第1夜 とあるヒトガタの日常

 とても、とても古い記憶だった。眠っている間に見るなんて、初めてのことだ。

  私は窓から差し込む日差しに反応して、まぶたを開いた。

 機械に眠りは必要ないけれど、模倣するように夜は意識を遮断する。

 ほとんど乱れていないベッドから起き上がり、髪を軽く手ですく。

  私の髪は癖がつきやすい素材らしく、ときおりみっともないことになる。

  次に、クローゼットを開けて、様々な種類の中から、

 いつも着ている服を選んで身に付ける。

 紺なのか、紫なのか。そんな色のドレス。

 メイド服の面影があるが、ぜんぜん別物 だ。

 クローゼットの中にはたくさんの服があるが、どれも派手な色彩をしている。

 もしくは、余分なフリルがこれでもかとついている。

 私のマスターが持ってきたものだが、ほとんど使用されることはない。

 普段着が動きやすいのかといわれれば、なんともいいようがないけれど。

 手早く服を身に着けて、私は一階の事務所へと向かう。

 身だしなみを確認してから、デスクで仕事をしている主へと挨拶をした。

「おはようございますマスター。今日の仕事はなんでしょうか?」

 彼は挨拶を聞くと、書類から視線をはずして、かすかに微笑んだ。

 笑みをそのままに、返事を返してくださった。

「おはようございます、ルナさん。今日もいいお天気ですね」

 私は窓の外を見ていないから、なんとも答えようがなかった。

 雨でさえないのなら、私にはあまり関係がないから。

「では、これが夜の分です。しっかりと目を通しておいてくださいね」

 そういって彼は私に、手元から引き抜いた一枚の書類を差し出した。

 大雑把に目を通すと、私はそれを服のポケットへとたたんで、しまう。

 後で確認すればいいだろう。この依頼は、数日前に依頼人が来ていた。

 何か他に仕事をあるのかと、尋ねようかと考えていると、彼が言った。

「あぁ、ルナさん。コーヒーを淹れてもらえませんか?

