第2夜 人形が踊りて 歯車は廻る

 近いのか遠いのかわからない。

 そんな場所で何かの音が聞こえて、意識が浮上していく。

 少しあと、鳥のさえずりだとわかって、私はまぶたを開いた。

 無駄に沈み込むベッドから上半身を起こすと、何かがはばたいた。

 それは鳥だった。

 たしか、夕方くらいから活動を始める種類で……何故室内に?

 窓を見ると、ほとんど使われないカーテンが微かに揺れていた。

 開けっ放しの窓から入ってきたのだろう。ほこりっぽいからと開けた記憶がある。

 だけど、私はカーテンを閉めた記憶はいくら辿れと思い出せない。

 ベッドから降りてカーテンを開くと、鮮やかな朱色が広がっていた。

「これはいったい……なんの悪戯でしょうか、マスター……」

 夕暮れまでに目を覚まさなかったのは、これが原因だろう。

 鳥がいなければ、まだ眠っていたのかもしれない。

 人形が寝坊するなど、なんてまぬけ。そんな私の耳に、鳥のさえずりが響く。

 何度か鳴いてから、外へと飛んでいってしまった。

 飛び立っていった窓の外を見る。マスターの瞳とは、正反対の色。

 私の髪に、近いのかもしれない。朱も赤も、夕焼けも嫌いではない。

 髪よりも薄いけれど、光の加減によっては燃えるような色彩にも見える。

 太陽とは、実に不思議なものだと思う。

 実際に近くにあるわけではないのに、手が届いてしまいそうな錯覚。

 昼間は太陽が昇り、やがて沈んでは夜を月が照らす。それが自然の摂理で。

 私がいなくなっても、この街がなくなっても変わることのないもの。

 うつろわないものは、どことなく安心感があるように思えた。

 私は寝起きの身体を伸ばしながら、室内を見渡した。


 与えられた当初は必要最低限のものだったのだが……

 いまは随分と色々なものが増えてしまっている。

 私自身に物欲はないから、本当は必要ないのだろうけれど。

『貴女の部屋は殺風景ですから』

 そういってマスターが次々と持ち込んできた。

 クローゼットの中には、暖色系の洋服。ベッドサイドにはたくさんのぬいぐるみ。

 色々な生き物を模したものがあるが、一番多いのはテディベアだろうか。

 けっこうな頻度でもってくるので……三回に一回は断るようにしている。

 彼がもってきたものを、つきかえすようなことはしたくはないのだけれど。

 増えすぎて、たまに朝起きると埋もれているのが現状なのです。

 私が断った分は、彼の部屋に置かれているようだが、どうなっているのだろう。

 びっしりとぬいぐるみが並べられてたりするんだろうか。

 マスターは、色々なことを私に対してしてくれる。

 まるで、私が人間であるかのように。

 いくら親切にしてもらっても……私は機械人形以上にはなりえないというのに。

 これは喜ぶべきことなのだろう。そんなマスターに拾ってもらえたのだから。

 今回カーテンが閉められていたのは、起こさないようにとのことだろう。

 だが、私にも仕事があるのを忘れられてはいないだろうか。

 まずは着替えてから、彼に挨拶をしよう

 運がよければ書類仕事ぐらいは残っているかもしれないのだから。

 私はクローゼットを開き、いつもと同じ服を着ようとして――手を止めた。

 驚かされたのだから……少し変わったことをしてみよう。

 彼が驚いてくれるのかどうかすらわからないけれど。


「おや……今日は珍しい服を着ていますね。どうしたのですか?」

 事務所へ降りていくと、マスターからそう話しかけられた。

「明日は雨でも降るのでしょうか?」

 なんだか失礼なことを言われたような気がした。

「おはようございます、マスター」

「お早う御座います。もう夕方ですよ? ルナさん」

 くすくすと楽しそうに笑いながら、そういわれた。

 なぜかはわからないけれど、彼は上機嫌だ……カーテンを閉めた張本人だが。

 誰のせいだと思っているのでしょう。そんな考えは飲み込んで。

 私は今の自分の服装を、再確認した。

