旧作 赤と蒼の末路


 定められた旧き物語


 その夜も、満月だった。

 淡く光る月が、雲の隙間から顔をのぞかせていた。

 分厚い雲だが、この間の夜ほどではなかった。

 それでも、湿度が高いらしく。

 雨が降り出しそうな気配だった。

 私はスラムの指定場所へときていた。

 マスターは、後から来るといっていた。

 どちらにせよ、始末するのは私だろうけれど。

 彼がやりたいのなら、別に気にはしないけれど。

 止める理由など――ない。

 そのまま警戒しつつ、しばらく待つ。

 カツンと、背後で足音がした。

 ゆっくりと振り返ったその先にいたのは。

「あれえ、ルナちゃん、どうしたんですか?」

「――シア?」

「危ないですよお? 夜のスラムって。早く帰った方がいいですよ」

 相変わらずにこにこと笑っているシアがいた。

 シアが、何故ここにいる? 

 この辺りに、宿泊施設はなかったはずだ。

「あなたこそ、何をしているんですか?」

「あたしは、ちょっとした私用ですよ」

 それよりも、とシアは続けた。

「ここに、誰かいませんでした? 機械人形以外で」

「私が来たときには、誰もいませんでした」

 こんな夜中に人探し。どういった私用なのだろうか。

「ルナちゃんは何してるんですか?」

「私も……私用です」

 そうとしか、いいようがない気がする。

 話すわけにはいかないだろう。

 この場をどうしようか迷っていると。

 別の足音が暗闇から聞こえた。

「おや、ナイスタイミングですね、二人とも」

 話している間に、彼が到着したようだ。

 いつものように、黒づくめの服装。

 ベルトのホルスターには、整備したての拳銃が入っているのだろう。

 シアは訝しげな顔をして、彼のことを見ている。

「マスター、何故彼女がここにいるのですか」

「……私言いませんでしたか? 今日は鼠退治ですよ」

 確かに、それは先ほども聞いた。邪魔者を、消すのだと。

「それとシアと何の関係が……」

 ふと、妙な違和感に私は気づいた。

 何かがおかしい。何だろう、この感覚は。

 彼は少し呆れながら話す。

「彼女が、今夜の相手ですよ?」

 かぎまわっていたというのは。うろついていたのは。

 ――彼女?

