第二章 交錯する思惑

第一節 コール・チェンバー


「…………。」

二人の間に、しばしの沈黙が流れた。

 マキは力の入らない右腕をコールの首に巻き付けてあごを上げさせ、左手に握った短刀を、その首元に、太い血管の位置に突きつけていた。

 ややあって、マキが言った。

「風の戦士たちをどうした」

「あそこには、いない」

コールは答えた。

「じゃあどこだ!ハナ姉は……風の戦士たちはどこにいる!答えろ!」

耳元で叫ばれ、コールの頭がびくりと少しだけ揺れる。

「俺は知らないです。ハナ姉……マキ、探している、人?」

「そうだ!お前らが風尾族をけしかけたんだろ?!」

「え……っ」

「風尾族は、風の戦士から堕ちた者たちとはいえ、風の戦士を襲ったりはしない!そのせいで……。分かっているのか?自分たちが何をしているのか!」

熱のこもったマキの声が、鼓膜を破られそうな程がんがんと、コールの頭に響く。

 おぶわれているマキは、突然落とされるのを警戒して、皮膚が切れるぎりぎりの所まで、短刀の刃を彼の首に押しつけていた。

 もしコールがマキを落とせば、自動的に彼の首も危ない。

 コールはマキの言葉を聞きながら、強制的に上を向かされたその瞳に、満天の星空を映していた。

「――マキ」

「なんだ!」

「俺は、戦う側の人種ではないよ。敬愛するラビットソン教授の助手として、ここに来た。俺は君たちの考え方を知りたい」

「……何をしゃべっているんだ?」

コールはバロゼッタ語で自分の伝えたいことを、一方的に話した。マキには当然、彼の話した内容はまったく分からない。

 ふざけずに答えろ、そう怒鳴ろうとしたときだった。

 コールが少しだけ首を動かして、肩の位置にあるマキの頭に目を向けた。

「〈ルホウ〉、正体、知りたいです。教えて。俺はマキと話がしたいです」

「?!……お前に話すことなど――!」

激情に任せて断ろうとしたマキは、コールの真剣な深い碧の瞳に戸惑って、言葉を止めた。

「俺は教えて欲しいです。俺は研究者です。研究者は、信じた道、進む、ヒト。」

マキは呆気にとられ、無意識に短刀を下ろしていた。

「……風の戦士に味方するか?」

コールは答えた。

「マキの味方なら、してもいい」

「なっ……」

「そうだ、マキ、いいもの、見る」

いい物見せてあげる、と言いたいのだろう。

 首元から短刀が離れたコールは、開けた高台から再び森の中へ、バッテン目印を頼りに少しだけ歩く。

 彼がランプを掲げた先には、夜光キノコの群れがあった。

 夜光キノコが列をなし、ぞろぞろと木の根を越えてどこかへ向かっていた。

 「すごく、きれい。あれ、アリ、だよね?」

訊いたのは、コールだ。

「そう。キノコアリ。月光キノコが好物で、こうして列をなすの。きれいかもしれないけど……」

 きれいだと思うのも納得はできるけど……。

 マキは怪訝そうな顔でコールの横顔を見遣った。

「あれ、食べれないよ。キノコが毒持ってるせいで、アリも毒持ってるから……」

 思わず少しだけ、申し訳なさげな口調になる。