 選んだ服は、淡い黄色のワンピース。裾にはフリルが多めについている。

 図鑑で見た牡丹の花のような色。フリルのせいで、少々動きづらい。

「少し派手ではないのでしょうか……髪の色もあります」

 なんだか、着せ替え人形。

 目線をそわそわと彷徨わせながら、そういってみたのだけれど。

「派手なくらいで、丁度いいのですよ、そういうものは。綺麗でしょう?」

 紅い髪に、赤い硝子球。少しではなく派手だと思います……

 そんなことを考えていると、マスターの手が、私の髪を撫でた。

 主も、昔よくこんな風に髪を撫でてくれていた。

 あの時は何も感じなかったものだが。

 なぜ今はこんなにもそわそわと落ち着かないのか。

「ただの繊維と、ただの硝子球ですよ」

 ごまかしも含めて、そういってみた。間違ってはいないだろう。

「そんな悲しい事をいわないでくださいね? たとえただの硝子球でも……

 貴女はそれを通して世界を見ているのですから。立派な貴女の一部なのですよ」

 私の言葉を聞いた彼に、嗜めるようにいわれてしまった。

 硝子球を通して世界を見る私は、いったいなんなのだろうか。

 そんな疑問が、泡のように一瞬浮かんでははじけた。

 答えなど、ひとつしかないのに。

「それでマスター。今夜の仕事はありますか?」

「昼の仕事はないですけど、夜のならばありますよ」

「依頼人はいったいどんな人だったのでしょうか?」

「珍しいですねえ、今日は。貴女が興味を持つなんて」

 しみじみとそう言われてしまった。たまには、こんな日もあるのだろうか。

「同じ人間を殺すような依頼をするのが、どんな人物かと……」

 どれほど愚かな人間なのだろうか、そう思っただけで。深い意味など……ない。

 マスターは、興味があるのはいいことです、とニコニコ笑っている。

「今日の依頼人はですね、小さくてかわいらしい少年でしたよ」

「少年……ということは男の子ですね。それも子供のようで」

 そのとおりです、と彼は答えた。

「それも、機械人形の男の子です。まだ作られて間もない」

「その人形は、何故来たのですか?」

「ああ。主を殺されたそうですよ」

 まぁ、そこまではよくある話なんですけれどね……と彼は続けた。

 あだ討ちというのは、確かにある。それ以外に何かあったのだろうか。

「その人形の子がねぇ、どうも混ざり物だったみたいで」

 そういうと、ふうっと彼はため息を吐いた。

 ソファーに座って、彼は話し始めた。その混ざり物の少年のことを。

 私はソファーの傍にたったまま。

 彼の話に耳を傾けた。


 その少年がやってきたのは、まだ日が浅い時間帯です。

 貴女が眠っていた時間ですね。

 ノックがあって、扉を開けて姿をみてからすぐに、人形だと私にはわかりました。

 とりあえずソファーに座らせて、用件を聞いたんです。

「こんにちは。あなたの用件はなんでしょうか?」

「あのね。僕を作った人を殺した奴を、殺してほしいんだ。できる?」

「お望みであれば。どうして殺されたのですか?」

 その少年は、見た目はとても大人しそうな子でした。

 黒い髪に、ぱっちりとした大きな栗色の眼……もちろん硝子です。

「僕は知らないよ。いきなりアトリエに男が来て、お父さんを殺しちゃったんだ」

「相手の顔とか、名前とかはわかりますか?」

 お父さんというのは、製作者のことだろう。そういう風に作ったのでしょう。

 少年は、自分の頭を指して、にっこり笑っていいました。

「全部覚えてるから平気。阿呆だから落とし物からわかったからね」

「わかりました。それで……」

 少年としばし話をしました。何を代価にもらえるかと。

 それはとてもスムーズに決まったので、何の問題もありませんでした。

 一通り話をした後でした。少年の様子が変わったのは。

「それにしても……おかしいよねぇ」

「何の話でしょうか?」

「アイツのことだよ、アイツ。ぼくを作った変なヤツさ!