「本当なのですか」

 私は、そう尋ねる。

「否定はしません。命令ですから」

 ついでに、と彼女は付け加えた。

「今夜、アル様を殺せとも」

「おやおや、可愛いのに物騒だ」

 後ろでくすくすと笑うのはマスター。

 余裕が滲んで見える気がする。

「ルナちゃん? やらないんですか?」

 そう首をかしげる彼女の手には。

 いつの間にか一対のナイフ。

 人ならば殺せるだろうもの。

「さ、お願いしますね、ルナさん」

 何故、どちらも殺せという。

 何故、どちらも壊せという。

 私に、選べというのだろう。

 「ルナさん、どうしました、止まって。

 情でも移りましたか?」

「……」

 返すが言葉が、見つからない。

 ほかの方法も、見つからない。

 私の答えが……見つからない。

「貴方がやらないのなら、私がやるだけですが」

 彼は、そういって彼女へと銃を向ける。

「待って……ください」

「何か?」

「壊さないと、いけないのですか?」

「生かさないと、いけないのですか?」

 どうして――? そんな風に彼が。

 邪魔をするならば、壊すのが私の仕事。

 依頼をこなすことが……でも。

「貴女は、私を裏切るんですか?」

 彼にそういわれてしまうと、何もいえない。

 彼が安全装置を外していても。

 足が、動かない。

「それじゃあ、あたしは壊せませんよ?」

 シアが、マスターにそういう。

「余裕ですね、シア……間違えました、裏切り者め」

 その言葉をきいて、彼女の顔が歪む。

 悲しそうに、やり切れなさそうに。

 見ているだけの私。

 シアが、彼の近くへ飛び込もうとした刹那。

 素早い銃声が響いて。

 シアが、倒れた。

 けれどひざに弾痕がある程度で。

 まだ、壊れてはいないのだとわかった。

「あれ……なんで足が動かないのかな」

 そういって彼女は、私を少しみた。

「部品が足りないんですよ。気づきませんでした?」

「なっ、あれは戻しておいたのでは!?」

 ちょびっとだけ、です。

 そしてマスターは笑う。口の端だけで。

「だから動きづらかったのか」

 ぼそりと彼女が言う。

 納得したとでもいわんばかりに。

 刃を振るおうとしない彼女に、近づいていく。

 その手は力任せに、外装をはぐ。

 晒されたのは、橙色の歯車。

 彼はそれに狙いを定める。

「今度は、特別ですから。ちゃんと終わりますよ」

「そっか」

「何か言い残すことは?」

 あたしは――と彼女は紡ぐ。

「こんな結末ですけど。

 お二人に会えたこと、後悔はしていませんから」

 力強さに満ちた彼女の言葉も。

 救いにはなりはしないのだろう。

 それは結構、と彼が答える。

 彼女が、また私を見た……まっすぐに。

 口が、動いていた。声はない。

 わす……れ?

『忘れないでね』

「では、お疲れ様でした」

 認識したと、ほぼ同時に。

 ためらいのない銃声が響いて。

 彼女は、壊されてしまった。

 倒れたそれには目も向けず。

 立ち尽くす私へと近づいてくる彼。

「申し訳……」

「次は、貴女の番ですよ?」

 やはり……という思いだった。

 ルール破りは、始末されるだけ。

 それでも、じりじりと私は後ずさった。

 怖いのだろうか、悲しいのだろうか。

 ないまぜでよくはわからない。

 うれしくないというのは、理解る。

「私は、裏切らないで……そういったんですけど。

 忘れてしまいましたか?」

 違う。

 それをいったのは、あなたじゃない。主だ。

 でも、言い訳かもしれない。

 今は彼が主なのだから。

 自分で、後ずさらぬよう、地面を踏む。

 彼が、銃を私へとまっすぐ向けた。

「貴女も、何かありますか?」

 今の私にいえること。

 私が、やっておきたいことは?

