第三章 三つ巴

第一節 水面下の蛇


 「なっ……何事だ?!」

 〈風(ふう)尾族(びぞく)〉に向けて発砲を始めたバロゼッタ兵を見留めて、〈仙〉の伝令兵たちは騒然とした。

「なぜ〈風尾族〉を襲撃している?!」

「大王(おおきみ)からの指示は?!」

「知らぬ!何も指示は来ておらぬし、つい先ほど万事順調の報せを飛ばしたばかり……」

「あの異民族、何と愚かな!せっかく味方についた〈風尾族〉を刺激しては、こちらが危ないというのに!」

「ええい、とにかく直ぐに伝令だ!馬の用意!」

「落ち着け、皆。私が行こう」

 冷静な声が割って入り、どたばたと馬に鞍を取り付けていた伝令兵たちの動きが止まった。

「――伊吹!……なんだそのなりは……」

 伝令兵たちが驚いたのも無理はなかった。

 伊吹の衣裳(いしょう)には、その手で殺めた〈仙〉兵二人分の返り血がべったりとついて、大きな染みになっていたからだ。

「……大王(おおきみ)が私の護衛にとつけてくださった二人が……、〈風尾族〉にやられた」

 伊吹はさも沈痛そうな声で言った。

「なんだと?!」

伝令兵たちから怒りの声が上がる。

「おのれ山猿どもめ、この圧倒的な力の差を前にして、なおも逆らうとは!」

「…………。」

 はぎ取った天幕の布を頭からすっぽり被って体に巻き付け、顔と〈風の戦士〉の装束を隠しているハナが、成り行きを見定めるように、静かに伊吹の後ろで呼吸する。

「それから他にも、大王(おおきみ)に伝えねばならぬ事がある。おそらくあの異民族は――〈ルホウ〉を本気で横取りするつもりだ」

「確かか?!」

「ああ。私があの異民族に、昨夜伝令を送ったのを知っているか?」

「状況の把握のためにと、一人送り込んでおったな」

「ああ。――見よ」

「?!」

 伊吹が掲げたそれは、切り取られた髪の毛の束――〈仙〉人を象徴するまげの一方だった。こびりついた血が毛の一本一本に絡みついて、毛質を固く傷ませている。

「彼は帰らず、今朝これが届けられた」

「ああ……」

彼らの怒りの声はもはや、嘆きにすり替わっていた。

「…………。それで伊吹、それは誰だ?」

 伊吹の戦況に関する報告が終わり、少しだけ落ち着きを取り戻した一人が、伊吹の後ろに佇むハナに目を向けた。

 何となく顔を覗き込もうとした伝令兵から、ハナは反射的に、うつむいた顔を反らした。

「?」

「ああ、この人は〈仙〉の民だ、安心しろ」

伊吹がにこやかに紹介した。

「西の盆地の民だそうだ。迷い込んだらしいので、道に出るまで送ってやろうかと」

 〝西の盆地の民〟と聞いて、伝令兵たちは途端に顔をこわばらせた。

「なるほど。それは……それならば伊吹、任せるぞ」

 そう言いながら、じりじりとハナから離れる。

「二人ほど、付き添ってくれるとありがたいが」

「だだだ大丈夫!な、皆!そなたの腕なら一人で森を抜けられる!行け、許す!」

 慌てて、むしろ青ざめながら、一人が皆に同意を求めると、満場一致で全員が首を縦にぶんぶんと振った。

「そうか?では行ってくる」

「伊吹!」

鞍の準備のできた栗毛色の馬にひらりとまたがりハナを馬上に引き上げた伊吹を、一人が呼び止めた。

「その、くれぐれも大王(おおきみ)に……」

ハナをちらちらと見ながら言い淀む伝令兵に、伊吹はさらりと答えた。

「我らが大王(おおきみ)は天の神〈ミホウサマ〉の御子。もし私が疫病を持ち込もうとも、大王様(おおきみさま)の前ではすべて浄化されてしまうのだろう?心配ない」

「そうか……そうだな。では伊吹、都に着くまではくたばるな」

 その言葉は伊吹の心配ではなく、伝令が伝わらずじまいだった場合を恐れての発言だった。

「痛み入るね」

 伊吹は皮肉半分の言葉を残して、馬の腹を蹴ると、獣道の奥へと消えた。



 ******



 「嘘に慣れているな」

木々を縫って走る馬の上、ハナがぽつりと声を漏らした。

 伊吹は一度だけ、前に座るハナの後頭部を見下ろし、そしてすぐに目線を前に戻した。

「慣れている。いくらでも嘘をつかねばならなかった。ヤツの側に居続けるために。ヤツの興味を引き、飽きさせず、役に立ち、おだて上げてきた……」

「復讐に未来はない」

「分かっている。だが私に、未来など要らぬ」

それに、と伊吹は付け加える。

「いずれにせよ、あの男が己を〝神の御子(みこ)〝などとうそぶき、〈仙〉の大王(おおきみ)で居続ける限り、この国に未来はない。」

 そこだけは、ハナもうなずいた。

「〈ミホウサマ〉の御子(みこ)だなどと腹立たしい。冒涜以外のなにものでもない」

 すると、ふっと後ろで小さく息を吐く気配を感じた。

「初めてそなたと意見が合ったな」

「…………。〝西の盆地の民〟は、」

 ハナが言い終わらないうちに、伊吹は「そうだ」と答えた。

「疫病が流行っている。この年は、西の盆地には〈ルホウ〉が吹かなかった」

「……〈ルホウ〉は吹いた。そのはずだ」

「え…………」

 伊吹にとって意外な言葉であったらしく、小さく声を上げた。

「どういうことだ?巫女……吹いたのか?吹いたというのに、作物は育たず、虫は死滅し、動物は逃げ出し、人々は飢えたというのか?」

「ハナ」

「何?」

「私はまだ、正巫女ではない。ハナだ」

 ハナはそっちを先に訂正してから、伊吹の疑問の答えを続けた。

「〈ルホウ〉は万物の命の風。〈ミホウサマ〉は万物の命を司り、万物の命に対して常に公平。ある命にとっては栄養となりうるものが、違う命にとっては猛毒になりうることも」

