風の戦士(短縮版)

咲乃零奈

第一章 狙う者たち


マキは震える息を吐いて、決意を固めたようにぐっと手近な小枝を噛んだ。

 年の頃十三くらいか。墨に浸したかのような真っ黒のショートヘア。遠浅の海の色を称えた大きな瞳が、脇腹に刺さった矢を映し出す。

 マキは、麻布の腰巻きに縫い付けてある色糸で編んだポーチから、包帯代わりの細長い布を取りだし、左手にくるくると巻き付け、そして――

 歯を食いしばり、腹の矢を引き抜いた。

「……っ!!ぐ……」

身体中の力が持ってかれるような痛みが腹を襲う。

 しかしそれに慣れる暇などなかった。

 他人の手のような気さえする指先を何とか動かして、ドッとあふれ出た血液を止める。左手に滑り止めで巻き付けた布は、そのまま栓として役立った。

 マキは手際よく、新しい布でぐるぐると腹を巻くと、ようやく疲れたように息をついた。

 顔も首筋も、汗でびっしょりだった。

(ハナ姉……)

 地面から大きく盛り上がった木の根の間から、ひっそりと空を仰いで、マキは残してきた姉を想った。

 耳にまだ、ハナ姉の緊迫した声が張り付いている。


『森まで一直線に走るんだ』

『あたしが時間稼ぐ。できるな?マキ。風の部族の戦士だろ』

『だーいじょうぶ、すぐに殺したりなんて、できるワケない。奴らには、あたしらが燃やしちまったあの紙っきれの情報が必要。でしょ?』

『行くよ』


 マキは苦々しい思いで顔をゆがめた。

(〈風(ふう)尾族(びぞく)〉め……寝返りやがって!)

自然と体に力が入れば、傷が熱を持ち力を奪った。マキはさらに腹を立てながら、絡み合う木の根の天幕の下、痛みに負けて体を横たえた。

「ハナ姉……無事でいてよ……」

祈るように吐き出された吐息は、どこまでも力無く、弱々しかった。


******


 この世界を表す言葉のひとつに、「風を制するものが世界を制す」というものがある。

 世界は、地中から吹き出る暖かい〈龍風(るほう)〉によってできあがった、という通説を、よく表した言葉だ。

 風の生まれる穴、〈ルホウの寝床〉から吹き出る風〈ルホウ〉には、生命の源がすべて含まれており、〈ルホウ〉の通った大地には、緑が豊かに芽吹き、虫が生まれトカゲが生まれ、そして人が生まれるのだ。

 それゆえ、〈ルホウの寝床〉を手中に治め、風の行くあてを制限することができれば、国ひとつ滅ぼすのも容易いと言われていた。

そして〈風の戦士〉は、〈ルホウの寝床〉を、ルホウの神〈御風様(ミホウサマ)〉のご意志に従って、奉り守ってきた者たちであった。

 当然、〈ルホウの寝床〉は、周囲の豪族や、権力者の注意を常に惹きつけていた。

 しかしこれまで〈ルホウの寝床〉が権力者たちの手に渡ることなく、ひっそりと、かつ大胆に、自然の摂理のままに保たれて来たのは、ひとえに〈風の戦士〉らの高い戦闘能力と、山中で培われた土地勘のおかげだった。

 今最も勢力を拡大しつつある強国〈仙〉すらも、風の戦士に手をこまねいている状態だったのだ。

 しかしこの均衡状態に、ついに終止符を打つ出来事が起きた。

 〈ルホウ〉の失われる果て〈海〉を渡って、異人の船がやってきたのだ。

 〈仙〉にもてなされた彼らは、自分たちが南の果てにある島より、珍しい植物の苗を自国へ持ち帰る途中であることを説明した。

 〈仙〉は彼らの到来によって、その高い航海術、進んだ科学技術などに衝撃を受けることとなったが、同時に、脅威を感じた。

 もし彼らが攻めてきたら、我らはひとたまりもない、と。

 そして危機感に追い詰められた彼らは、今まで手を出せずにいた〈ルホウの寝床〉を一刻も早く手中にすべく、ついに本格的に動き出したのだ。

第一節 アメリア・ローレンス


その男が通る先には、たちまちのうちに頭を下げる人々によって、道がつくられた。民は額を地面につけ、その恩恵をせがむがごとく、畏敬の念を込めて両手の平を天に向けるのだ。