 いきなり目の前で殺されてさぁ、おかしいったらないよね」

 顔を楽しそうに歪ませて、ケラケラと笑う少年。

 声音も表情も、先ほどとは遥かに違う。

「ねぇ、あなたもそう思うよね! 

 勝手にぼくを作っておいて、勝手に死にやがった」

 これだから混ざり物は嫌いなのです、私は。

 彼らのようなものは、作るべきではない。

「ぼくはどうでもいいけど、それは僕が許してくれない。

 面倒ったらありゃしないよ」

「それはそれは大変ですね。では、依頼が終わったら連絡しますから」

「まるで追い出すみたいだね、まぁいいけど。 僕はたぶんアトリエにいるから」

  依頼が終わったなら、報告でもすればいいのでしょう。代価も頂かなければ。

 好まない混ざりものでも、依頼人なのは変わりませんから。

 けらけら壊れたみたいに笑いながら、少年は扉の前まで歩いて行って。

「それじゃあ、よろしくお願いしますね」

 そういって普通に笑うと、彼は事務所をでていきました。


 その少年の話を終えた彼は、またひとつため息をついた。

 しょっちゅう人格が変わっていては、相手をするのも大変だ。

「お疲れ様でした、マスター。面倒でしたでしょう」

「ええ、まったく。ずいぶんと久しぶりですよ、混ざりものなんて。

 製作者は殺されてよかったのかもしれませんね」

「それで、その少年からは何をもらうことにしたのですか?」

「代価は彼の歯車です」

 それは、その少年の終わりを意味していた。。

 もの言わぬ人形に戻るだけ、主もいないのならばそれがいいのかもしれない。

 受け取った部品を使ってほかの人形を作るのなら……

 一応、少年は継続していると考える事もできるが。

 少年の歯車は不良品。粉々に砕かれるのは確実だろう。

 蓄積された記憶も、人格もすべてが無へと帰る。

 完全な、機械人形の死が訪れる。


「それは、その少年が望んだのですか?」

 ええ、そうですよと彼はうなずいた。

「なんでも、自分を主と同じ所に埋めてほしいと。

 まだ死体は埋めていないそうなので」

 つまりはほったらかされているのだろう。殺された時間にもよるが……

「私としては、腐乱死体の処理は願い下げしたいところですよ」

 大した忠誠心です、とでもいっておいてあげましょうか?