 伊吹は、ハナの言葉の意味を噛み下すがごとく、少しだけ黙った。

 ドッドッドッと馬が土を蹴る音だけが、鈍く響く。

 ややあって、伊吹はハナの言葉を簡単明瞭に表した。

「――〈ルホウ〉には二種類あるということか?我々にとって恵みをもたらす風と、逆に命を奪う風……。」

「もっと複雑だけど、まあ、そういうこと。」

 ハナがそう言ったとき、馬が森を抜けた。

茂みから飛び出すと、一気に視界が開けた。

 空は澄み渡り、緩やかな草原の坂を下った先には、森の境界線に接するように、丸石を両脇に並べて造った道があった。

 〈仙〉によって敷設中の、〈仙〉の都に通じる道だ。

 石を二輪車に山積みにして運ぶ、粗末な衣服の人々が、土埃まみれになりながら働いている。

 そして働く人々が、何となくそこだけ大きく避けて通る場所があった。

 道脇に、あの異民族が十人ほどを引き連れて待ちかまえていたのだ。

「読まれたか」

 すらりと背の高い女の指揮官と目があった瞬間、伊吹はすべてを悟った。

異民族の指揮官――アメリア大佐は、道脇に折りたたみ式のテーブルを据え、その上にあの奇妙な箱、タイプライター翻訳機を用意していた。

 指揮棒を垂立させ相変わらずの仁王立ちで、アメリアはバロゼッタ語で呼びかけた。

「待ちくたびれたぞ、イブキとやら!」

野太い声で、彼女は言う。

「さあ、是非とも教えてもらおうか。貴様らの腹の内を」



 ******



「こちらはワンが相手するヨ。君らは子猿たちに集中するといいネ」

「アイサー!」

 そうして対峙したワンは、ジンオウが立ち上がるまでは、迂闊に手を出せなかった。

 初老の男がただ体勢を整えているだけというのに、不思議とそこには隙が無く、下手に手を出せば逆にこちらが隙を作る結果になりかねなかったのだ。

 立ち上がったジンオウも、その間に動かなかったワンに、何かを感じ取った様子だった。


 ばぁん!ばぁん!ばぁん!


 銃歩兵隊が、向かってくる〈風尾族〉に、ついに遠慮のない発砲を始める。

 ――どう出るネ?猿の長、ジンオウ。

 ワンはフレイルを持つ手に力を込めた。


 ぶんっ……ぶんぶんぶんぶん……。


 ジンオウから目をそらさぬまま、いつでもフレイルの特性を生かした攻撃ができるよう鎖を振り回す。

 じり、とジンオウのかかとが、距離を取るように後ろへと動いた。

 殺気を称えた眼孔は、ひたすらにワン一点に集中している。


 じり。じり。


 微かに、微かに。ジンオウは後ろへ……いや。

 ワンは違和感を感じた。

 ジンオウは真後ろに下がっているのではない。


 斜め、後ろへ?


 あることに気づいて、ワンはなりふり構わず地面を蹴った。

 ジンオウはその一瞬先に動いていた。

 ワンを鋭く射抜いていた視線は反らされ、その先には銃歩兵が。


 ザンッ。


 「……う、うああああああああああああああああああ!」

 ジンオウの斧が、後列の装填準備中の兵を襲った。

 直前で気づいた兵は、とっさにそちらを振り向こうとして、

 振り向き終わった頃には、銃を握っていた彼の両手が、ぼとりとジンオウの足下に落ちた。

 「ジンオォォォォォォォォォ!」

ドォンと山中に響いた怒声とともに、間合いを取ったワンの腕の筋肉が唸る。

 フレイルのトゲ球が、着地してかがみ込んだジンオウの後頭部に迫った。



 ******



 「我が大王(おおきみ)。貯水池に白蛇が」

 ひょうたんの上半分を切り取ったような形の編みカゴを持って、火穂伎命(ほほぎのみこと)の配下の豪族らしい男が、その御前(ごぜん)に現れた。

「〈ミホウサマ〉よりの使いか、はたまた何かの前触れではと思い、捕まえさせまして、献上に参りましてござります」

 壁(かべ)竪(たて)式――地面を掘って土台とし、茅(かや)と粘土で壁を仕上げ、茅葺きの屋根を持つ、火穂伎命(ほほぎのみこと)の御殿。

 一部屋のみの室内は、一般豪族のものより広く取られ、貴重な白絹や染め布を惜しみなく使って飾られている。

 火穂伎命(ほほぎのみこと)が鎮座する中央には、すごく低いテーブルを九つほど並べたような木製の床が置かれ、さらに毛皮の敷物が敷かれていた。

 火穂伎命(ほほぎのみこと)の手前にも薄手で目の粗い麻布がかかり、謁見者は直接見ることを許されない。

 麻布のカーテンを通した向こうでは、火穂伎命(ほほぎのみこと)がごろりと寝転がって、カゴ一杯の木の実やフルーツをつまみながら、数人の女を侍らせている。

「白蛇か」

火穂伎命(ほほぎのみこと)は何気ない感じで言った。

 火穂伎命(ほほぎのみこと)にはべる女の一人が、それは白蛇を献上に来た男の娘だったのだが、ここぞとばかりに声を上げる。

「まあ白蛇。きっと、幸運の前触れですわ。すぐに占い師にお見せしなければ」

 しかしその時、火穂伎命(ほほぎのみこと)の頭の中には、ある言葉がよぎっていた。


『――白蛇は、真の王には服従を示すと言います』

 誰の言葉かは思い出せなかったが、どこかの部族の言い伝えに、そんなのがあったのだ。

 そしてまるでその考えを見透かしたかのように、手前に置かれた白蛇は、カゴの中で威嚇の音を発しながら、暴れ出したのだ。

 火穂伎命(ほほぎのみこと)は、気づけば立ち上がっていた。


 我を真の王では無いと申すか。


 白蛇に、ひどく侮辱された気分が込み上げると同時に、周りに侍る人間たちに、見下されたような気すらした。

 当然、他の者たちはその言い伝えを知らなかったため、突然立ち上がった大王(おおきみ)に、ただ驚いただけだったのだが……。

 白蛇のカゴを布越しに見下ろし、しばしば尋常ではない心持ちを顔に浮かべ硬直していた火穂伎命(ほほぎのみこと)は、やがてぽつりと言った。

「殺せ」

「……は」

媚びる愛想笑いを浮かべる豪族の男が、その言葉に一寸戸惑った。

 占い師にも見せず、白蛇を殺す?

 すると彼の大王(おおきみ)は、今度ははっきりと宣告した。

「白蛇も、その男もこの娘も、今すぐ処刑せよ!」

「えっ?」

「えっ?」

わけが分からない父と娘は、同時に短く声を上げた。

 戸惑う彼らを、衛兵たちが囲み捕らえ、一人は白蛇のカゴを手に、御殿の外へと引きずり出されていった。


 きゃああああああああああああ!


 どすっと鈍い音がして、泣き声の混じった女の長い絶叫が響いた。

 そしてそれも、もう一度鈍い音がすると同時に、ぴたりとやんだ。

第二節 一騎打ち


 今回、タイプライター翻訳機に活躍の機会が与えられることはなかった。

 アメリア大佐の言葉が打ち込まれもしないうちに、馬上の伊吹が、腰の銅剣を抜いたからだ。

 磨かれた銅というものは、太陽の光に、かくも美しくきらめく。

 それは、夕焼けに染まる黄金の色に似ている。

 しかし伊吹の剣は今、本来の美しさを失っていた。

 その眩しいほどの反射は、どこか鈍く、暗く。

 彼の銅剣は、影を放っていた。

 伊吹が剣を抜いたのを見ると、アメリアはフンと鼻を鳴らした。

「話す気もないか……。これではっきりした」

 そうして、一人の兵に言う。

「ワン中尉に伝えろ!撤退だ!」

「アイサー!」

 三人がそれぞれ、バロゼッタ海軍の黒馬に乗り、森の方へと走らせようとすると、行く手を阻むように、伊吹が走り込んできた。

 バロゼッタ伝令たちはサーベルを抜いた。

 が、彼らが刃を交える前に、発砲音が響いた。

 離れて状況を見守りだした道路工事中の人々が、ひいいいと上ずった声を上げた。


 ヒヒヒィ!