 貴女が淹れてくれたほうが、美味しいんですよ。不思議なことに」

 背伸びをしているところをみると……

 区切りがついたか、休憩するつもりなのだろう。

 炊事洗濯、その他もろもろの雑用も、仕事のうちにはいる。

 わかりました、と答えてから私はキッチンへと向かった。


 棚から豆を取り出し、ミルで粉々に砕いていく。マスターが好むのはブラック。

 作業が煮詰まったり精神面に波があるときは砂糖が増える。

 私も最初は砂糖をいれていたのだが……何度目か、いれる量を間違えてからは、

 ブラックになった。人が飲める甘さではない、といわれたのをよく覚えている。

 私は一般的な淹れ方に従って作っているだけだ。

 それを何故美味しいというのかわ からない。

 そう味に変化があるとは思えないのだが。

 抽出し終わったコーヒーをトレイに乗せて、彼の元へと運ぶ。

 彼はデスクからソファーへと移動していた。手元には、一冊の本が置かれていた。

 どうやら本格的にくつろぐらしい。


「お待たせいたしました。どうぞ」

 ありがとうございます、といって彼は一口飲んだ。

 そして一口飲むなりこういった。

「どうです、貴女も飲んでみませんか?」

 そうしてカップを私へと差し出した。

 私が機械人形なのを知っているのに、そんなことを。

「それはマスターの為にいれたものです。それに、飲んだらお手を煩わせますから」

 壊れた私を修理するのは、彼なのだ。

 わざわざ面倒を増やす必要がどこにあるだろう。

「おや、冷たいことをいいますねぇ、見た目は綺麗なのに」

「人形なのですから、冷たくて当たり前です。外見に関しては、特に何も」

 そう返して、私は彼を見る。

 透き通るような、銀色の長い髪。冷たい湖を思わせるかのような、深い蒼の瞳。

 男性にしては色白で、顔立ちもととのっているから……

 髪をおろすと女性と見間違える可能性もある。

 彼のほうがあらゆる意味で、綺麗だと私は思うのだが。

 それに、触れれば温かいのだろう。血が通っているのだから。

 掃除などは、また後でやればいいだろう。

 まだ日中だ。時間ならば余っているくらいだ。

 コーヒーを飲みながら本を読み出した彼に、私は尋ねる。

「マスター、本日の昼の仕事は、何かありますか?」

 先ほど渡された資料は夜のものであって、日中の仕事はまだ聞いていない。

 日中は、依頼があったりなかったりと、安定していない。

 カップを置くと、彼は思い出したかのように手をポンと叩いた。

「ああ、忘れるところでした――猫を探してきてください」

 猫ですか、と私が聞くと、ええそうですと彼は微笑みながらうなずいた。

 今回は生物らしい。前回は確か失せ物だった。

 道に落としたといいながら、自室の中に埋もれていたという。

 デスクから一枚の写真を持ってきた彼は、それを私に手渡した。ああ、猫だ。

 どこにでもいそうな……恐らくは雑種だろう。白と黒のぶち模様をしている。

 目は金色をした猫が、その写真には映っていた。

 いったいどうして行方不明になったのやら。

 猫はもともと気まぐれらしいから、よくいなくなるそうだが。

 私は一つ気になっていたことを聞いた。

「これは、仕事でいいのですよね? 確認しておきますが」

「ええもちろん。私が猫など飼っていないのは、知っているでしょう?

