紫色の結末


 その夜も、満月だった。

 淡く光る月が、雲の隙間から顔をのぞかせていた。

 分厚い雲だが、この間の夜ほどではなかった。

 それでも、湿度が高いらしく。

 雨が降り出しそうな気配だった。

 私はスラムの指定場所へときていた。

 マスターは、後から来るといっていた。

 どちらにせよ、始末するのは私だろうけれど。

 彼がやりたいのなら、別に気にはしないけれど。

 止める理由など――ない。

 そのまま警戒しつつ、しばらく待つ。


 そういえば。彼と初めてあったのもスラムか。

 あの時は、ひどく失礼な印象を受けた。

 いまだに、彼がマスターの友人なのかも怪しい。

 犬猿の仲にしか、見えなかったのだが……

 いや、人間というものは複雑。

 ああいう友人もいるものなのかもしれない。

 変わり者の、人間。

 人形に対しての見方だけはまっとうな。

 あの男は、今もどこかをうろついているのだろうか。

 どことなく、夜行性なイメージがある。

 ただ、彼は夜というよりは……

「暗がり、が似合いそうですね」

「あれ、ルナちゃん?」

「シア?」

 背後から聞こえた声に、驚いて。

 振り返った先には彼女がいた。

「あれっぇ、ルナちゃんどうしたんですか? こんばんわ」

「こんばんわ」

「夜は、危ないんですよう、スラムって」

「それは承知です」

「じゃあ、そんなとこに何しにきたんですか?」

 少し話してから、気がついた。

 彼女が。どことなくいつもと違う様子で。

 それは両手を後ろで組んでいることではなくて。

 声の調子というか、表情というか。

 この得体の知れない感じは……?

「私は、仕事です。あなたは?」

「あたしは、人探しですね」

 誰かここにいませんでした?

「いいえ」

 ルナちゃんは、嘘つかないですからねえ。

 そういって、彼女はなぜか笑った。

 いつもどおりのはずだろうに。いや、違うと。

 どこかが違うと。

 薄気味悪さを感じて、少し離れた。

 すると、ふいっと、彼女の視線が動いた。

 スラムの路地裏のほうへと。

「誰かいたのですか?」

「ううん。気のせいみたいです、たぶん」

 次に、なんと声を掛けようか迷っていると。

「二人とも。もういたんですね」

 暗闇から現れたのは、マスターだった。

「マスター。彼女が何故ここに?」

「いるべくして、いるんじゃないですか?」

 彼はそういって、シアに笑いかけた。

 シアも、彼に笑いかえした。いつもと違うのは。

 それはひどく人形じみた笑みだったことで。

 思わずうつむくと。

 マスターが、片手に銃を持っているのが見えた。

「ルナちゃん。探し人は、見つかりました」

「え?」

「アル様ですから」

 そういうなり彼女は。

 マスターの側へと素早く踏み込んで。

 私はそれを見ているだけで。

 速さだけなら、変わらないだろうに。

 ――動けなかった。

 その刹那。

 銃声と、何かがはじかれる音が聞こえた。

 冷たい夜の中に、硝煙が立ち上っていた。

「マスター、ご無事ですか」

「ええ。早打ちは得意ですから」

 そういって不敵に笑う彼。

 少し離れた場所には、片腕を押さえているシア。

「何故? というのはお断りですよ。

 今のを見ればわかるでしょう?」

「彼女が、鼠……」

 よくできました、と彼は再び、微笑んだ。

「私からの依頼です。退治をお願いしますよ」 

 手押さえている手。その手には、一本のナイフ。

 よく砥がれていて、殺傷力は十分だろう。

「あたしの主からの命令です。アルフォンス=オーギュストを殺せと」

 そういって、彼女は一本だけのナイフ構えた。

 もうひとつは、先ほどはじかれでもしたか。

 敵。邪魔者。それならば、仕方がない?