 一番驚いたのは足を撃たれそうになった伊吹の馬だった。

 興奮して前足を高く上げ、

「っぐ!」

伊吹はその背から振り落とされそうになる。

「行け!これは私の獲物だ!」

アメリアの声が飛ぶと、伝令三人は素早く伊吹の馬の横をすり抜けていく。

 しかし、

「ぐあっ!」

 最後の一人はすり抜けられなかった。

 暴れる馬の上で、――信じられないことに――、伊吹は、横側へと大きく上体を倒し込んで距離を稼ぎ、銅剣を突き出したのだ。

 それは一撃必殺とはいかなかったが、一人の肩を深く傷つけ、致命傷を負わせるには十分だった。

「行け!」

 慌てて馬を止めて振り向いた前の二人に、もう一度アメリアの厳しい声が飛んだ。

 けがを負った兵は、どうにか馬の向きを変え、その場を離れた。

 手綱を強く引き、ようやくコントロールを取り戻した伊吹が、アメリアをにらみ付けた。

 アメリアは、苦々しい顔をしながらも、先ほど発砲した、歯車でそのつど火花を発生させ引火するタイプの、単発式拳銃を、腰のホルスターに戻した。

 単発式とはつまり、火縄銃と同じく、一発ずつしか発砲できないということだ。

 戻ってきた手負いの兵を馬から降ろさせると、それに自分が飛び乗り、サーベルを抜く。

「――銅剣が鋼鉄にかなうものか」

アメリアは口の中で呟いた。

 伊吹は、馬上からハナを降ろした。

「……逃がすのか」

 ハナは意外そうに目を見開く。伊吹は、アメリアの方から目をそらすことなく、短く言った。

「邪魔になっただけだ」

 ハナは、少しだけ躊躇するそぶりを見せた後、きびすを返し森へと走った。

「ヴーレ!」

 背後で誰かが「追え!」といった類の言葉を叫ぶのが聞こえ、そしてそれは、アメリアの「ドゥシェ」で制止された。

 ハナは振り返ることなく、森の中へと姿を消した。

 「――――。」

 「――――。」

 伊吹とアメリアの間に、呼吸を計るような、静かな間が流れた。


 そして、


「来い!」

 アメリアの声と同時に、伊吹の馬が地面を蹴った。

 栗毛と黒鹿毛の馬が、そう遠くもない距離を一気に詰め上げると、二頭の中心でガン!と激しい激突音が響いた。

 アメリアのサーベルは、伊吹の剣の腹を狙っていた。

 二人の剣が太陽の光を鏡のように跳ね返す。


 ざんっ。


 アメリアのサーベルは、彼女の勢いと体重を乗せて伊吹の刃に襲いかかり、伊吹は受け止めた衝撃に、一瞬だけ顔を歪めた。

 銅剣の腹の上を滑らせるようにして、サーベルの刃は不快音を立てながらなぎ払われる。

 双方の馬ともに、勢いのまま少し進み、素早く手綱を斜め後ろに引いて無理矢理の方向転換。

 そして、伊吹の銅剣は、無傷だった。

「何だと……」

 アメリアは驚きを顔に出した。

 ――折るつもりではいた。あの勢いで突っ込めば、折れると踏んでいた。一刀でできぬとも、その刃に深く、傷かヒビが入ってもおかしくないはずだった。

 だのに何故。

 あの男は何をした?

 いや……剣の方か?

 まあいい。次は……確実にやる!


 間髪入れず馬の腹を蹴り、アメリアは再び右手にサーベルを構え、伊吹へ突進する。

 次は〝本体〟を狙っていた。

 アメリアのサーベルは、長さ的に騎乗戦ではかなり有利だ。


 先ほどの激突で銅剣の間合いは知れた。

 ならばこちらの剣先が届き、相手が届かぬぎりぎりを――狙う!


 栗毛の馬が黒鹿毛に迫る。

 ぎりぎりを攻めるに当たって、手っ取り早いのは槍のような突きだ。

 まさにすれ違おうという直前、アメリアは斬りつけを予見させるような構えから、刺突の構えへの切り替えを見せた。

 とっさのことに、伊吹は反応できず、銅剣を盾にするだろう。

 そうしてできた隙を逃さず、そのまま二度目の斬撃を食らわせる。


 ――さすがの貴様も避けれはしまい!


 しかし、伊吹はアメリアの読みに反した行動を取った。彼女の突きが繰り出されるより一瞬先に、再び大胆な上体倒しをして、アメリアの動きを封じるがごとく、剣を大きく振ったのだ。

「――っ!」

 突きどころではなくなったアメリアの方が、伊吹の攻撃を避ける羽目となった。

 馬を引いても避けきれないと踏んだ彼女は、その身を一気に、仰向けに倒し込んだ。

 ゆっくりとその一瞬は流れた。

 空を向いた彼女の高い鼻の、ほんの数センチ上を、伊吹の銅剣が平行に滑り――、

 刃はアメリアの三角帽のつばを掠って、羽根飾りの毛先を少しだけ風に舞わせながら、

 一陣の風のように彼女の上を過ぎ去った。

 二人は間をおかず、背中合わせに上体を起こしていた。

 できるだけ早く、直線に進む馬を再び急転換させる。

 が、この時には、今度は伊吹が、すでにアメリアに向かって突っ込んできていた。

「ふん」

 アメリアは小さく鼻を鳴らした。

 ――部下を傷つけられ、熱くなりすぎたか。

 それは、今までの互角のような交戦がまるで、嘘のようだった。

 彼女は突進してきた伊吹の馬の前へと、大胆に己の馬を飛び込ませたのだ。

 このままではらちがあかないと悟った彼女に、決闘じみた剣の戦いは、もはや無価値だった。

「?!っぐ!」

 伊吹が短く声を上げた。

 行く手を阻まれるのがあまりに急すぎた上、伊吹自身、アメリアの行動が読み切れなかったのだ。

 彼は思わず手綱を強く引き、急停止から回避につながるような行動を取ってしまった。

 そこに突き出された、アメリアのだめ押しの一手。

 剣先は当たらなかったが、大きく反り返った馬の背で、ただでさえ手綱を強く引きすぎている伊吹に、一撃を避けさせ、重心を大きくずらさせてしまえば。


 ――――ッドォオオオオン……!