 昼間は、退屈なくらいでちょうどいいのですよ。便利屋とはそういうものです」

 飼い主からすれば、迷い猫を探してくれるのだから、便利このうえないだろう。

「わかりました。すみやかに探してきます」

 私はそう答えると、事務所を後にした。

 それにしても猫を探す……雑用にしか思えないのは、私の頭の問題だろうか。


 事務所をでた私は、まずどうしようかと考える…………猫。

 猫は、薄暗いところや、狭い所を好むという。

 ゴミ置き場とか、路地裏とかだろうか。

 私が知らないだけで、猫のたまり場などもあるのかもしれない

 …………どこから探してみようか。

 雑食性の生き物で、たしか、追い回す哺乳類がいたような……

 ねずみがいそうな場所へ行ってみよう。

 私はゴミ置き場へと行くことにした。

 日ごろ、ゴミをよく捨てに来ている場所だ。

 普段利用している時間帯は、ゴミは片付けられているのだが……

 誰が散らかしたのか。鴉でもつついたのかと思うくらい、散らばっている。

 何匹かのねずみはいるものの、猫の姿は見当たらない。

 このありさまで、よくも苦情が来ないものだと私は思った。

「今だけは、鼻が利かなくてよかったと思います」

 猫はねずみを捕食するともいうが、今いないのならば待っていてもこないだろう。

 どうもこのあたりの猫たちは、残飯を漁るほどうえてはいないらしい。

 私は、その場を後にした。


 思考にひとつバツをつけて。次は好みそうな狭い道を辿ってみよう。

 私は、近くの建物の路地裏を探してみることにした。

 いらないものがずいぶんと放置されている。まるでゴミ捨て場のようになっている。

 隅から隅まで見るものの、猫の姿は見当たらない……

「いったい、あの猫はどこにいるのでしょうか」

 誰にでもなくひとり呟くと、反応する声があった。

「猫――?」

 声のしたほうを見ると、路地の壁にもたれるようにして、一人の男が立っていた。

 路地裏だからか、金色の髪がくすんでみえる。

 私は男のほうに向きなおって、尋ねた。

「猫を、探しているのです。こういう柄です」

 持ち歩いていた猫の写真を男に渡す。どこか暗い、紫の瞳で男はそれを見る。

 よくみると、男は右目に眼帯をつけていた。

「いや、ここで猫は見ていない」

 どうやら、この路地裏に猫はいないらしい。

 私は礼を言って、他の場所へ行こうとした。すると。

「お前の主は元気か?」

 意味のわからない質問を投げかけられて、私は足を止めた。

 私は、この男を知らない。初対面だ。

「私は、今日ここであなたと初めてあったのですが。

 人形違いか何かではないでしょうか?」

 そういうと、男は首を横に振った。

「いいや、お前だ。隻眼だが、見間違えたりはしない」

 ……どうにも、しつこい。私は知らないといっているのに。私が知らないなら。

「マスター……私の主の知り合いですか?」

 そういうと男は何故か少しためらってから。

「まぁ、そんなようなものだろう。先ほどいったはずだったが」

 歯切れの悪い返答もなにより、そんなことは一言も聞いていないのだが。

「それは、失礼いたしました。えぇ、主はお元気ですよ」

 とりあえず、その場を取り繕うことにした。なんだか得体のしれない男だ。

「それでは、用があるので」

「お前のところの飼い猫か?」

「主に、猫を愛でる趣味はありません。仕事です」

 そういうと、男は鼻を鳴らして腕を組み。

 仕事か、とうさんくさそうにいった。本当にマスターの知り合いなのだろうか。

 質問にも答えた。ここでの用はもう済んだだろう。

 路地裏には変な人がいる可能性が高い、と記憶しておこう。

 足早にその場を立ち去った。


 腹は空かしていない、路地裏にもいない。

 いったいどんな場所にいるというのか。

 考えても答えがわからないから。

 知らないのならば、尋ねるのがいいだろう。

 私は、街中でにぎやかに話をしているご婦人達に聞いてみることにした。

「あの、ちょっとよろしいでしょうか?」

「あらあら、なにかしら?」

「この辺で、猫がたくさん集まる場所などありますか……?」

「そうねぇ……」

 私が尋ねると、婦人は快く答えてくれた。

 どうも、話ではスラムに近いほうの路地裏に、猫の溜まり場があるらしい。

 相当な数の猫がいるらしい……可能性としては、高いだろう。

「どうもありがとうございました」

 一礼してから、私はにぎやかなその場を離れた。


 猫……たくさんの猫。一目見て血統書がありそうだとわかるもの。

 どうみても雑種だろうと予想できそうな、微妙な顔のもの。

