはしません。しかし、一定以上、近づきもしません。ヨシコさんが柿を手にする姿を、遠くからジッと見つめているのです。ヨシコさんは、試しにその柿を食べる真似をしました。すると、ルルちゃんがキーキーと騒ぎ始めたのです。その場で、クルリと回って喜びの姿を見せました。


 またある日のこと、その日は雨が降っていました。両手に果実を抱えたままでは傘がさせないので、頭にタオルをのせて庭に出ました。次の日、ルルちゃんに会うと、頭に葉っぱを載せていたそうです。ルルちゃんの姿に大笑いしたヨシコさんは、バナナの横にそのタオルを置いてみました。ルルちゃんは、バナナと一緒にタオルを持って帰ります。ルルちゃんが頭の上にタオルを載せている姿を見ることはありませんでしたが、一ヶ月ほど経ったころ、ドロドロに汚れたタオルが庭に投げ出されていました。


 信じられないような本当の話です。そんな話を聞きながら、むかし聞いたある学者の話を思い出しました。人間のご先祖様は、元々は猿です。猿というのは、木の上でハーレムを形成します。ハーレムにはボス猿がいて、森の果実、群れのメス猿を独占することが出来ます。他のオス猿は、ここで選択を迫られます。従うか、その群れから離脱するか。弱肉強食の世界です。


 ここで問題です。そうした猿が人間に進化するためには、どのような要素が必要でしょうか?


 ボス猿としての強さでしょうか?

 健康で、長生きすることでしょうか?

 子孫を残す繁殖力の強さでしょうか?

 

 2001年宇宙の旅では、話の冒頭にモノリスと類人猿が接触します。モノリスの影響から猿が道具を使い、仲間である猿を殴りつけます。――だったよね。記憶違いかも――それこそ、人類の進化の為には、モノリスが必要なのでしょうか。考えてみてください。人間になるためには何が必要ですか?


 学者さんによると、必要な要素は「落ちこぼれる事」だそうです。群れから落ちこぼれた猿は、木から下りることになります。木の上は、食べるものがあり、仲間がいる。楽園そのものです。対して、下界は危険が一杯です。猿を食べようとする獣が存在します。逃げるために、走らなければなりません。戦うために、道具を手にしなければなりません。生きるために、考えなければなりません。そうしたストレスが、猿を人間にしたそうです。反対に、楽園にいる猿はいつまでも猿のまま。森の喪失と共に滅びていく運命を背負っています。


 ルルちゃんが、人間になることはありません。しかし、群れからはぐれたルルちゃんが、ヨシコさんを通して通常の猿にはない特性を得たことは事実かもしれません。検証するすべはありませんが、面白い話です。


「ところで、会長。バナナは、どうしますか?」


「貰っとこうか。美味しいやつで頼むで」


「バナナなんか、どれを食べさせても一緒でしょう。相手は猿なんだし」


「ところがな、そうでもないんや」


「どういうことですか?」


「町のスーパーで買ったバナナやとな、少し齧っただけで捨てよるねん。生意気にも」


「それ、ホンマの話ですか?」


「ほんまやがな」


「口の肥えた猿ですね。ワッハッハッハッ!」


 大笑いしました。

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