 私がとるべき、選ぶべきものは――


 選択肢1


 理由があればそれでいい


 私が最優先すべきなのは――主の命。

 ならば、選ぶものは一つしかないだろう。

 その理由だけがあれば、それでいい。

「申し訳ありません」

 私は彼女にそれだけ告げると。

 残ったナイフを、はじいた。

 不思議なことに接近しても。

 抵抗する様子はなかった。

「ルナさん、足を崩してはどうです」

 言われるがままに、足をへし折る。 

 それは普通の人形よりも、軽い手ごたえだった。

 胸の外側を壊して。外装をはぐ。

 現れるのは、一定のリズムを刻む歯車。

 その些細な音は、雨にかき消されている。

 なのに聞こえるような気がするのは。

 私のモノなのか……

「あぁ、ルナちゃん。それじゃあ壊せませんよ」

 ため息のように、シアがそういった。

 私の得物のことだろう。

「問題はありません」

 そういって、私は手でじかにそれを掴んだ。

 無表情に、彼女の目がそれを見ている。

 私の目はそれを見ていないけれど。

 不思議とわかった。

「それではシアさん。

 今までお疲れ様でした。ゆっくりと休むといいでしょう」

 後ろで、謡うようにマスターの声が聞こえる。

 雨なのに、鮮明に聞き取れる。

「次、も……しあわせがありますように」

 ノイズのように聞こえる彼女の言葉。

 それをたぶん聞き終わってから。

 力を入れて、歯車を砕いた。

 硝子のようにあっけなかった。

 たぶん、私は初めてだろう。

 壊すことに、微かな迷いがあったのは。

 できるならば、そうしたくはないのだと。

 自分のせいかもしれない。

 どちらにせよ。変わらない。

 知っている人形を、壊したことには。

 ばらばらに砕いたそれを、地面に捨てる。

「お疲れ様です、ルナさん」

 彼の側にいくと、そういわれた。

「今宵は、これで終わりですか?」

「おや、何か後味悪そうな顔ですね」

 それはきっと気のせいでしょう。

 私がそう返事をしたとき。

 低い、自嘲するような笑い声が聞こえた。

 声のした路地裏を、私はにらみつけた。

 あの声は――

「ああ、ほら吹きのお出ましですね」

 狭い路地裏からでてきのたは、ルクロディ。

 壊れた残骸をいちべつして、笑った。

 マスターの方を見てから。嗤った。

「ほら、結果はでましたよ?」

 マスターはそう彼に告げる。

「あっけなかったな」

 眼帯のせいで、顔半分がないように見える。

「人も人形も、そんなものですよ」

「マスター?」

 ああ、貴女は何もしなくていいですよ。

 私はそう言われるがまま、立ち尽くす。

「それでは、終わりにしましょうか?」

「それがいい。もう飽いた」

 肩をすくめてそういうルイに。

 マスターが持っていた銃で狙う。

「これは、普通のより痛いかもしれませんが。

 まぁ、一瞬でしょうから」

「どうでもいい。さっさとすませろ」

 では。

 彼はそう呟くと。

 あっさりと、簡単に、迷いは欠片もなく。

 引き金を引いた。

 定められていたのは眉間。だが、強かったのか。

 頭の上半分が吹き飛んでしまった。

 割れた、風船のようだと私は思った。

 ゆらりと、ルイであったものが倒れた。

 地面は赤に染まることはなく、洗われていく。

「これで、さっぱりしました」

「それはよかったですね」

 私がそういうと、彼は微かに笑んでから。

「じゃあ、戻りましょうか」

「はい、マスター」

 そうして私は歩いていく。

 一つの死体と、ジャンクがある場所を後にする。

 雨はまだ降り止まない。

 私の中の雨はもう降り止まない。

 壊れた色も、死んだ色も。

 記憶にこびりついて、離せはしない。

 耳鳴りのようなノイズも、つきまとっている。

 忘れることなどできはしない。

 前を行く彼の手は、白い。

 赤に染まることもなく、白いまま。

 それが……機械人形(わたし)の取った手。


 選択肢2 壊すことを、拒否する


「私、は……壊したくはありません」

 おや、と背後で彼が小さく呟いた。

 敵なのに。邪魔者なのに。それでもそう思う。

 それは、情が沸いたとでもいうのか……

 知らず知らず、胸のリングを握り締めていた。

「ルナさん。意味がわかっていってますか?」

 仕事を放棄していることになる。

 命令違反ということにも。

「ねえルナちゃん。あたしとアル様。

 どっちが大切なんですか?」

 それは、マスターに決まっている。だが。

 私は彼女ががらくたになるのも見たくはない。

「選べません」

「おやおや」

 ちらと後ろを見ると、彼は何事か考え込んでいる。

 その顔は、ひどく真剣そうな顔で――

「どっちつかずは駄目ですよ、ルナちゃん」

「選べないといっているのです」

「選びたくないだけじゃあなくて?」

 ほら、と彼女は抑えていた腕を見せびらかす。

 そこにはひび割れた鉄の腕。

「今なら簡単に壊せますよ?」

 それでも私は動こうとはしなかった。

「こうなると、私自らがやることになるのですが……」

 どうにも、面倒くさい。

 そういって彼はぼやいた。

「しっかり仕事をしてくれると思っていたのですが」

「申し訳ありません」

「言ってる暇があるのならば、行動しては如何です?」

「それはできません」

 まったく……と彼はためいきをつく。

「意思表示は嬉しいですが。こんな時じゃなくてもいいでしょうに」

 私がそうしなければ。彼女は壊されてしまうだろう。

 だが、私に何ができるのだろう?