 栗毛の馬がついに、横腹を地面に激突させた。

 派手な土埃がぶわっと舞って、馬とともに落ちた伊吹の視界を、瞬間的に奪う。

 馬の下敷きになった片足を引き抜き、何とか起きあがった伊吹の前に、きらりと白く反射するものが現れた。

 土埃が収まると、彼はずらりと並んだ剣先に囲まれていることを知った。

「終わりだ、イブキとやら」

 黒馬をトコトコと伊吹の前に歩かせて、馬上からアメリアが、バロゼッタ語で鋭く言った。

「不本意きわまりないことにしろ、貴様のせいで愚王の元へ至急行かねばならん。貴様を突き出し、〈仙〉兵の応援と護衛を要求せねばならんのだからな」

 そうして、アメリアは、バロゼッタ兵に指示した。

「逃亡できぬよう、足の腱を切って連れて行け」



 ******



 「待て!」

 地にうつぶせに抑えつけられ、その両足に剣の刃が当てられたとき、一人の女の声が強くこだました。

 ハナだった。

 アメリアが、いったん部下に待機をかけて、そちらに目を向ける。

 ハナは、体に巻き付けていたマント代わりの天幕をはぎ取ると、武器を持っていないことを証明した。

 彼女の墨色の美しい髪がふわりと風になびき、遠浅の海色の瞳は、太陽の光の下でいっそう透き通ったような光を帯びる。

 完全に見物人と化している道路工事の人々から、その神秘的な美しさに、ため息が漏れる。

 何者だ、とアメリア側が訊く前に、ハナは用件を叫んだ。

「あたしは〈風の戦士〉の次期巫女、ハナ!〈ルホウの寝床〉の場所を知っている!入り口まで案内してやろう!代わりにその男を自由にしろ!」

 無関係の見物人、言葉の通じないバロゼッタ人たちの中、ただ一人伊吹だけが、自分の耳と目を疑ったような顔をした。

 アメリアはその様子をちらりと見下ろし、伊吹をタイプライター翻訳機の前に連れて行かせた。

「訳せ」

 バロゼッタ語でアメリアが指示し、状況的に意味を理解した伊吹は、素直にハナの言った言葉を入力した。

「…………。」

訳を聞き、考え込むように黙り込んだアメリアに、森の辺から、ハナが追い打ちをかけるように呼びかける。

「〈ルホウ〉が狙いなのだろう!欲しくてたまらないのだろう!その男を助けなければ、あたしは今ここで自害するぞ!誇り高き巫女として!〈仙〉を出し抜く気はあるか?!ならば必要なはずだ!」

 その声色には、少しだけ焦りが見えた。

「…………。」

「〈仙〉はとっくに、入り口を知っているぞ!〈風尾族〉に聞いたはずだからな!どうする、異民族ども!」

 ハナはそこまで言い切ると、はっと少しだけ息を吐いた。

 黙り込むアメリアの反応を見守る。

 アメリアは、

「どう思う、ワン……中尉はいないか」

 習慣付いている言葉を口にし、そしてその後は早かった。

「いいだろう巫女!貴殿の提案、乗ってやろう!ただし!」

 かたかたかたかた……。

 アメリアの言葉を、バロゼッタ兵が少々急きながらタイプライターに打ち込んでいく。

「ただし、この男は我らにとって有害である可能性が大きい!巫女、我らは貴殿を、捕虜として扱う!男がおかしなそぶりを見せしだい、貴殿を殺す!」

「構わない!ルホウの秘密が守れるならばそれも本望!」

「おい!」

 ハナの答えに、伊吹はタイプライターを打つ手を止めて振り返った。

「自分の言っていることが分かっているのか巫女!」

「ハナだと言ったろう」

怒りを見せた伊吹の首元に、すぐに剣が突きつけられてけん制されたが、構わず伊吹はハナに呼びかけた。

「私などのために死ぬ価値などない!必要もない!放っておけ!」

「伊吹」

ハナはとても落ち着いた声を出し、伊吹の言葉を止めた。

「ではせいぜいあたしが死ななくて済むよう、気張ってくれよ」

「――――。」

 伊吹は言葉を失った。


 なんなんだ、その丸投げは……。

 いや、助けられたのは私の方だが……。


 バロゼッタ兵に小突かれ、ハナがアメリアに対して言った言葉だけを、翻訳機に打ち込む。


 頭の回転速度が妙に遅くなっていて、

 何かもう、バロゼッタやら〈風の戦士〉の巫女やら、いろんなものに逆らわなければならなくて、何だかがんじがらめだ。


 されるがまま、伊吹は銅剣を森の中に放りこんで返却され、その身を解放された。

 銅剣を森へ放ったのは、すぐにまた攻撃されるのを防ぐためだ。

 そして伊吹と入れ替わりに、毅然とした表情のハナが、再び――今度はバロゼッタ海軍の最中へと足を踏み入れ、捕虜となった。

「…………。なぜだ」

 バロゼッタが去ろうとするときも、伊吹は面食らった様子でその場を動けずにいた。ぽつりと、それはほとんど独り言だったのだが、

 ハナは答えた。

「借りがあったような気がした」


第三節 出兵


 ガッシャンッッッ!

 鎖が別の金属に激突する音が響いた。

 ワンの武器フレイルは、そのトゲ球をジンオウの後頭部に届かせることはできなかった。

 ジンオウは腰にもうひとつ、手斧を潜ませていて、銃歩兵に狙いを変えた瞬間、もう一方の手斧で後頭部を守っていたのだ。

 ジンオウの構えた手斧に直撃したトゲ球が、そのまま大きく軌道を反らして地面へ向かう。

 ワンは振り切ったフレイルを手早く振り上げると、そのまま体を回転させて勢いをつけ、立ち上がろうとするジンオウを狙った。


 ガキィィン!


 とっさに身構えたジンオウの交差した斧に、火花を散らしてトゲ球が当たる。

 ジンオウの瞳が、ちらと背後の気配を確認したのを、ワンは見逃さなかった。

 コイツ……!

 途端、頭の中が熱くなる感覚が込み上げる。

 まだ銃歩兵を狙う気でいるネ


 ぷちっ。


 彼は頭の中で、何か糸のようなものが切れる音を聞いた。

「今ワンと戦ってるのでしょうがァァァ?!」

 ワンと戦っていながら、他のヒト狙う、何という侮辱!


 ガアンッ、ゴォンッ、ガンッ!


 彼の攻撃に迫力と破壊力が増し、なによりスピードが上がる。

 〝フレイル〝という武器は勢いをつけて振るう一撃必殺。その打撃力は、時には鉄の盾をも砕く。しかし勢いをつけねばならない分、普通は振るう前と振るった直後に、隙ができるものだ。

 それをワンは、その鍛え上げた肢体によって、剣を扱うかのような早さで、右から左へ、左から右へ、ひゅんひゅんと振り回し、攻撃を繰り出していく。

 ジンオウも襲いくる連続攻撃に、ひとまず避けと防御に徹している。

 ワンに押され気味になって、じりじりと後退しているが、

 ワンをぎょろりと射抜く瞳に、苦しい色などみじんも無かった。

「こっっ……のぉオオオオオオオオ!」

 その目がかんに障ったワンは、ついに大きくフレイルを振り上げた。



 隙が、



 ほんの一瞬の隙が、ワンの腹部に、


 ――――ドッ……!