「え?」

コールは驚きを顔に出して、少し戸惑った後、

「あははは!」

声を上げて笑った。

「??」

マキは何がおかしかったのか分からずきょとんとする。

「そっか、食べれない。残念」

コールは笑いながらそんなことを言って、そしてそこを離れた。

 マキはもはや、警戒することを忘れてしまっていた。

 コールの素直さは、ぴりぴりした心を柔らかくするような、不思議な雰囲気があった。

「見つかる、まずい?」

そう問われて、マキは風尾族の方へ近づいていたことをはたと思い出す。

 うなずくと、コールは少し考えるように黙った。

 割に、でてきた言葉は、

「じゃあ、見つからない、気をつけよう。そっと、行く」

なんか無計画だった。



 ******



 無計画だった割にすんなりと、見張りのバロゼッタ兵の目をかいくぐる事ができた二人は、問題なくコールのテントへ辿り着くことができた。

 木の枠組みに布を被せただけの狭いテントの中には、やたら物がごちゃごちゃと置いてあった。

「……本当に今日、来たの?」

マキは思わず尋ねていた。

 物のほとんどは小瓶で、マキにとっては珍しくも何ともない雑草やキノコや虫が、大事そうに入れてあった。

「そうだよ。見たことない物、集めた」

 そう言いながら、コールはポケットからさらに小瓶を取り出した。

 人差し指ほどの大きさの細長い小瓶には、先ほど見た月光キノコとキノコアリが、ワンセットで捕まっていた。

 ぽわんと薄緑色に光る小瓶をテント入り口にぶら下げながら、コールは目をきらめかせた。

「キレイだよね」

「…………。」

マキはコールの様子を、ただ黙って見ていた。

 このキノコの採集中に、野犬に襲われた自分の悲鳴が聞こえたのだろう。

「はい、これ。消毒しないと」

差し出された褐色の瓶を、受け取る。

 マキが腹の布を解き始めると、コールは慌てて向こうを向いた。

 けれど気になってちらっと少しだけ目線をやると、マキが消毒液を、腹の傷に直でかけようとするのを目撃した。

「ドゥシェ!……止まれ!待って待って!」

「え」


ばっしゃん。


「――――――!!」

深い矢の傷に消毒液を派手にぶっかけてしまったマキは、悲鳴を押し殺して無言で地面にうずくまった。


 やや後、

「!」

怒りの目をコールに向けると、コールはおろおろしながら言った。

「ごめん、ごめんね。俺がするから。いい?」

 マキは涙目でしばし睨んだ後、鬼の形相でうなずいた。

 その間に、約束通り、マキは話した。

 風の戦士が守っている〈龍風(るほう)〉がどんなものなのか。

 風の戦士たちの生活がどういったものか。

 何を食べているか。

 どんな儀式があるか。

 そして――、

「……巫女?マキが?」

 コールは包帯を巻く手を止めて、聞き返した。

「そう。この青い目。これが巫女の証。青い目を持って産まれてきた者だけが、〈ルホウの寝床〉に立ち入ることを許される。だから風の戦士ですら、巫女以外の者は、〈ルホウの寝床〉の正確な位置は知らない」

