04
「何の用?」
翌日の放課後の保健室。ちゃんと来てくれたイオリが椅子に座り、不機嫌そうに足を組む。ちゃんと来たというより、自分の行いがバレていないか不安で確かめに来たという所だろう。私は対面に座り、その横でトモエが私に体を寄せて座る。トモエには結局真相を話していない。リアルBLカップルの正体が気になるから、この場にいるという事だ。
「伝言通り、一昨日教室で起こった事がわかったのさ」
私の言葉で、イオリは少し居心地が悪そうに座りなおす。保健室の先生を説得するのは大変だった。でもイオリの置かれた立場を考えると、保健室の先生も無視する訳にもいかない。その気持ちをくすぐる様にして、言いくるめたのだ。
私はイオリに少し微笑んで見せて、さてと口を開く。
「私達、一昨日教室で会ったでしょう? その時、私とトモエ氏は男子二人の声を聞いたんだよ、それも付き合っているかのような、今にも秘め事を始めてしまいそうな声」
「へぇ、でも私以外誰もいなかったから、聞き間違いか、別の教室から聞こえたのを勘違いしたんじゃない」
一息にイオリが言った。勝ち誇ったわけではないけど、私は少し笑って返す。
「ふふっ、今日はよく喋るんだね」
私の言葉に、イオリが少し眉をひそめた。イオリはよく喋るタイプではない。必要な事だけ言うような感じだ。今回で言えば「へぇ」とだけ言う方が、イオリらしい。偶然かもしれないけど疑って見れば、イオリの饒舌は疑われない様に必死にしていると考えられる。ますます私の中に、確信めいたものが生まれてきた。
「話を進めようか」
イオリは不機嫌そうな表情で俯く。私は構わず言葉を続けた。
「私とトモエ氏は声を聞いて、そのまま教室に入った訳だけど、知っての通り男子はいなかった、声は確かにその教室から聞こえてきていたのにね」
私は指を一つ立ててから口を開く。イオリは相変わらず俯いたままだった。見られていないけど、そこは雰囲気として指を立てたままにする。
「考えられる事その一、イオリ氏がリアルBLカップルを逃がした」
少し大袈裟に私は顔を横に振る。
「いやいや、これだと不自然だね、イオリ氏がその場にいるのにリアルBLカップルは秘め事を始めようとしていたのだから、その逆も不自然だね、イオリ氏はどういう状況かわからないけど、入ってきた男子二人がそういう雰囲気になったのに席を外す事もせずに、それを眺めていた事になる……無理やり説明しようとすればできるけど、どっちも不自然だね」
イオリが何か言おうとして口を開いた後、結局何も言わずに眉をひそめる。たぶん先ほど私が、饒舌なんだねと言ったからだろう。何か言えば疑いが濃くなると思ったかもしれない。
「なにか、あるのかな?」
私が問いかけると、イオリは首を横に振る。
「ふむ、何もないなら続けようか」
私はそう言いながら、二本目の指を立て言葉を続けた。
「考えられる事その二、リアルBLカップルはイオリ氏と男子の組み合わせだった」
「なっ、私の声が男っぽいっていうの!」
弾ける様に前のめりになって、イオリが声を荒げる。トモエが私の腕にしがみついた。よっぽど受け入れられない物だったのだろう。私は優しく声をかける。
「大丈夫、ちゃんと可愛い声だよ、だからその二も否定できる」
私の言葉を聞いて、イオリが少し恥ずかしそうに元の姿勢にもどる。トモエもくっついたままだけど、しがみつくのをやめた。
「声の問題だけじゃない、そもそもリアルBLカップルの内の一人がイオリ氏なら、一緒に逃げなかったのは不自然すぎるんだよね、わざわざ残る必要はない」
煙の様に消えてしまったように見える逃げ方があったのであれば、その方法で二人とも消えてしまえば、今こんな風になっていなかった。こんな状況を想像できていなかったとしても、残るのは不自然だ。
「では男子二人はどこへ行ってしまったか、まさに煙の様に消えてしまったか」
私は少し大袈裟に両手を使って煙のジェスチャーをして見せた。イオリはそれに嫌な顔をしてから口を開く。
「だから、聞き間違いじゃあ」
私の言葉と動作に少し苛立ったらしいイオリの言葉に、私はすかさず声をあげた。
「そう、それだよ、強いて言うなら聞き間違いだったんだよ」
「え?」
トモエが疑問の声をあげる。当然納得できないと言った感じの気持ちも混ざっているだろう。自分が聞いたリアルBLカップルの声。確かにその場に人がいたという証明。それを聞き間違いと言われているのだ。当然の反応だと思う。私は疑問に答える様にトモエに声をかける。
