第20話 大呪術師の解放

 ――16日目。




 祭りの本番を迎えた日。


 ヴァーエル家が最も忙しい日で、使用人たちが慌ただしく屋敷内を動き回っていた。単純な忙しさだけでなく、屋敷内の混乱も影響していた。




「アグニスは祭りの準備中の事故で亡くなったことになっています。屋敷内のことを取り仕切っていた人間がいきなりいなくなれば混乱もしてしまいますね」




 こればかりはエレナやダルキスにもどうしようもなかった。


 今はアグニスの補佐をしていた執事が臨時で仕切っているが、それも慌ただしい今では機能していると言えない。おそらく来年の祭りには落ち着いているだろうが今年は死ぬ気で働くしか解決策がない。




「祭りの本当の目的は失われてしまいましたけど、今さら止めることなんてできませんからね」


「そうだな」




 部屋の中で窓を見つめるカイン。


 何か目的があって見ているわけではないが、どうすればいいのか分からない状態であるため迷っていた。




「まだ何も通知は来ないのですか?」


「ああ」




 トマスたち眷属は捕まり、呪術師だったアグニスは倒された。


 ボーディスも消滅した現状になってもクエストクリアの通知が届くことがない。




「クエストがクリアされていない。まだ何かしないといけないんだろうけど……」




 何をすればいいのか分からなくなってしまった。


 もはやカインの中で今回でのクリアは諦めてしまっている。何が足りなかったのか情報を集め、次の世界でのクリアに活かす。




「こんな所にいたのか」


「ダルキスさん」




 何かが起こるのを待っているとダルキスが部屋の中へ入って来る。




「せっかく祭りの日なんだから、屋敷に篭っていないで遊びに行ったらどうだ?」




 領主としては年に1度の祭りを楽しんでほしかった。


 まるで憑き物が落ちたような清々しい顔をしているダルキス。当主を引き継ぐことになった時、息子を喪うことになってしまった時から追い詰められており、今後を思えば苦労することは分かり切っていたが、それでもボーディスから解放されたことで精神的に軽くなっていた。




「……そう、ですね」




 何かが起こるにしても屋敷の中にいたのでは情報が限られる。


 エレナを伴って街へ行こうとする。本来なら領主の娘であるエレナには護衛がついていなければならないが、二人とも護衛より強い上に人が不足している日に自分たちの都合に付き合わせるのも申し訳ない、と自分たちだけで外出しようとする。




「地震?」




 ダルキスが呟く。


 机の上に置かれていたカップがカタカタと揺れ、やがては屋敷全体が揺れるようになる。


 地震にしては揺れが長く続く。




 その現象にエレナとカインは覚えがあった。




「地震じゃない」




 そんな生易しいものではない。




「これは大型の魔物が近付いて来ている時の振動です」




 町全体に獣のような咆哮が響き渡る。


 聞こえてきたのは、街の北からだ。




「なんだ!?」




 あまりに強大な音にダルキスが部屋の窓へ駆け寄ると、街の北――湖があるはずの場所に巨大な角を持つ化け物を目撃した。


 化け物は目を凝らして見れば、それが黄金色の体毛をした羊のような生き物であることがある。


 ただし街の外壁が足首ほどまでにしか届いていない巨体で、二足歩行するように体を起こし、敵意に満ちた視線を周囲に振り撒いていた。




 唐突に現れた。


 祭りで多くの人が集まっており、化け物を見上げる人々の中には祭りの余興だと考えている者までいる。その笑顔も出現した湖から街の方へ歩みを始めたところで凍り付くことになる。


 巨体での1歩は大きく、あっという間に街へと侵入してしまう。


 誰もがパニックから逃げ惑い、騒動の鎮圧にと雇ったはずの冒険者が我先にと化け物から遠ざかろうとしていた。忠誠心の強い騎士がどうにかしようとするものの逃げ回る人の数が多すぎて対処することができない。




