第9夜 問いの答えは 誰もが知らず


 いったい、どうしてこうなってしまったのか。

 周囲に並んだ、きらびやかな装飾品。

 若い人たちがきそうな、鮮やかな洋服。

 今の自分は、軽く着せ替え人形と化している。

 痛む頭など持ち合わせていない。

 だがそんな錯覚さえ感じてしまいそうな状況。

 アクセサリーの並べられたケースを見ながら。

 私は今日の記憶を思い出す。


 昨晩は結局、帰宅した後メンテナンスが明け方までかかって。

 ふらつくマスターが自室に消えていくのを見送って。

 腕の調子の確認がてら、洗濯をこなした。

 途中でやってきたアリシアには、外の掃除を手伝ってもらうことにした。

 昼前になってアリシアが戻ってくるなり口にした言葉。

「ルナちゃ~ん、お買い物行きましょう?」

 洗い終えたものをしまっていた私は思った。事務所を空けるつもりなのか、と。

 シアはうきうきとした感じで近づいてくる。

 近くのソファには、彼女の小さな手提げかばん。

 掃除していたほうきを片手にもったまま。

「この間、約束しましたよねー?」

 たしかに、そんな話はした。押し切られもした。

 だが、別に今日じゃなくてもいいのでは。

 不調そうなマスターを放置して外出するわけには……

「シア、今日はマスターの姿を見ましたか?」

「いいえー?いつもは起きてくるのに珍しいですよね」

「ちょっとばかし、不調なので休んでいるんです」

 そうなんですねぇ、と元気に相槌をうってから。

 じゃあ、お出かけしていいか聞けばいいんですよね、とのたまう。

「ルナちゃんのことですから、オッケーがでれば大丈夫でしょ?」

 からから笑いながら。あぁ、それはそうなのだけれど。

 どう話しかけたらいいものか。いや、別に特別なことはないのだから。

「いつもどうり、ですよね。わかりました、聞いてみますから待っててください」

 キッチンからトレイを取り出して。

 ピッチャーに水を汲みのせる。グラスも忘れずに。

 次に薬入れから、吐き気止め、頭痛薬、解熱剤、酔い止め、湿布、塗薬……

 どんな状態かわからないので手当たり次第にのせてもっていこう。

 体調を気にして、水の差し入れ、なにもおかしいところはないはずだ。

 にこにこした少女は途中まで一緒に、といってついてきた。


 二階にあがると、アリシアは物置へと姿を消した。

 ほうきでもしまっているのだろう。

 私は重さの増したトレイを片手にもって、マスターの部屋をノックした。

 返事はない。かすかにうめき声が聞こえるばかり。

 入ってはいけない、といわれているわけではないから……

 少し逡巡して、扉を開く。

「マスター、水と薬をお持ちいたしました」

 室内に入り扉を閉める。入って右側に、昨晩の衣服が乱雑に脱ぎ捨てられている。

 ベッドを見ると、うつぶせでもぞもぞと動く彼がいた。

 サイドのテーブルにトレイを置いて。寝具の端を軽く叩く。

「その体制はお辛いでしょう。一度起きてください」

 数回左右に寝返りを打ちながら、なんとか半身を起こす二日酔いのマスター。

「あったま……痛ってぇ……あぁ、おはようございます、ルナさん」

 あんなにしこたま飲んで動き回るからではないだろうか。

 挨拶をしてくれるが、いつもより低いその声は掠れている。

 水をどうぞ、必要な薬もあればどうぞ、私にはどれかわかりませんので。

「ん…………片っ端から持ってきたんですねぇ。この酔い止めは、乗り物用ですよ」

 寝乱れた髪をわずらわしそうにかきあげながら。

 トレイの上から頭痛薬を選び取り出して、薄く口を開けて放り込む。

 一息に水で流し込んでから、ひといきついている。

 その様子を物珍しくて、私は眺めていた。

 いつも階下に降りてくるころにはしゃっきりとしている。

 何より、私がマスターの部屋に立ち入ったのも始めてだ。

 いつもは結わえられている銀髪は、さらさらと重力に従って、白い肌を滑り落ちている。滑らかな肌は、私よりもよほど人形みたいな美しさを感じる。