「うがぁッ……!」

 ジンオウの突進を、許した。

 腕を振り下ろすより前に、ワンは後ろへ大きく一歩、よろける羽目となった。

 すなわちそれは、隙の連鎖。

ワンが体勢を立て直すより早く、ジンオウの斧が風を切る。

「ブホッ!」

 ワンは脇腹へと突き刺さる激しい衝撃で咳き込んだ。

 ジンオウの手斧の刃先が、ワンの左脇腹に直撃していた。

 ワンはしかし、隙を最小限に押しとどめるため、無理矢理右に一歩踏みだし、斧の刃先から体を引き離す。

 ジンオウはそれを狙っていたかのごとく、すでにもう一方の手斧を振り上げていた。

「うおおおおおおおおおおおおおおお!」

 ジンオウの気迫がこだまする。

 振り上げられた手斧は、ワンの右首筋を狙っていた。

 立て直す余裕を与えず、ジンオウの渾身の一撃が、ワンの太い血管を断ち切るように振り下ろされた。


 ザザン!


「ぐあっ……」

 太い声の短い悲鳴が、規則正しい銃声と、向かってくる戦士たちの雄叫びの背後で、響く。

 次の瞬間、ジンオウが横へと吹っ飛ばされた。


 ドサアアアアッ。


 ワンの胸の位置ほどしかない背丈の小柄な体が、土を削りながら地面を滑った。

 悲鳴はつまり、ジンオウのものだった。

 ジンオウには、ワンがフレイルを、とっさに背中で左手に持ち替えたのが、見えていなかった。

 脇腹に深手を負わせた手応えのあったジンオウにとって、この二秒ほどの間に、体勢を立て直すことすらできずにいるワンが、左手側から攻撃を繰り出すなど、あり得ないことだったのだ。

 ただし間合いが近すぎた今の場合、ワンはフレイルのトゲ球の部分でなく、その柄自体を武器とした。

 ようは木の棒で思いっきりなぎ払われたようなものだったのである。

 ジンオウは怒りを顔に出して直ぐにぴょこんと立ち上がって、肉食獣が獲物を狙うがごとく、姿勢を低く構えた。

 つう、と、首筋を液体が垂れ落ちるのを、ワンは感じ取っていた。

 その額には、汗がにじむ。


 危なかったネ……。


 ほんの少しだけ、斧はワンの首を掠っていたのだ。

 ワンは、獲物を自分一本に絞ったらしい肉食獣を油断無く見つめる。


 フォンフォンフォンフォン……


 彼のフレイルが再び回転を始め、鎖が唸りを上げる。


 …………。


 ワンが先に踏み出そうとしたその時だった。

 二頭の黒馬が北側の森から飛び出してきたのだ。

「アメリア大佐より伝令ーっ!撤退!」

「待ちくたびれたヨ大佐」

 ワンが目をそらした隙にびゅんと距離を詰めたジンオウを、見ないまま避けて、ワンはバロゼッタ銃歩兵へと声を張り上げた。

「放火ネ!」

「アイサー!」

もう一度の発砲が行われ、その間に、後列はもう装填を行わなかった。ただ横一列に散って、地面に火縄を近づけたのだ。

 瞬間、火柱の壁ができあがり、風尾族と丘の上のバロゼッタの間に、熱く高い、絶対的な仕切りを造り上げた。

 そのきれいな横一列の炎はつまり、あらかじめそこに可燃性の液体をまいて準備万端整えていたことを意味した。

「ジンオウ、お邪魔したヨ」

伝令のバロゼッタ兵がワンのために黒馬を空けると、ワンは飛び乗りながら言った。

「何もしない、ダイジョーブね」

ふふふと笑って呼びかけると、ジンオウはワンを睨んだままだったが、しかし風尾族の戦士たちが足止めを食らった今、もはや手を出そうとはしなかった。

「撤退!」

ワンが叫び、銃歩兵小隊は負傷兵を担ぎつつ、駆け足でその場を離れていった。



 ******



 頭を切られた白蛇が、その艶やかだった鱗をどす黒く染め、地面で未だ、尻尾の先をくねくねと動かしていた。

 そこに、びらびらした袖の上着と袴(はかま)を着て、頭には長い色糸の束を提げた冠を乗せた、一人の少女が現れた。

 真っ黒な髪はあごの辺りでばっつりとそろえていて、肌は気味が悪いほど白く、その瞳は金色だった。

 彼女は処刑された二人の人間には目もくれず通り過ぎたというのに、白蛇の前でだけ、足を止めた。

 そして、特に表情を動かすわけでもなく、大きな瞳を前に戻し、大王(おおきみ)のいる宮へと歩を進めた。

「花露(かろ)か」

 少女を見るなり、布越しに、大王(おおきみ)、火穂伎命(ほほぎのみこと)が声をかけた。

 花露と呼ばれたその少女は、普段ならば、それに応えるように目の上で袖を合わせ頭を垂れるところだったが、今回はそれをしなかった。

 花露は抑揚のない声で、出し抜けに言った。

「わっちの白蛇を殺めなさりやんしたか?」

すると大王(おおきみ)は、「おお」と声を上げた。

「あれはそなたの蛇であったか。それはすまぬ事をした。しかしの、花露、白蛇が神の子である我に、反抗的な様子を見せたのだ。何やら不吉であったゆえ、蛇を連れてきた親子ともども処刑したのだ」

大王(おおきみ)は、饒舌(じょうぜつ)になってそう説明した。

 白蛇がどこからともなく現れたのではなく、専属の占い師のものであったと知って、安心したのだろう。

 花露はそんな大王(おおきみ)を、無礼にも観察するようにじろじろと見ながら、ぽそりと、再び口を開いた。

「いいえ、火穂伎命(ほほぎのみこと)。神言あって、御前を試させていただききやんした」

その言葉で、大王(おおきみ)の顔から笑みが消える。

 花露は淡々と続けた。

「わっちの白蛇だから何だというのでござんすか?火穂伎命(ほほぎのみこと)、御前は白蛇を手なずける術を知らぬのでやんすな」

「何だと……」

不思議な雰囲気を放つ少女の大きな瞳が、まるでそこに布の仕切りなど存在しないかのごとく、大王(おおきみ)をじっと見つめる。

 大王(おおきみ)は背筋にひやりとしたものを感じていた。

 少女の金瞳は、いつもどこか虚ろのようでいて、しかし目を合わせた途端、その何ともいえぬ眼力に驚かされる。

 奇妙な気色を与える花露の存在は、全ての民の頂点に立つ者と自負する火穂伎命(ほほぎのみこと)ですら、畏怖の念を感じずにはいられなかった。

 「火穂伎命(ほほぎのみこと)、御前(おまえ)は間もなく大王(おおきみ)では無くなる」

 呪文のような花露の言葉に、大王(おおきみ)は憤慨することもできなかった。

 その射殺すような金瞳から、目をそらせず、ただ、口を半開きにした。

「御前(おまえ)は大王(おおきみ)の器ではなかった。わっちはもう、御前を導きはしないでやんす。天のすべてが御前をそこから引きずり降ろすように、回り始めているのでやんす」