 そういうマスターは、肩をすくめた。仕草はおどけているのだけれど。

 その瞳は真冬の湖のように澄んでいて、何を考えているのかわからない。

 そもそも死体を放置している時点で、忠誠心もなにもありはしない。

 少年の彼も、仕方がなく……そんな感じがする依頼だと思った。

「夜になったら、依頼をお願いしますね。資料は後で渡しますから。あぁ」

 言葉を途中で切ると、彼は私に一つの機械を手渡した。

「これは?」

「通信機です。前にも渡したことはあると思いますけど」

 終わり次第片付けたいので、円滑な連絡にご協力くださいね、と彼は笑う。

 依頼内容の確認は終わった。後で資料を見ておけばいいだろう。

 私は、ちらと自分の姿を確認してその場で一回転した。

 薄めの布地がふわりと揺れて――うっとおしい。綺麗ではあるが。

 その様子を、彼が興味深そうなまなざしで見ていた。

「マスター」

「はい、なんでしょう?」

「今朝の分のゴミは、出しましたか?」

「いいえ、そのままですよ?」

 貴女の仕事ですから。そういって笑う彼に、悪気はなさそうに感じられた。

 私が午前中に起きていないのだから……そのままになっているのか。

 キッチンを見てみると、使われた食器がそのままになっている。自炊したようだ。

 私は部屋の隅にまとめられたゴミ袋をつかんだ。捨てに行かなければ。

 回収されるのは明日だろうが、事務所の中に置いておくよりはいい。

「おやルナさん捨ててきてくださるんですか? ありがとうございます。

 その服装で……ですか?」

 首をかしげながらいう彼に、私は答える。

「着替える手間が面倒です。それに見目は……悪くはないのでしょう」

「ええもちろん。とっても似合っていますよ」

 自分に向けられた満面の笑みから目をそらしつつ。私は扉を勢いよく開けると。

 鉛を叩いたような、そんな音が響いた。

 何かに激突したのか――扉が半開きで止まった。


 派手な金属音に、つい後ろを振り返る。

 煩わしそうに耳に手をやりながら、怪訝そうな表情でこちらへと近づいてくる。

 人間の耳には、少々キツイ音だったのかもしれない。

「申し訳ありませんが、私はなにもしていません。何かに当たったと思われますが」

 私がした事は……ゴミ袋を片手に持ち、空いた手で扉を開けただけだ。

 そうしたら、何かに当たって音がして――

「すごい音でしたけど、何に激突したのですか?」

 あぁ、そうだ、何かに当たったのなら確認しないといけない。

 とりあえず扉をこじ開けようとしたら。

 中途半端に開いた扉から、誰かの声が聞こえた。[er]

