第10夜 月夜の雨は 誰の代わりか

 慌ただしかった翌日。

 機械人形に睡眠というものは、意味を持たない。

 眠りを取らずとも、何の支障もなかったのだけれど。

 なんだか思考が休まらなくて、一日中、掃除ばかりしていた。

 珍しくシアが休んでいたから。掃除に専念するのは久しぶりだ。

 マスターは自室とリビングを行ったり来たりして、何か作業をしているのだろう。

 掃除が終われば、窓の外を眺めて。毎日毎日、同じように見えて違う景色。

 それをただ、ただ眺めていた。景色が違うのは、雨が降っているくらい。

 時間は、いつもと変わらずに流れていた。

 そうして夜になり、寝ようとして。

 思い出した。

「板…………」

 先日の看板。入り口から外したけれど、まだ戻していなかった。

 ベッドから静かに起き上がって、事務所へと降りていく。

 室内に放置していたそれを手に取る。時間は深夜。日付が変わるぎりぎり手前。

 マスターはもう寝てしまっているかもしれない。

 そうっと物音を立てないように気をつけながら、物置へ向かう。

 また、物が増えているのだろうなとは思ったが……

 部屋の一角を見て、思わず口が開いた。

「………………趣味?」

 人形師は職人だから、こだわりが強かったり……

 収集癖があったりするのだろうか。

 ティディベア、ぬいぐるみ、あれだ、ふわふわとした何か生き物を模したもの。

 そういった布製のものが積み上げられていた。

 トランプタワーのように、下から上までぎっちりと。

 少しの衝撃でも、今にも雪崩てきそうだ。

 既製品のものもあれば、パッチワークのような継ぎ接ぎの姿のものも。

 どこからこんなに持ってくるのか、何のために?

 私の部屋にきているのは、ほんの僅からしい。

 まさかマスターが作って……いや、人形以外を触っているのを見たことはない。

 別の空きスペースを探して、看板を立てかける。狭すぎる。

 さて戻ろうと振り返りざまに、肩がかすかに柔らかいものにぶつかった。

 しまった、と思う間もなくぬいぐるみが雪崩落ちる。

 受け止めようとしてたたらを踏んで、近くの本棚に激突した。

 バサバサと音を立てて、いくつか本が飛び出した。

 いけない、片付けなければ!

 ふわふわしたものを、片っ端から分散させて積み上げていく。

 なんでこうもバランスが安定しないのか。私が不器用だからだろうか。

 もたつきながらも、ぬいぐるみを片付けて。

 床に散らばった本を、棚へと戻していくついでに背表紙を流し見る。

 ほとんどが人形制作に関連する技術書や学術書。

 その中で、二冊だけタイトルがないものがあった。

 一冊を手に取り、ぱらぱらとめくる。

「これは、日誌ですかね」

 個人というよりは、研究日誌のように見えた。

 人形のことだろう。興味は特にない。

 さらに数ページをめくり、勢いよく閉じて棚へと戻す。

 急に今の自分の行為は、よくないのではないかと思って。

「忍び足の泥棒じゃあるまいに……」

 もう一冊も戻そうとして、手が止まった。

 背表紙のタイトルはないのに、表紙に手書きで綴られた言葉。

『月に捧ぐ』

 そんな言葉が書かれていた。

 なぜか、視線が縫いとめられる。

 人のものを盗み見るのはよくないとは思うけれど……

 うしろめたさよりも、好奇心と綴られた筆跡の美しさが混ざって。

 そろりと、一枚めくってみる。


『これを見ている君は、彼女か、別人なのか。

 誰でも構わないんだ。

 彼女へと捧ぐための言葉で、独り言なのだから』


『僕はどこにいるだろうか。君の傍にいるのだろうか。

 君は傍にいるのだろうか。変わっているのだろうか。

 これを見ているというのなら』


『いつか違えられてしまうのだろうか?

 馬鹿なこの身は試さずにはいられないのだろうか?

 それが繋がるのではなく、絶ってしまうとしても』


『実験台でしかない君。割り切れなかった僕。

 わがままでしかないこの望み。

 君は僕を許してくれるのかな?

