第14話 遺稿


 この短歌集のページをめくり続けるたびに何度も問いが巡り巡っていた。


 課題もそっちのけで読んで如何なものか、と心配がなかったわけではない。


 課題はいつでもできる。


 みんな同じようにコロナのせいで勉強ができていないんだ。


 私は休校中に通常なら半年かけて進む単元も、しかも、独学で戦隊ヒーローのようにやっつけたんだ。


 少しくらいの余裕はある。




 荻原慎一郎。




 滑走路の作者であり、この歌集が記念すべき第一歌集であり、遺稿となった。


 解説にもきちんとその事実が書かれている。


 覚悟はしたものの、その哀しい真実を前に読み進めると胸が痛くなった。


 胸が痛いというより、咽喉の奥が痛い。


 本を読んで咽喉が痛くなるなんて生きてきた中で一ミリもなかったのに。




 夜明けとはぼくにとっては残酷だ 朝になったら下っ端だから




 真さんが口ずさんだ短歌。


 数多くある短歌の中でこれを真っ先に選んだのは真さんも同じように共感したからだこそ、私に教えてくれたんだ。




 朝焼けから逃避したくなる、目覚めの時間がある。朝なんて来なければいいのに、と思う布団の中で蹲る私がいる。


 昨日の温もりを残した薄い毛布は私の顔を覗き込んでいた。


 息を塞ぐような鬱陶しい朝のニュースは今日も昨日と変わらず、感染者の拡大の続報を伝えている。


 失われた日常というありきたりなフレーズを私は何度見聞きしたんだろう。




 もし、作者の萩原さんが生きていたら、変わり果てたこの世界をどう捉えたのだろう。


 考えてみる。


 そうか。私はこの三十一文字に希望を縛り上げたいんだ。


 この歌集を手中に収めても焦燥感は拭えない。


 コップに不安というエタノールが零れ落ちそうになる。不安というアルコールランプに白い焔がぼうぼうと吹き荒れる。このままならない気持ち、萩原さんも感じ取っていたんだろうか。




 今、私たちはセカイ系の中に放り込まれている。


 セカイ系に大きな不満があるわけじゃないけど、願いが叶うならば、萩原さんにその答えを尋ねてみたかった。


 それも過去形だ。過去進行形。過去完了形。


 過去の尺度を問う、生死にかかわる文法。


 目に留まった一首。




頭を下げて頭を下げて牛丼を食べて頭を下げて暮れゆく




 萩原さん、今ではその牛丼さえも贅沢な嗜好品だよ。


 私はしばらく、外食をしていないんだ。


 前に牛丼を食べたのはいつの日だったのかな、とふと思うんだね。




 散らかったままの机に座り込んで読み耽っていたらもう、深夜の針を超えていた。


 私は周りがどんなに夜更かしを自慢しても、十時までには就寝するタイプだったから、眠気のせいで授業に集中できなかったら本末転倒だ。


 慌てん坊のサンタのように布団に潜り込む。


 滑走路はベッドの脇に置いたまま。



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