 機械人形のこの身で何を言っても。

 裏切りものの私が何を言っても。

 それは、届かないかもしれないけれど。

 それでも、伝えたいとすれば……

「ありがとうございました」

 うまく、微笑むことはできなかったけれど。

 それはいつかに任せよう。

 今は、伝えられた。それだけで十分だろう。

 彼の顔は……歪んでいたけれど。

 銃声が、夜に響き渡って――

 たぶん私は、仰向けに倒れていた。

 そんな衝撃だった。

 体は動かないが、まだ壊れてはいない。

 歯車の廻る音が、響く。

 耳は、まだ聞こえた。

 靴音が聞こえる。マスターの足音。

 たぶん近づいている。

 早く、終わらせてくれたらいいのに。

 考えるのは、刹那の後悔。


 ルナ=クローディア  蒼に捧ぐ


 主、ごめんなさい。

 この身はしあわせになどなれませんでした。

 今は、悲しいのだろうと思います。

 でもどんなものかはわかりました。

 特に何もない、仕事をするだけの事務所。

 彼女の音痴な鼻歌。彼がページをめくる音。

 平凡極まりない、何気ない日常。

 あれこそが、幸福だったのでしょう。

 だからこそ今が悲しいのでしょう。

 できることなら、そのままでいたかった。

 止まってしまいたかった。

 でも、歯車は廻ってしまいました。

 主……私を作ってくれてありがとうございます。

 マスター。私を壊してくれてありがとうございます。

 機械人形は、いてはいけない。

「裏切らないでといったのに」

 響くのは彼の声。どこか懐かしい。

 感情のある人形など。

 いないほうがいいのです。悲しいだけです。

 虚しいだけなのです、繰り返すだけという事は。

 そこに在るだけの存在というものは。

 だから、私は壊れるのです。

「もしかしたら……

 裏切ったのは僕かもしれないね」

 本当に、懐かしい声が聞こえる。

 何か、水が落ちるような音が聞こえた。

 雨が降っているのだろうか。

 誰か泣いているのだろうか。

 誰の代わりなのだろうか。

 私の代わりではないことを願う――

 きっと、勘違いだろうから。

 主の声が聞こえたのも。

 たぶん、私が見た夢……

 そして意識を手放す。

 いつかを、夢みながら。

 ◇

 夜のスラムの一角。

 倒れて動かない人形へと、彼は近づいていく。

 何度か言葉を呟いたものの。

 反応はまったくなくて。

 彼は思った。

 届かないのだと。

 そうしてから考える。

 彼女と自分。どちらが裏切り者なのかと。

 どうして違えてしまったのかと。

 でも何を考えようとも、意味はない。

 今になっては遅いのだと。

 そうして彼は、ふと空を見上げる。

 降り出した雨粒に、冷たさでも感じたのか。

「雨……」

 呟いた声には、覇気がない。

 それから、機械人形の歯車を取り出した。

 赤い、真っ赤な歯車。

 かつてルナと呼ばれていた人形の、心臓。

 どうするのかは決めてはいなかった。

 壊すつもりはなかった。

 偏屈な知り合いに、壊されるつもりも。

 雨に打たれる、人形の抜け殻を見る。

 紅い硝子球は、もう何も映さない。

 どんどん雨が強くなっていく。

 すべて、何もかも流されてしまえばいいのに。

 刹那そんなことを彼は考えた。

 そうして戻ろうとした時。


「用は済んだか?」

 雨の中現れたのは……眼帯の男。

 それを認めて銀髪の男はぼやく。

「いつもいつも、邪魔だね」

「知るか。俺は約束を果たしにきただけだ」

 そういわれて、彼は賭けのことを思い出す。

 まるで今まで忘れていたかのように。

「ああ。私の負けです」

「僕の、だろう」

「煩いな」

 うっとおしそうに、彼は手を振る。

 それは虫を追い払う仕草に似ている。

「とっと持って行けばいい。そして消えろ」

「ひどい言い草だな」

 そういうと、ルクロディはおもむろに彼に近づいて……

 左手の指で、アルフォンスの片目をえぐりとった。

 それをつぶすでもなく、手のひらに包む。

 銀髪の男は、片目を押さえて言う。

 流れる血は、すぐに流されてしまう。

「いきなりですね、まったく」

 お前もそうだったろうに、と男は肩をすくめる。

 それから、転がる抜け殻をみて。

「機械人形なんて、もろいものだ」

 そう呟いた。

「後は、好きにすればいい。

 人形でも作っていればいい」

「いわれなくとも」

 そうしてアルフォンスはやっと笑った。

 自嘲気味のそれを見て。

「やっとお前らしくなったな」

「余計なお世話ですよ」

 邪魔をするなよ、と彼が男に告げる。

「もう、何もないだろう?」

「あなたのせいでね」

 一つ終わっただけだと、ルイは言った。

「俺はまだ街に滞在している」

「もう二度と会うこともないでしょうけど」

 そういって、どちらともなく。

 お互いに背を向けて、それぞれ反対のほうへと。

 二人の役者は歩み去った。


 ◇

 アルフォンス=オーギュスト 裏切りの代償


 私が一人になってから、一週間ほど立った。