 冷たい身体のきみ。

 ガーネットよりも、紅くて深い――』


「ルナさん?」


 私はその声を聞いて、飛び上がりそうになった。

 手に持っていた冊子を、棚へと押し込む。暗闇で、見えていないこと願うばかり。

 それからは、早かった。

 手近なぬいぐるみを引っつかんで振り向く。

 うっすらと浮かんで見える銀色は彼の色。

「おはようございます、マスター」

「まだ夜ですよ」

 そういってから、何をしていたんですか? と彼は首をかしげた。

「板、いや看板を戻しに」

 明かりをつければいいでしょうに、と彼はいう。  

 そういってから、彼は私の手の中のものを見た。

「おや、それ気に入ったんですか?」

「その……ですね。たくさんあったの、で。少し、もらっていこうかと思いまして」

 構いませんか? と私は尋ねた。本当はどうでもいい、テディベアなど。

 これはいいわけでしかないのだから。

 すると、彼の顔が華のように綻んだ。

「それはもちろん。今度、もっとたくさんあげましょう」

「そんなには、いりません」

 私はそういってから、マスターと部屋をでた。でるなりマスターが私に言った。

「ルナさん。少し外を歩きませんか?」

 私は最初何をいっているのかと考えた。

「今夜は雨です。昼間も、一日中」

「ええ。珍しいでしょう、だからですよ」

 何がだからなのかわからず、黙り込む。雨はお嫌いで? そう聞かれて答える。

「特には。別段好きでも嫌いでもないです」

「なら、いいですね? 散歩しましょうか」

 目が冴えてしまいまして。

 そういって、私はマスターに連れ出された。

 雨がしとしとと降り注ぐ、静かな夜に。


 静かに雨が振る街の中を、二人歩く。

 落ちる雨粒の音は小さく波紋になる。

 手渡された傘はピンクの水玉模様。

 夜の中では、その色もさほど気にならなくて。

 彼のものは薄い青色。よく似合うと思う。

 ただ人気のない街を、ゆっくりと歩く。

 聞こえるものといえば、足音と。傘にあたってはじける、雨粒と音。

 それは重なり繋がって、さざなみのように。

 白いすじを残して、傘越しの視界を去っていく。

 深夜だからか、明かりがもれている家もない。

 死んだかのようにしずまりかえったフェルシオン。

 前を行くマスターはひとこともしゃべらない。

 彼の吐いた息が、薄くこちらへと流れてくる。

 淡いそれはすぐに消えてしまう。寒くは、ないのだろうか。

 どれくらい、無言で歩いただろうか。時間の感覚がわからなくなったころ。

 彼がつと足を止めて、空を見上げた。私もつられて仰ぎ見る。

「今夜は、月が綺麗なのでしょうね」

 ほら。

 そういって彼は空をしなやかに指し示した。

 青みがかった厚い雲の、かすかな隙間。

 うっすらとした青は、月光に照らされているからか。

 隠れてはいるが……満月なのかもしれない。

「朧月どころじゃないですね。多すぎます」

「雨が止んだなら、綺麗なのが見えるのではないかと」

 そうですね……そういって彼はまた歩き出した。

 私もゆっくりと後ろからついていく。

 隣に並ぶことはしなかった。それからまた少し、歩いて――

 暗い路地裏の、今は誰もいない空き家にたどり着いた。

 元は商店だったのか。罅割れた看板が傾いていた。

「すこし、休憩しましょうか」

 その店先には、古びたベンチが置かれていた。

 誰か使っているものがいるのか。埃は積もっていない。。

 彼が真ん中に座り、私は端っこに腰を下ろした。

 耐久度には、問題がなさそうだと考えていると。

「そっちだと、濡れてしまいますよ?」

 私は、なんのことかと頭上を見上げた。

 ベンチの上にはビニールの屋根がもうけられていて。

 マスターのほうは、何事もなかったのだけれど。

 人がいなくなると、やはり荒れてしまうようで。

 私の上は、虫食い状態になっていた。

 ぬれてしまったら、メンテナンスの手間をかけてしまう。

 仕方がないのだと自分にいいきかせて、隣に座った。


「静かな夜ですね」

「ええ。一人の夜とおんなじです」

 雨音はあっても、うるさくはないから。

 私の中の歯車の軋む音。それまで聞こえてしまう。

 マスターの耳には、軋むこの音は響いているのだろうか。

 雨粒の軌跡見ていると、何かを思い出した。

 それは、私のものではない……

「空が泣くと雨が降る――優しい空は誰かの代わりに涙を流している」

 驚いたようにこちらを見つめる、蒼色。

 その表情をみて、口に出していたことに気がついた。

「いつか そんな言葉を聞いたような」

 思い出しました、と私は呟いた。

 歯車に眠る、誰かの記憶?