 民たちは、頭を下げているので、直接見ることは出来ないが、確かに今目の前をお通りになっている御輿(みこし)の人物に向けて、口々に言う。


「大王(おおきみ)」「我が大王(おおきみ)様」


 御輿の上の人物はそれにいちいち応えたりはしない。ただ威厳を持って、少しだけ民を見くだしながら、じっと座って通り過ぎるだけだ。

 その御輿の列に、突然飛び出してきた者があった。

 髪のほつれ頬のやつれた中年の女で、手の中に赤子をくるんだらしき布を抱いていた。

「大王(おおきみ)様!この子をお助け下さい!大王(おおきみ)様!」

「無礼者!」

護衛の者らが騒ぎ、救いを求めてきた母親の首先に槍を突きつけ囲む。そんな中、御輿の上の人物が口を開いた。

「伊吹(いぶき)」

「はっ」

御輿の右脇に控えていた、他の護衛とは少し雰囲気の違う若者が応える。

「処理せよ」

「はっ」

「ゆくぞ」

大王(おおきみ)の一言で、その若者以外の護衛の者たちは持ち場に戻り、何事もなかったように御輿は進み始めた。

「!おおきみさま……!」

今にも泣きそうな母親は、うろたえながら護衛の足にすがりつき、払われた。

 そこに先ほどの若者、「伊吹」と呼ばれた男が近づき、声を掛けた。

「赤子はご病気か」

はっと母親は顔を上げ、聞いてもらえると思ったらしく急いたようすでそれに答えた。

「食べるものがないのです!畑は育たず風は吹きませんでした!どうぞ、どうぞ大王(おおきみ)様のご守護をこの子に……」

伊吹はふむなるほど、と少しだけ考える仕草をしたのち、泣きもせぬ赤子の小さな頭に手を乗せ、ホッとした様子を見せた母親に言った。

「心配することはない。もうすぐ大王(おおきみ)は〈ルホウ〉を取り戻される。それまで踏ん張っておれば、この子は大王(おおきみ)様の母上〈ミホウサマ〉に守られるであろう」

「え……。で、ですがもうこの子にそんな余裕は……!」

「それ以上は、大王(おおきみ)への背徳とみなされますよ。大王(おおきみ)はきっと私に、あなたを斬れとお命じになるでしょう」

「そんな!」

「ひとまずこの餅をやろう、私の昼飯だ。これで下がれ」

「……。」

背を向けた伊吹を、その母親はもはや引き留めようとはしなかった。ただ三秒だけ唖然としたのち、赤子を強く抱きしめてすすり泣いた。


 伊吹が御輿の横に追いつくなり、大王(おおきみ)が民には聞こえぬ程度の声で言った。

「斬り殺せば済んだものを。神の御子である我の道を塞いだ時点で十分な背徳である。守護などと図々しい」

「この年風が吹かぬ地域と言えば、西の方の盆地の民にございましょう。あの母親も必死なのです」

伊吹がそう答えると、大王(おおきみ)が小さく鼻を鳴らしたのが分かった。

「奴隷は奴隷には優しいのう」

「…………。」

伊吹はそれには答えなかった。

 帯に差した銅剣の柄が、伊吹の心情を代弁するかのように、強い日差しにどこまでも鈍くきらめいていた。



******



 「大佐!報告します!ただいまホホギノミコトがこちらへ……」

「見えている」

海岸に停泊中の帆船の上で、部下の報告を不機嫌そうに遮りながら、アメリア・ローレンス大佐は、海岸の方へと近づいてくる御輿の一団を、見くだすような目で、事実見下していた。

 腰まで豊かなウエーブの栗毛を伸ばし、同じ色の瞳をして、元々白い肌は日焼けで赤みを帯びている。海軍らしく詰め襟のシャツに黒の軍服を着こんでいたが、胸のふくらみや締まったウエストはそれで隠せるものではなかった。頭には、つばを大きく折り上げた、白い羽根飾りの三角帽を被っていた。腰のベルトにはサーベルを差し、仁王立ちする彼女の体重の一部を、長い指揮棒が支えている。

「私が出よう。あのような野蛮人どもを、この船に乗せたくはない」

「アイサー」



******



 かくして、アメリアは仙の大王(おおきみ)「ホホギノミコト」と、陸の上にて対面した。

言葉の翻訳には、背中合わせのふたつのタイプライターに、オルゴールの管がいくつもくっついて、さらに拡声器を備えたような機械が使われた。

 片眼鏡を掛けた薄い毛髪の紳士が、弟子の少年とともに翻訳に立ち会う。

 アメリアは他に三人の海兵を従えて、砂浜に用意したテーブルの前に仁王立ちしていた。御輿が数メートル向こうで止まり、テーブルまでの数メートルに、白絹の布が敷かれ、ようやく仙の大王(おおきみ)は地に降り立った。

 仙の人々のほとんどが着ている前合わせの上着とすとんとしたゆったりめのズボンに、布を厚く巻き付けただけのくつ。仙のほとんどの人がそうしているように、髪型は真っ黒な長髪を両耳の位置で八の字に結っている。

 ただ他のほとんどの仙の民と違うことと言えば、決定的な装飾の多さだ。


 ――あとは、がりがりにやせ細った人々や、よくても筋肉の締まった者が多い中、この男だけはぶくぶくと太って、牛が座っているかのようだということくらいか。


 アメリアは皮肉を込めて心の中で吐き捨てた。

「つくづく愚王の見本のような男だな」

そう呟くと、タイプライター翻訳機の所で音がし出したので、

「訳さんでいい」

険しい表情を大王(おおきみ)に向けたまま、アメリアはぴしゃりと言った。

「ラビットソン教授。あなたの生真面目は取り柄だが、知っての通り私は血の気が多い。せいぜい船が直るまでは、この原住民族と戦争など起こさんで済むように取りはからってくれ」