 母猫にくっついて歩く、子猫。だらしのない格好で転がる猫。

 婦人から話を聞いた場所は、まさに猫の溜まり場だった。

 建物と建物の隙間……そう広くはない場所で、彼らは住み着いているようだった。

 猫の王国というのは大げさすぎるが、溜まり場というには申し分がない。

「いったい、写真の猫はどれなのでしょうか」

 よじ登ってくる猫をおろしながら、探す。

 いろいろな模様が多すぎて、さらにちょろちょろと動き回り――見づらい。

 人懐っこい個体もいるらしいが、なぜに人形の私にまでなついてくるのだ。

 動物は感が鋭いのだから、無機質な私たちのことなどすぐさまわかるだろうに。

 それとも、危害は加えるつもりがないと察して、すり寄ってきているのだろうか。

 気を抜くと、すぐさま猫がのぼってくる。猫を探すというよりは……

 猫をおろす作業と化している。

 手近な猫の首根っこをつかんで、目の前に掲げてよく見る。

 模様の色としては近いが……これは、ぶちというか、縞模様だ。

「お前が写真の猫を知っていたなら、ずいぶんと楽なのですが」

 猫に向かって私はそうつぶやく。何も知らぬ猫は、にゃぁと一声のんきに鳴いた。

 いけない。

 猫に向かって話しかける人形など、不気味なだけだ。何の役にも立ちはしない。

 あまりの猫の多さに、思考回路に問題でも起きそうな気分だ。

 頭を軽く振って、再び猫を探す……それにしても。


 このフェルシオンの街に、こんなにも猫がいるとは思わなかった。

 クレイジーギア。狂った、歯車の街。

 街の人口の半分以上は、機械人形だという。人と人形がともに生活している街。

 戦争の後となっては、それはとても珍しいことなのだろう。

 人に作られておきながら、人に刃向かったモノ。

 本来ならば、すべて壊されていてもおかしくはない、私達。

 迫害されないだけで、十分なのではないだろうか。

 住みやすい――という表現が当てはまるかどうか。

 居心地は、きっと悪くはないのだろう。人形師も多い。

 スラム街があるものの、表向きは平穏な街。

 機械人形が多いことから、呼び名がついたらしいが……

 こんなにも猫がいるのだ。

 猫の街という別名がついてもおかしくないんじゃないだろうか。

 意味もなく、私はそんなことを考えた。

 慣れない生き物に触れたせいで、思考回路に影響でもでたか。

 猫を追い払いつつ、空を見上げると、日が高く昇っていた。

 事務所をでたのは朝早く。

 ずいぶんと、時間がかかってしまっているようだ。

 最後にもう一度猫の柄を確認してから、私は猫を探しに戻った。


 その後しばらく探したものの、なかなか見つからない。

 気がつくと、人通りが少なくなっていることに気がついた。

 どうやら、探しているうちにスラムの方へと来ていたようだ。

 スラム街は、フェルシオンの無法地帯。物騒な噂の絶えない場所。

 それゆえに、ほとんどの人は近付かない。

 こんなところにいる者は、たいていはすねに傷があるのだろう。

 廃墟と見まごうばかりの建物もあるが、中には誰かしらいるようで。

 ほとんどの建物の窓には、覗き込めないようにされている。

 辺りを見渡していると、ちらちらと人影がのぞいている。品定めだろうか。

 強盗にしろ、殺人にしろ……私には関係のないことで。

 ただの人間に壊されるほど、もろくはない。


 一応は警戒しつつ、猫を探す。

 建物の裏、入れそうなところには入って探した。あちこち探すものの、いない。

 他の場所へと探そうかと思っていると―小さな、音が聞こえた。猫の鳴き声だ。

 人の耳には聞こえないかもしれないほど、消え入りそうな音。

 その音をたどっていくと、スラムのゴミ捨て場のような場所へとたどり着いた。

 無造作にゴミが散らばる中、猫を探す。

 一つだけ、ポリバケツが置いてあったので持ち上げると、けっこうな重量がある。

 中の袋をひきずりだしていると、かすかに動くものがあった。

 きつく縛られた口を開いて、中をすべて出してみると。

 ゴミに埋もれるようにして。傷だらけの猫がいた。

 まだ鳴き声は聞こえるので、生きているようだ。

 ずいぶんと弱ってはいるみたいだけど。

 散らかしたゴミもそのままに、私は猫を抱えて事務所へと向かう。

 歩きながら、猫の容体を調べる。

 薄汚れてしまっているが、写真と同じ柄の猫。

 かすかに写っている首輪も同じもの。

 大小さまざまな切りきずはあるが、出血は止まっている。

 一番ひどいのは、尻尾か。

 それがあった場所には、大きくえぐられた傷口があった。

 おおかた、誰かが悪戯してしまったのだろう。スラムの悪戯は性質が悪い。