「あの……すいません。便利屋って、ここであってますか?」

「はい。こちらであっていますよ。お客様ですか」

 営業用のスマイルを携えた彼が隣に並ぶ。どうやら、お客様だったらしい。

 だとすれば、凄まじく失礼な事をしたのは気のせいではないだろう。

 いや、お客様にぶつけて、どうしてあんな音がしたのかも気になって仕方がない。

 声を聴くかぎりでは、ぴんぴんしている。なんともなさそうだ。

 激突した音から考えれば、なんともないはずはないのだけれど。

 お客様は神様だとも聞く。まずは非礼をわびて――それからどうしろと。

 動揺しているのだろうか。思考がこんがらがってきている。

 とりあえずは、出迎えるのが最善でしょう。

 そう思い、扉に向き直って姿勢を正した時。

 白く美しい指が滑らかな動きで、扉を押し開けた。

 そこには、桃色の衣装を、纏った少女がぽつんと立っていた。


「どうぞ」

 私はいつものように、少女に紅茶を差し出した。

 なんにせよ話は長引くもの。お客様にはいつも飲み物をだす。

「あ、ありがとうございます。えっと……」

 困ったような顔をしながら、少女ははにかんだ。

 紅茶は苦手だったのだろうか。

「それで、あなたは何の用で来られたのでしょう?」

 手元の紅茶を飲みつつ、マスターがそう話しかける。

 口元には微笑を、目元は品定めをするようにちらちらと瞳が動く。

「あのですね、あたし雇ってもらえるところを探しているんですけれど」

 可憐な少女は、ためらいがちにそう切り出した。

 茶色の瞳に、薄茶のふわふわとした髪。

 彼女の顔は世間一般のかわいいにあてはまるのだろうか。わからない。

「どうしてここへ? 求人はだしていませんが」

 訝しそうな彼の言葉で、断られると思ったのか。

 少女は慌てて理由を話しだした。

「あたし、他の街にも一通りはいってきたんです。

 けっこう頑張ったんですけど。どうもダメで……それでこの街に来たんです。

 街の人が親切な所だって、教えてくれて」

 いくつかの近辺の街の名前があがる。どこも人手は足りていないだろうに。

「でも駄目だったのですか?」

「はい。そっちの人手は足りてるからいいって……」

 この少女に特別問題はなさそうなのだけれど。見た目の上ではだが。

 マスターを見ると、腕を組んで考え込んでいる。

 突然の申し出だ。当たり前の反応だろう。

「あなたは、他に行くあてはないのですか?」

「一人非常に面倒くさいのがいますが……それは当てになりません」

 誰だろうか、この少女にそんな風にいわれる人は。

 その少女を、吟味するかのように彼は見る。目を細めている。

「では質問を変えますね。あなたは、家事は得意ですか?」

 家事。それは……私の苦手な分野。どうにも下手なのだ。

「お料理お掃除、お裁縫とか……まぁ、人並みには、卵料理以外なら大体は」

 少女のその言葉を聞いて、彼は満足そうに微笑んだ。

 もしかしてと私は思ったものの、何も口に出せない。

 戦闘用ということを差し引いても、家事は苦手だから。

「わかりました。それら……特に料理ですかね。あなたに任せましょう」

「それって、雇ってもらえるんですよね!? うれしいですっ」

「ルナさん……彼女は、あまり得意ではないですから――ね」

 少女へ向けてそういいつつ、こちらを見る彼。

「戦闘用です。私に料理のうまさを求められても、どうしようもありません」

「料理まで破壊しないでください。彼女に教わるといいですよ」

 さらりと彼はそう言い放つ。

 私自身、なぜレシピ道理にやってできないのかは疑問だ。

「本当にありがとうございますっ!」

 私達の話など耳に入っていないらしい少女。

 いつのまにやら飛び跳ねている。少々喜びすぎな気がするが。

「あまり跳ねられると……」

 危ないですよ、と私は言おうとしたのだけれど、間に合わなかった。

 テーブルにぶつかった拍子に、カップの中身が彼女に――

「あ゛っ」

 彼女に紅茶がかかって、見事な火花があがった。

 …………火花?

 人間は濡れても、間違っても火花はださない。それなら少女は……

「またやっちゃいました。あぁっ! 今あいついないじゃないですかっ

 整備とかどうすれば……と、とりあえず拭かないと」

 自分の服で、ごしごしと濡れた部分を吹いている。

 それでもまだ小さなぱちぱちとした音が聞こえる。

 その様子をじいっと見ていたマスターが一言もらした。

「あなた……機械人形だったんですね」

 驚いた顔で、こちらを見る少女。きょとんとしている。

「あれ、あたし言ってませんでしたっけ? もしかして、人形はダメですか!?」

 全然違う方向で少女は慌て始めた。

 むしろ、彼なら人形でよかったと言うかもしれない。

 変わった人形だ。

 ……つい最近、こんなような人に会った気がするが。誰だったか。

 うっすらとなんとなく、思い出せそうな気がしたが、どうでもいい気がして。

 少女を見ると、マスターになだめられている。慌てすぎでしたから。

 なだめ終わると、彼は二階へと姿を消した。修理道具でも取りに行ったのだろう。

 それにしても……と驚きを抱きながら、私は少女を見る。

 こんなにも表情、感情豊かな彼女が機械人形。見た目もよくできている。

 新型は人の外見そっくりに仕上げやすいとは聞いたことがある。

 彼女を作った人の性格は……よくわからないが。腕だけは確かだったのだろう。

 人形師の、良し悪しの基準といえば、腕前くらいしか思いつかない。

 むろん、私の主の腕前もたしかなものだったのだけれど。

 そんなことを考えていると、彼が戻ってきた。工具箱を抱えている。

「すごい、修理できるんですかっ」

「私はこれでも、人形師ですから。それなりには」

 道具を出し始めた彼を見て、楽しそうに少女がいう。

「ちなみに……私も機械人形です。以後お見知りおきを」

「やった、人形仲間ですねっ初めてです」

 私の言葉を聞いて、少女はますます嬉しそうな表情になった。

 私はといえば、なぜ喜ばれるのかがよくわからなかった。

「それでは、失礼しますね」

 彼は少女の傍らに座り、整備を始めた。


 いつのまにか胴体がむき出しになっている。

 手慣れた様子で、彼はショートした部分を調べ、交換していく。

「しかし、新型なら普通は防水加工ぐらい施すはずですが……」

「それはアレです、作ったやつがケチくさいんですよ」

 あぁ、なるほどと笑いながらも滑らかに指が動く。

 私はその手つきに、しばしみとれる。

「そういえばあなたの名前。まだ伺ってませんでしたね」

 思い出したかのように彼はそう言った。そういえば、誰も名乗っていない。

「これからよろしくお願いしますね? 