「は、はい、やってみ、ます」

ラビットソン教授と呼ばれた紳士は、しどろもどろに答え、緊張に耐えきれぬ様子で額の汗をぬぐった。そして、すぐ隣で機械の最終調整をする弟子に、こっそりと声を掛けた。

「コ、コール、助手、よろしくだよ。僕は君の言ったとおりに訳すからさ」

機械から目を上げた金髪碧眼の少年は、期待されていることが嬉しいらしく、目をきらめかせて元気よく答えた。

「はい、教授!俺、大佐の言葉をしっかり意訳します!」

「しっ、コール君、静かにね……」

アメリアの無言の威圧感に慌てながら、ラビットソン教授はさらに冷や汗を掻くこととなった。

 傘を差された大王(おおきみ)が、従者とともに近づいてくると、彼らの無駄口も消えた。

始終仏頂面だったアメリアは、次の瞬間、にこりと笑った。

「これはこれは仙の愚王、ホホギノミコト。本日はどんなくだらない用件で?」

その文章は、少年コールとラビットソン教授の尽力により、まあだいたい同じ意味で、ケンカを売る言葉を省いて訳された。

 向こう側を向いたタイプライター側の拡声器から、音がひとつずつ流れ出る。

 そんな中、一人の若者が進み出てタイプライター翻訳機械の前にひざまずいた。

 伊吹だった。

 大王(おおきみ)の言葉を代弁するのだろう。

 精悍(せいかん)な顔つきの青年は、翻訳機のボタンを少し時間を掛けながら押していった。

 向こう側を向いたタイプライターには、ラビットソン教授がここに着いたときすぐに調べ上げたこの国の言葉の文字列が、ボタンの上に即席で貼ってあった。

 他の土地で原住民族との交流を重ねてきたラビットソン教授には、すでに彼らの言葉の組み立て方については理解していた。

 向こうの言葉で押された言語は、翻訳機の今の設定に従って、こちら側の言葉に変換されて聞こえてくる仕組みになっていた。

 もちろんこちらの国の文字とは仕組み自体がちがうため、きれいな言葉としては聞こえてこない。だが、聞こえてきた母音、子音からだいたいの文脈をはじき出すことはできた。

 出てきた音をさらにきれいに訳し直した結果、このような文章が現れた。

「そなたらの銃隊が〈風(ふう)尾族(びぞく)〉を制圧したおかげで、〈風(ふう)尾族(びぞく)〉は〈風の戦士〉どもを襲った。

そこで提案だが、我らの兵にも〝銃〝という武器を扱わせたい。貴重な木材と人員をそなたらの船の修理に捧げておるのだ。一丁、譲ってくれるだけでよい」

それを聞いたアメリアは、満面の笑みで言った。

「もちろん却下だ。辺境の島の原住民の上に反り返っている者に、武器など渡す阿呆はおらんと言え」

さすがにこの文章を当たり障り無く変換するには無理があったが、まあなんとかやってのけた。

アメリアは続けた。

「我らも大事な銃歩兵小隊を提供しているのだと言うことを忘れるな、愚王。明らかにこちらの方が損をしているのだ。今の時点ですでにな」

その言葉を言い終える頃には、彼女の表情から笑みは消えていた。不快きわまりない表情で、体格的に見下ろす形になるホホギノミコトを見下ろす。

「それよりも風の戦士とか言う者たちからさっさと〈ルホウの寝床〉とやらの場所を聞き出せ。バロゼッタ帝国海軍は、いつまでも原住民の伝説に付き合うほど暇ではないぞ」



******



 大王(おおきみ)一団が去っていく後ろ姿を険しい顔のまま眺めながら、アメリアは背後に控えた三人のうちの一人、他二人の軍服より少しだけ肩章などの装飾のついた屈強な体つきの男に、声を掛けた。

「ワン中尉。留守を頼む」

ワン中尉と呼ばれた少し黄色めの肌の男は、細い目をさらに細めて訊く。

「ローレンス大佐、〈ルホウ〉とやらを信じているか?」

するとアメリアは髪を揺らして振り向いた。その表情には不敵な笑みが浮かぶ。

「何、どうせ船はすぐには直らんのだ。ここで暇して愚王の相手などするより、山中で軍議でも開いていた方が、私は落ち着く」

えっ、と他二人の平兵が若干の恐ろしさをアメリアに感じる中、ワン中尉は言った。

「ひどいネ大佐!ワンだって原住民の殲滅(せんめつ)したいネ!ずるいずるい!」

ええっ、と他二人の平兵はさらに驚くとともに、冷や汗すら掻きそうになった。平兵にとっては、アメリアの迫力はもとより、だだっ子のような軽口を叩くワン中尉にはもっと恐怖を感じるのだ。ここまで航海をともにしてきてもなお、そのひやひや感に慣れることはなかった。

 そして駄々をこねるワン中尉に対し、アメリアはついに、爆弾発言を口にする。

「ふん、心配せずとも留守番だってすぐに暇ではいられなくなるさ。私は〈ルホウ〉を手に入れることにした。〈ルホウ〉に価値がなければそのまま伝説を利用し、この土地を我が国に引き入れる。」