 たとえ寝間着の前が全開で、上衣が脱げかけていようとも。

 くしゃくしゃの衣服にそって、視線が下へと自然と下がる。

 ……割と、外見の割には腹筋が発達している。足腰は強いのだろう。

 指先はあんなにしなやかに動くのに。ぼうっとそんな事を考えていると。

「そんなにまじまじみても、なにもでませんよ。物珍しいんでしょう」

「はい、二日酔いのマスターは初めてみますのでつい。

 その格好で、寒くはないんですか、風邪は召されていませんか?」

 どちらかというと暑いくらいですから、大丈夫です。

 そういいながらも、寝間着の前を締めていく。

 では、解熱剤も服用されたほうがよろしいのでは?

 後が大変ですから、勘弁してくださいよ、と微笑する。

 あぁ、いつもどうりだ。これでいい。

 なぜかほっとしたような感覚を覚えながら、思い出した。

「マスター、どこか体に痛むところなどはありませんか」

 昨晩の様子を思い出して。あれだけ脚を使えば、疲労もあるかのではないか。

「足首に少し、違和感はありますけれど……」

「湿布もお持ちしました、ご迷惑でなければ貼らせてください」

 ではお願いします、とすらっとした脚がベッドからあらわになる。

 私は屈んで、ズボンの裾をくるくると織り上げて、湿布を準備する。

 そうっとフィルムを剥がして、湿布が歪まないように細心の注意を払う。

 貼り付けていると、足がぴくりと揺らめいた。冷たかったのだろう。

「なんだか、本当のメイドさんみたいですね。貴女こそ、調子はどうですか?」

 上から降り注ぐ声が、こころなしか柔らかく感じる。

 問題ありません、と裾を戻しながら伝える。

「動作に支障はありません、マスターのおかげで大丈夫です。それと……

 許可をいただきたい事がございまして」

 物珍しそうに蒼色がこちらを見てくる。

 アリシアに一緒に行きたいと言われたので、外出の許可をいただけないかと。

「もちろん、ダメだなんていいませんよ。仕事がなければいつも事務所にこもりっきりですからね。どうぞ、楽しんできてください」

「わかりました。楽しいかどうかはわかりませんが、いってきます」

 くすくすと、口元に手をあて笑いながらも、許しをくれた。

 あまり待たせすぎてもいけないかと、手早くピッチャーとグラスを設置して。

「ではマスターも、ゆっくり休まれてくださいね」

 一礼をして、室内を後にした。扉が閉める間際に聞こえた声は。

「いってらっしゃい、ルナ」

 どこか懐かしさを感じる声だった。


 リビングに戻るなり、弾丸のように突撃してくるアリシア。

「どうでした? アル様ならオッケーしかださないでしょ?」

「その考え方はどうかと思いますが、大丈夫でした」

 ガッツポーズをかます小柄な体。ほうきのかわりになにか持っている。

「なんですか、その手のものは」

 開店、休業中、とそれぞれプラスチックの板に赤字で書かれている。

 真ん中が折り畳めるようになっていて、表裏にもなるようだ。

「お客さん来たらって心配してたから。物置に転がってましたよ」

 あの一室には、普段使わないもの墓場のようになっている。

 とりあえず物置に詰めといてください、とはよく言われたものだ。

 さあさ、時間は有限さっそく行きましょうとスキップをするシア。

「時間なんて、いつでもあるでしょう」

「いつまでもあるわけじゃあないんですってば」

 彼女は看板を扉に掛ける。

 たぶん、あんまり時間はないんです。

 そう、彼女は呟く。珍しく無機質な声の響きだった。

「でも、アル様が不調なんて珍しいですね。

 あの人見た目によらずしぶとそうなのに」

「……二日酔いです。昨晩、酒を嗜まれまして」

「翌日に長引いてるなら飲みすぎじゃないですか。見たい……

 お酒飲んで酔っ払ってるアル様見てみたい!!」

 ほら、泣いたり笑ったり怒ったり、寝ちゃったり……

 人それぞれらしいじゃないですか!と彼女は元気いっぱいだ。

「あの人の場合は――足癖が悪くなりますよ」

 なにそれ、カッコいいよけいに見てみたい……!