「私達は声を聞いただけで、中を覗かず、身をひそめた、姿は見ていないんだよね」
「た、確かそうだけど、じゃ、じゃあどういう事なの?」
トモエは唸る様に答えを求めてくる。分からないと気持ち悪いと言った感じだ。私はそれに答えるためにイオリに向き直りつつ、口を開く。
「声は確かに聞こえた、でも人が煙の様に消えるわけがない、だとすればだよ……その場にリアルBLカップルなど居なかったと考えるべきだ」
至極当然の帰結。魔法でもない限り、その場から人が消えるなんてありえない。今回のケースでは、居なかったという方がしっくりくるのだ。
「い、居なかった? でも」
疑問が再燃したようにトモエが再度声をあげる。それを制する様に私はスマホを取り出しておどける様に掲げた。これが答えなのだと見せる様に。その姿を、呆ける様にトモエが眺める。あまり勘の良いタイプじゃないトモエは、なかなか真相に気付かない。なんとなく気付いてくれた方が探偵の推理っぽく見えたけど、仕方がない。私は答えを口にする事にした。
「音声の再生をすれば、人間はいらないよね」
「あっ、お、音声の再生」
トモエの中で、いろいろ繋がったのが分かる様な声だった。私はスマホを操作する。そして、音声が流れ始めた。あの時聞いたリアルBLカップルの声が流れる。まるっきり同じセリフとトーン。そこから先の続きも流れていく。
「ドラマCDだったよ……少し古いけどね、私もトモエも持っている」
しばらく続きを聞いたトモエが、思い出したように表情を変えて口を開いた。
「そ、そうだ、も、持ってる、このドラマCD」
私はトモエの言葉に頷く。ドラマCDの事を忘れていたけど、聞き覚えだけはあった。聞き覚えがあるという事は、知っている人の声。そして、その場に居たイオリ。その状況によってトモエの中で勘違いが起こった。だから、イオリがリアルBLカップルの一人ではと思ったのだ。二人の内どちらかがドラマCDについて覚えていたら、すぐに真相の一部を見抜けていたかもしれない。
「じゃ、じゃあイオリが聞いていたドラマCDを、か、勘違いした?」
トモエは信じられない、という表情で聞いてくる。キラキラした一軍の人間が、スクールカースト最下位の私達と同じ趣味を持っているなんて信じられない、といった顔。私はイオリに視線を移してみると、顔を赤くして、スカートを握り締めていた。真相の一部はおそらくこれで、間違いない様だった。でもそれだと不自然さが残る。
「……ただ聞いていただけじゃないよね」
私の声に、イオリが勢いよく顔をあげて私を見る。物凄い形相で私を睨みつけていた。これ以上言ってくれるな。そんな気持ちだろうか。分からなくもないけど、これはイオリの殻を破るためだ。私は構わず続ける。
「ただ聞いていただけなら、掃除道具入れが開け閉めされた意味がわからない、それにイヤホンを使っていればバレないのに、それをしなかった」
私の言葉を聞いても、トモエは特に驚かなかった。たぶんその辺は、疑問にも上がってなかったという事だろう。我が親友は思いのほかボケっと生きているらしい。まぁトモエのそういう所は可愛らしい。私が少し微笑むと、トモエは首を傾げるだけだった。
「それ以上は」
私とトモエの少し緩んだ空気に割って入る様に、イオリは呟く。物凄い形相は脅しだったのか、効果が無いと分かって今度は泣きそうな表情になっているイオリ。私はそれに対して首を横に振った。
「こんなの恥ずかしい事じゃないさ、私が解放してあげよう」
私は努めて優しい笑顔を浮かべながら、続ける。
「イオリ氏はドラマCDを流して掃除道具入れの中からそれを聞いていたんだよ、あるシチュエーションを楽しんでいた訳だ、その時、掃除道具入れに入りやすい様に、チリトリを含む道具を外に出していた」
「あっ、そ、そういう」
トモエが納得した声をあげ、私はそれに頷く。こういう事へのトモエの勘は鋭い。すぐに何をしていたか、悟ったらしい。イオリに視線を向けると小刻みに震えて顔を、というより全身真っ赤にしていた。
「イオリ氏はリアルBLカップルが教室に入ってきて、咄嗟に隠れてしまったら出るに出られず、秘め事を覗き見てしまう、という高度なシミュレーションプレイを楽しんでいたんだよね」
「そ、そこに私達が来ちゃったんだ」
「焦っただろうね、掃除道具入れから出て、スマホの音声を切る、入りやすい様に出していた掃除道具を元に戻す、そこまでやってさらに私達に見られない様に教室から脱出するのは出来なかった……ちなみにチリトリが出しっぱなしだったから私がしまっておいたよ」