 動かぬ状態よりは、生きて戻すほうがいいのだろう。

 この猫は運がいい。私は事務所へと急いだ。


 私が猫を抱えて事務所へ戻ると、マスターが出迎えてくれた。

「御苦労さまです。後で依頼人に渡しておきますので」

 そういう彼に猫をそっと引き渡した。猫が何故か、嫌がるようにみじろぎをした。

 気にせずにそっと猫を抱いて、彼は二階へと上がっていった。

 私も、着替えなければいけない。

 洗面所で服を脱ぎ捨ててから、自室へと向かう。

 クローゼットを開けて、黒色のシャツとズボンを身につける。

 夜に紛れ、汚れも目立たないのでいい色だと思う。

 その上に纏う黒いコートは、マスターが作ったらしい。

 クローゼットの別の引き出しから、一対のナイフを取り出す。

 鞘と刃が黒塗りされている。夜の依頼には欠かせぬ得物。

 これのあるなしでは差がでる。支度を終えて、私は階下へと戻る。

「準備が終わったようですね。相変わらず早い」

 いつのまに戻ったものか。デスクにはマスターが座っていた。

 彼自身が直に依頼をこなすことは少ない。

 そのため一日同じ服装をしていることが多い。

「たいして準備するものも、ありません」

 私がそう答えると、彼は微笑しながら言った。

「貴女なら、素手でも大丈夫そうですけれど」

 素手でいけないこともないが、メンテナンスの手間が増えそうだ。

「時間をかけるのはもったいない。手早く始末してきてくださいね」

 彼は再びほほ笑んだ。先ほどのと違って、物騒な影が見え隠れしている。

 依頼内容というよりは、依頼人が気に食わない相手だったのだろう。

 機嫌が悪いように見えるのは、私の気のせいではないはずだ。

「それでは、いってきます」

 いってらっしゃい、という声を聞きながら、事務所から夜へと踏み出した。


  私達は二つの仕事を営んでいる。

  昼間は、一見雑用にしか見えないような、便利屋。

  こちらの方は依頼があったりなかったりと、安定していない。

  夜に行っている仕事は……まぁ、スラムにいるような輩とさほど変わらない。

  人間の欲は絶えることを知らないらしく。

  夜の仕事の方はほぼ毎日といっていいくらいに、依頼が来ている。

  今夜の依頼内容を、スラムへと向かいながら思い出す……

  私が別の依頼を終えて、事務所へと戻った時だったろうか。

  かなり深夜だというのに依頼人がいたので、私は急ぎ一礼をした記憶がある。

  もっとも、ぺらぺらとしゃべりまくっていたので、見向きもされなかったが。


  見事なほどにつるりと禿げあがった頭に、無駄によく動く口。

  ぶつぶつとしたでき物としわだらけの顔は、醜悪なことこの上ない。

  郊外の方から来たどこぞの会社の社長らしい。威厳もなにも感じられない。

  必要のないこと、愚痴としか思えないような話を、早口でまくしたてていた。

  マスターは笑顔で応対はしているものの……

 表情はかなり恐ろしいことになっていた。

  人の子供が見たなら、泣くか、怖気づくだろう。

  いらぬことばかりしゃべったものの、依頼内容は至極簡潔で。

  競合会社の社長を殺してほしい

  よくあるタイプのものだった。他に多いのは、浮気相手などだろうか。

  人によっては、自分の妻子供を殺してほしいと頼むものもいる。

  自分で連れ添って、作ったんだろうに。いらぬなら、添わなければいい。

  人形は一体でも活動できるけれど、人は違うのだろう。

  具体的にはわからないけど。

  マスターいわく、一時の感情で人を殺めるのはよろしくないのだと。

  聞いたことがある。

  怨恨の場合はどうなのですか? と聞くと……

 それは構わないのだと返ってきた。さっぱり違いが、私には理解できない。

  今回の依頼はただの嫉妬だ。相手の方が優れているので、気に食わないのだろう

  男は、金をいくらで支払うとわめいていたような気がする。

  マスターが嫌いなタイプだ。

  世の中すべてお金でどうにかなると思っている人種。

  だから今夜も機嫌が悪かったのだ。

  依頼人がどんな下衆であろうと、対価さえ払ってもらえれば構わない。

  金銭でなくとも構わないのだが、やかましいのだろう問いかけもしなかった。

  まれに依頼を断る場合もあるがめったにない。それは彼が決めること。

  今回は、ぼったくりとでもいえそうな額を請求した。

  男は、二つ返事で了承した。

  やはり馬鹿で愚かなのだろう。金銭の価値など、どれほどか。

  目障りなものなど、生きていればいくらでも現れるだろうに。

  そのたびに排除するというのは、いささか合理的ではない気がする。