「たっ、大佐……!失礼ながら!」

ついに平兵の一人が抑えきれなくなり、敬礼とともに口を挟んだ。

「何だ二等兵」

「はっ!す、すでに我らの行動は本国命令の範疇(はんちゅう)を超えております!この土地に関しては、軍律に従い、一度本国へ持ち帰っての検討が必須ではないかと!」

おお、言った!と、もう一人の平兵が尊敬を込めて同僚を見守った。

 同僚は直立不動、石化したように固まってアメリア大佐とワン中尉の一斉視線を受け止めている。

 心臓止まってるんじゃないか、と同僚を心配しだしたとき、

 アメリアの豪快な笑い声が海岸に響いた。

「貴様は真面目そうだ。そして私によく物が言えたな。その勇気も買ってやろう。……ワン中尉、貴様は留守に回らんで済みそうだぞ。よかったな」

「おお!助かるネ!」

ワン中尉がニコニコと二等兵を見遣った。

「は!」

平兵は反射的に返事してから、

「――はっ……?」

疑問符。

かくして、勇気を出したばっかりにバロゼッタ海軍船の臨時責任者にされてしまった二等兵に後を任せ、アメリア大佐とワン中尉は銃歩兵を送り込んだ先、真北の方角の山中へと向かったのだった。

 アメリアの命令で、ロナルド・ラビットソン教授と弟子コール・チェンバーも同行することになった。



******



 〈仙〉の兵とアメリアの銃歩兵小隊が現在拠点を置いている〈風(ふう)尾族(びぞく)〉の村は、垂直に切り立った崖の上にあった。

 ……いや、アメリアたちの拠点は崖の上に置いていたが、〈風尾族〉の家屋自体は、崖を這う頑丈で巨大な蔓に、球形の編みカゴのような家を木の実のようにぶら下げていた。

 いくつかの密林を経験したことのあるアメリアですらも、その光景には目を見張った。

 そしてそれ以上は特に何の反応も示さず、すぐに、自兵のテントへ姿を消した。

 ラビットソン教授と弟子コールは、その光景を見ながらしばし並んで崖縁に佇んでいた。日は暮れ時、緑に覆われた山の向こうへ埋もれようとしていた。

「ここが、龍の尻尾……。〈龍風(るほう)〉の駆け上ってくる場所というわけですか」

ラビットソン教授が、考え深げに声を漏らした。

 コールは顔を上げて、教授の神経質で気弱そうな学者顔を眺める。

「……教授は、〈ルホウ〉についてどう思いますか?」

するとラビットソン教授は、片眼鏡をきらりと橙色に反射させながら、コールへと目を移した。

「君は、どう思いますか?コール君」

講義をする口調で、彼は問うた。

 コールは少しだけ考えてから、答えた。

「自分の知る限り、バロゼッタも含め他の土地でこのような風の穴があるとは、聞いたことがありません。だけど、……」

少し言い淀みながらも、頭の中にある考えを整理しながら、続ける。

「似たような神話は、確かに至る所に存在する。神の息吹が世界を天と地に分離したとか、風が駆け抜け、人間は地中から地上へと姿を現し、動き回れるようになった、などの類の話です。」

「そうだね。」

「ですが俺は完全に神話の類だと。風創造説を唱えた古い学者はいますが、それはたいてい、一笑されて終わっていますし」

「でも、ここにはあるというね」

「はい。もし本当ならば、是非この目で確かめてみたいです。興味があります。この世界を自由な渡り鳥のように取り巻く命の風が、生まれている場所を」

コールがそこまで言い終わると、ラビットソン教授はうんとひとつうなずいてから、

「そこまでが、君の見解ですか?」

さらに訊いた。

「はい」

コールは正直に答えた。

「うん。では、〈仙〉の王が〈ルホウ〉を欲している理由――恐らく〈ルホウ〉を手にすれば強大な力となると信じているのでしょう、それについて、どう思いますか?」

「はい。信仰の対象物を手にすることで民からの神信仰を集め、自らを神と崇めさせることで土地を統治する民族は確かに珍しくはありません。まあ、当然の流れかと」

「そうですか。しかし僕は、それについては少し見解が違います」

「え……っと、どういうことですか?」

完璧な回答をしたつもりでいたコールは、若干戸惑いを見せながら訊いた。

 ラビットソン教授が再び崖の下に、崖を覆う蔓と家々と、埋め尽くすように実る果実に目を落とすと、刹那に風が駆け上がってきて、教授の薄毛をふわりと持ち上げた。

「〈仙〉の王は、恐らく〈ルホウ〉を手に入れるだけでなく、操るつもりでいます。

 もし事実〈命を生む風を生む場所〉であったのだとしたら、それは軍事的武器に匹敵する可能性が、無くはないのです。風が無くなり森が荒野と化した国は、たくさんありますからね。」