おそらく相当焦っていたのだろう。だからこそチリトリという足元にある物が視界に入らず、しまい忘れてしまった。それに教室の外まで聞こえるほど大きい音で、掃除道具入れを開け閉めしてしまったのも失敗だっただろう。たぶん焦って力が入ってしまったのだ。
イオリは私の言葉を聞いて立ち上がった。
「しょっ」
小刻みではない震え方をしながら、イオリの口から音が漏れる。動揺しすぎて言葉になっていない。一軍の人間が、こんな風に動揺する姿は滅多に見れない。特にイオリはクールなタイプだ。余計にレアな姿だった。それだけに相当バレたくなかったのだろう。
やっとの思いでイオリは言葉をつむぐ。
「しょしょしょ証拠出しなしゃいよ!」
どう見ても余裕がない。まともに口が回っていなかった。なかなか可愛らしい物だ。トモエもこういう姿を見れば、恐れが払しょくされるのではないだろうか。
私は少しトモエに視線を移した後、イオリに対して口を開く。
「証拠はない」
証拠を求められるのは想定の内だった。でも残念ながら、この推理を補強する決定的証拠はない。指紋や髪の毛などの遺留品の検査でもできれば証拠を用意できたかもしれないが、もちろんそんな事出来る訳もなく。
「じゃ、じゃあ」
救いの光を見たかのように、イオリの表情が明るくなる。言い逃れができるかもしれない、という希望を見たのだろう。でも残念ながら、証拠に変わる物を用意してきていた。
「でもある方法を使えば、証拠の代わりになるんだよ」
私の言葉でイオリの表情は一変して、絶望の陰が差す。私は懐からある物を取り出して、イオリに掲げて見せた。
「しょ、しょれは」
「このドラマCDの限定イラストだよ……偶然手に入れた」
このドラマCDは好きではあったが、ものすごくハマったわけではない。でもそういう物こそ、なぜか限定品を手に入れられたりするのだ。
「ひゃきゅまい限定でちゅせんが行われたげんていイラシュト!」
さっきからイオリのキャラが崩壊しているが、大丈夫だろうか。少し心配になりながら私はある事を切り出す。
「さて……踏み絵って知ってるかな? 歴史の授業で出て来たやつさ、キリシタンをあぶりだすために行われた物だね」
私の言葉にイオリが一瞬で顔を青くする。キャラが崩壊している状態でも、頭はしっかり回っている様だ。これから私がしようとしている事を察したらしい。私は構わず続ける。
「これだけのプレイをする人間なら推しのキャラを愛しすぎていて、イラストさえも踏む事は出来ないだろう、つまり私がさっき言ったような事を君がしていないと言うなら、このイラストを踏めるはず、それはもうぐちゃぐちゃに」
私が床にイラストを置くと、イオリは少し後ずさる。
「ちなみにこの限定イラストは忘れて仕舞われていた物だ、私には必要ない、ほしいならイオリ氏にあげよう……ただしイラストを踏む様な人間にはあげられないけどね」
私はイオリに笑いかけてから言葉を続ける。
「さて、どちらを選ぶかな? イラストを踏めば、ここで話した事は間違いだったと謝罪しすべて忘れよう、さっき話した事なんてしていないと証明できる、イラストは手に入らないがね……踏まなければ、この限定イラストを手に入れる事は出来るが、認める事になる」
イオリは顔を横に振りながら、表情を崩していく。ほとんど泣きそうな顔。イオリからしたら究極の選択かもしれない。
「さ……」
イオリは一度そんな声を漏らした。それから少しだけ顔を横に振る。眉をひそめて、口を真一文字に結んでいる。葛藤しているらしい。でもそれも長く続くことは無かった。
「さっ」
また何かを呟いたと思ったら、イオリは飛びつく様にして床に這いつくばる。正直何が起こったか分からなかった。倒れたのかと思ったが、そうではない。よく見ると置いてあるイラストを抱きしめている。
「佐藤きゅんと江崎しぇんぱいにしょんなひどい事出来る訳ないでしょぉぉぉぉ」
イオリは胸にイラストを抱きしめて上体を起こし、こちらを睨みながら続けて叫ぶ。
「やったわよ! 認めればいいんでしょ! 掃除道具入れに入って、ドラマCD流して、悦に浸ってましたよ! これでいいんでしょ! もうっ! 人の趣味を暴いて、そんなに楽しい訳?!」
そこまで言ったイオリは、胸に抱きしめているイラストに「あんな悪魔の所に居て辛かったね」と呟いている。確かに私もBLを愛する者として、少しひどい事をしてしまったかもしれない。佐藤きゅん、江崎しぇんぱいすまない。