マキは続ける。

「今、その場所へ行き来していた正巫女は三人いた。

 私とハナ姉は、やがて〈知恵の儀式〉を行って、正巫女様たちの後を継ぐはずだった……。

 だけど正巫女様たちは、風の戦士たちが風尾族と〈仙〉に落ちたとき、自らその命を絶たれた。

 私たちは、正巫女様たちが捕まる前に、巫女たちだけが知る秘密が書かれた一枚の紙を託されていた」

「……それは、〈ルホウの寝床〉の場所、記していた?」

コールが訊いた。マキはうなずいた。

「それだけではないけれど……、そう。あんたたちが欲しているのはその情報だよ。そしてその紙はすでに無い。ハナ姉が秘密を守るために燃やしたから」

「……つまり、マキかハナ姉が、〈ルホウの寝床〉の場所、言わない、俺たちは辿り着けないです。」

「うん、そういうこと。〈ミホウサマ〉は己の龍を、深淵に隠してらっしゃるから」

 マキが話し終えると、コールはしばし考え込むようにうつむいた。

 そうして、反応を待つマキに、ようやく尋ねた。

「〈ルホウ〉って、何だと思うですか?」

マキはここに来て原点に立ち返るような質問に、面食らった。


 ――神様のことはもう話したはずだし――。


 少しだけ迷った後、一言で表す言葉を見つけて答える。

「〈ルホウ〉は、すべての生命の源。」

「そっか、分かった。ありがとう」

 コールは話してくれたことに礼を言うと、再び考え込んでしまった。



 ******



 マキは目を覚ました。

 テントの中は、寝付いたときと同様に、夜だった。

「…………」

 額に手を当て、テント中央にぶら下がるランプをぼうっと眺めながら、何度か瞬きをして、

「!」

ハッとして飛び起きた。

 反射的に左手を、頭に敷いていた短刀に伸ばしたが、短刀を握る前に、身体中の痛みが彼女の動きを止めた。

 そしてマキは、コールの姿がないことに気づいた。

 昨日コールは、マキのために荷物を寄せ集めて毛布を敷き、ごわごわのベッドを作ってくれていた。

 コールは枠組みに引っかけたハンモックで、寝るのだという。

 そして本来なら葉っぱの裏にひっついたさなぎのようにぶら下がっているはずの彼が、そこにいなかったのだ。

 マキは毛布を深く被って、ゆっくりと起き上がり、なぜか足にまでじんじんとした痛みを感じながら、よろよろとテントの入り口へ向かった。

 が、その時、ばっと目の前の布が広がった。

「!」

 驚いて一瞬硬直したマキの前に、

「ルッシェ、マキは起きました」

何か温かい飲み物の入った金属製のカップを手にしたコールが立っていた。

 微妙にへたくそな言い回しにも慣れてきたマキは、差し出されたカップを素直に受け取った。

「次の日、夜。分かる?」

 その言葉で、ようやく自分が何時間眠っていたのかが明らかになる。

 マキは熱い紅茶をすすりながら、黙ってうなずいた。

「あ」

 コールがふと斜め上を見て、声を上げた。

「光、ない……」

「え?」

 つられて顔を上げると、ぶら下げた月光キノコの小瓶が目に入った。