「こ、ころ……」

「殺すのでやんすか?わっちを殺したって、天の巡りは止められぬでやんす。わっちは、天にかすりもしない存在でやんすから」

 震える声で処刑を宣告しようとした大王(おおきみ)を遮って、花露はやはり淡々と、そんなことを言った。

「ど……どうしろというのだ!花露!答えよ!天の巡りにそなたが無関係だというのならば、今ここで我に味方せねば、拷問にかけるぞ!」

 大王(おおきみ)は焦りを前面に出して、体裁も気にせず花露にすがりついた。

 花露は冷ややかとも取れるほどに感情の欠片も浮かばぬ目を大王(おおきみ)へと向けた。

「天の巡りに影響を及ぼすのは、わっちではなく御前でござんしょう。〈仙〉というくにの大王(おおきみ)である自覚がありますれば、わっちがこうと言わずとも、おのずと巡りは変えられましょうに」

「……。」

大王(おおきみ)は、しばし呆然と花露の金瞳を見つめたのち、ハッとして立ち上がった。

「〈ルホウの寝床〉……あれが我の手に落ちさえすれば」

「衛兵!」

「はっ」

大王(おおきみ)の声に反応し、出入り口を守る兵二人がひざまずく。

「出兵の準備だ!この火穂伎命(ほほぎのみこと)自ら、〈ルホウ〉を見つけ出してくれようぞ!」

 半日もたたぬうちに、出兵の合図の太鼓が鳴り響いた。

 偶然か必然か――伊吹の望んだように、大王(おおきみ)火穂伎命(ほほぎのみこと)はかき集められるだけの兵を引き連れ、〈仙〉の都を出立したのである。


 天の巡りだと?

 ならば我は神の先手を打つのみ。

 〈ルホウ〉を手にし、神さえも操る存在となるのだ。

 誰にも邪魔などさせぬ……!


 火穂伎命(ほほぎのみこと)は、銅の装飾で飾った戦馬の上、今更込み上げてきた怒りと焦りで、静かにその目をぎらつかせていた。 

第四節 策


 「報告します。前方に、向かってくる騎馬が一騎」

大王(おおきみ)は、人を遣わせよ、と指示しようとして、その人物がちらと目にはいると、指示をやめた。

 代わりに、草原の遙か彼方を一直線にこちらへ向かうその人へと、直接声を張り上げて呼びかけた。

「伊吹!――伊吹か!」

 伊吹は栗毛の馬を駆って草むらに線を引きながら、大王(おおきみ)の側まで来ると、騎乗のまま答えた。

「我が大王(おおきみ)。何故ここに……?それに、この軍はなんです?」

 尋ねながら、伊吹の中には、「勘づかれたか?」と緊迫がよぎる。

 ――バロゼッタは〈仙〉への伝令を送らなかったが……。まさか別隊がいたのか?

 しかしそんな伊吹の心配をよそに、大王(おおきみ)は、

「そんなことはどうでもよい!」

と伊吹を一喝した。

 その赤ら顔はますます赤くなっている。焦りと、ほんの少しの恐怖の色が、浮かんでいる。

 大王(おおきみ)の心情穏やかでない様子を感じ取った伊吹は、違和感を覚える。


 なんだ?


 大王(おおきみ)が伊吹に、戦況を訊く。

「正午の伝令では〝万事順調〝とのことだったな、伊吹。なにも変わりはなかろうな?」

「――――。」


ここぞとばかりの私の行動に気づいたか?

この質問は、質問ではなく探りだろうか?

答えによっては……殺されるか。


 一秒の間にそれだけの考えを巡らせた伊吹は、心の中で舌打ちした後、半ばやけくそになって言った。

「〈風尾族(ふうびぞく)〉が、〈風の戦士〉の集落にて反乱を起こしました。バロゼッタだけでは対応しきれない。至急、この軍が必要です。大王(おおきみ)、このまま現在の拠点、〈風尾族〉の村へ向かってください」

 嘘だとばれていればこの場で首を切られるだろう。

 そう思いながら、目の上で両拳を合わせ頭を伏せて、じっと大王(おおきみ)の反応を待った。

 大王(おおきみ)はしかし、伊吹の予想していなかった反応をした。

「そうか……やはり、やはり……」

 ちらりと目だけを送ると、大王(おおきみ)は目を見開いてどこかを見つめ、その表情にいっそうの焦りを浮かべていた。


 どうしたというんだ?


 さすがの伊吹も戸惑う。大王(おおきみ)は少しの間の後、覚悟を決めたように顔を上げた。

「行くぞ伊吹!」

「!……御意!」

 伊吹は面食らいながらも、とりあえず気づかれてはいないらしい事が分かって、復讐への希望を取り戻した。



 ******



 〈風尾族〉の集落に留まっては危ないと判断したバロゼッタは、夕刻までにはそこを立ち去る準備を整えていた。

 しかし、そんな彼らの元に〈仙〉軍先発隊が現れたため、火穂伎命(ほほぎのみこと)の到着まで、アメリアは出発を延ばすことになった。

 崖の上に天幕などを用意していく〈仙〉軍先発隊の様子を見、それから岸壁の〈風尾族〉の家々を見下ろし、最後に崖の縁で遠巻きに見守る〈風尾族〉の女、子ども、老人たちを見た後、

 アメリアはラビットソン教授を呼び寄せた。

「あののろまな者らに、〈仙〉軍が集まる前にさっさと逃げるよう言え。バロゼッタは彼女らを解放する」

 仁王立ちで、ひどく不快そうな面持ちで、アメリアは吐き捨てるように言った。

「私たちは戦に関与するのはごめんだ」

 口ではそう言いながらも、ラビットソン教授はアメリアなりの女たちに対する気遣いを感じて、少し表情を緩めた。

 「優しいですね、大佐」などというと撃たれそうな気がするので、もちろん教授はそんな台詞を吐いたりはせず、ただ「分かりました」と言って、彼女らの元へと駆け寄った。

 ラビットソン教授は語学の勉強を兼ねて彼らと何度か話をしていたので、幾分かは彼らに信頼されていた。

 「逃げる」ということに最初はもめた様子だったが、やがて、己の戦士たちが待つ南側へ向かって、森の中へぞろぞろと入っていった。

 戦うときは戦士たちと一緒に、そう説得されたのだろうか。

 アメリアは、さて、どうするか……と思案を巡らせた。薄暗くなり出している。


 先発隊の話では、軍は夜には着く。

 イブキが動いたのだろうか。

 それにしたって、大王(おおきみ)まで出てくるとは……〈仙〉はやけに焦っているな。

 いや、確信を得ているのか?