 彼に危害を加えるなどは、ありえない。

 とてもどっちつかずな状態が続いて――


「埒が明かないな」

 聞いたことのある声が聞こえて。

 シアと、マスターの視線が路地裏へと向いた。

 いつのまにかそこにいたのは、ルクロディで。

「茶番はそろそろ終わりにしたらどうだ?」

「あなたのせいで、台無しですがね」

 忌々しそうに、マスターがそういった。

「何の御用でしょうか?」

 形だけ、ルイにそうたずねてみた。

「不用品の回収だ」

 廃品といわれないだけ、なぜか幸いだと思った。

「まだ、終わってはいないでしょう?」

 ルイにそういったのはマスターで。

 シアを見ると、無表情で。

「いいや。終わった。結果はでただろう」

「これ以上は不毛とでも?」

「お前も面倒だと言っていたろうに」

 それから、シアへと近づいて。

「おい、戻るぞ」

「あたしはまだ動けますが」

「阿呆だな。欠損にも気がつかないか」

 そう彼女をなじってから。独り言のように。

「俺では、まだ駄目か」

「あなたには、いつまでたっても、ですよ」

 そのやりとりを見ていて、ようやく。

 ようやくやっと、私はシアの主がルイだとわかった。

 なんて鈍い、役に立たない頭なのだろうか。

「邪魔者は退場するとしよう」

「さっさといけばいい」

 吐き捨てるようにマスターがいった。

 軽く鼻で笑ってから、ルイは去っていった。

 その後ろを、無言で足をひきずりながら彼女も。

 その場に残されたのは、私とマスターで。


「雨……降ってきましたね」

 どうしたらいいのかわからずに。

 ありのままを言ってみた。

 空が、雲が割れて。強い雨が降ってきたから。

 雨に濡れて、彼の姿が滲んでいくような錯覚。

 そのまま、どこかへ消えてしまいそうだ。

 片手に持つ銃の輪郭は、溶けている。

「そうですね」

 そんな風に、彼はそっけなく答えて。

「貴女は、先に戻っていてください」

「マスターは?」

「私にはやる事がありますから」

「手伝うことは何もないのですね」

「貴女には、失望しているんですよ。興醒めです」

「それは申し訳ありません」

 そんな言葉はもうたくさんですよ。

 彼は私に背を向けて、歩いていく、路地裏へと。

「帰りを、お待ちしています」

 夜に混ざりそうな背に、そう声を掛けた。

 ほんの刹那、彼の足が止まって。

「好きなように、していてください」

 後には言葉だけが響いて残った。

 その時、彼がどんな表情をしていたのか……

 私が知ることはないのだろう。

 きっと知る資格すらないのだろう。

 私は、逆らって……裏切ってしまったのだから。


 ◇

 雨でけぶる夜のスラム街。

 路地裏を静かに歩いているのは、銀髪の男。

 その後ろには、少しの距離を開けてあるく、眼帯の男。

 無言でただ静かに歩いて――

「考え事はまとまったか」

 先に口を開いたのはルクロディ。

 その言葉を聞いて、アルフォンスが立ち止まる。

「堂々巡りにしかならなそうですが」

「なに、結果はもうでている」

「ええ本当に。あなたがそれを知ることは、ありませんが」

「俺の勝ちだ」

 少しばかりの優越感を持って、ルイが答えた。

 諦めと少しの見下しを含んだ笑みで……

「おまえは馬鹿だ。その瞬間までわかりやしないさ」

 そう、アルフォンスが返した。

 眼帯の男は、不機嫌そうに眉を歪めるだけ。

 それから、ほんの少し、肩をすくめながら。

「可能性は無限に、等しく、なんにでも。

 使い方、在りかた次第で変われる」

「可能性など、枝葉に過ぎない。根が腐っていたならば。

 汚れた花蕾にしか成らん」

「嘘を吐け。お前はその虚の目でもう見ただろうに」

「それは一瞬。それは偶然。軌跡は描けない」

「それを見たときには、あなたはもういない」

 ある種の確信を込めて、銀髪の男が告げる。

「その時になってもわからなかったら……

 ろくでなしとでも笑ってあげますよ」

 皮肉に笑うアルフォンス。

「人は機械にはなれない――ならば機械も人には成れまい」

「目に見えるだけではないって、よく覚えておくといいですよ」

 彼は先ほどから、ルイに背を向けたまま。

 ただ、そのためには、と。

 銀髪の男は、持っていた銃を背後へと放った。