 いいな、あたしもお酒飲めたら面白いのになーなんて。

 他愛のない話をしながら。かくして、私はお買い物へと連れ出された。


 でもまさか、本当に買い物に誘われるとは思ってもいなかった。

 私を着せ替えて、シアは楽しいのだろうか?

 本当に目眩がする。

 桃色と橙色の、グラデーションとでもいうのか。

 そんなロングスカート。髪には花を模した飾り。

 着てきた服など、そうそうにはぎとられてしまった。

 試着室で、ずっとこんな状態だ。

 つい先ほどまでは、着せ替え人形みたいになっていた。

 花飾りをつけられたかと思えば――

 次の瞬間には、リボンが結ばれていて。

 さぁ、さぁと帽子を持ってくる手を止めて。おとなしくなったと思ったら。

「見てくださいよ、ルナちゃん! これ可愛くないですか!?」

 私は試着室の中にいるのだけれど。どうしろと。

 なにかめぼしいものを見つけたのだろう。だがこの容姿のまま出たくはない。

 中から声をかけてみる。

「だったら、服を返してください」

 はぎとられた服は、彼女がもっている。店からもらった紙袋の中に。

「お店から出なきゃ平気ですよぉ」

 そうはいわれても、ほかの客もいる。

 あまり目立ちたくはない。そもそも、人形が二人で買い物をしている。

 これだけで、見世物のようなのに。私は試着室から、頭だけだして催促する。

「とにかく。服を返してください、シア」

 しぶる彼女を呼んで、紙袋を受けとった。

 売り物の服を脱ぎ、すばやく着替えて外にでる。

 それに気づいた彼女が、ちょいちょいと手招きをする。

「着替えちゃったんですか? 後で買いましょうね」

「いや、別にそれは……」

 マスターから給料をもらっているとはいえ、使いすぎなのでは?

「それよりこれですよ、これ! いいですよねっ」

 シアが指差しているのは、緑の葉をモチーフにした、リングだろうか。

 隣にもいくつかあったが、チェーンを通したものも。

「クローバー、ですね」

 それは四葉のクローバーと呼ばれるかたちをしていた。

 ほかにも、三つ葉などもあったけれど。

 彼女が見ていたのは、四葉のものだった。

「可愛いですし、キレイです。買いましょうよ?」

 こちらを見る彼女の目は、きらきらとしている。

「欲しいのなら、買えばいいと思います」

 そう答えると。彼女は首をぶんぶんと振って。

「違いますってば。ルナちゃんも買うんですよ」

 何故私まで。自分の分だけを購入すればいいのではないだろうか?