 私は、アルフォンス=オーギュストといいます。

 あちらの紅茶を運んできたのが、ルナさん」

「ルナ=クローディアといいます。よろしくお願いいたします」

 そういって私は少女に一礼をした。

「アル様にルナちゃんですね! よろしくお願いします……

 あたし、まだ名乗ってなかったです!?」

 こういうのを、おてんばというのか、ネジが抜けているというのか。

 とりあえず、今非常に慣れない呼び方をされた気がする。

「アリシア=エルスといいます。これからよろしくお願いします!」

 少女……アリシアは元気いっぱいにそう名乗った。

 気軽に、シアと呼んでくださいねと。

 しばらくは、賑やかになりそうですね……ずいぶんと。

 私の仕事も減ってしまうような気がするが、悪いことではないのだろう。

 マスターも、少しは賑やかなほうがいいのじゃないだろうか。たぶん。

 仕事がなければ部屋にこもりきる、職人気質だから。

 同じ時間を重ねる歯車が、また一つ増えた。

 朗らかな彼女の歯車は何色をしているのだろうか。

 こうして私達の日常に、新しい色が加わった。


「それでは行ってきます、マスター」

 見送りの声も聞かずに私は事務所を出た。

 あの後シアは、宿屋へ向かった。部屋を借りに意気揚々と飛び出していった。

 夕方どたばたとしていたからか、ずいぶんと遅くなってしまった。

 夜が明けるまでには終えられるだろうから、何も問題はないけれど。

 今回はノエルに目標がいるらしい。少し離れた、商業が活発な場所。

 資料には写真と共に、彼の調べ上げた情報が記されていた。ただのやくざだった。

 彼はどちらかといえば、情報屋みたいになっている。汚れ役は私。

 ノエルはここから少々遠いものの、私なら走ればそう時間はかからない。

 走り出しながら、随分と高く昇った月を見上げる。

 灰白い三日月の傍らには、満点の星空。まるで競い合うかのように輝いていた。

 静かで人気もない。とても、いい夜だと私は思った。

 夜の闇にまぎれてひたすら駆ける。邪魔になりそうなものはいない。

 街からでてしまえば、転がっているのは壊れかけの人形くらい。

 誰かが見限って捨てたのだろう。がらくたに興味はありません。

 いつか私もそうなってしまうとしても。捨てててもらえたならいい。

 駆けていると、妙に歯車が軋んだ。関節が……ギシギシと悲鳴をあげている。

 そういえば、最近メンテナンスを受けた記憶がない。

 そろそろしてもらったほうがよさそうだ。今度、彼に頼もう。

 今夜の仕事ぐらいは、もってくれると助かるのだけれど。

 そうしてしばらく駆けていると、ノエルへとついた。


 死んだように眠る街を、足音を立てずに歩く。

 あまり来たことのない街。普段よりも警戒しながら進んでいく。

 慣れない街というのは不便だ。目標の家がよくわからない。

 私はしばし街を彷徨ってしまった。迷子など笑えない。

 地図を睨みつつ歩いていると、一軒だけ眠っていない家があった。

 窓からはたっぷりと明かりがもれている。それに、なにやら騒がしい。

 近づいてみると、複数の声が聞こえた。大体……四、五人といったところ。

 建物の特徴を資料と合わせてみたが、間違いはない。

 こっそりと窓から除くと、空き瓶がたくさん転がっているようだ。

 宴会でもしているのか。聞こえる声は、ろれつが回っていない。

 少年の主を殺したお祝いでしょうか?