「私が、いなくならなければなりません」

「好きにしろ」

 ええ、とアルフォンスはうなずく。

 ルイはそれを拾い上げる。

「よく整備されているな」

「あなたとは違いますからね」

 そういってから、銀髪の男はためいきを。

 その中に、少しの後悔と未練を混じらせて。

「彼女は、変わったのでしょう。でもまだ終わらない。

 私がそれを見ることができないのは――残念ですが」

 首を軽く振って。

「これも、一つの結末でしょう」

「もう一つ。忘れてやしないだろうな」

 あぁ、と微かにアルフォンスが答える。

 どうぞ、持って行ってください……と。

 振り向いた片目は閉じられていた。

 開いているほうの目へと、手が伸びる。

 眼帯をした男の手が伸びて、指が触れて。

 ゆるやかにめりこんで、えぐり取って離れる。

 零れる赤は、雨がすぐに洗い流してしまった。

「確かに、受け取った」

「何か……その言い方はむかつきますね」

 くるりと銀髪の男は、再び背を向ける。

「さあ、どうぞ。さっさと終わらせてしまえ」

 それは滑稽な己の物語なのか。

 糸がほつれてしまったこの茶番なのか。

「何か言い残すことは」

 そういいながら、ルイは狙いを定める。

 片手には、薄い紫にも見えるものを、潰さぬよう。

「あなたに対しては……糞食らえ、ですかね」

「ほかは」

「彼女に対しては……どうか、しあわせに」

 呟く声音は、哀しげで。

 自分の予想が、想像した結末がその通りのものなら。

 そんなことは、ありえないと知っていてか。

 願いとは反対の結末……

 残した言の葉を覚えているものは。

 物語の先にはいない。

 過去の言葉が眠るだけ。

「後始末は頼みましたよ」

「それでは、な」

 短くそう答えた、眼帯の男は。

 ためらいなく引き金を引いて、幕を下ろした。

 銃声は、雨にさえぎられて届かないまま。

 ◇

 ルクロディ=エルフィス 眼帯の下には嘘を


 一晩中、フェルシオンの街には雨が降り続けた。

 激しい雨が屋根をたたく音。

 それを聞きながら、一夜を過ごした。

 ただ考えているのは、マスターの事ばかり。

 眠りなどは忘れて。掃除だけを繰り返して。

 事務所のドアには、いつかの看板を掛けた。

 数日待ったけれども……

 マスターは戻ってこなかった。

 どうしたらいいのかわからない。

 彼の行き場所に、心当たりなどはまったくない。

 いつでも、何処にでも行けるのだろうから。

 私は途方にくれるばかり。

 命令がないと、動くことすらできないのか。

 この間は、考えることができたというのに。

 人が一人いないだけ。それだけで。

 こんなにもうろたえる事ができるのかと。

 そういえば、彼女も来ていない。

 また、どこかをさすらっているのだろうか。


 同じような思考を繰り返して。

 さらに一週間が過ぎたころだった。

 彼が、やってきたのは。

 今までになかった、ノックの音が聞こえて。

 まさかと、淡い期待など抱いてみたりして。

 でも、足音はマスターのものではなくて。

 がっかりしながらドアを開けると。

「久しぶりだな。何をしている?」

 ルクロディが立っていた。

 少し前の夜と、なんら変わったところはない。

 彼は勝手に、室内へと入ってきた。

 とりあえず、私はドアを閉めて尋ねる。

「あの、マスターを見ませんでしたか?」

 彼は、考えるそぶりをしてから。

「いや。俺も知らない、探しているといったほうがいいか」

 それを聞いて、私はさらに空になる。

 ある意味、知ってそうな人物ではあるのだが。

 その人が知らないとなれば、本当にどうするべきか。

「おまえは、何をしている?」

「私は、待っているのです」

「それだけか」

 いったいどういう意味ですか。

 私がそう問いかける前に。

「自分で動いたりはしないのか」

「私は世界を知りません」

 そういったものに私は疎い。

 知識としての問題ではなく、経験。

 だからどうしようもないのだと。

 これは、言い訳の理由――

「俺が、あちこちを流離っているのは知っているか」

「そうなのですか」

「鈍いな」

「貴方に言われたくはないのですが」

 どうでもいい事ばかりは、すらすらと。

「つまり、おまえは探しに行かないのか?