「――まさか」

コールは一瞬言葉を失いながらも、どうにかそれだけ反応した。

 するとラビットソン教授は言った。

「彼らが言う伝説をすべて事実だと仮定するからには、そういうことになってきますよ。本当に操ることができるのかも疑問ですが。――アメリア大佐も、この事には気づいています。だからこうして、いざとなったら〈ルホウ〉を〈仙〉より早く手に入れるつもりでいるのです」

「…………。」

「君もそろそろ、ある程度彼らの言葉は分かるようになってきているでしょう。僕は面倒ごとが怖いのであまり自由に動き回れません。

 しかしコール君。君ならできます。この民族の事を、自由に調べて回って来てください。お願いできますか?」

「!任せてください教授!」

コールは目をきらめかせながら張り切って答えた。

第二節 風尾族


 十六歳のハナは、誰もの目を惹く美しい娘だった。

 妹マキと同じ墨色の、しっとりとした長い髪を肩甲骨の辺りでゆったりと結んでいる。

 瞳も同じく〝遠浅の海の色〝で、その澄んだ瞳が、キッと目の前に立つ男をにらみ付けた。

「風の部族の恥さらしめ」

 すると次の瞬間、手のひらが降ってきて、彼女の頬を叩いた。

 そのままどさりと地面に倒れ込み、顔と体の片側が土に汚れる。

「おーおー言ってくれるねぇ、ハナちゃん。元許嫁(いいなずけ)にさ」

 そう言って男はかがみ込み、そっとハナの髪をなでた。ハナはほとんど反射的にそれを避けようとして、顔を地面に押しつける。

 後ろ手に縛られているハナは、口で抵抗するしかなかった。

「ヒュウガ。まだあたしに未練があんの?ああ、それともあたしに振られたから、傷ついたプライドが癒えないんだ?」

「俺のおかげでこうして無事なんだぜ。そういう言い方はないんじゃねえかな」

「こういうの、世間ではフツー無事っては言わないって、知ってた?」

ハナは冷たく言い放って、縛られた手を強調するように動かす。

 ぐ、とヒュウガは押され気味の顔をしたが、すぐに気を取り直した。

「ふん、まあいいさ。俺がその気になりゃあ、テメエなんてすぐに〈仙〉の大将に差し出してやるんだからな。

 いいか、ハナ。いい加減その態度改めた方がいいぜ。

 テメエの命も体も、俺の手中にあるって事忘れんなよ」

「だれが」

唇を噛んで、ハナは鋭い視線でヒュウガを射抜いた。

「そっちこそあんまり調子に乗るなよ。あたしは天の神〈ミホウサマ〉の巫女。

 巫女が秘密を漏らすくらいなら死を選ぶって、知ってるよなあ?」

ヒュウガはその意志を秘めた瞳に一瞬圧倒されながらも、それ以上に鼓動が熱く跳ねるのを感じていた。

「やっぱいい女だな、ハナ」

ヒュウガの手が再び、今度はハナの首筋と鎖骨の辺りに伸びる。

 ハナはそのにやついた顔に向かって、つばを吐いた。

「!」

 ヒュウガは動きを止め、そのつばが自分の、狼の毛皮の肩掛けに飛んだ事を目にすると、

 次の瞬間、ぶち切れた。

「この女ぁあぁ!」

ヒュウガの振り上げた手が、今度は固く拳を握った。



******



 マキははっと短く息を吸って意識を取り戻した。

 まだぼやけたままの視界の中、目の前に人の顔があることを認識すると、反射的に腰の短刀を引き抜いて振り上げていた。

 そしてその人物の首筋に突きつけようとしたつもりが、そこでやっと気づいた。

 それは人ではなく、野犬だったということに。

 辺りはすっかり夜を迎えていた。

 突然刃を振り回された野犬は驚いて飛び退いた。

 マキはすぐに跳ね起きると、まだ足下が自分の感覚を取り戻せずにいるまま、短刀を逆手に持ち替え威嚇のつもりでぶんとふるった。


 ウウウ!ブアウッ!


 一度は怯んだ野犬だったが、所詮は血の臭いのする手負いの獲物に、まだ息があったというだけだ。すぐにとどめを刺すべく、間合いを取って飛びかかる姿勢を取った。


 ガウッ


「くっそ!」

 飛びかかってきたのはしかし、木の根の向こうにいた違う一匹だった。

 マキは腕を掠りながらも何とか倒れ込んで急所への攻撃をかわし、空(くう)を切った野犬が自分の上を飛び越えるとき、短刀をその腹に向けて思いっきり突き出した。


 ぎゃん


 ざっくりとは行かなかったが、傷を負わせることには成功した。

間髪入れず、最初の一匹が、さらに別のもう一匹とともに飛びかかってきた。

「っぐ!」

横に倒れ込んでしまっている上、そうそうスペースのない木の根の下で、とっさにマキは体を丸めて、短刀の刃で首元だけを守った。

 とっさの策だったが、それが功を奏し、一匹は短刀を噛んで歯茎に刃を食い込ませ、口から血を流しながら飛び退いた。

 もう一匹はしかし、マキの右腕を狙っていた。

 が、飛び退いた一匹が邪魔になって押し出され、二匹はそのまま倒れ込んだ。

 マキはその隙を逃さず前転して、木の根の天幕から脱出した。


 ――どこか、高いところへ上らないと!