 さて、仕事を始めましょう。

 まずは明かりを消さなければ。


 建物の周りをぐるりと回り、配電盤を探していると、家の扉が空いた。

 私は慌てて窓から離れて、裏へと回った。

 千鳥足で出てきた男は、ぼけっと突っ立ったまま。酔っ払いだ。

 酔った人の挙動は推測しにくいと聞く。

 気づかれでもしたら、とても面倒なことになる。

 後ろから忍び足で近づいて、腹部に一撃叩き込んだ。

 カエルを踏みつけたような声をだして、男はくずおれた。

 男がうめいている間に、腰元をさぐり、拳銃と弾薬を失敬した。

 しっかりと消音機がついている。使い道はあるだろう。

 未だうめいている男を見る……これはどうしようか。

 拳を開いては閉じ、動作を確認する、いつもより動きが鈍い。

 あまり全体的に調子がよくない。無駄な手間はかけたくない。

 そう考えた私は、転がる男の腹をけりあげて、気絶させた。

 ぐったりとした体を、壊れかけの塀の影へと引きずっていく。

 うめき声ひとつない。意識がないのなら、けっこう。

 念のためにと、私は男の上に瓦礫の欠片を載せておいた。

 そこそこ重さも大きさもある。動けないくらいの重しにはなるだろうから。

 それにしても不思議だ。殺してしまったほうが楽だろうに。

 なぜ私は生かしておくのか。そんな甘さなど、人形にはいらないのに。

 でも……私はそうしようと思ったのだから仕方がない。

 あぁ、自我とはやっかいなものだ。

 何も考えずにただ動くのと、自分で選択して行動するのと。

 どちらが楽で、どちらが面倒なのやら。

 結局余計な時間を食ってしまった。そろそろ始めなければ。

 根本からでなくともいいか、暗闇になればいい。

 私は手近な瓦礫の破片を掴むと、家の照明へと狙いを定めた。

 力を調節して、窓から投げ込んだ。小気味いい音がして――

 家の中は暗闇に包まれた。そして騒がしくなった。

 酔っ払い達がわめく中、家の中へと静かに滑り込んだ。

 逃げ出そうとする者をなぎたおし、急所を狙って切り裂く。

 何度か空き瓶につまづいたが、すぐに全員を殺し終えた。あと一人。

 目標がどこにいるのかと探そうとしたとき、相手から出向いてきてくれた。

「なぁにドンチャン騒ぎしてるんだよぉ?」

 酔っぱらった男がふらふらと近づいてくる。その顔は真っ赤になっている。

「こんばんわ。いい夜ですね、今夜は」

 男は暗闇の中眉をよせながら、私の顔をじろじろとぶしつけに眺めた。

「てめえ誰だ? 俺の組みのモンじゃねえな」

「ただの人形です。それより……」

 床に転がる死体を足でのける。邪魔くさいとしかいいようがない。

「ここはもう死体で埋まっています。 外にでませんか? 月もでていますよ」

 まるで今気づいたかのように、男は床の死体をじろりと見た。

「ずいぶんと派手にやってくれたなぁ……いいぜ」

 男はそういうと、千鳥足ながらも家の外へと歩き出した。

 私も後ろを歩いて、夜の中へとでていった。

 若干使いすぎた腕をぐるりと回す。あと一人なら、もつだろう。

 外では、酒ビンを持ったまま男がつったっていた。


「で、てめえは何しにきたんだ? ただで返すつもりはねぇぜ」

「それはこちらも同じ。あなたを殺しにきただけですよ」

 私はそうして男のふところに踏み込んで、切りつけた。

「その割にはなんか遅いけどな?」

 笑うかのような声と共に、蹴り飛ばされた。

 冷たいであろう床にたたきつけられ、身体が軋んだ。

「メンテナンスはちゃんとしないとダメだぜ? お人形さんよ」

 立ち上がって男をみると、なにやら刃物を構えている。

 再び男に切り込むが、どうにも調子が悪い。

 男の動きにかなり遅れて反応してしまう……動作不良か。

「確かに。でもそれじゃ私は壊せません」

「わかってらあ。俺は逃げられればいいんだよ」

 そういってにやりと笑う男へと、もう一度踏み込んだ。

