第11夜 機械仕掛けの心
耳に、雨音が聞こえたような気がして、窓の外を見る。
今日は晴れている。けれども、天気予報では、近々また雨の可能性があるらしい。
濡れないようにしないと、と思いながら自室をでて事務所へ降りていくと。
いつもある姿がいない、この時間には起きているはずだろうに。
「……おはようございます」
とりあえず、掃除をしているシアへと挨拶をした。
「おはようございます~」
「マスターは用事ですか?」
「さっき出て行かれましたよ。すぐ戻るらしいですけど~」
夜型なのに、最近はよく外出するものだ。昼の仕事はない。夜の仕事は不明。
何か手伝うことはあるかと、聞いてみたものの。
「じきに終わりますよ」
シアに、そういわれてしまって。また何もすることがない。かといって。
階段付近につったっていても仕方がない。本棚から数冊を手に取り……
ソファーへと深く腰掛けてみた。一般常識は、頭の中に入っている。
知らないこともあるだろうが……あまり必要としない。
いや、していなかったというべきなのか。
知らないことはたくさんあった。未知なものが。
知識、記憶、歴史……感情。それらがこめられているであろう本。
意欲的に読もうとしている自分が不思議だった。
表紙を開こうとして、視界のすみに彼女が見えた。
用具を片付けたのか。こちらに歩いてくる。
妙に、ぎくしゃくとしているけれど。
もしかしたら、座るのかもしれない。
そう思った私は、少しずれた。
「あ、ありがとうございます」
彼女はそういって、隣にぽすんと座った。
それはいいのだが。なんで、私を見るんでしょう。
じいっと見られて、いたたまれなくなる。
本を開きかけのまま、手が止まってしまう。どうするか困っていると。
「しあわせですか?」
耳に入ってきた言葉に馴染みがない。
「今、なんといいました?」
「ルナちゃんに、幸せですかって聞いたんですよ」
少しだけ、ほほをふくらませたシア。
なぜ、そんなことを聞かれるのだろう。
質問の意味は理解できるのだけど。そうかどうか、判断材料があいまいで。
彼女も、人形のしあわせについて言うのか。
「人形がなれると思ってるのですか?」
「だから~可能性じゃなくって。ルナちゃんがどうか、ですよ」
「いまいち、幸福というものがわかりません」
別に、今の場所が嫌じゃないんでしょう?そう首をかしげて、聞かれてしまった。
居場所もある。マスターもいる。知っている人形がいる。
捨てられた人形が、幸福な可能性は?
拾われた私は、どうなのだろうか。
幸福の基準、その定義……私はまだわかっていない。
何か、うっすらと靄が掛かって掴めないような何か。
「シアは、幸福なのですか?」
彼女はやわらかく微笑みながらいった。
「そりゃあ、あたしは幸せですよ?」
澄んだ橙色の瞳で、迷いもなくいいきった。
「二人に会えましたから」
「私も、マスターと会えたのはよかったと思っています」
でもそれだけです、と私は加えた。
「いいことには違いありません。でも、それがどうかは……」
「感謝してるんですよね? よかったって」
「まぁ、それは」
マスターとあって、暮らして、私は変わった。
それはよいのか悪いのかわからないが。
彼はいっていた。変わることは良い事なのだと。
ならば、そうなのだろう。そう思える。
「誰かに会えて良かった――それはしあわせですよ」
あたしはそう思ってます、と彼女はいった。
「ひとりぼっちじゃないってのは、すばらしいですよ?」
「それはそうなのでしょう。しかし、いまいち定義が」
「そんなもん、自分で決めちゃえばいいです。
人それぞれ、形は違うから、断言できないですけど」
なんだか強引な気もするのだけれど。
「あたしにとっては、出会いは幸せなんです。
嫌なのっていったら、製作者ぐらいですかね、犬も食わないですよあれじゃ」
私はというと、迷っていた。もしも。不確かで移り気な感情。
それがもたらす思考、結果が、しあわせなら。
私はもう答えを知っているのかもしれないと。
「私達は、人ではありませんよ、人形です」
口から零れたのは精一杯の反論。
いや、ただの言葉の連なりだった。
「でも人形はヒトガタ。模したものですよ」
「あくまでも、まねただけです。体から違う」
「むぅ。そう思ってるんですか」
人は殺せば死ぬ。人形も壊せるけれど。ヒトガタは、直すことができてしまう。
死んだ人が戻ることはない。シアは、じれったそうにもぞもぞしている。
「じゃあじゃあ、自我とか中身はどうです?」
「それにしたって、違うでしょう。感情も」
「なんでだと思います?」
それは、知らないと答えた。さっきから、どうも質問されてばかりだ。
「人にあるから、人形にもあるんですよ」
たぶん、とシアはそういった。
人間が作ったからこそ、歯車にだってココロが宿るんじゃないですかね?
「どうにも、頭がかたいですね、ルナちゃん。認めたくないことでもあるんです?