「ああ」

 それくらいのことで残念そうにしょげるコールをほほえましく思いながら、マキはカップを地面におくと、小瓶の紐を解いた。

「風に当てなきゃ。月光キノコは月の光のような光を放つからそう呼ばれるけど、光ってるのは月のおかげじゃなくって、〈ルホウ〉のおかげなんだよ」

 空気穴を空けた布の蓋(ふた)を取り外して、マキは少しだけテントの布をめくると、中身を外の地面に転がした。

 キノコは少しだけ転がって止まり、アリはキノコを置いて逃げていった。

「見てて」

マキはキノコが転がされて行かないよう、指先でつまむと、そのまま風に当てるようにしばし待った。

 今日も、昨日と変わらず、ここには柔らかい温風が吹いている。


 ポウ……。


「あ……」

 キノコの傘の部分に、光の点が宿った。

 次の瞬間、ぶおっ、と少し強い風が吹くと、


 ぽわん。ぽわん。ぽわん。ぽわっ……。


 「わあ……!」

コールは感嘆の声を上げた。

 光の点は次々と増え、あっという間に月光キノコは、本来の光を取り戻したのだ。

 コールは深い碧の瞳をきらきらさせながら、幻想的な変化を見せた月光キノコに、ひたすら目を奪われていた。

「これは、〈ルホウ〉のおかげ?」

 コールが尋ねると、マキはうなずいて言った。

「ね。〈ルホウ〉は生命の源。」

「うん。そうだね……」

そう応えた後で、コールはふいに、何かが引っかかったような顔をして、月光キノコを見つめて固まった。

 少しの間の後、

「……そうか!そういう事か……」

「?」

バロゼッタ語で、彼は目を見開きながら呟いた。

第二節 交錯する思惑


「――び、〝微生物を含んでいる〟?」

 ロナルド・ラビットソン教授は、驚きとともに、弟子の言葉を反芻(はんすう)した。

「はい、教授!」

 コールは、目をきらめかせて答えた。

「〈ルホウ〉の正体は、生命体に必要な幾種類もの微生物を含んだ風なんです!」

 ラビットソン教授のテントの中。コールが折りたたみ式の木のテーブルに身を乗り出すと、ぶら下がったランプが頭上で揺れた。

 ラビットソン教授はコールを見つめて少しだけ言葉を失った後、読みかけの本を伏せて置いた。

 椅子を引いてコールとまっすぐ向き合い、肘をついて顔の前で指を組む。

「……〝月光キノコ〟と、言いましたね……。」

 コールがテーブルの上に置いた、薄緑色に光る小さな傘のキノコを、興味深げに見下ろす。

 コールは興奮気味に続ける。

「土の中にはたくさんの栄養素が含まれていますよね!それは元を辿れば、あらゆる生き物を分解してくれる、微生物のおかげです。ではその微生物はどこから来たのか?

 それが答えですよ、教授!」

「ふむ……」

ラビットソン教授は片眼鏡の位置を直しながら、考え深げに声を漏らした。

「つまり、この世界のあらゆる微生物は〈ルホウ〉によって生み出され運ばれており、〈ルホウ〉が常に新たな微生物を送り込み続けなければ、やがて土地は枯れ、植物が育たなくなる、と。そういうことですね?」