 そう聞いているんだが」

「ですから――」

「何も一人で行けとは言っていない」

 それこそ、どういう意味だろうか。

 わからなくて、彼の足元をみるばかり。

「俺は退屈している。あれはつまらん人形だ。

 まだ、おまえの方がましだろう」

「私に、ついてこいと?」

「これは命令じゃない。おまえの好きにすればいいさ」

 好きにすればいい。

 それは、マスターにも言われた言葉。

「別についてきても構わない」

 そんなようなことを、前にも言われた気がする。

 私一人でうろつくよりは。

 ルイのほうが色々と知っているだろう。 

 もしも、そうすることで。

 マスターを見つける。

 その可能性が増すならば……

「ご一緒させてもらいます」

「勝手にくればいい」

 私は、鎖にも繋がれよう。

 首輪でもなんでもつなげばいい。

 私の考えまでは、縛れないだろうから。

「なら、行くぞ」

 そういってルイが出て行く。

 私は、何も持たずにその後を付いていった。


 もう、何年たっただろうか。

 数年くらい?

 あれから私はまだ――

 マスターを探し続けている。

 どこかの街はずれ。

 ここは自然がずいぶんとある街だった。

 隣を歩く彼を見る。

 彼はあまり話さない。

 たまに、なにやら語りだすこともあるけれど。

 私にとっては、意味のない羅列。

「少し、風が強いですね」

 彼は無言で歩くだけ。

 強い風が、私の髪をさらっていく。

 うっとおしいそれを手で押さえる。

 まだ、彼は見つからないけれど。

 それでもなぜか、死んだとは思いたくない。

 もうどこにもいないなどと、考えたくはない。

 だから私は探し続けている。

 もうしかしたら、すり替わってしまっているのかもしれない。

 手段が、目的に。

 こうしている限りは……何も考えなくて済む。

 世界は広い。旅をして、この目で見て。

 思うこともたくさんあるのだけど。

 それを伝えるべき人が見つからない。

 彼は私の言葉など聞かないだろう。

 そういう人間だ。

 私は今も、使われているだけ。

 それでもただ望むのは、ただ一目でいい。

 マスターに、もう一度。

 そうしたならば、できるかどうかはわからないけれど。

 微笑んで、ありがとうございますと――

 そして去ればいい。私はいなくなればいい。

 残すものはない。

 だからそれまでは、壊れることは望まない。


「そうだな」

 呟かれた彼の言葉。

 それは少し前のものへの返事だった。

 どこか、上の空な気もするが……

 その紫の瞳の内。眼帯の下。

 何があるのかを、私は読み取れない。

「まだ、おまえは探すのか」

「そう決めています」

「何故?」

「それは私だけの理由です」

 そういうと、彼は変な人形だな、といった。

 言われるまえから、もう分かっていることだ。

「もしも、だ。あれがもういないとしたら」

 仮の話は好まない彼だろうに。

 そんなとき、私は……

「その原因でも探しましょうか」

「悲しみながら?」

「いえ」

 哀しいかどうかは、わからないから。

「怒る……かもしれません。

 今までに、そうしたことはありませんが」

「そうか」

 彼はまた黙り込んでしまった。

 また、二人歩いていると。

 ひときわ強い風が吹いた。

 彼が舌打ちをしたから、何かと見ると。

 彼の眼帯が、風でほどけたのか。

 その手のひらにあった。

 彼はそれを、じっと見ている。

 私からは、横顔しか見えない。

 彼の片目がどうなっているのかは。

「どうかしましたか?」

「いや」

「つけましょうか」

「それには及ばない」

 すぐに。

 彼は自分で眼帯をつけてしまった。

「風の悪戯……か」

 そうしてまた、歩いていく。

 どこにいるのかもわからない人を探して。

 面影だけを刻んで。

 まだ――廻る。


 ◇

 うそつき。

 ウソツキ。

 嘘吐き。

 本当にあなたは、嘘ばかりじゃないか。

 あぁ、これが殺意か。


 Fin












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