まるで、しあわせになっちゃダメーって思ってるみたい」
口調こそからかうようだが、橙色の眼差しはひたり、とこちらを見据えている。
まっすぐなまなざしを、見返せるのだろうか。
一般的な感情、それとおぼしきものは。確かに芽生えつつあるのが事実で。
でも私が機械人形であることも事実だ。
そんなものは必要がないのに。
だけどそれは私が思い込んでいるだけかもしれない。
答えはきっと簡単で。この頑固な自我が邪魔をしているだけ。
考え込んでいると、彼女がすっと目をそらした。
「あたしには。ルナちゃんがとっても人間らしくみえますよ」
この私が? それは彼女だろう。
ほんの些細なことでも、よく動く表情。
私などより、よっぽど。そう伝えたところ。
彼女は少しだけ、哀しそうに微笑んだ。どうして今だけ、そう見えたのだろう。
「あたしはそういう風に、作られていますから」
驚いた。彼女は、あまり言おうとしない。自分が人形だということを――
「迷わない、躊躇わない、悩まない。
それは人じゃないです。機械でしょう? だから」
彼女の言葉を、注意して聴いた。
「あたしは、最後まで機械人形なんです」
人形に自我があるのは、ヒトガタだから。
もしも、その先があるとしても……自分は人形でしかないと。
それ以上になんて、なれっこないです、真似事なんです。
それは、自分を否定するような言葉。
「主からの命令とかって、ありますか?」
唐突に。いつもと同じような感じで。
「製作者から幸福になってほしいとは、いわれました」
「いい人だったんですね」
あたしも、その人に作られたかった。そう呟く彼女の姿は、からっぽに見えた。
「あなたは?」
「逆らわないことです」
「裏切り……ですか?」
違う違うと彼女は笑う。いつもどおり。
それならまだ、相手のためですーって誤魔化せるじゃないですか、と。
「元から信用してないですもん。感情も心も、自由もすべてあげるって。
どこへでも好きなところへいっていいって」
それ……は。
「代わりに、命令には従うこと。人の命令には」
「人? 主じゃなくても?」
「どうなんでしょね? ほかの人に使われたこともありますから」
相手の知り合いの、そのまた知人の……いったい誰の命令だったやら。
そんなん日常茶飯事ですよ。
人間からの命令には反逆するな。ある意味人らしい。
自由などないのだろう。糸が絡むばかりで。
「いきなり呼び出されたりするんですよ。不思議。
発信機でも入ってるんですかねぇ?」
からからと彼女は無機質に笑う。どこへでもなど、嘘だろうに。
「あたしのマスターは嘘つきなんですよ、嘘が服着て歩いてる」
それでも彼女は幸福だといっている。
どれが、真実なのだろう。それきり、部屋の中に沈黙が満ちた
私が彼女に話しかけようとしたとき。
「ただいま戻りました」
ドアをあけて、彼が帰ってきた。
「おかえりなさい、アル様」
彼のほうを向いて笑う顔も、いつもどおり。
「おや、珍しいですね。二人とも」
彼は腕に紙袋を抱えている。買い物か?
「ちょっとお話してただけですよ~」
「それは羨ましい。混ぜてもらいたかったですね」
えぇー、とおおげさに彼女は言う。
「アル様は、いつでもできるでしょう?」
シアの笑顔は本物なのだろうか、嘘なのだろうか。
私は揺らぐばかり。
「じゃあ、あたしもそろそろ帰りますね?」
「お疲れ様でした、シアさん」
あわてて窓の外を見ると、薄暗い。そんなに話こんでいたのか……
「ルナちゃん」
呼びかけられて、視線を戻す。
「また明日、会いましょうね? 約束ですよ?」
「は……とりあえずは。お疲れ様でした」
やくそく、約束……いくつ交わしただろうか。
そうして彼女は帰っていった。
私がソファーから立ち上がると、彼が座った。
「それは、なんですか?」
あぁ、といいながら、彼は紙袋を逆さまにした。
ソファーの上に無造作に散らばるもの。
大小さまざまな、何かの部品とみた。彼をみると、腰元から銃をだしていた。
――なるほど、それに使うらしい。
「これは特別製なんです。人形だって簡単に壊せます。
ほら、貴女もこの間痛い目みたでしょう」
やにわに思い浮かぶ夜のこと。専用のものだから、あんなに容易かったのか。
彼は常に銃を携帯しているのだろうか……
「実際は、弾はよくても打ちどころを考えないとなので……
一般には不人気ですね。オマケに値が張るので一回分です」
そういって彼は薄く微笑した。見覚えのある笑み。
男を殺したときと同一のもので――冷たい冬の、湖のよう。
「今夜の仕事はそれですか?」
察しがいいですね、と彼は普通に笑った。
「前に、鼠がいるといったでしょう? 退治開始です」
つまりは、邪魔者を始末するということ。
「まぁ、子鼠ですから、親がまだいますけれど。
とりあえずちょこまかしなくなればいいかな、と」
手際よく部品を交換していくさまを、眺める。
破壊の為の道具なを整えているのに、その姿は美しい。
「どこへ行けばいいですか」
「あぁ、こちらへ」
そういって手渡されたのは、一枚の小さな紙。
スラムの住所がかかれていた。遠くはない。
「了解しました。マスターも行かれるので?」
ええ、と彼はうなずいた。
「仇なすものは、駆除するのが当然でしょう?」
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