 今は昼も夜も仕事を受け付けてはいない。

 私は一心不乱に、ある意味至極冷静に。

 ただ、人形を作り続けていた。

 彼女の赤い歯車を使って――

 作り方は普段と同じ、変わらない。

 ひたすら作っては……作って。

 それでも納得のいくものはできない。

 繰り返し、繰り返し作っては壊す。

 私には、時間は余っている。

 もう、特にやるべきことも見当たらないのだから。

「これで……何回目ですかね」

 一桁ではないだろう。

 恐らくは二桁だろう。

 作業場となっている地下室。

 今は残骸が散乱していて、ひどく見苦しい。

 すぐにでも、片付けたいところではあるが。

 やらなければいけないことがある。

 赤い歯車を、作りかけの人形に取り付ける。

 色つきの、自我のあるもの……

 自我の有無など、本当は関係ないだろう。

 元が何であるかより。

 その後の環境が関係していると思う。

 途中の部品をつくろい、取り付ける。

 それから、適当な服を着せる。

 今ばかりは、同じものを。

 もう何度も何度もしたことで。

 作業でしかない。

 人形作りは嫌いではない。

 ただ。今この時間だけは違う意味を持つ。

 後は、声を掛ければ……目が覚めるはず。

 一声発せばいいだけ。

 それでも、私は少し躊躇う。

 納得のいくものなど、できはしないだろう。

 同じ人間が一人もいないように…… 

 同じ機械人形も一体しかいない。

 それはもう作れない。

 完成の瞬間のすべてが、奇跡のようなもので。

 軌跡はまだ鮮やかに覚えているが。

 奇跡にはなりえない。

 できるのは、別人だろう。

 それでも、この私は繰り返すのだろう。

 そうする以外、今は何も考えられない。

 深く、ゆっくりと息を吸ってから。

「起きてください、ルナ」

 少し控えめに声を掛ける。

 作業代の上に横たわる機械人形へと。

 数秒もたたないうちに、人形の目が動いて。

 紅い、硝子球が見えた。

 半身を起こすと、赤い髪が揺れる。

「おはようございます、ルナ」

「おはようございます」

 目覚めた彼女は、私の言葉を反復する。

 これではいけない。

 自我は、あるのだから。

「自分の名前はなんでしょうか」

「貴女はルナですよ。

 それと、自分ではなく、私といいなさい」

「はい、わかりました」

 素直にうなずく彼女。

 それを見て思い浮かぶのは、あの彼女。

 微笑むことを知らなかった彼女。

 次第に、変わっていったルナ。

 あの彼女に会えたならいいのに。

「私はルナといいます。では、あなたの名前を教えていただけますか」

 私は偽者の彼女に名前を名乗る。

「記憶しました。アルフォンス様」

「堅苦しいですね。口調、変わりませんか?」

 これを言うのは、無理なことだろうか。

 ルナも、砕けた感じではなかったから。


「うっすらと覚えていることもありますが。

 この辺が限界だと思います、マスター」

 声を発する部分も、同一のものを使っている。

 壊して、変えているのは体の部分だけ。

 目と髪も、同じ色だが別のもの。

 だから、知らず知らずのうち。

 鼓動が早くなる。これは違うのに。

「それならば、仕方がありませんね」

 無理にとはいいませんよ。

 私はそう声を掛ける。

 滑稽な人形遊びだろう、これは。

 だが、紡がれた記憶は留まり続ける。

 歯車を壊してしまわない限りは。

 だから、もう一度会えたっていいだろう。

 たとえ自分で壊してしまったのだとしても。

 私は、本当にわがままでエゴイストだろう。

 自分の手で断ち切ったというのに。

 この人形は、いつ壊そうか。

 一日も、私の気が持たないだろうけれど。

 そんなことを考えていると。

「マスター」

 そう呼びかけられて、彼女を見ると――

「ありがとうございます」

 そういった、彼女の表情は。

 見たことのない、穏やかな笑みで。

「――っ」

 胸が、ぎりぎりと痛む。

 心が、痛む。

 癒えない傷が痛む。

 ルナは。

 壊れて後。約束を果たしてくれたというのに。

 私は破っているばかり。

 どう償えばいいのだろうか。

 私は微笑んだままの彼女に近づく。

 これは、偽者。これはヒトガタ。

 あの彼女ではない。それでも……

 手を後ろに回して、彼女の髪をなでる。

 残る片手は、彼女の首筋へ。

 あぁ、手触りもルナのほうがよかった。

 首を少しかしげて、微笑んだままの顔。

 冷たい唇、刹那くちづけて。

 片手に、満身の力を込めて、折った――

 重い、鈍い音がして。

 ほんの少し、自分の手に痛みを感じた。

 これくらいなんだというのだろう。

 今も胸の中は激痛に苛まれている。

 ごとりと落ちた首はそのまま。

 胸から、歯車を取り出す。

 そうして、その輝きを眺めながら。

「ルナ――」

 再び、会えやしないかと。

 ただただ繰り返し……名前を呼び続ける。


 Fin


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