  それに気がつかないのは、愚鈍だ。

  そんなことを考えているうちに、スラムへとついていた。

  今夜は対象が取引をここで行うらしい。場所は知らされている。

  顔も、しっかりと記憶した。

  建物を探し、遠くから様子を見てみる……あれは、見張りなのだろうか。

  屈強とまではいかないが、民間人よりはたくましそうな男が、二人いる。

  建物を見上げると、五階くらいの窓から明かりが微かにもれている。

  あんなふうに入口に人を置くなど、何かありますといっているようなものだ。

  どうやってあそこまで行こうか。

  近くの建物の屋上から飛び移ることもできる。

  それくらいの性能はそなえている。

  このまま正面突破することもできる。

  まぁ、二人しかいないから手間はかからない。

  ただ。

  旧式だからか、そういう自我なのか。

  私は加減をすることが得意ではない。

  それゆえ、あの二人を殺してしまうのは確実だろう。

  マスターには、手早くすませろといわれてきた。

  屋上から入ってしまえば、他の人に会う確率は少ないだろう。

  対象を殺すだけで済む。

  誰かに気づかれてしまった場合、人が来てしまうだろうが。

  二人を一気に始末してしまえば、後は楽だと思う。

  中に他に人はいなさそうだから。

  丸見えの場所に見張りを配置するくらいだ。その後のことは考えていまい。

  屋上に向かう手間を考えるか、始末する時間をとるか。

 さて、どうしようかと少しだけ考えたが。

 別の建物に上がるよりも、近くにいる二人を始末した方が、早い。

 そう判断した私は、入口とは反対へとまず移動した。

 気づかれぬように注意しながら近づいていく……優秀ではなさそうだ。

 一人は居眠りをしている。微かだが、一定間隔でいびきが聞こえてきた。

 もう一人は、私に気づいた様子もなく、明後日の方向を向いている。

「ひと回りしてくる」

 そういうと、男は眠っている者へと声をかけた。

 眠りこけているのに気がついたのか、

 小さく舌打ちをしたものの、入口から離れて行った。

 男の姿が見えなくなった。裏にでも回っているのだろうか。

 眠っているとは、好都合。面倒な手間がはぶけるから。

「それでは、失礼いたします」

 ただ形ばかりそういうと、私は男の首に手を掛ける。

 勢いをつけて一瞬のうちに首をねじると、ゴキッっという鈍い音が聞こえた。

 さて、もう一人が戻ってくる前に中に入ってしまおう。

 そう思い、建物の階段をのぼり始めてすぐに野太い声がした。。

 くぐもった銃声が背後から何度が聞こえたが……

 気にせずに踊り場のあたりまで一気に上る。

 また上へとあがっていこうとすると、人ならばよく切れそうなナイフが飛んできた。

 ゆるりと振り返り、残った見張りの男へと声をかける。

「何か、御用でしょうか? さきほどからうっとおしいのですが」

「なんだ、お前さん機械人形か」

 そういうと、男は先ほどよりも強く舌打ちをした。

 屈強なのだろうが、見下ろすと小さく見える。

 手に携えた銃からは硝煙があがっている。ただの鉛玉なら害はない。

「ええ。珍しくもないでしょう? この場所では」

 めんどくせぇと男はぐちった。今のような武器では私を壊すことはできない。

「では、私は仕事がありますので。あなたなどに用はありません」

 今こんな会話をしていることが、時間の無駄でしかない。

 私は踵を返そうとしたのだが。

「俺もいま仕事中なんだけどねえ? ニンギョウさんよ」

 ああ、わずらわしい。意味がないというのに、また銃弾が飛んできた。

 姿勢を低くしてから、すばやく相手の懐へと踏み込んで、銃ごと相手の手を掴む。

 固いものが砕ける音を聞きながら、足を払って倒す。

 忌々しそうな表情がぶれて、視界から消えた。

 逃れようと暴れる身体を、馬乗りの体制で押さえつける。

 何事かを叫ぼうとする口を、手でふさいで。手の中にあるものを確認してから。

「あなたに構っている暇はないのです。まとわりつかないでください」

 眉間へと銃口を押し当てて――――引き金を一度だけ引いた。

 幾度か痙攣を繰り返し、男の体は静かになった。

 多少汚れてしまったのは仕方がないだろう。後一人始末すれば依頼は終わり。

 私は五階へと、足早に階段をのぼって行った。

 外から見えた、明かりのもれる部屋へと近づいていく。

 今のところ、部屋の外に人はいない。


 明かりがもれる窓から中をのぞくと、一人の男がいた。

 神経質そうな横顔は、真剣な面持ちで。