 ガアッ!


野犬たちがすぐに同じフィールドに飛び出してくる。

 マキは短刀を木の幹向けて振り投げた。

 短刀は巨大であまり凹凸のない幹に突き刺さった。

 三匹の野犬たちが、唸りながらマキを囲むように間合いを取る。

 マキは彼らに全神経を傾けながら、機会を待った。

 きっかり一秒。

 野犬たちが土を蹴った。

 マキはその瞬間、野犬たちの向こう、――短刀を刺した木に向かって、走り出していた。

マキは野犬たちに触れられる直前のところで、強く踏み切って跳んだ。

 先ほどまで宿にしていた根っこに飛びつき、駆け上がると、勢いのままに再び跳躍。

 マキの右手が、幹に突き刺さった短刀の柄を掴んだ。

 そしてマキは、右手を軸にぐるりと体を宙に持ち上げ、タイミングよく右手を放すと、すとっ、と短刀の柄に足を添えたのだった。

 マキの足は、方向転換して追ってきた野犬たちの鼻先を掠め、彼らの牙がぎりぎり届かぬ場所に落ち着いたのだった。

 が、それも一瞬だった。

「うぐぅっ」

 まだ塞がりもしていない傷が、その激痛で彼女の力を瞬間的に奪ったのだ。

 よろりと、世界が傾いたのが分かった。


 最悪だ……。


 ガウッ バウゥ バウ ガフッ


 犬の鳴き声が耳元を擦る。

 落ちていく一瞬を、やけにゆっくりと感じながら、目の前を、ハナ姉の顔がよぎった。

「!」

 次の瞬間、マキは体を捻って受け身を取っていた。固い木の根に背中がぶつかる。

 ――犬のエサになんか、なってる場合じゃない!

 しかし野犬たちは降ってきた獲物に、容赦なく襲いかかる。

「うわあああああああああああっ!」

マキは暴れて、そのまま木の根のカーブを転がり落ちた。

 犬たちはぴったりくっつくようについてくる。

 マキは地面に最初に膝が付くよう転がり落ちたため、素早く体勢を整えることができた。

 そして一匹の鼻を殴った。


 ぎゃああぅっっ


「くそっ、くそっ!」

 マキは拳を振り回した。

 このままじゃ、やられる……!

 そう直感したときだった。

 ついに右腕に新たな激痛が走った。

「――!放せこのヤロォ!」

 先ほど歯茎を痛めつけられた犬だった。 その牙が深々と肩の下を突き刺した。

 振りほどこうとすれば、同時にそれは、野犬の体重に腕の肉までごっそり持って行かれることを意味している。

 「いやあああああああ!ハナ姉っ!ハナ姉――っ!!」

マキは絶叫した。

 声がひっくり返って掠れて、肺の中身をすべて吐き出すかのごとく。

 しかしそこに、ふいに灯りが差した。

「だいじょぶか!」

 変な訛りの入った少年の声が、マキの耳に届く。


 誰……?


 その誰かは、小さな炎を閉じこめた容器を片手に掲げ、心もとないナイフを必死に振り回しながら、マキへと駆け寄ってきた。

 野犬はナイフよりも灯りに驚いた様子で、ぱっとマキを放すと、暗闇へ散った。

「うわああ!」

 抵抗する元気もなかったマキの血まみれの腕を見て、金髪碧眼の少年は卒倒しそうな顔をした。

 が、それをこらえながらマキに身振り手振りで訊く。

「なにか、手当て、持つ?」

「……?手当て、するもの?ここに」

マキは色糸編みのポーチから、止血用の布を取り出そうとして、その中身が空っぽなことに気づいた。

「……ない。もう、使い切っている」

落胆とともに声を漏らすと、少年はポケットから自分の布を出した。

なにかひどく肌触りのよい布だった。

「俺の、ハンカチ。とりあえず、縛るだけ縛るよ」

「〝ハンカチ〟……?」

見たこともない民族なのは一目瞭然だった。彼のつたない言葉には、時々意味不明の言語が混ざる。

 マキの腕を固く縛りながら、少年は言った。

「俺の名前はコールです」

なぜそこだけやけに流暢なんだろう。

「君は、なに」

あ、またカタコト。なにって何。名前?

あんたに言う必要ない。

そう答えようとしたけれど、マキの口は勝手に、自分の名前を名乗っていた。

「……マキ。風の戦士」

 たぶん、興味深げにこちらを見る目とか、カタコトで頑張って話そうとしている様子が、少しだけ、かわいく思えたりしたせいかもしれない。

 白い肌には、そばかすが目立っている。

 金色の髪。

 炎の灯りが見せる錯覚?