 コールはコクコクとうなずいた。

「それで思ったんです。この月光キノコが傘に付着させているのは、恐らく――、」

「いいよ、言ってみてごらん」

「はい。発光バクテリアの一種ではないか、と」

「バクテリアですか……」

「このキノコは〈ルホウ〉に含まれる成分のうち発光バクテリアだけを傘に付着させ、アリに胞子を運ばせているんです。

 だけど、風に当たらないと一晩で光は失われました。付着していたバクテリアが、死滅してしまったからです」

「なるほど……非常に興味深い見解です。ごく単純に考えれば、発光バクテリアが風によって運ばれるなど、と言いたいところです。

 しかし確かに、この辺りの風は湿気を含み暖かい……海水の中でしか生きられないと思っていましたが、このキノコに付着するものは、平気なのかもしれません」

 ラビットソン教授は、立ち上がって肩掛け鞄を手にした。

「もっとサンプルが必要です。コール君、案内してくれますか?」

「はい!」



 ******



 「〝風尾族を討て〟だと?」

 一方アメリア大佐の元には、風の戦士を制圧した〈仙〉の伝令兵により、新たな要請が届けられていた。

 タイプライター翻訳機を使って訳された言葉を、アメリアはひどく不快そうに反芻した。

 〈仙〉の伝令は、ラビットソン教授を待たずに、翻訳機で旨を伝えてきた。

 幸いなことに短いその文脈は、代打のバロゼッタ兵がきれいな文として組み立て直すまでもなく、アメリアにも通じた。

「風尾族の反乱を恐れているのか?どう思う、中尉」

 アメリアは指揮棒を体の前に垂立させた仁王立ちの体勢をひとつも動かすことなく、厳しい目つきをワン中尉に向けた。

「そうネ……ワンはね、行きたいヨ」

「――誰の指示だ」

 願望を口にしただけのワンはさて置くことにして、アメリアは〈仙〉の伝令兵に問うた。

 翻訳機がぎこちなく活躍し、伝令兵になんとか意味が伝わる。

 伝令兵はそれには、自分の口で答えた。

「イブキ」

「〝イブキ〟……ホホギノミコトの側にいた、あの男か……。」

アメリアは眉間にしわを寄せ、ぼそりと呟く。

「本来ならば原住民同士の戦にこれ以上関わっていられるか、と言いたいところだが……」

 その言葉を聞き留めたワンが、細い目を一本線に見えるほどに細めた。

「……大佐。イブキという男は、何か臭うネ」

「貴様もそう思うか」

「注意した方がいいネ。こいつらとは、雰囲気が違った」

 低い声で、ワンは語気に警戒の様相を込めながら、考えを述べた。

「時間を稼げるか。中尉」

その言葉に、ワンは少しだけ口元を緩めた。

 ごつごつした右手が背中に伸び、バロゼッタ海軍の制服にはそぐわない、特殊な形の打撃武器をそっとなでる。

 彼の背には、棒の先に鎖と無数のトゲがついた球がぶらさがる、フレイルと呼ばれる武器が収まっていた。今は、鎖は棒に巻き付けられて固定されていた。

「潰していいネ?」

「私の言葉を聞いていたか?ややこしくするな。それだけだ」

 そしてアメリアは、待ちぼうけの〈仙〉伝令兵へと、最終決定を短い言葉で伝えた。

 「手を貸そう」



******



 〈風(ふう)尾族(びぞく)〉族長、ジンオウは、小柄だが筋肉の盛り上がった、戦士としての尊敬を集める男だった。

 白髪の交じったあごひげは三つ編みにし、長いくしゃくしゃの黒髪にも何本かの三つ編みが混じる。

 彼は戦士としての実績を示すがごとく、ヒグマの毛皮をマントとして肩にかけ、引きずっていた。

 そして今彼は、風の戦士の集落にいた。風尾族の戦士たちが、捕らえた風の戦士たちを、丸太に五人ずつ両手首を縛り付け、次々どこかへ連れて行くのを、岩に腰掛け無言で眺める。