 何をしているのかと見れば、札束勘定の真っ最中。

 依頼人が金の亡者ならば、殺害相手もしかり。

 私は勢いよくドアを開ける。耳障りな金属音が響く。

 大きな音だったろうに、よほど男は集中しているのか、見向きもしない。

 そのままわざと音を立てながら、すぐそばまで近寄る……すると。

「誰もいれるなといったはずだが。何かあったのか?」

 札をめくる手はそのままに、そんな言葉だけが飛んできた。

 何かあったかと?――――大アリだろうに。

「あなたの目は、札束しか映らないんですかね」

 そんな私の声を聞いて、男はようやく顔をあげる。

 今気付いたといわんばかりの顔で、わめいた。

「貴様は誰だっ!? 見張りはどうした……」

 わめく男へと、近づいていく。

 腰元から得物を取り出しながら。明かりを反射して微かに光った。

 光るものを金目のものとでも勘違いしたのか、視線がすばやく動いたが。

 男はすぐに気づいて。

「そ、その物騒なものをどっかにやれ! 何をするんだ!!」

 こんな状況で刃物を持ち出しているのだ。どうするかなど決まっているだろう。

 果物をむいてさしあげましょうか?――ありえないし、くだらない。

 ナイフを携えたまま近づいていくと、その分だけ男があとじさる。

 そうしているうちに、勝手に壁際まで追い詰められている。馬鹿な男だ。

 だが、男は馬鹿なだけではなく、愚かでもあったようで。

「こっちに来るなといっているだろう! 金か? いくらでもやるから――」

「少し静かにしてもらえないでしょうか。あなた、うるさいです」

 首筋に刃をあてると、男は少しだけ静かになった。

 わなわなと震える唇が見苦しい。

「私は、仕事を済ませにきただけです。あなたを殺すという」

 男の顔は、恐怖にまみれている。滴る脂汗、真っ赤に充血し見開かれた目。

 この男は、何を怖がっているのか。

 首筋から、男の目の前へと刃を移動させてから、私は聞いた。

「あなたはいったい何をそんなに怖がっているのですか?」

「目の前から消えろっこの化け物め。私から離れろっ」

 男の言葉は、回答にはなっていなかった。私を怖がっているらしいが。

 人から見れば異物ゆえ、化け物というのも間違ってはいないかもしれない。

「化け物、というのはどうでしょうか。私は機械人形です」

 暴れる男を押さえつけようとしていると、男の手が私の手にあたり、刃が滑って。

 きれいに、男の片目へと吸い込まれていった。

 独特の感触と、音がした。

 次に硝子を引っ掻いたような、耳障りな悲鳴が聞こえて。

 転がる男を抑えて、刃を引き抜く。よりいっそう、声が大きくなって。

 ほんの少しだけ、思考回路にノイズが混じる。

 こんな音を、私は以前に聞いたことがあるような。


 砕かれるような感覚と、衝撃と。 

 響くのは怒鳴り声と、罵倒する声。

 弾力のあるものが潰される音。

 物音に混じる悲鳴と笑い声。

 立ち去る足音と、欠片を拾い集める音。



 見たことも、味わったこともないはずなのに。

 やけに、音だけが鮮明に再生された。映像は刹那だけ。

 私はこんな記憶、知らない。覚えがない。いったい誰のものだ?

 モノクロに浮かび上がったあの人は、かすかに似ているような……

 ああ、私の中の歯車が軋む。その音が機械の脳に響く。

 相変わらずわめき続ける男の声が、うっとおしい。

 この男は、人形などにものを考える時間をくれないらしい。この声のせいだ。

 殺す予定の相手が、まだ生きていて転がりまわっている。

 だからノイズなど走ったのだ。

 私は何をしている? 今は依頼を遂行途中。

 ノイズのことなど、どうでもいい。私のことを考える必要なんてない。

 早く終わらせて、報告に戻ろう。

 いまだ焼きついているノイズを振り払うかのように、首を軽く一振り。

 わめき続ける男へと、足早に近づいた。

「た、たすけてくれるのか?」

 私に情けなどないというのに。馬鹿な男だ。

「私の仕事をお忘れですか?」

 そう告げて、一気に男の首をかききった。

 耳障りな悲鳴と、吹き出す血潮の音が室内に響く。

 噴水のように吹いた血液は天井を濡らし、滴り落ちる。

 まるで雨のようなそれをよけて、窓へと近寄る。

 硝子を叩き割って、私は外へと飛び出した。

 軽く着地して、私は夜のスラムを歩き出した。

 もうここに用はない。戻って、マスターに報告しないと。

 一人きり、事務所を目指して私は歩いていく。

 何気なく空を見ると、星ひとつない闇夜が広がっていた。

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