 こんな色、初めて見た。

「ルッシェ!」

コールはたぶん「よし」とか「できた」とかの類の言葉を発しながら、マキの右腕から手を放した。

 やけに小綺麗な身なりをしているその少年の袖には、マキの血が付いてしまって、

 普段そんなこと気にも留めないのに、

 何だかこの時ばかりは、少しだけ申し訳ないような気がした。

「マキ」

ふいに言葉を呼ばれて、少し戸惑う。

「なに?」

「マキ!」

「……コー、ル?」

「うん!コール。マキ。」

コールは目をきらきらさせて自分とマキを交互に差しながら繰り返した。

「分かったから」

マキはふっと思わず笑みをこぼした。

 変な奴だな。

 そう思った。

 するとコールは、何か言いながら背を見せてかがんだ。

「え……」

おぶってくれるって事だろう。

確かにここにいては危ない。

血の臭いに、獣たちがいずれまた寄ってくるだろう。

だが、ほかにどこにいこうというのか?

自分の集落へ連れて行くつもりだろうか?

 マキがためらっていると、コールはカタコトで言った。

「キズ、とても手当て、しないと」

「…………。」


悪い奴では、なさそうだが。


 木の上で夜を過ごそうにも、木の上にのぼる力も出ないマキは、幹に突き刺したままの短刀を引き抜いてから、結局、コールの背に身を預けたのだった。

 小さな炎を閉じこめた容器――彼が「ランプ」と呼ぶその灯りのおかげで、夜行性の獣は警戒してすぐには寄ってこない。

 立ち止まりさえしなければ、とりあえずは大丈夫だろう。

 それでも腰の後ろに装備した短刀をいつでも引き抜けるよう、マキは警戒していた。

 警戒しながら、コールの肩に乗せたあごを動かして、何者かを探った。

 彼は言った。

「船、来た。海、遠い。」

「海の向こうから……?〈ルホウの失われる果て〉から、来たって言うの?」

マキは驚きを隠せずにいながらも、妙に納得できてしまった。コールのきらきらした金色の髪や、やけにきっちりとして素敵な衣服のせいだろうか。

「……あんたは、〈ミホウサマ〉の使者?」

「〝ミホウサマ〟?」

「天の神で、〈龍風(るほう)〉を司る神」

「あはは。違う。俺はヒトです」


 あ。また流暢。〝俺の名前はコールです〟の応用?


「バロゼッタ、国。来た」

「国?国があるのね?」

コールはうなずいた。

 さく、さく、と、急ぐわけでもなく、彼は何年分かの落ち葉に覆われた湿った地面を踏み進む。

 少し進むと、木の幹に記したバッテンの目印がちらほらと現れた。

 慣れない山中を散策する際の最低限のルールくらいは知っているようだ。

 やがて、コールは少しだけ開けた高台で、足を止めた。

「着いた。今は、俺、あそこにいる」

 マキは目を見開いた。

 ちょうどここからは対岸にあたる位置に、何度か目にしたことのある光景が広がっていた。

「〈風尾族〉の……集落」

 マキの瞳に怒りが浮かぶ。


 ――ハナ姉。

第三節 伊吹


 伊吹は、苔むした岩の隙間に体をねじ込むようにして、鍾乳洞の中へ入り込んだ。

 鍾乳洞の中は、温風が満ちていて湿度が高く、息苦しかった。

 他二人の〈仙〉の兵が、伊吹に付き添って続く。

 しばらく狭い道を進むと、ぽっかりと広い空洞へ出た。

 そこにはすでに、たいまつが灯されていた。

 そして伊吹は、石ころを拾うと、それを前方に向けて思いっきり投げつけた。

「――がッ!」

 突然横から飛んできた石つぶてが、ハナに向けて拳を振り上げたヒュウガのこめかみを直撃し、ヒュウガは短い悲鳴とともに地面に倒れ込んだ。

「……?」

ハナは体勢を変えて、その顔を伊吹の方へ向けた。

 ヒュウガも、少し血の出たこめかみに手を当てながら、目を向ける。

「それは〈仙〉の物だ。勝手な真似をするな、風(ふう)尾族(びぞく)」

伊吹は声を張り上げた。

「なっ……」

ヒュウガは一時呆気にとられ、次に伊吹に負けぬ大声を出した。

「なんでここが分かったぁ?!誰がしゃべった!」

「阿呆だな」

伊吹はその涼しげな目元を細め小さく呟いてから、二人の方へと闊歩した。

「寄るんじゃねえ!コイツは渡さねえぞ!」

とっさにヒュウガは、近くに立てかけていた自分の槍を手にした。

 が、それを構えるより早く、気づけば槍の間合いの内側に、伊吹は潜り込んでいた。

 腰に提げた銅剣を抜くこともなく、ただヒュウガの槍の柄を片手で押さえながら、伊吹は力のこもった瞳でヒュウガを見据えた。

「武器を置け」

 すさまじい殺気だった。

 一瞬、その場の誰もが空気に呑まれ、息を止めた。

「…………。」


 カーン。


 ヒュウガが体をこわばらせて、槍を落とす音が、洞窟内に鐘のように響いた。

「連れて行け」

 伊吹が言うと、仙兵たちがはっと我に返り、慌ててヒュウガを両側から挟み込み、その背を押して来た道へと向かった。

「いや、待て」

ふいに、伊吹が背後で言った。

 次の瞬間、ヒュウガの両脇で血しぶきが噴出した。

 目を見開いたヒュウガが振り返るより早く、銅剣を持った腕がその首を締め上げていた。

「……かッ……?くはッ……」

やがて、ずり、とヒュウガの体から力が抜け、伊吹はゆっくりとそれを解放した。

「風尾族が風の戦士を襲うとき、〈仙〉の伝令がそれを見ていたことくらい、想像がつかんのか。 堂々と巫女を連れ去ったお前の行動が、ルホウの寝床への入り口を示してくれたのだ。……阿呆め」