 〈ルホウ〉の場所に。


 その時、甲高い少女の声が響いて、アメリアは振り返った。

「ハナ姉!ハナ姉!」

「ドゥシェ!ドゥシェ!待て、だめ、マキ!」

 この土地の人間らしい少女が、何やら捕虜の巫女の名を呼びながら駆け寄っていく。その後をラビットソン教授の助手が慌てて追いかけている。


 誰だ、あの少女は。

〈風尾族〉の一人か?


 アメリアは眉根を寄せ、その素性を判断するためにしばし観察を決め込んだ。



 ******



 「――マキ?!」

 ハナがぱっと顔を上げた次の瞬間、妹は全力で首元にしがみついた。

「ハナ姉っハナ姉!――よかった、無事で!よかったっ……」

 マキはたがが外れたように、ぼろぼろと泣き出した。

「マキ、あんたも……」

あんたも無事で、と言おうとしたけれど、ハナはその言葉を呑み込んだ。

 マキは傷だらけだったからだ。

 特にひどい傷を、腹部と右二の腕に受けているのが分かる。

 手当てはきちんと施されているようだが、泣きながら、マキが、時折痛みに体をこわばらせるのを感じた。

「――――。」

 ハナは、何も言葉が出てこなかった。

 ただ、マキを引き寄せて、その温度を確かめるように、頭を抱いた。


 ごめんね。守りきれなくって。

 生きててくれてよかった、マキ。


 心の中で、そう囁いた。

「――ていうか、ハナ姉!」

 突然泣くのをやめてばっと顔を上げたマキに、ハナは面食らった。

 マキは一通り姉の無事を確認したら、もう切り替えた様子だ。

「なんでこの人たちといるの?!平気?!殺されてないよね?!」

 一瞬、なんて切り替えの早い子!なんて思ったがそこまで切り替えられてもないようだ。

「殺されてはないよ。マキ、落ち着いて。いったん落ち着いて」

 そうしてハナは、完全にテンパっているマキをなだめなだめ、これまでの経緯をざっと説明した。

 マキはそれを聞いて、今度は落ち着くどころかバッと立ち上がって姉をにらみ付けた。

「〈ルホウの寝床〉の入り口を教える?!ハナ姉、何考えてんの!」

マキは怒りをあらわに、声を震わせて怒鳴った。

「私たち、何のために仲間を見捨てて逃げたの?!何のために……」

「マキ」

ハナがマキを引き寄せた。

「だーいじょうぶ、入り口まで、だから。入り口が知れたところで何だっていうの?誰もその先へ辿り着けはしない」

「でも……でも、約束、守らなかったら……。あいつらが、解放しなかったら……?」

「その時は、どうすべきか、姉ちゃん分かってるよ」

「……!」

 その言葉の意味が分かるだけに、マキはハナの肩に額を預けたまま、ぐっと唇を噛んだ。

「死なないで」

 切ない願いに、ハナは、何も答えずにただ、妹の髪をなでた。

 コールは、二人のやりとりの意味がすべて分かってしまうコールは、ただ立ちつくしていた。

 「…………。」

コールは、何かを言いかけるように口を開いたけれど、のどから言葉が出ない様子で、すぐに口を閉じた。

 無意識に伸ばした手が、行き場を失うように宙に留まった。

 アメリアは、マキがハナとひどく親しい間柄であることを理解すると、部下を一人呼び寄せ、指示した。

「あの子どもを追い払え。邪魔だ」



 ******



 数人の兵に引っ立てられて、わめき散らすマキがぺーいっと森の奥へ放りやられてから直後のこと、〈仙〉本軍が到着した。

 間もなく、〈仙〉軍の建てた天幕のひとつに、アメリア大佐、ワン中尉、大王(おおきみ)火穂伎命(ほほぎのみこと)と、〈仙〉軍を率いる豪族の男が一人、そして伊吹が、顔をそろえた。

 今回はタイプライター翻訳機は使われず、通訳として、ラビットソン教授も同席した。

 伊吹は、アメリアがどう出るか――伊吹が独断でバロゼッタと〈風尾族〉を焚きつけ、戦闘に持ち込んだことを、この場で告発するのか――を探るように、目を向けた。

 すると彼女はこちらを一瞥(いちべつ)し、興味なさげな様子ですぐに視線を外した。


 ――なるほど、約束は守るということか。


 会議の内容は、ごく表面的で平易なものだった。

 お互いに腹の内を隠しての話し合い。

 バロゼッタ軍は、〈風尾族〉が先に反乱を起こしたという伊吹の言い分に乗っかった上で、これ以上は関われない、船へと戻りたいので護衛が欲しい、と要請した。

 巫女を手中にしているとは言わない。

 もちろん、〈ルホウ〉など眼中にも留めていないといった様子を見せる。

 それでこの大王(おおきみ)が納得するはずもなく、じりじりとした腹のさぐり合いが続く。

 伊吹は、自分が〈ルホウの寝床〉への入り口を見つけてしまっていることを、大王(おおきみ)には言っていなかった。

 そしてその事は、ここにいる人間では、彼と、今は他のバロゼッタの天幕に隠されている、ハナしか知らない。

 本当の切り札を持っているのはつまり、伊吹だったのだ。

 彼はここに集った人間たちの手持ちのカードを、唯一、全て把握しているのだから。

 それ故に、彼は口を挟まず、しばらくは様子を見守って、何をどう動かせば、己の目的への道が開かれるか――、その一点に集中して思案を巡らせていた。

 だが、ハナの言葉が、脳裏をちらちらとよぎる。

 〝せいぜいあたしが死ななくて済むよう、気張ってくれよ〟

 伊吹は頭をかきむしりたい衝動を必死に抑えた。

 巫女の言葉が集中力を、散漫させる。

 ――なぜ気にする。巫女をそばに置いて隠したのは、私に利があったから。

 我が大王(おおきみ)抹殺に向けて、使える駒(こま)を手元に置いたに過ぎないのだ。

 もはやここまでくれば、巫女の命などどうでもよい。

 ましてや〈ルホウの寝床〉へと辿り着かせる必要もない。

 そして私は、入り口までなら案内できる。

 あそこなら――。

 伊吹は、一度だけ訪れた〈ルホウの山〉の岩窟を、鮮明に思い起こした。


 あの、ほぼ密室の薄暗い空間。

 少人数しか入れないあそこでならば――、やれる。


 そうして、イライラしだしたアメリアと、何とか銃歩兵の力をもっと利用しようと遠回しに話を引き延ばす火穂伎命(ほほぎのみこと)の間に、伊吹はついに割って入った。

「さて、お互い腹の探り合いは、これくらいにしましょう」

「なに?」

 ラビットソン教授の訳を聞いたアメリアが、眉根を寄せて伊吹を睨んだ。

「伊吹、何か考えがあるのか」

大王(おおきみ)が発言を許す。伊吹はそれに一礼をして、顔を上げた。

「我が大王(おおきみ)、我らの目的は〈ルホウの寝床〉であって、〈風尾族〉討伐ではない。我らがここに留まって猿の相手をする必要性など、皆無です」

「だが今や、その〈風尾族〉が〈ルホウの山〉への防壁と化してしまっておるのだぞ?きゃつらを黙らせねば、道は開かれまい」

「この大軍を率いて行かれるおつもりなら、確かにそれしか方法はござりませぬ。しかし大王(おおきみ)、〈ルホウ〉の力さえ手に入れてしまえばこちらのもの。〈風尾族〉だろうが〈風の戦士〉だろうが、もはや敵ではなくなります」