 付き合うつもりはあったが、買うつもりはなかったから……今は持ち合わせもない。

「こういうの、おそろいで……ペアルックっていうんでしたっけ?」

「聞いたことがあるような気もしますが」

 もっと親しい間柄ではなかったか?そんな疑問を抱く私のことは気にせずに。

「とにかく、買いますよ!? 記念ですよ」

「何の」

「じゃあ、思い出でもなんでもいいですよぉ」

 そういいながら、彼女は店の人を呼んでいる。

 なんというか、行動が早い。私と違ってすべてに迷いがないように見えた。

「あたしは指につけますけど。ルナちゃんはどうします?」

 買わない、という選択肢はないようで。それなら。

「チェーンを。首にでもぶらさげておきます」

 了解です、と彼女はいって。店員となにやら話しはじめた。

 シアのことだ。道端に、落としてしまったりはしないのだろうか。

 数分後には、私の手の中に、包まれたそれ。

 贈る相手は目の前にいるというのに、ラッピングまでされている。

 そして私と彼女の片手には紙袋。ちゃっかりと彼女は自分の服も買っていた。

 私が着ていた服も、いつのまにか買われていた。

 店を後にして、ぷらぷらと歩く彼女の隣についていく。

 その表情はとてもにこにことしていて、嬉しそうだ。

「四葉は、幸せのシンボルなんですよねえ」

「ジンクスでしょう」

「信じれば、たぶんそうなりますって~」

 そういってから、彼女は私に向かって微笑んだ。

「これは記念で、思い出で、証です。あたしとルナちゃんがあったっていう。

 形があれば、覚えていやすいですよね?」

 そんなものなどなくても、忘れたりはしないでしょう。

 けれど、私はその言葉を口にはだせなかった。

「あたしは絶対に忘れたりしません。何処にいったって。

 これはあたしが望んでしたことですもん」

 彼女はそういいながら、リングを眺めた。

 機械の指にはめられた、偽者の四つの葉。 

 作り物でしかないのに、輝きは鮮やかで。

 彼女の笑顔と同じくらい、まぶしく見えた。

「……忘れたり、しません」

 私の口から代わりにでた言葉は簡単なもの。

 保障など、どこにもないもので。

 それでも、精一杯といえばいいのだろうか。

 継げる言葉はほかに思い当たらなかった。

「ルナちゃんは、頑固そうですもんねぇ」

「それとこれとは、別だと思います」

 相変わらず、彼女は微笑んだままだった。

「この後はどうするので?」

「せっかくだから、少し歩きましょうって」

 いっつも、お掃除ばっかりですから。彼女はそういって、歩き出して――

 十歩と進まないうちに、その足がぴたりと止まった。

 何事かと、前を見ると。

「珍しい組み合わせだな」

 こちらに向かってくるのは、エルフィスだった。

 片手には、なにやら袋をたずさえている。

 どこかで見たような光景。よく会うものだ。

 私の知る世間は欠片でしかないけれど。意外と、狭いものなのかもしれない。

 こんにちは。

 シアはそういって、形ばかりの挨拶をしていた。

 彼女にしては、そっけない。私も軽く挨拶をし、礼をしてみた。

 あまり礼を尽くす気にならないのは何故だろう。

 マスターの知り合いというよりも、胡散臭さが先行してしまう。

「何をしていらっしゃるので?」

 彼はちらとシアを横目でみてから。

「廃品回収だ」

 ヒマなら、ついてきてもかまわない。