 そこにやってきたのは〈仙〉の人間、伊吹だ。

 伊吹は目の上で両拳を重ね、ひざまずいて挨拶した後、言った。

「さすがは〈風尾族〉だ。あなたたちにかかれば〈風の戦士〉も一網打尽でしたね」

「皮肉か?」

「めっそうもない」

 微笑む伊吹を、ジンオウはうさんくさげにちらと見遣る。

「……私たちは己の家族を守るためならなんでもやる。それだけだ。だが、」

終始冷静に対応していたジンオウの言葉に、熱がこもった。

「〈風尾族〉も生まれつきの戦士だということを忘れるなよ、〈仙〉の者。お前たちの牙に少しでも隙が見えれば、〈風尾族〉は戦う。女も子も」

「分かっていますとも。しかし」

 伊吹は声を潜めて続きを口にした。

「〈仙〉は〈風尾族〉も、滅ぼすつもりですが」

「なんだと?!」

 ジンオウの怒声が、うゎん、と辺りに響いた。一斉に風尾族の者たちと、丸太に括り付けられた風の戦士たちの目が向く。

 皆の注意が惹きつけられるのもかまわず、ジンオウは怒りの声を上げた。

「我らの妻子に、我が戦士たちに、決して手を出さぬというから、我らは手を貸したのだぞ!約束が違うではないか!」

「静かに、ジンオウ」

伊吹はしかし、きわめて平静だった。

「早ければ明朝にでも、あれが送り込まれるでしょう」

 ぴく、とジンオウの片眉が上がった。何かに思い当たった様子の彼に、伊吹はうなずく。

「そう、あなた達が手も足も出なかった、あの異民族です」

「気色の悪い長筒を持つ奴らか……」

ジンオウは苦々しげに顔を歪めてから、ふと伊吹の行動に疑問を感じた。

「なぜそれを、教える?」

 すると伊吹は、瞬間、その瞳に冷たい光を宿らせた。

「気まぐれです。お気になさらず」

 そして去りながら、伊吹はぼそりと呟きを漏らした。

「我が大王(おおきみ)を、戦場に引きずり出すためですよ」


 ――せいぜい戦うがいい。戦場でならば、火穂伎命(ほほぎのみこと)を狙う隙はいくらでも作れるというものだ。

その重い腰を上げて、ここへ来い。

 そなたはよほど追い詰められない限り、自ら陣頭指揮に立ちはしない。

 だからこの私が、その舞台を用意してやるのだ。

 私の目の前で家族をいたぶりながら殺していったこと、今こそ後悔するがいい。

 そしてこの私を生かしておいたことも……。

 火穂伎命(ほほぎのみこと)、待ちくたびれたろう。

 いよいよそなたの首を、この伊吹が落とす時が来たのだ!――。


 少し離れた丘に陣取る、〈仙〉伝令兵のテント群へ向かって闊歩しながら、その口元には、うっすらと笑みが浮かんでいた。 

第三節 開戦


 洞窟の中縄でぐるぐる巻きにされて芋虫になっていたヒュウガは、探しに来た仲間に助けられた。

 洞窟を出て行きながら、まずヒュウガに情報として飛び込んできたのは、あまりに最近聞き覚えのある、ばばばばん!という発砲音だった。

 心臓が嫌な予感に冷えきるのを感じながら、岩の間をすり抜けて外に出ると。

「何てこった……。」

ヒュウガは呆然とした。

 少し距離のある位置から、あの異民族たちが、〈風の戦士〉の集落――今は〈風尾族〉の戦士たちが陣取っている場所へと、長い筒から煙を出しながら、容赦なく攻撃している光景が、ヒュウガの目に飛び込んできたのだ。

「〈風の戦士〉を討てば、俺らには危害を加えねえんじゃなかったのかよ……」

 目の前の光景が信じられない様子で声を漏らした後、ガン!とヒュウガは拳を岩壁に叩きつけた。

ギリ、と歯をきしらせ、ヒュウガは顔を上げる。

「あのうさんくせえ〈仙〉人はどこに行った?!」

「し、知らねえよ!自分らの野営地にいるんじゃないか?」

仲間はヒュウガの剣幕に驚きながらも、あごでそちらを示した。

 〈ルホウの寝床〉があるこの山の隣に、見慣れぬ天幕が幾つか張ってあるのが、確かに見えた。

「高見の見物ってか……。」

 ヒュウガは忌々しげに呟いた。

 〈ルホウの寝床〉は、こんもりと飯を盛ったような形の、この山のどこかにある。

 山の西側の麓を拠点とする〈風の戦士〉の集落は、鬱蒼とした森林の中を縫うように広がっていたが、見つかりづらい代わりに、もっとも低い土地でもあり、周りを崖や丘などの高台に囲まれてしまっている場所だった。