そんな感じで私が少し反省をしていると、トモエが一歩踏み出した。なんだろうと思っていると、トモエは口を開く。
「イ、イオリ氏! ……そ、そういう高度なプレイは私達も経験してるよ、そ、それを同志と語り合うとね、すごく楽しいんだよ!」
イオリを恐れていたはずなのに。私はトモエの成長を密かに喜びながら、イオリに向かって語りかける。
「そうだよ、楽しいんだ……なのにそんな楽しい趣味のはずなのに、それを隠して苦しんでいるイオリ氏を、私は救いたかったんだよ」
私達の言葉を聞いてイオリは「たの……しい?」と呟く。
「あぁ、同志と共有すると楽しい、一人で苦しんでいるより確実にね」
「でも、私」
少し言いにくそうにイオリは口ごもった。それに対して、私は優しく語りかける。
「イオリ氏が男でも気にしないさ、同志だからね」
私の言葉に対して、トモエも大きく頷いて見せていた。
イオリはジェンダーレスというやつだ。女装して学校に通っている。学校側は理解を示し、クラスメイトは女子として受け入れている。かなり幸運な方だろう。本来ならイジメられていてもおかしくないし、ましてやスクールカースト最上位の一軍として認められるなんて考えられない。それを成し遂げたイオリは、どれだけ女子としてあり続ける努力をしているんだろう。何の努力もせずに漫然と女子をやっている私やトモエが、スクールカースト最下位なのは当たり前に思えた。
ちなみにトモエがBLカプの片方がイオリではと思ったのも、それが要因だろう。イオリは男であるという事実が、トモエの頭にあった。だからそういう事をする時は、声が男っぽくなってしまうのではと考えてしまった。
それにしてもイオリは女子にしか見えない。足は超キレイでスカートでも違和感がない。だからこそ、男性のシンボルをどうしているのか、スカートの中への興味は学校中の人間が持っているだろう。でもそれを確認できる手段はない。イオリは着替えをする時、保健室を利用する。イオリ自身は女子のつもりでも、クラスの女子たちはやはり着替えを共にするところまでは受け入れられなかった。かと言ってイオリ自身が、男子と一緒に着替えをする事を受け入れられなかった。そんな事があって保健室での着替えが常になった訳だ。更衣室が一緒なら見る事もできたが、できない。今の状態でスカートをめくって見てみる訳にもいかない。確認する手段がないとはそういう事だった。
イオリは完全に女子にしか見えない。でも恋愛に関しては、イオリの恋愛対象である高校生男子はきっと受け入れられないだろう。本当に好きならという事が、お盛んな思春期真っただ中の男子が思える訳がない。だからきっとイオリはBL趣味に走ったんだ。欲求をそちらに向けた。そして、そこからはただ沼にハマっていた。
私はイオリを見つめる。いろいろな所で歪みが生じている。きっとその歪みは、イオリ自身を苦しめている。このまま一人で苦しみ続ければ、きっとどこかで糸が切れてしまうのではと思う。
「一緒に楽しもう、それに恋愛相談に乗るし、応援する」
私は握手を求める様に手を差し出した。それを見てトモエも慌てて同じようにする。どっちにしてもBLの同志が増える事は良い事だ。イオリ側からしても、一人で苦しむなんてことは無くなるだろう。
「難しい事は考えないで、友達になろう」
「そ、そうだね」
私とトモエに対して交互に視線を移したイオリ。それからいろいろな感情を混ぜ合わせた様な表情を浮かべる。嬉しさがベースにあると信じたい。
「二人とも」
イオリが呟いた後、立ち上がって私たち二人を抱きしめた。
「おぉ」
「あ、あぁ」
私達は驚いて声をあげてしまう。女子として受け入れているつもりでも、こういう密着にはやっぱり少し驚いてしまう。こういうのがきっとイオリに、歪みとして認識されてしまうのだろう。友達になるなら慣れないとな。
「……ありがとう」
そんなイオリの声が微かに聞こえてきた。少し震えた声。
「同志の為だ」
「そ、そうだよ」
私達はそう優しく声をかける。そして、抱きしめてくるイオリから見えない事を良い事に、私達は視線を送り合うとニヤリと笑い合った。
同志として助け合いだ。私達はイオリを応援し助ける。イオリは私達にリアルBL実況をしてオカズを提供する。これこそウィンウィンである。
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