「領主様!」




 部屋の中に騎士が駆け込んでくる。




「北の湖から巨大な魔物が出現しました。魔物はそのまま進路を街へと向け、街は大混乱に包まれております」


「どうして、今日に限って……」




 今日はギムナに最も人が集まる日。


 人が多ければ、それだけ犠牲者も増える。




「まずは民衆の避難を最優先にするんだ。あの大きさなら避難所なんて役に立たない。とにかく化け物から離れるようにするんだ!」


「了解しました」




 今は逃げるしかない。


 だが、北の方にいる人たちは逃げ切るよりも速く化け物に追いつかれてしまう。




「あれは、いったいなんなんだ?」


「ボーディスです」




 ダルキスの呟きに似た疑問にエレナが応える。




「化け物の頭にある角は、地下で見たボーディスの角と同じ物です」


「なに!?」




 大きさこそ異なるものの、たしかに棺の中にあった角と同じだ。だが、棺の中にあった角は人の頭にあってもおかしくないサイズだったが、化け物の頭にある角は比べ物にならないほど大きい。


 大きさなど些細な問題だ。注意深く見ればカインでも同じ物だと両者を比較して判断することができる。


 つまり、湖から現れた化け物はボーディスである可能性が高い。




「質問があります。ボーディスは呪術師だったんですよね」


「そう、聞いている」




 ボーディスの角を入手したのはダルキスではない。どのような人物だったのかは伝承からしか知る術がなく、『呪術師』という言葉から人間であったと想像してしまっていた。




「間違いなく人間です」




 エレナは【呪怨耐性】を持つ者を探しながら大呪術師ボーディスについても調べていた。


 遥か昔に存在していた呪術師で、時には天候を自由自在に操り、地形を変化させることもできたという。


 自然にまで干渉することができたことから『大呪術師』と呼ばれていた。




 そんな呪術師でも寿命には勝つことができず、100年ほどの生涯を看取られながら閉じることとなる。


 ただし、看取られていたのは慕われていたからではなく、人々がボーディスの力を恐れて亡くなるのを確認したからだった。そうした思惑を知りながらも人としての心を持っていたボーディスは看取られることを選んだ。