 ヒュウガの投げた先ほどの問いに、ようやく伊吹は答えてやった。

 ――もはや本人には聞こえていないだろうが。

 「てっめええええええ!」

 残った一人、ハナが、怒り任せに声を上げた。

「〈仙〉め!何故殺した!」

「安心しろ。〈風尾族〉の男は死んでいない。……だからこうして、ぐるぐる巻きに縛っている。ぐるっぐるにな」

事実ヒュウガをこれでもかと言うほどぐるぐる巻きに仕立て上げながら、伊吹は冷静な声を出した。

「えっ……なっ……何で……」

 ハナは戸惑った。怒りの矛先も行く先を失い、ただ混乱する。

「じゃあ何で……味方を」

「味方じゃない。この二人は大王(おおきみ)、火穂伎命(ほほぎのみこと)の狗(いぬ)だ。私の補佐をしつつ、私を見張っていた」

「あんた……」

ハナは身を起こし、じろじろと伊吹を観察した。

「自分の国の大将にたてつく真似していいのか?」

 伊吹は完成したヒュウガ芋虫を壁際に引きずって寝かせると、ハナの方を向いた。

「〈仙〉は私の国じゃない。私の国は十七年前、あの男に滅ぼされた」

「えっ……?」

「私はその国の王子だったが、火穂伎命(ほほぎのみこと)の気まぐれで殺されなかった。代わりに奴隷として仕えさせられた。やがて武芸の腕を見込まれ、奴の側を任された……」

ハナと距離を取ったまま、伊吹は向かい合うかたちであぐらをかいて座る。

「だが私は、一時たりとも奴への復讐を思わないときはなかった。そして奴もそれを知っていて、わざと私を側に置いている。

 間近にいながらその首を狙うことすらできず、殺したい相手を守らねばならんこの屈辱……。奴はそんな私を見て楽しんでいるのだ」

 だが、と伊吹はハナに声を掛ける。

「もしかするとついに復讐の機会が巡ってきたのかもしれぬ。火穂伎命(ほほぎのみこと)は私に手綱をつけつつも、制圧した風の戦士の土地を任せた。手綱を引きちぎれぬ狗だと思っているのだろうが、それは間違いだ」

 伊吹はそこまで語ると、ふ、と少し笑みをこぼした。

 ハナはそんな伊吹に探るような目を向けながら、忠告する。

「あたしは決してルホウの秘密を教えはしない。隙を見て逃げ出すか、あんたを殺すか……それができぬなら自害してやる」

「分かっている。蒼い目の巫女たちは〈ルホウ〉の秘密を聞き出そうとすれば死んでしまう。だから私は、私の話をしている」

 死んでもらってはかなわんからな、と伊吹は苦笑する。

 とてもつい今し方仮にも味方を殺めた人間とは思えない。

 この人の良さそうな笑顔が、この人の本質なのだろうか。

 そしてそのような人が、顔色ひとつ変えず目的のために人を殺してしまうということは、

 つまりそれほどまでに、復讐への決意が固いということだ。

 「刺し違えてでも」と、そう思っているのかもしれない。

 ハナが考え込んでいると、伊吹が再び口を開いた。

「だが〈ルホウの寝床〉への入り口が分かっただけでも大きな前進だ。さあ巫女、立て。

 私の近くにいれば、守ってやれる。大王(おおきみ)からもな」

「なぜ……」

「私の切り札だからだ」

そう答えてから、伊吹はふっと顔をゆるめた。

「――などという理由では、そなたはすぐにでも死を選んでしまいそうだから、言い直そう。

 正巫女だった三人の老女は死んだ……不用意に〈仙〉が〈ルホウ〉について聞き出そうとしたせいで。

 私は彼女らが風尾族と〈仙〉の兵士たちのさなかで、舌を噛み切って事切れていくのを、遠くから見ていた。それを私は、悔やんでいるのだ。信じてはもらえぬかもしれぬが……。

 気高き生き物が死んでいくのは、ひどく悲しい気持ちにさせる」

「……都合のいいことを」

 復讐のためなら手段を選ばぬというのに。

 だがハナは反発する気持ちを抱えながらも、立ち上がった。

「せいぜいあたしが正巫女様と同じ道を選ばぬよう、気をつける事ね」

「誓うよ」

 伊吹は少しだけホッとしたように声を漏らした。

 言ってみせるからには、やってみるがいいわ。

 ハナは心の中で、伊吹に挑戦状を投げかけた。

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