「回りくどい説明はよい。策があるならば、さっさと言え」

 大王(おおきみ)がそう促すと、伊吹ははい、とひとつうなずいてから、考えを述べた。

「ようは、〈風尾族〉の注意をここへと引きつけておき、我らは気づかれぬよう少人数で、森の中を大回りして、〈ルホウの山〉へと近づけばよいのです」

 ラビットソン教授の訳とともに、ぴく、とアメリアの耳が動く。


 どういうつもりだ。


 鋭い視線が伊吹に問う。

「ま、待て、伊吹!」

一人、大王(おおきみ)だけが、驚いたような、焦燥したような声を上げた。

「そなた、まさか――、まさか、〈ルホウの寝床〉への入り口をすでに見つけておるのか?!」

 伊吹は当然その問いに、

「はい」

と、答える。

 ――つもりだった。

 しかし、いざ口から滑り落ちたのは、沈着冷静な彼の意識とは、まったく別の言葉だった。

「いえ、私は知るよしもありません。しかし幸運にも、アメリア大佐はその場所を知る巫女を見つけ出し、捕らえております」

「何?!まことか!」

大王(おおきみ)が目をむいてアメリアに確認する。

 アメリアは、少しだけ苦々しげな顔をしたが、すぐに笑顔を作って、うなずいてみせた。

 伊吹の言葉の背後によぎっていたのは、巫女を死なせぬにはどうすればいいかという、衝動的な思いだった。

 今の時点で伊吹にできることは、ハナの存在価値を公(おおやけ)にすることで、誰にも手出しできぬようにすること。

 バロゼッタは、数で圧倒的に劣る彼らは、大王(おおきみ)が「渡せ」と言えば、従うしかないだろう。

 そしてあの場所で大王(おおきみ)さえ殺害してしまえば、彼女はもう自由だ。

 伊吹は、己の言葉に初めこそ戸惑ったものの、すぐに先の流れを計算し直していた。


 そなたの挑戦状、受けてやろう。


 彼の読み通り、会話は進んだ。

 大王(おおきみ)が巫女の引き渡しを要求し、アメリアが承諾。

 気分の乗った大王(おおきみ)は、快くバロゼッタ兵撤退のために護衛をつけると約束。

 そうだ。異民族はさっさと去るがいい。私の計画に、そなたらはもはや邪魔だ。

 伊吹は内心でほくそ笑みながら、それを表面にはおくびにも出さず、静かに見守る。

 だが、アメリアの思わぬ一言が、伊吹の計算にずれを生じさせることとなった。

「大王(おおきみ)ホホギノミコトよ。しかし少人数で行くのはあまりに危険な気がする。よければ私もお供しよう。もちろん、」

 アメリアは不敵な笑みを浮かべて、腰のホルスターから拳銃を抜き、その銃口を大王(おおきみ)へと向けた。

「私にはこれがあるぞ」

「!」

反射的に伊吹は、大王(おおきみ)の前に飛び出して、アメリアへと剣先を向けていた。

 ――私が殺すのだ。

 長年の癖で思わずそうしてしまったのだが、その事実がたまらなく嫌気を伴い、心の中でそう言い聞かせつつ、アメリアを睨んだ。

 アメリアはフッと唇の隙間から息を漏らすと、伊吹を無視して、大王(おおきみ)へと呼びかけた。

「この距離なら、私はこの男を殺せるが、この男は私に傷も付けられん。どうだ、ホホギノミコト。私たちの助けは不必要か?」

「い、いや……。」

 しばし惚けた表情を浮かべた大王(おおきみ)だったが、次の瞬間、かっかっかっか!と声を上げて笑った。

「うむ!そうしてくれるか!いやはや何とも心強い!のう、伊吹!」

「…………。」

伊吹は、油断なくアメリアを見ながら、

やがてゆっくりと、その刃をさやに収めた。

「――はい、まことに。」

ぎこちなく、大王(おおきみ)の言葉に応える。

 アメリアは、その瞳に見下すような、半分勝ち誇ったような光を映して、伊吹が納刀したのを確認してから、ようやく銃をしまった。

「では、十分後に出発だ」

アメリアが言い、ラビットソン教授が訳し、大王(おおきみ)が驚きを顔に出した。

「もうか?夜分ではないか」

「〈風尾族〉がここに到着してから出発していては遅かろうが。我々は見つからずに進まねばならんのだぞ?悠長に朝など待っていられるか。とことん考えが浅いのだな、この国の王は。〈風尾族〉は明朝、いや早ければ今夜にでも、奇襲をかけてくるかもしれんぞ。巻き込まれている場合か?私はごめんだな。貴様が陣頭指揮のために残るというなら話も分かるが。まあ貴様のような奴が指揮に残った方がそこの豪族の指揮官にとってはやりづらいことこの上なかろうよ。私の知ったことではないがな」

 直で伝わらないのをいいことに、アメリアはここまでの鬱憤(うっぷん)を発散させるがごとく、一気にそれだけ語り終えると、少しすっきりした面持ちで軽く一礼し、大王(おおきみ)の返事も待たずにきびすを返したのだった。

 今回話を振られなかったためか珍しく大人しかったワン中尉も、すぐに後に続いて去り、

 取り残されてしまったラビットソン教授が、大佐の言葉から失礼と嫌みを取り除いて要約した上で翻訳し、額に汗を浮かべながら、一人必死で、大王(おおきみ)にその旨を伝えるはめとなった。



 ******



 「ワン中尉」

 すでに撤退準備の整っている自軍の方へと闊歩しながら、アメリアは振り返りもせず声をかけた。

「分かっていると思うが、いざとなったら応戦できるよう、準備と警戒を怠るなよ」

「アイサ。ワンに任せるネ」

 ワンがにこやかにそう答えると、初めてアメリアは、ちらりと振り返り、大きな傷を受けているはずのワンの腹部に目を遣った。

 軍服のコートが破れて血に染まっている。

「次あるとすれば籠城戦だ。一人も船に近づけるな。接近戦は避けろ。それだけだ」


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