「どうします?」

 止まっていた彼女がそういった。

 私は彼の言葉が気になって。

 いくと伝えようとした時には、数メートル先を歩いていて。

 まるで、最初から誰もいないかのように。

 そんな彼の後を、私は追いかけた。少し遅れてシアがついてくる。

 こういうのを、好奇心というのだろう。


 彼の後をついていくと、そこはスラムの中で。何度か足を運んだことがある場所。

 立ち並ぶ廃墟のひとつに、彼は遠慮することなく入っていく。

 うっすらと埃のつもった室内。そこにはいくつかの足跡があって。

 それは地下へと続く階段で途切れていた。誰が何のためにかはわからないが。

 今はジャンク置き場として使われているのだと。

 階段を下りながら、エルフィスはそういった。

 袋に何か入っているのか。彼が歩くと金属音が響いた。

 薄暗いはずの地下には、誰かが設置したのであろう弱い照明器具がいくつか。

 古ぼけて、ところどころ崩れている石の壁。明滅する光。

 不安定な明かりに照らされた、彼の影が揺らめいて見える。まるで炎みたいに。

 ここは、人形の墓場――

「こんな場所があるなど、知りませんでした」

 床に転がり散らばるのは、同胞の姿。

 朽ちて、壊れて、捨てられた。成れの果ての形。

 シアはどんな反応をするのだろうか。そう思って隣を見たのだけれど。

 無表情に、転がる人形を見ているだけだった。

「質に問題はあるが。まれにいい物もある」

 彼はそういうと、部品を拾い始めた。

 よく見ると、歯車のみを拾っているようだ。

 普通のもの、色つきのもの……半分だけのもの。

「どうせまた、壊されてしまうんだが」

 そう、彼はどこか皮肉気にいった。かがんでいて、顔が見えない。瞳の表情も。

 眼帯の下に、すべて隠れてしまっているのだろうか。

 まだ。ぽつりと、隣のシアが呟いて。

「まだ、動いてるのもありますね」

 室内を改めて見回してみると、かすかに。

 関節が動いているもの、硝子球が動いているもの。

 エルフィスはそれらに近づいていくと。袋から取り出した工具で――

 砕き始めた。

 機械人形の胸を、砕いて。破片をどかして。

 ついさっきまで動いていた人形の胸から。

 歯車を取り出した。

 彼は壁の明かりを当てて、色を確認している。

 戦争の後では珍しくもない。人形師の腕次第で、がらくたからでも息を吹き返す。

 捨てられてしまったのなら。誰も拾ってくれないのならば。

 仕方がない、と。私は、そう思った。

 仕方がない。それが理由。

 私とて、あの日マスターに出会っていなければ……

 この場所で、天井を眺めていたのかもしれない。

 たぶん、きっとマシなのだと思う。 彼の『廃品回収』を私は眺めていた。


「だいたい、こんなものか」

 彼が呟いたのは、一時間くらい経った後。

 歯車の詰まった袋は重そうで。彼はそれを乱雑に床へと落とす。そうしてから。

 私の方を一瞥した。

「……何かご用でも?」

「聞きたいことがある。答えろ」

 無愛想な言い方だった。

「いつぞやは、こっちが話したんだから、いいだろう?」

 視界の隅で、かすかにシアが口を開いて。なにも紡がないままに、閉じた。

「答えられることならば」

 いったい、ヒトガタの私になにを聞くのか。

「人形は、何の為にあると思う――?」

 なん、のために?

 知らない。私はそれを知らない。必要がある?