 男の刃は、片腕でうけてしのぐ。

 そうしてから、伸びてきた腕をつかんで、男の顎に頭突きをかました。

 男をめまいが襲っているうちに、股間を蹴り上げる。

 声のない悲鳴をあげて、男がうずくまった。私は男を蹴り飛ばし、押さえつけた。

 間髪入れずに、男を首筋へと刃を走らせた。

 すると、鈍い音がして、右腕が固まった……こんなときに。

 首筋は裂けたものの、まだ死んでいない。留めを刺さないと。

 得物を持ち替えて、もう一度刺そうとしたときだった。

『ルナさん、聞こえますか? 私です』

 上着にしまっておいた通信機から、マスターの声が聞こえた。

 男を抑えたまま、取り出して口に近づける。

「良好です。どうしたのですか?」

「依頼人が殺されました。ですから、もういいですよ」

 少年が、殺された? 誰が、殺した?

 誰でも。それ相応のものさえあれば、だれでも壊せる。

「ルナさん? どうかしましたか?」

「何でもありません。帰ったら、メンテナンスをお願いします」

 了解しました、という彼の言葉が聞こえて、ぶつっと通信が切れた。

 依頼が中止になるなんて、珍しい。今までにあったろうか。

 どちらにせよ、少年は殺される結末しかなかったのだろう。

 代価として歯車を差し出していたのだから。

 それでも、復讐を遂げる前と後では、違うものもあるのか……

 そんなことを考えながら、男から私は離れた。

 まだ男は死んでいなかったが、出血がひどい。ほおっておけば死ぬ。

「おい……逃がしてくれるのか」

「あなたにもう用はありません。どこへでもいけばいい」

 そう言い捨てて、私はその場から去ろうとした。

 背後で男が立ち上がる気配を感じたが、特に気にしなかった。


 歩き出し、壊れかけの塀のそばにきたときだった。

 私は足を急に引っ張られて、バランスを崩した。

 足元を一瞥すると、気絶させたはずの男の手だった。

 意識はあるのかないのか……私の足をがっちりとつかんでいる。

「大人しくしていればよかったのに」

 私はつかまれていないほうの足を振り上げて……

 勢いよく踵おろすと、頭蓋骨が砕けた音がした。

 断末魔すら聞こえなかった。静かなものだ。

 足の汚れを振り払うと、私は再び歩き出した。


 人のいなくなった家から、少し離れたころだった。

 背後から、うるさい叫び声が聞こえて――

「油断大敵っていうよなぁッ!!」

 意外な速さで飛んできたナイフを、はじいた。

 そうしてから、背後に向かって得物を投げた……振り向かずに。

 小気味いい音が聞こえたきり、あたりは静かな夜へと戻った。

 あれだけの大声。位置の特定なんてたやすい。

「往生際の悪い馬鹿です」

 逃げる気なんて、まったくなかったんじゃないか。

 死ぬ間際まで、めんどうくさい対象だった……

 仕事は終わった。帰って、メンテナンスをしてもらわないと。

 私は満点の星空を見上げながら、一人歩く。

 急ぐ必要は特別ない。ゆっくりと、歩みを進めた。


 そうして考えるのは、依頼人の少年のことばかり。

 誰に壊されようと、消えてしまうのは変わりはないのに。

 同じ結末を迎えたはずなのに、なぜすっきりとしないのだろう。

 身体のほうは、主の傍で眠ることができたのだろうか。

 それすらも叶わずに、ばらばらになってしまったのか。

 壊れてしまった、混ざりものの機械人形。

 そもそも、人形が何かを望む事自体が、おかしいのかもしれない。

 そうならそうと、教えてもらえたなら楽なのに。

 頭の中に思い浮かぶ人は、マスターではなく主。何故だろう……

「貴方ならこの自我の意味を……教えてくれるのでしょうか?」

 夜空を見上げ、届かぬ願いをひとつ、呟いてみた。

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