 そして、ひとつ奇妙なことがあった。

 ここからは、〈風の戦士〉の集落がある森林と、北側の丘で向かい合う形で武器を構える異民族――バロゼッタ兵の姿が俯瞰(ふかん)で見渡せた。

 のだが。

 圧倒的な武器を持つバロゼッタ兵は、少人数ながらも、今現在明らかに〈風尾族〉に反撃の余地を与えていないというのに、一向に丘の上を動く様子がないのだ。

 ただ、森林から〈風尾族〉が何人か単位で飛び出そうとすると、そこを狙って発砲するだけだ。

 それはむしろ、脅しとけん制に見えた。

「何がしたい……?」

首を捻るヒュウガを、すでに下方に移動した仲間が呼ぶ。

「ジンオウと話すんだろ?!もたもたしてんじゃねえ!」

「チッ、今行く!」



******



 ルホウの山を滑りおりて森林に足を踏み入れれば、わりとすぐの所に、少しだけ森が切り開かれた場所があった。

 〈風の戦士〉たちを南のあり地獄状の盆地に追い出してしまった今、ここには〈風尾族〉の男たちしかいない。

 皆、武器を手にいきり立っていた。

 そして皆、口々に異民族バロゼッタや〈仙〉を罵りながらも、動けずにいた。

 ヒュウガとともに広場を見渡した仲間は、「んあ?」と声を上げた。

「ジンオウの姿がねえ……族長、どこ行った?」

 ざわついていた場が、その一言で静まりかえった。

 瞬間、風尾族の戦士たちは、すぐに直感した。

 勇猛なる戦士の鑑ジンオウが、今ここにいないということが、何を意味するのかを。



******



 森の端で、キラリと何かが光るのを目の端に捉えると、ワン中尉はそちらを手で示し声を上げた。

 「てーっ!」


 ばばばばばん。


 七人ずつ二列に並んだ銃歩兵の、前列の七人が、そちらに向けて一斉射撃した。

 森の中に響いた銃声は少し響いて、空へと余韻を残した。鳥がバタバタとあちこちで飛び立ち、森がざわめく。

 それに構うことなく、銃歩兵はすぐに後列と交代する。

 前に出てきた次の七人は、すぐに撃てるよう準備万端にした小銃を、先が二股に割れた棒に載せて固定し、発射の命令を待つ。

 彼らが持っている小銃――火縄式マスケット銃は、一発ごとに銃口から弾丸を押し込む必要のある銃だった。

 そのため、弾丸を込める隙を狙われないよう、二組に分かれて交互に発射するのが基本だ。後ろの七人はすでに、次の弾丸を装填する準備に入っている。

 取り付けていた火縄を引っ張り出し、銃床の下端を地面につけて支えながら、銃口から管を使って火薬を詰めていく。次に、詰め綿で火薬を抑えつけ、弾丸を銃身に押し込むのだ。

 滞りなく、淡々とした流れ作業のように行われていく、装填、交代、待機、発射を後ろで指揮しながら、ワン中尉は、腕組みして、すねたようにぼやいた。

「体ひとつで突っ込んでくることしか知らない民族は、これだから面白くないネ」

 森の方を見渡せば、初めこそ、怒りに支配された〈風尾族〉が勇んで飛び出してきていたというのに、今や、ちらほらと様子を窺うように人影が見えるだけ。

 彼らは、今回、風尾族を殺すような真似はしなかった。数日前、〈仙〉兵の援護として〈風尾族〉制圧に加わったときに、すでに銃器の脅威は思い知らせていたからだ。

 今、〈風尾族〉の戦士を殺せば、彼らの闘志を逆に燃え上がらせてしまうことを、ワンは十分に理解していた。

 いくら〈風尾族〉がバロゼッタの武器に叶わないとはいえ、こちらには人数がいない。

 戦士たちが、銃に対する恐れを超えるほどの怒りや勢いを見せてしまえば、相当厄介なことになる。

「大佐……さっさと戻ってきてヨ」

 屈強な大男は、ぷっくりと頬をふくらませながら、子どもみたいにそんなことを呟く。

「こんな時間稼ぎ、ワンは苦手ヨ。ヒマね……」

 しかし、彼の憂いもすぐに消え去ることとなった。

 側面の茂みから、何かが高い跳躍とともに飛び出してきたのだ。

 ヒグマの毛皮をはためかせながら、太陽の光の中央から、その男はワンの脳天目がけて、手斧をブンと振り下ろした。

 そして手斧はそのまま、男の全体重とともに地面に突き刺さった。

 すんでの所で身体を捻って避けたワンは、目の前で殺気をまとって立ち上がる初老の戦士を、ニィと口角を上げながら見下ろした。

 右手が背に伸び、棒の先に鎖とトゲ球がついた彼の相棒、〝フレイル〝を握りしめる。

「遊んでくれる子が来たネ」

 機動性に欠ける銃歩兵たちが慌てる中、一人の銃歩兵が叫ぶ。

「中尉!」

 ワンが目を遣ると、男の登場を合図にするかのように、森の方からも一斉に、風尾族の戦士たちが槍やナタや、石つぶてなどを手に飛び出してきていた。

「なかなか楽しい民族ネ」

 ワンは、一人で乗り込んできた風尾族族長ジンオウの、ゆらりと向けた鋭い眼光を一身に受け止めながら、ゾクゾクを隠せない様子で声を漏らした。

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