 それは過去のわたしだったもの、だろうか。

 ふとした瞬間に浮かび、また眠っていくもの。

 それでも、失われはしないもの。

「誰が泣いているのでしょうか」

 月の輝きすら覆い隠して、それでも涙を流さない誰かの為に。

「貴女かもしれませんよ?」

 彼はそういって、少し笑った。

「なら、マスターかもしれませんね。私は機械人形ですから、涙は流せませんもの」

 さきほどよりも、彼はおかしそうに笑った。

 もしもの話でもしましょうか。彼はそういって。

「泣けるようにつくられていたら、泣きますか?」

 私には、そんな機能はない。今の技術ではできるのかもしれないが。

 ただ、マスターはもしもといっていた。

 もしも、人のような……涙を流す心と身体であったなら。

「それでも泣きません」

 そうなってしまうほど、悲しいと思うことはないから。

 告げると、彼は一呼吸置いてから――

「私が死んだら、貴女は悲しみますか」

 彼は囁くようにいった、独り言のように。

「誰かが死ぬことを、悲しいというのですか」

 恐ろしいと感じるものではなくて?

「見知らぬ誰かではない。大切な人がいなくなったら、ですよ」

 いなくなってしまう。死んでしまう? 壊れてしまう。

 失われてしまうこと。あぁ、それならば……

 「惜しむ、恐ろしいとは感じます。二度はないのは、承知していますから」

 涙を流したとしても。それを見るその人はいないのだろう。

「……私はその中に、入っているのでしょうか」

 小さくかすかな声で、私は言葉を逃がした。

 ちらと彼が私をみた気がしたけれど。

 気のせいだろうと、空を見る。彼の話が、隣から流れてくる。

「旅をしていた頃。ずいぶんと色々なものを見たんですよ。

 またたきの間に、移り変わっていくようでした」

 それは、世界だけではなかったのですけれど。

「もちろん、私も変わりました。人ですから」

「後悔をしているので?」

 今のところはしていません、と彼が言う。

「あぁ、でも」

「何か?」

「作り上げられなかった機械人形が、一体だけあるんです」

 彼は目を細めて、夜を眺める。

「彼女はとっても綺麗だったんです。あの人に似せて」

 それは誰かを模した人形だったのだろうか?

 懐かしんでいるかのような、マスターの声。

「どちらも、今はいないのですけれど。似せた人形以外は」

 ふっと……声が夜の中へと沈んだ。

 私は少し思い出す……アトリエにいた頃の事を。

「私も……作られた頃より変化したと思います」

 マスターの視線が、私へと向けられる。記憶と歯車に宿る、目には見えない自我。

 だから何というわけではない。意味……理由などはないのだろうけれど。

 重さがないのに大きくて、無限に膨らむ。

 それを受け入れられるほど、この器は深いのか。

 いつかは、ガタがきてしまうのだろうか。

「変わるというのは、いいことなんですよ結果に関わらず、ね」

 貴女にも会えましたし。彼はそういって、再び微笑した。

「貴女は、どうです?」

 そういわれて私は考え込む。

 会えていなかったら。どうなっていたのかわからない。

 悪いことだとは思っていない、嫌いでもない。

 いや、むしろ――これは、人形がマスターに告げていいものだろうか。

 思いを、伝えるべきだろうか?

 こんな夜だからこそ、聞き流してくれるかもしれない。

 ヒトガタの戯言だと。ならば……

「ありがとうございます」

 私がそう告げると、彼は固まった。

 ……やはり、言わずにいたほうがよかったのか?

「あの時、言ってなかったと思い出しまして」

 そう伝えると。彼は目を細めて、空を眺めながら。

「これは……もったいない言葉を聴きましたね」

「礼の一種です」

「今夜のことは、忘れないようにしないとですね。

 次は、笑顔でいってもらえたら嬉しいんですけれど」

「それは、約束ですか? 命令ですか?」

 約束ですよ、と彼は小さく言った。

「善処してみます」

「無理やりひきつってるのは、やめてくださいね、ルナさん」

 不確かな、できるかどうかもわからない約束だけれど。

「以前笑ってみてといわれてしてみたら。シアに、福笑いみたいだと言われました」

 いつかなら、叶うかもしれない。何故か今夜はそう思えた。

 ぷつりと会話は途切れて、ただ隣り合って雨音をしばらく聞いていた。

 止まない雨の中、少ししてから夜空を見上げる。

 それどころか、だんだん強くなっているような気がしてきた。

 静か過ぎて、ぜんぜん気がつかなかった。

 ずいぶんと、長い時間がたったように感じる。

「そろそろ、戻りましょうか? 徹夜するなら別ですが」

「そんなことはしないでください。戻りましょう。マスターは、寝ないとだめです」

 あぁ、前にもこんなやりとりをしたようなと思い出しながら。

 私達は、来たときと同じようにゆっくりと歩いて。

 事務所へと歩いていく。

 雨音と、靴音と、歯車の音がいつまでも胸に残った。


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