 それは、人形が人へと聞く可能性はあるが。

 人から人形へ聞くなどと。

 わかりません、と答えることもできなかった。

 傍らの小柄な彼女であっても、 答えを知らないかもしれない事。

 いや、機械人形である限り、インプットされていなければ、答えなんて。

「……人それぞれ、でしょう。雑用愛玩殺しに護衛。

 何か、それ以外の意図をもった人形師もいるとは思いますが」

 記憶にかすめるのは、あのひとこと。

 しあわせ、を願う人なんて滅多にいないだろう。

「まだマシな方か。理解できない、と言わないのだから。

 だが全体の意見だな、個の答えじゃない」

 なんとか吐いた言葉にかえってきたのは。吐き捨てるような彼の言葉で。

「今の私には、答えなど持ち合わせていません。

 ないものは、ひねりだせるはずがありません」

 視界の隅で、アリシアがまごまごと口を動かそうとしている。

「あたし……は」

 彼女が、再び口を開きかけて。

「お前の答えは必要ない」

 そう、ぴしゃりと遮られた。

 アリシアは黙り込んでしまう。私も続ける言葉はないはずだ。

 来たときと同じように。

 私達のことなど気にせずに、彼は地上へと戻っていった。

 もう、用がないのなら、戻らないと。私は外へ出ようとして――

 立ち尽くしたままの彼女に声を掛けた。

「あの、シア」

 私の声に、彼女はびくっと顔をあげた。

「その、ですね。あまり、気にしないほうがいいかと」

「?」

 彼女はきょとんと首をかしげている。

「さっきの、エルフィスの言い方です。彼はたぶん、ああいう人なのでしょう」

 道具を道具として、見ているだけ。普通の、人間の在り方なだけだ。

 そう、マスターや主が珍しいだけなのだ。

「あぁ……もしかして、なぐさめてくれてます?」

 これは、そうなのだろうか。よくわからない。

 ただなんとなく。放っておきたくないと思って。

 沈黙を、肯定だととったのか。

「ありがとうございますね、ルナちゃん」

 そういって彼女は笑った、いつものように。

 けれども何故だかその時だけは。ひどく、作り物めいて見えた。

 外へと出ると、廃墟の近くでエルフィスが立っていた。

 じろりと見られたが、何もいわれなかった。


 そのまま連れ立って、スラムの入り口辺りまで来たときだった。

 隣にいたシアが、いきなり走り出した……入り口に向かって。

 うれしそうな、その視線の先には。

「マスター……」

 酒精は抜けたのだろうか。入り口にいたのは、見慣れた姿で。

 シアが嬉しそうだった理由がなんとなくわかった。

 彼は私と彼女に気がついてから微笑んで。

 無愛想なエルフィスに気がついて、無表情になった。

 ……本当に知り合いなのだろか。

 そうしてから、彼はその瞳を見開いた。

 何事かと思うと、何か私が見られている。

「ルナさん、どうしたんですか、珍しい」

「――あぁ飾りですか」

「もろもろですね」

 首にかけられたチェーンの先のリング。髪につけられた花飾り。

 コサージュ、だったか。

「あたしが選んだんですよ? 似合ってるでしょう!」

 マスターの周りでちょこまかとしているシア。

 まるで、父親の帰りを喜ぶ娘のよう。そう思った。

「貴女も普段から、そうしていればいいのに」

「今回のは、不可抗力でしたから」

「では腕ずくでやれば、着てもらえるんでしょうか?」

 力づくでお断りさせていただきますと、返す。二人が笑う。

 夕暮れだというのに、穏やかで暖かな空気が流れる。

 あぁ、こういうときに人間は笑うのだろうか。ふと――笑ってみたくなった。

 どう動かしたらいいのか、わからなかったから。

 実行はしなかったのだけれど。

 気がつくと、エルフィスはいなかった。

 神出鬼没で、すぐいなくなる。変わっている。

 それから私達は、それぞれの場所へと帰った。


「……持ち出したのは誰ですか?」

 事務所の扉にかかったものを見た彼の一言。

「アリシアが持ち出しました」

 すいません、と私はわびてみた。

「後で、ちゃんと戻してくださいね」

「不要な人が立ち入らないように、との配慮だと思います」

 私がそういうと、彼は首を少し傾けて。そうですね、とつぶやいた。

「泥棒には、気をつけないといけませんね」

「盗られたことがあるので?」

「えぇ、随分前に一度だけ」

 彼はそういうと、事務所の中へと行ってしまった。


 その日の夜、私はなかなか寝付くことができなかった。

 エルフィスの問いが、頭の中を巡っていて。

 いらないといわれてしまったら。

 はい、そうですかというしかない。

 何のためにと聞かれたら。

 ありきたりな返答しかできない。

 私には、一応自我がある。分散していて、うつろいやすいけれど。

 それでも考えることのできる、人形。

 私は、自分で考えて、答えをだしている?

 それとも。

 そうあるべきだと思い込んで、発しているだけ?

 人の為に、召使として、道具として。

 それは人に作られて、与えられたもの。

 私自身が考える、今ここにいる理由は――?


 (世界を知るため)(誰かに何かを伝えるため)

 (使われ壊れるため)(しあわせに、なるため?)


 いくつも浮かんでは、泡のように消えていく。

 回路のどこにも、行くあてはないというのに。

 無駄なのかどうかすらも、よくわからなくなっていて。

 私は一晩中、考え続けた。

 眠らなかった夜は、初めてだった。

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