「じゃあ、あの化け物は何なんだ?」




 そうして考えている間にも化け物は街へ侵入しようとしていた。


 そこまで近付けば人々も余興ではないと気付き始める。




「……ブランディア様!」




 誰もいない場所に向かってカインが叫ぶ。


 人間が知らない情報も知っていそうな存在に頼ることとした。




『なにかしら?』


「やっぱり、いましたね」




 昨日から全く姿を見ていなかった。それでもカインが呼び掛ければ応えてくれると思っていたから名前を呼んだ。




「あれは何ですか?」


『ボーディスの呪いが蓄積した結果、生まれた化け物よ』




 ボーディスの角を封印することで土地に祝福を与えた。


 だが、呪術による恩恵が代償もなしに得られるはずがなかった。




『祝福を与えると同時に淀んだ力を角は回収していたわ。それはやがて自我を生み出して、ボーディスという名を持つ新たな存在が誕生することになったわ』




 最初の頃は問題なかった。だが、しばらくして棺の中に封印されたままでも呪術の知識と力を人間に与えて傀儡にすることが可能となった。


 同時にボーディスの中に外を憎む気持ちが生まれた。




『自分の気持ちも無視して、死後も利用されれば気分はよくないわよね』


「うっ……」




 ブランディアの指摘にダルキスが唸る。


 ブランディアの言葉はカインが伝えており、言葉が届かない二人にも理解できるようになっていた。




『まあ、私としては問題ないと思うけどね』


「そうなんですか?」


『遺体の一部とはいえ、既に亡くなっているのだから道具も同然よ。現在を生きる人々の役に立っているのだから多少は目を瞑ってほしいところね』




 ただし、呪術の触媒だったのがマズかった。


 そこに人を妬み、羨むような気持ちから呪いが蓄積し、災厄を生み出すこととなってしまった。




『もう人を呪い、災厄を生み出すだけの存在よ』


「俺たちはどうすればいいですか?」




 今回がダメだったとしてもカインは次に活かすことができる。こんな状況にならないよう動くことも可能だ。


 だが、ブランディアから告げられたのはカインの勘違いだった。




『貴方は最初から「自分のすべきこと」を提示されているはずよ』


「……メインクエストのことですか?」




 カインが知りたいのは、クエストクリアに必要なこと。


 こんな状況にならない方法だった。




「棺の中にあった角は偽物だったんですね」


『違うわ。アレはただの触媒でしかないわ。もう触媒の有無に関係なく実体化できるほどの呪いが蓄積されていたの。今、復活しなかったとしてもいずれは復活していたはずよ』




 棺の中にあった角に対処するには遅すぎた。


 砕いたとしても化け物を生み出すのに十分な呪いは集め終わっており、ギムナから土地への祝福が消えただけで終わった。


 ダルキスの決心は全て無駄だった。




「じゃあ……」


『封印からの解放を回避する術は回帰したところで存在しないわ』




 カインの回帰は最大でも16日前だ。


 その時点でも手遅れでは回帰する意味がない。




『それに、いい加減に言わせてもらうけどやることが間違っているのよ』


「え……」


『もう一度、クエストの内容を思い出してごらんなさい』




 ――大呪術師ボーディスを封印せよ




『メインクエストで求められているのは「封印」よ。決してさっきまであった封印を維持したり、封印された状態で破壊して解放されないようにしたりすることなんかじゃないわ』




 カインは大呪術師と存在を知り、さらには街中で呪術師に倒されたことで敵をどうにか無力化することにばかり意識がいってしまった。


 だが、落ち着いて考えればカインがするべきことは最初から提示されていた。




『貴方がするべきことは、封印から解放された大呪術師ボーディスを改めて封印することよ。貴方がしていた方法ではクエストをクリアすることはできないわ』


「まさか、あの状態のボーディスをどうにかしろっていうことですか!?」




 見上げるほどに巨大な化け物。


 少しは強くなった自信があったが、それでもどうにかできるイメージが全く浮かばない。




『ええ。むしろ触媒になった角を早い段階でこわしたことで、僅かながら弱くなったぐらいよ』


「弱くなった?」




 ちょうど化け物となったボーディスが街の外壁に接触した。魔物の侵入を防ぐはずの壁は、ボーディスの巨体の前では紙屑のように崩れ落ちてしまった。


 侵攻を防ぐ手段は存在しない。




「ギムナが……!」




 壊される街を見てエレナが言葉を失う。


 カインには理解できなかったが、故郷が破壊されるというのは苦痛を伴うものなのだろうと何も言えなかった。


 同じように故郷を失おうとしているダルキス。


 ただし、ダルキスの心には喪失感とは別の感情があった。




「待ってくれ……手遅れだったなんて、私は何の為に苦心していたと言うんだ」




 領主を引き継いだ時には解放に足る呪いが蓄積されていた。


 息子を喪うことになろうとも領主としての責任から領地の為にどうにか封印を維持させることに苦心していた。




「俺に言われても……」




 カインはあくまでもブランディアの言葉を仲介しているだけだ。


 しかし、ブランディアの声が聞こえず、姿を見ることもできないダルキスはカインに縋るしかなかった。




「領主様!」




 複数の騎士が駆け込んでくる。


 街への侵入を許してしまった以上、領主のダルキスも避難する必要があった。




「おとうさま」




 窓の前に立ったエレナ。


 顔を確認できるほどの距離にまで化け物は近付いており、視線が合っただけで体が硬直してしまった。


 騎士たちも姿を視界に収めただけだというのに動きが封じられた。


 これが呪術によって生み出された化け物の力。


 立ち向かおうとする意思を持つ者でも、その戦意から打ち砕いてしまう。




『操られていないだけマシね』


「のんびり状況を確認している場合ですか」




 カインだけは使徒であったため無事だ。


 この状況を見れば【呪怨耐性】を持つ者を欲していた理由が分かる。




『こっちに来るわね』


「はあ!?」




 当然と言えば当然だ。ボーディスが最も憎んでいるのは、100年もの間このような土地に縛り付けていた者だ。だが、封印した呪術師は既に老衰で亡くなっており、指示したヴァーエル家の当主も同様にいなくなっている。


 そうなれば長い時を生きる者の憎しみは子孫へと向けられる。




「お願いがある」


「なんでしょうか?」


「君はやり直すことができるんだったな」


「はい」


「おそらく私たちは助からない。だったら、やり直したら娘だけでも遠くへ逃がしてほしい」


「お父様!」


「難しいですよ。生真面目な彼女が受け入れてくれるとは思えません」


「説得も含めての依頼だ。任せたよ」




 直後、屋敷が踏み潰されて倒壊した。

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